日本の首相が「侵略」という言葉を使った例を探してみました。ほかにもあるかもしれませんが,代表的なのは次の三つでしょうか。
①「私自身は,侵略戦争であった,間違った戦争であったと認識している」(93年8月10日,細川首相就任記者会見)
②「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」(同年8月23日,細川首相所信表明演説)
③「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」(95年,村山首相「戦後50周年式典」談話)
そして,③が今日までの政府の公式的立場になっています。
「侵略戦争」,「侵略行為や植民地支配」,「植民地支配と侵略」と,3種類の表現があります。
①の「侵略戦争」は,具体的にどの戦争を指すのかあいまいですが,常識的に「大東亜戦争」のことでしょう。連合国を相手にした太平洋戦争に加えて,満州事変,支那事変をも含むと思われます。
参考に,韓国では日清,日露も含め,日本が戦った戦争はすべて「侵略戦争」ということになっています。
①の「侵略戦争」は,2週間後の同じ細川首相の発言では「侵略行為」に改められています。この間にどのような経緯があったかわかりませんが,たぶん外交官僚たちが「侵略戦争」という表現に噛みついて,修正を受けたのでしょう。
さらに2年後の村山談話では,シンプルに「侵略」になっています。
私の手許に,『日本は侵略国家ではない』という本があります。勝田吉太郎京大名誉教授が編者となったアンソロジーです(1993年,善本社刊)。93年の細川発言に危機感を覚えた右派論客たちが,さまざまな角度から細川発言の問題点を指摘したもので,今回問題になった,田母神氏の論文に書かれている内容は,ほとんどすべてこの本の中に見いだすことができます。
その中の「国際法上,侵略戦争をしていない」(佐藤和男青学大教授)という論文に,「侵略戦争」という言葉の歴史的由来が書かれていました。
「侵略戦争」は極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)のときに使われた,「war of aggression」という英語の訳語だそうです。
日本の戦時指導者が問われた罪状は,以下のとおり。
「平和に対する罪,即ち,宣戦布告を布告せるまたは布告せざる侵略戦争,もしくは国際法,条約,協定または誓約に違反せる戦争の計画,準備,開始,または遂行,もしくは右諸行為のいずれかを達成するための共通の計画または共同謀議への参加」
佐藤教授によれば,「aggression」は「挑発を受けないのに行う攻撃」「不当な武力行使」のことであって,簡潔な訳語としては「侵攻」がふさわしい。「war of aggression」は「侵攻戦争」となります。
しかし,東京裁判当時の訳語として「侵略戦争」が使われたため,もとの英語には含まれていなかったニュアンスが加わることになった。
一般に日本語の侵略の一般的意味は「他国や他領に武力で侵入し,土地や財物を奪い取ること」で,「武力侵入と略奪」が要素になります。しかし,原語の「war of aggression」には「略奪」の意味合いはない。
東京裁判では,
「日本は侵攻戦争を遂行した」
「侵攻戦争遂行は国際法上の犯罪である」
「その犯罪責任は個人に対して追及できる」
という論理で日本の戦時指導者たちが断罪されましたが,裁判の過程においても,裁判後においても,上の論点はそれぞれ議論を呼び,今では東京裁判そのものに疑義が呈されています。
そのような中で,細川首相が記者会見の中で「侵略戦争」という言葉を使ったため,「東京裁判」を政府が正式に認定することになることをおそれ,その後の「所信表明」では,「侵略行為」という表現に後退したのではないでしょうか。
さらに村山談話では,「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と,微妙に変わっている。侵略戦争・侵略行為が「侵略」になっているだけでなく「アジア諸国」が強調されているのですね。
大東亜戦争は,1942年以前の日中戦争と,42年以降の太平洋戦争を合わせたものですが,連合国を相手にした太平洋戦争をはたして「侵略」と呼べるのかについては,政府内にも議論がある。
たとえば,橋本首相は著書の中で,
「前の大戦とそれに至る日本のすべての行為を侵略と断定していいものか。対アメリカ、フランス、オランダとの戦いで私は日本が侵略戦争をしたとは思えない。」
と書いています。村山首相の談話の表現は,「侵略」は中国に対するものだけである,という意味合いを滲ませているように思えます。
ここで,韓国に関していえば,上の三つの発言の中で,韓国は「侵略」の対象からはずされています。
まず①は「侵略戦争」という表現ですから,日本と戦争をしていない韓国は入りようがない。
②,③では,「侵略行為や植民地支配」,「植民地支配と侵略」というふうに,「侵略」と「植民地支配」が並記されており,韓国が受けた植民地支配が「侵略」の中に含まれるとは読み取れません。ここは,日本の官僚たちが神経を使った部分だと思います。
日本政府の見解を要約すれば,
「対中戦争は侵略であった。対米英戦争は侵略といえるかどうか疑問である。植民地支配は侵略ではない」
ということになるでしょうか。
田母神論文が政府見解と反するのは,日本政府が認めている「対中戦争」についても,「侵略ではない」と主張している点です。
私の見解は,
「対中戦争は,そのきっかけとなった事件の首謀者がどうあれ,侵略と言われても仕方がない。対米英戦争は,自衛の戦争であった。韓国に対する植民地支配は,侵略ではない」
というもの。日本政府の見解とほとんど同じです。
韓国支配について「侵略」という言葉が不適切だと思う理由は,
①日韓併合が条約に基づいて行われたもので「武力侵入」ではないこと,
②日本の統治において「略奪」の側面が弱いこと
で,②については,当ブログでもたびたび検証してきた通りです。
①「私自身は,侵略戦争であった,間違った戦争であったと認識している」(93年8月10日,細川首相就任記者会見)
②「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」(同年8月23日,細川首相所信表明演説)
③「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」(95年,村山首相「戦後50周年式典」談話)
そして,③が今日までの政府の公式的立場になっています。
「侵略戦争」,「侵略行為や植民地支配」,「植民地支配と侵略」と,3種類の表現があります。
①の「侵略戦争」は,具体的にどの戦争を指すのかあいまいですが,常識的に「大東亜戦争」のことでしょう。連合国を相手にした太平洋戦争に加えて,満州事変,支那事変をも含むと思われます。
参考に,韓国では日清,日露も含め,日本が戦った戦争はすべて「侵略戦争」ということになっています。
①の「侵略戦争」は,2週間後の同じ細川首相の発言では「侵略行為」に改められています。この間にどのような経緯があったかわかりませんが,たぶん外交官僚たちが「侵略戦争」という表現に噛みついて,修正を受けたのでしょう。
さらに2年後の村山談話では,シンプルに「侵略」になっています。
私の手許に,『日本は侵略国家ではない』という本があります。勝田吉太郎京大名誉教授が編者となったアンソロジーです(1993年,善本社刊)。93年の細川発言に危機感を覚えた右派論客たちが,さまざまな角度から細川発言の問題点を指摘したもので,今回問題になった,田母神氏の論文に書かれている内容は,ほとんどすべてこの本の中に見いだすことができます。
その中の「国際法上,侵略戦争をしていない」(佐藤和男青学大教授)という論文に,「侵略戦争」という言葉の歴史的由来が書かれていました。
「侵略戦争」は極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)のときに使われた,「war of aggression」という英語の訳語だそうです。
日本の戦時指導者が問われた罪状は,以下のとおり。
「平和に対する罪,即ち,宣戦布告を布告せるまたは布告せざる侵略戦争,もしくは国際法,条約,協定または誓約に違反せる戦争の計画,準備,開始,または遂行,もしくは右諸行為のいずれかを達成するための共通の計画または共同謀議への参加」
佐藤教授によれば,「aggression」は「挑発を受けないのに行う攻撃」「不当な武力行使」のことであって,簡潔な訳語としては「侵攻」がふさわしい。「war of aggression」は「侵攻戦争」となります。
しかし,東京裁判当時の訳語として「侵略戦争」が使われたため,もとの英語には含まれていなかったニュアンスが加わることになった。
一般に日本語の侵略の一般的意味は「他国や他領に武力で侵入し,土地や財物を奪い取ること」で,「武力侵入と略奪」が要素になります。しかし,原語の「war of aggression」には「略奪」の意味合いはない。
東京裁判では,
「日本は侵攻戦争を遂行した」
「侵攻戦争遂行は国際法上の犯罪である」
「その犯罪責任は個人に対して追及できる」
という論理で日本の戦時指導者たちが断罪されましたが,裁判の過程においても,裁判後においても,上の論点はそれぞれ議論を呼び,今では東京裁判そのものに疑義が呈されています。
そのような中で,細川首相が記者会見の中で「侵略戦争」という言葉を使ったため,「東京裁判」を政府が正式に認定することになることをおそれ,その後の「所信表明」では,「侵略行為」という表現に後退したのではないでしょうか。
さらに村山談話では,「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と,微妙に変わっている。侵略戦争・侵略行為が「侵略」になっているだけでなく「アジア諸国」が強調されているのですね。
大東亜戦争は,1942年以前の日中戦争と,42年以降の太平洋戦争を合わせたものですが,連合国を相手にした太平洋戦争をはたして「侵略」と呼べるのかについては,政府内にも議論がある。
たとえば,橋本首相は著書の中で,
「前の大戦とそれに至る日本のすべての行為を侵略と断定していいものか。対アメリカ、フランス、オランダとの戦いで私は日本が侵略戦争をしたとは思えない。」
と書いています。村山首相の談話の表現は,「侵略」は中国に対するものだけである,という意味合いを滲ませているように思えます。
ここで,韓国に関していえば,上の三つの発言の中で,韓国は「侵略」の対象からはずされています。
まず①は「侵略戦争」という表現ですから,日本と戦争をしていない韓国は入りようがない。
②,③では,「侵略行為や植民地支配」,「植民地支配と侵略」というふうに,「侵略」と「植民地支配」が並記されており,韓国が受けた植民地支配が「侵略」の中に含まれるとは読み取れません。ここは,日本の官僚たちが神経を使った部分だと思います。
日本政府の見解を要約すれば,
「対中戦争は侵略であった。対米英戦争は侵略といえるかどうか疑問である。植民地支配は侵略ではない」
ということになるでしょうか。
田母神論文が政府見解と反するのは,日本政府が認めている「対中戦争」についても,「侵略ではない」と主張している点です。
私の見解は,
「対中戦争は,そのきっかけとなった事件の首謀者がどうあれ,侵略と言われても仕方がない。対米英戦争は,自衛の戦争であった。韓国に対する植民地支配は,侵略ではない」
というもの。日本政府の見解とほとんど同じです。
韓国支配について「侵略」という言葉が不適切だと思う理由は,
①日韓併合が条約に基づいて行われたもので「武力侵入」ではないこと,
②日本の統治において「略奪」の側面が弱いこと
で,②については,当ブログでもたびたび検証してきた通りです。
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