初日の夜は、韓国人の知人と夕食をともにしました。
「何にする? マジャンドン(馬場洞)でカルビもいいし、ノリャンジン(水産市場)もいいし、ポシンタンでも」
「魚はあんまり。肉がいい」
「じゃ馬場にしよう」
馬場洞には、精肉市場があって、そのわきに「モクチャシクタン」(食べよう食堂)という焼き肉屋さんが軒を連ねています。当たり前のカルビ(あばら肉)、ドゥンシム(ロース)だけでなく、いろいろと特殊部位が食べられるのが魅力。
もちろん無料のサービスとして、日本では禁断のレバ刺しとセンマイが供されます。酒はもちろん焼酎。
昔ながらのドラム缶のテーブルですが、火は木炭ではなく練炭であるところが惜しい。
モドゥムクイ(盛り合わせ)を勧められましたが、「コッチマ」(霜降りスカート肉?)と「上カルビ」を頼みました。
「最近どう? 変わりない?」
「それが…。二週間前に父が亡くなったのよ」
「えっ? 病気で?」
「去年、階段から落ちてね。そのとき頭を打ったの。それで検査をしたら、癌が見つかって…」
「それは御愁傷様」
「私がしっかりしてないから、こんなことになっちゃって」
「関係ないでしょう」
「いや、そうなのよ」
彼女は3姉妹の長女。中学を卒業してから工場勤務で家計を助け、その後は夜の仕事を転々としていました。次女も水商売で、一時期、日本に渡って派手な生活をしていたらしい。三女は、長女の稼いだ学費で大学を卒業し、携帯電話の販売などの仕事をしている。
実は息子さんもいたのだけれども、19歳のとき、バイクの事故で亡くなった。両親は希望の星を失い、失意の日々を送っていたらしい。
追加で頼んだハラミ(横隔膜)も平らげ、シクサ(食事=ご飯もの)にろくなものがないので、いったん市内に戻ることに。ミョンドンでプデチゲ(部隊鍋)の店に入りました。
「今年の二月に日本に行くかもしれなかったの」
「そう。で、来たの?」
「いや、行かなかった。恐いから」
「なんで?」
今は、次女がやっている貿易の仕事の手伝いをしているそうな。日本のバイヤーを東大門市場に連れて行き、仕入れた服を日本に送る。代金は日本の口座に振り込まれる。そのお金を日本からハンドキャリィーで持ってくるんだとか。
「日本に行って、一千万円を持ってくる仕事なの」
「ちゃんと送金すればいいでしょう」
「だめよ。税金がかかるから」
「脱税してるんだ」
「犬鍋さん、今度韓国に来るときに、持ってきてくれない?」
「真っ平だよ、そんなヤバい仕事」
以前から、水商売で溜めた虎の子を、共同出資の話に乗せられて巻き上げられたり、人の好さにつけこまれてきた彼女ですが、相変わらず危ない橋を渡ってます。
「夜のお店はもうやらないの?」
「引退よ。もう45歳だから」
「日本に来るときは、連絡して。大阪を案内できると思うよ。金の運び屋はやらないけど」
次はいつ会えるかわかりませんが、再会を期して別れたのでした。
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