犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

「大韓民国の話」書評会

2009-06-09 23:32:27 | 韓国雑学
 2007年6月29日の聯合ニュースで,李栄薫の『大韓民国の話』の「書評会」の様子が報道されています。出席者は,ニューライト系の学者が中心で,「京郷新聞」とは違って,肯定的な評価が大部分。拙訳でご紹介します。

「悪質親日派が断罪されなかった点を指摘すべきだった」
李栄薫教授「大韓民国の話」書評会

 「論争を呼ぶ学者」ソウル大経済学科李栄薫教授が最近出版した「大韓民国の話-解放前後史の再認識講義」の書評会が,27日午後,ソウル中区貞洞,培材大学校学術支援センターで開催された。「大韓民国の話」は「解放前後史の再認識講義」という副題からもわかるように,2006年2月に出版された「解放前後史の再認識」の解説版だ。

 李教授は本書で,民族主義に対する嫌悪を吐露した。歴史の主体と位置づけられていた「民族」を引きずりおろし,その代わりに「人間の利己心」を据えた。善良な朝鮮を強暴な日本が蹂躙したという民族主義史学も,彼にとっては廃棄対象だ。李教授が「植民地近代化論者」あるいは「植民支配称賛論者」と呼ばれる所以だ。

 書評会に参加したカン・キュヒョン(ミョンジ大),キム・イルヨン(成均館大),イ・フンサン(東亜大),パク・テギュン(ソウル大国際大学院)教授,イ・ソンミン朝鮮日報論説委員は,李教授の史観に対してさまざまな意見を述べた。

 カン・キュヒョン教授は「大韓民国の話」の基本テーマに共感しつつ,惜しまれる点を指摘した。反民特別委が親日警察を断罪するには力不足であったという李教授の結論に対して,より徹底した批判が必要だという指摘だった。
「魔女狩り的な無差別的親日清算作業がなかったことは幸いだった。しかし,あらゆる基準に照らしても問題の多かった悪質親日分子に対する最小限の処理がなされなかった点が韓国現代史の軛になったということは,指摘すべきだった」
カン教授はまた「(李教授と同じように)李承晩初代大統領の業績は立派だと思う」が,「自由民主主義と市場経済という方向は正しいとはいえ,彼の統治スタイルは自由民主主義からほど遠かった点は指摘すべき」と批判した。

 李教授とともに「解放前後史の再認識」を編んだキム・イルヨン教授は,「李教授は歴史の本質的単位が個々の人間であり,歴史は人間が相互競争・協同を通じて作り上げていくものだと見る。なのに一部の人々は,これを国家主義と批判している」と指摘した。キム教授は続けて「民族主義色の強い修正主義者などの意見と違い,韓国を欠損国家(分断国家)ではなく完全な国民国家と認めて,その建設の過程を研究することが,はたして国家主義といえるのか?」と反問した。

 パク・テギュン教授は,「民族から人間への回帰には全面的に賛成する」としながらも,「近代以前の民族概念が全面的に虚構だったわけではない,という主張にも耳を傾ける必要がある」という意見を述べた。パク教授は,「民族ではないが,何かしらの共同体的な要素が存在したからこそ,近代以後,民族という「想像の共同体」を作りうる基盤になったはず」,「民族が従属した時,民族の構成員が二重の従属を受けざるをえないという点もまた見逃すべきではない」と主張した。

 イ・ソンミン朝鮮日報論説委員は,「民族主義はしだいに衰弱していくだろう」,「数年おきに無意味な歴史戦争が起こっている」という李教授の主張について,「長い目で見ればそう言える」という見解を示したが,「中短期的には学問と区別される戦略が必要だ」と強調した。彼はまた「朝鮮王朝が滅びたとき平安道の人々の中に万歳を叫んだ人がいる」,「日帝が滅びると両班の村では歓声があがったが,庶民の村では静かだった」という叙述は納得しがたいという見解を示した。

 イ・フンサン東亜大教授は「絶えず被害意識と他者に対する敵対意識を前面に出す民族主義歴史学において,現在の韓国の地位に似合う開かれた姿勢を期待することは難しい」,「この著作の目標は大韓民国の発展過程を高く評価し,その歴史的躍動性と動因を再認識して,その地位に合う規範をたてること」と評価した。彼は続けて,「この本はたんに民族主義を批判したり,現在の繁栄を示すことが主目的でなく,新しい責務を要求するものとして読んだ」と付け加えた。

 一方,李教授の師である安秉直ソウル大名誉教授は,開会の辞で,小説家趙廷来氏が李教授を「日本人以上に日本人らしい」と批判したことに触れ,「他人の人格を冒涜するやり方だ」と批判した。安教授は「趙氏が文化人ならば,文化人らしいやり方をするべきだ。文化人ならば提起された問題に対して正々堂々と対応するべきで,他人の人格を非難することで免責しようとする卑怯な行動にでてはならない。趙氏の人格がどの程度なのか見守りたい」と話した。李教授はニューライト財団が発行する「時代精神」に,趙廷来氏の小説「アリラン」が相当な歴史歪曲を含んでいると批判する文を寄稿し,趙廷来氏は最近東国大での講演で「李教授は日本人よりさらに日本人になりたい人」と反論した。

 最後に出てきた趙廷来という小説家は,以前,「日帝の600万人虐殺」を妄想した,想像力豊かな作家です。(リンク

(参考)
犬鍋の「日帝の10万人虐殺説」

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2 コメント

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朴正煕を超えられず (馬齢)
2009-06-22 10:07:30
日本のメディアの怠慢を、犬鍋さんがフォローした本「書評会」紹介は凄いモノであります。これぞ<日本の底力>なのかもしれません。有難うございます。

日韓併合の不当性を喚き立てる輩が、必ず引き合いに出す【朝鮮の悲劇】(F・A・マッケンジー)の<ウソ>や、これに類スル読物の<ウソ>を看破したチョウセン人・コリアンは、朴正煕ぐらいしかいないようです。

マッケンジーには、祖国大英帝国が16世紀以来世界中で繰り広げている植民地での悪行・蛮行を棚に上げている以上、日本の朝鮮支配政策を指弾する資格はないのです。

歴史とは、<一国・国史>評価でなく、<世界同時代の国史>評価でなければ真相の把握はできない。つまり、同時代に於ける国際比較において評価されるべきものでしょう。朴正煕はその著作・演説で繰り返しこのことを強調しています。

解放前後史の渦中で、同時代に溺れ・酔い・淫した朝鮮民族の鬼子・朴正煕の史眼の高みに、残念ながら李榮薫【大韓民国の物語】の史眼は未だ到達していません。この<・・物語>に及び腰の大韓民国現代史学者達のレベルは、我々日本人にとり安心できる水準にあるといえます。隣国のタミから見れば、隣人が歴史の実相に迫ってきたときに、初めて惧れを抱くものです。

大韓民国では、朴正煕の高みの史眼には容易に到達出来ますまい。
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朴正煕の著作・演説 (犬鍋)
2009-06-27 14:49:25
コメントありがとうございます。

恥ずかしながら,朴正煕については,数冊の伝記と,田中明が自著の中で訳出紹介している断片しか知らないので彼の史観の全貌はよくわかりませんが,そのような史観をもっただけでなく,「強権」をもって「漢江の奇跡」を成し遂げ,荒廃した韓国を中進国のレベルにまで引き上げた「実践」を高く評価しています。
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