森田芳夫氏について,総督府の官吏だったことを理由に,その著述内容が偏っているのではないかと考える人がときどきいます。
私は件の『朝鮮終戦の記録』(巌南堂,1964年)のほかに,『韓国における国語・国史教育』(原書房,1987年)を持っています。また,戦後,韓国の誠信女子大学で日本語を教えていたときにまとめた『韓国人の誤りやすい日本語』という本も読んだことがあります。
著者の誠実さはその著作にも表れているのですが,その姿勢はいたって実証的,客観的です。
『朝鮮終戦の記録』は,感情的な表現を極力抑え,数字と文献の引用を主体に淡々と記述されています。
『韓国における国語・国史教育』のほうは巻末に膨大な原資料が添えられているので,資料価値が高い。
語学書のほうも,自身の日本語作文授業の中で収集した誤答例を掲げた,実証的な本でした。
森田さんが亡くなった翌年,産経の黒田さんが著書で氏について書いた文章があるので,転載します。
森田芳夫先生のこと
植民地・朝鮮からの日本人引き揚げの実態を記録した名著『朝鮮終戦の記録』(巌南堂刊)の著者である故森田芳夫氏の夫人,マサノさん(75)が最近,夫の遺影と位牌を胸にソウルを訪れた。昨年8月3日,82歳で亡くなった夫に「第二の故郷だった韓国の春を見せてあげよう」との思いからという。
故森田先生は戦前の朝鮮で育ち,京城帝国大学史学科で朝鮮史を学び,総督府の役人をしているときに終戦を迎えた。翌年,日本に引き揚げたが,「史家としての自分に課せられた使命」と決意し,手弁当で引き揚げ者からの聞き書きと資料集めに没頭した。
その後,外務省職員として再び韓国の地を訪れ,75年の退職後はソウルの誠信女子大で教鞭をとった。人生の半分以上を韓国の地で過ごした人だった。
外務省時代には14年にわたる日韓国交正常化交渉の記録に取り組んだ。全30巻の門外不出の記録集が完成したのが1972年。
これを基にさらに日韓交渉略史の原稿を昨年3月,書き上げたあと,一字一句もゆるがせにできないというその性格そのまま,最後まで補筆や校正に丹精の日々だったという。
やはり朝鮮育ちのマサノさんは原稿の清書や後述筆記を受け持つなど,韓国・朝鮮に生涯を打ち込んだ夫を終始,陰で支えた。マサノさんはソウル滞在中,夫がこよなく愛したという南漢山城や東九陵などソウル近郊の史跡を,遺影を胸に歩いた。夫の戒名は「無窮花院誠信日芳居士」。
(黒田勝弘『ソウル烈々』徳間書店,1993年)
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コメント・ご指摘ありがとうございます。
紹介していただいた本、機会がありましたら読んでみます。
『朝鮮終戦の記録』p91「順天で、人民委員会が警察署を占拠したために、同地の日本人署長は、警察部の了解を得ないで、日本人署員全員とともに引き揚げた。」は間違い。加藤正夫氏が順天警察予備隊長として任務にあたっておられましたから。
この様に、総督府に伝える人間性と言うものを考えないと 疑問が残る時代 である事も事実です。
加藤正夫氏については
「陸軍中野学校 加藤正夫 光人社NF文庫」p228
「数字が…」は書店の店頭で見たことがありますが買いませんでした。「国語・国史…」はたいへん資料価値の高い名著ですね。
今、ネット環境の悪い海外にいますが、帰国後投票しようと思います。
復刊ドットコムに『韓国における国語・国史教育』もリクエストしました。URLから投票ページにアクセスできます。
復刊ドットコムに森田芳夫著『数字が語る在日韓国・朝鮮人の神話』をリクエストしました。ブログをご覧のみなさまの投票次第で復刊される可能性があります。
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