犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

消されなかった日本人の功績

2009-06-21 16:51:27 | 近現代史
 以前,このブログに「消された日本人の功績」として,韓国の淑明女子大学を創設した淵沢能恵女史のことを紹介したことがあります。

 このように韓国では,植民地期に韓国の文化や産業のために尽くした数多くの日本人の痕跡を消し去ろうとする努力が,官民を挙げて推進され,成功を収めつつあります。

 同じ植民統治を受けた,お隣台湾では,韓国とは反対に,日本人の功績を後世に伝えようとしています。

 
次は,台湾の国定歴史教科書『認識台湾』からの引用。

第七章 日本植民統治時代の政治と経済
植民地経済の発展

 日本植民地統治の当初、総督府は「農業は台湾、工業は日本」の政策を立て、台湾を米と砂糖の生産地とするため、農業改革を積極的に推進した。
一、各地に農業研究機関を開設し、新品種や新化学肥料を提供するとともに、耕作新技術の指導にあたった。
二、各地に農業組合を設立し、新種の普及と新技術の教育に責任を持ち、農業用借款の貸付業務をおこなった。
三、水利工事を興して耕地・潅漑面 積を大幅に拡大した。そのうち最も有名なのは八田与一の設計・建設した嘉南大圳であり、その潅漑面積は十五万甲(約十五万ヘクタール)に及んだ。

 ここに「八田与一」という名の日本人が出てきます。

 八田与一は,日本が台湾を植民地にしていた時期の水利技術者(1886~1942)。

 東京帝国大学工学部土木科を卒業後,台湾総督府の技師として,台湾各都市の上下水道の整備を手始めに,その後大規模灌漑事業を手がけ,10年にわたる大工事のすえ烏山頭ダムを完成,嘉南平野一帯に灌漑水路をはりめぐらしました。

 太平洋戦争中,乗った船がアメリカの潜水艦に撃沈され死亡しましたが,その功績は戦後も長く讃えられています。烏山頭ダムには台湾の人々によって銅像が立てられ,毎年,命日には慰霊祭が行われているとのこと。歴代の総統も,賛辞を惜しみません。

 くわしくはこちら(リンク)をごらんください。


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2 コメント

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ある韓国人女性の話し (タミー)
2009-06-23 08:30:39
私もこの八田氏を知った時、どうして日本の教科書に載せないのか?と不思議に思っていました。

 ところで、ある友人の経験談をご紹介します。
「主人と二人でソウル大学を卒業して、1956年にアメリカ留学を致しました。
1995年に韓国政府とソウル市が、なにか外国で韓国の国威をあげてくれたとかで私達も入れて百人近くを韓国に招待してくれました。
ヨーロッパで活躍するオペラ歌手とか絵描きとかいましたね。切符もビジネスクラスを送ってきましたしホテルはロッテでした。」
「莫大な費用ですね。」
「企業に寄付をさせたと聞いております。」

「はい、忘れもしません。8月15日に招待された私達は席に座っていました。それがあの重厚な建築物である朝鮮総督府の取り壊しとは全く聞かされておりませんでした。
余りにももったいなく、建物が可哀想で、ポンクラ金泳三の馬鹿さかげんに胸が痛くなり招待された他の何人かの方々と一緒に立ち上がってホテルに帰りました。」

「全く知らなかったのですか?」と訊いた。
「ソウル大学の教授だった妹の夫が意見を同じくする人達と嘆願書をボンクラに出したとは知っていました。」
「親日派とみなされなかったのですか?」
「親日も反日もありません。民族のため後世に残すべき建物を破壊して韓国の歴史を変えられると思ったのでしょうか。
世界中に韓国人の幼稚なメンタリティーを見せたようなものです。
晶慶苑の桜は見事なものでしたよ。それも全部切ってしまったのです。建物や花に何の罪があるのです。
実に愚かな人々です。」
遺跡 (犬鍋)
2009-06-27 14:59:03
旧総督府建物の取り壊しのとき,私はソウルに駐在していましたが,やはり「もったいない」と思ったものです。

もともと総督府だったとはいえ,解放後30年以上にわたって政府庁舎(中央庁)として使われていたのですから,解放後の韓国政治の記念物でもあるわけで,保存する意味があったのに,と思います。

現体制に合わないものを破壊しつくすのは,韓国の伝統なのでしょうか。

百済の遺跡はほぼ皆無ですし,慶州や各地にあったはずの新羅仏教の遺跡も,長らく続いた儒教時代に多くが破壊されてしまったのは,残念としかいいようがありません。

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