洪思翊は自身の裁判において,一言の証言もしませんでした。
完全黙秘というと,「何を聞かれても頑に答えない」という印象がありますが,それとはちょっと違う。
もともと,アメリカの裁判においては,裁判の開始前に,被告に三つの選択肢を与えます。
①宣誓して証言し,反対尋問を受ける
②宣誓しないで証言し反対尋問を受けない
③一切の証言をしない。
洪思翊はこのうちの③を選択したわけです。
一切証言をしなかった理由として,山本七平は,大韓帝国の「軍人勅諭」のうち,日本の「軍人勅諭」にない第6項,「軍人は言語を慎むべし」をあげています。
もう一つ,洪思翊の「武人精神」,すなわち,人間の責任は自らの出処進退のみで決まるという信念にあるのではないか。山本は,裁判とは別のところで「仮面に対する責任」という表現で,洪思翊の心情を推測しています。
洪思翊は生涯,一種の仮面をつけていたと言える。…もしその仮面が断罪されるなら,それがいかなる断罪であれ,仮面をあくまでも自分の真の顔として,黙って断罪されねばならない。そのとき言い訳はあり得ない。その仮面もまた仮面として行動した責任があり,「あれは仮面で自分の本心はこうでした」という釈明で免責にはなりえない。
…人は自らの仮面に責任をとらねばならない。…もし,「お前は日本帝国陸軍の軍人であり,韓国人の敵であった」と断罪されるなら,そのときは黙って断罪をうけ,「いや,私は韓国の独立を願っていた。その証拠に,金光端・池大亨(独立運動家)といった人びととその家族を助け,援助し,拳銃を送った。それだけではない…」といった言葉で自己を正当化することは絶対にしないということである。
…自己の意志を示すものは,それが仮面であれ本心であれすべては出処進退,人間の責任はそれだけできまる。これはそのまま洪中将にあてはまる。彼が韓国独立の志士たちを援助した中心人物であり,またフィリピンにおいては捕虜の待遇改善のため個人的に多くの努力をしたエピソードを残し,米軍捕虜を無事に米軍の手に帰すため大きな努力をし,それが立派に成果をあげているのに,彼もまたそのことを一言も口にしなかった。
大日本帝国軍人・捕虜収容所長という仮面の責任が断罪されるとき,「否,それは仮面である,その証拠に…」といった言葉を彼は口にせず,弁護人がそれを示唆する言葉を口にしたときも,沈黙で押し通した。
裁判はすべて通訳つきで進行されました。通訳上の問題もかなり大きかったことが,本書に引用されている裁判記録を読んでもわかります。ただ,洪思翊は英語ができたので,裁判のやりとりはかなりの程度まで理解できていたと思います。裁判の中で明らかな誤解,事実の誤りもたくさんあったはずですが,そのようなときに「完全黙秘」を貫くのはたいへん辛いことだと思います。
しかし,洪思翊は一切の証言をしなかった。ここでも「自らの判断への忠誠」を貫いたようです。
完全黙秘というと,「何を聞かれても頑に答えない」という印象がありますが,それとはちょっと違う。
もともと,アメリカの裁判においては,裁判の開始前に,被告に三つの選択肢を与えます。
①宣誓して証言し,反対尋問を受ける
②宣誓しないで証言し反対尋問を受けない
③一切の証言をしない。
洪思翊はこのうちの③を選択したわけです。
一切証言をしなかった理由として,山本七平は,大韓帝国の「軍人勅諭」のうち,日本の「軍人勅諭」にない第6項,「軍人は言語を慎むべし」をあげています。
もう一つ,洪思翊の「武人精神」,すなわち,人間の責任は自らの出処進退のみで決まるという信念にあるのではないか。山本は,裁判とは別のところで「仮面に対する責任」という表現で,洪思翊の心情を推測しています。
洪思翊は生涯,一種の仮面をつけていたと言える。…もしその仮面が断罪されるなら,それがいかなる断罪であれ,仮面をあくまでも自分の真の顔として,黙って断罪されねばならない。そのとき言い訳はあり得ない。その仮面もまた仮面として行動した責任があり,「あれは仮面で自分の本心はこうでした」という釈明で免責にはなりえない。
…人は自らの仮面に責任をとらねばならない。…もし,「お前は日本帝国陸軍の軍人であり,韓国人の敵であった」と断罪されるなら,そのときは黙って断罪をうけ,「いや,私は韓国の独立を願っていた。その証拠に,金光端・池大亨(独立運動家)といった人びととその家族を助け,援助し,拳銃を送った。それだけではない…」といった言葉で自己を正当化することは絶対にしないということである。
…自己の意志を示すものは,それが仮面であれ本心であれすべては出処進退,人間の責任はそれだけできまる。これはそのまま洪中将にあてはまる。彼が韓国独立の志士たちを援助した中心人物であり,またフィリピンにおいては捕虜の待遇改善のため個人的に多くの努力をしたエピソードを残し,米軍捕虜を無事に米軍の手に帰すため大きな努力をし,それが立派に成果をあげているのに,彼もまたそのことを一言も口にしなかった。
大日本帝国軍人・捕虜収容所長という仮面の責任が断罪されるとき,「否,それは仮面である,その証拠に…」といった言葉を彼は口にせず,弁護人がそれを示唆する言葉を口にしたときも,沈黙で押し通した。
裁判はすべて通訳つきで進行されました。通訳上の問題もかなり大きかったことが,本書に引用されている裁判記録を読んでもわかります。ただ,洪思翊は英語ができたので,裁判のやりとりはかなりの程度まで理解できていたと思います。裁判の中で明らかな誤解,事実の誤りもたくさんあったはずですが,そのようなときに「完全黙秘」を貫くのはたいへん辛いことだと思います。
しかし,洪思翊は一切の証言をしなかった。ここでも「自らの判断への忠誠」を貫いたようです。
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