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日本初、“Prince論文”を発見!

先日、たまたま本屋で『プリンス論』という本を発見し、思わず驚いた。実は、プリンスに関する著書は極めて少なく、末ヘ多少あっても、日本人によって書かれたプリンスの著書などは存在していないと思っていたので、こんな本が出版されていること自体かなり驚いたのだ。実は結構なプリンス好きの僕としてはどのようなことが書かれているのか物凄く興味が湧き、即効で購入した。そして読んでみるとこの本、プリンスの栄光と挫折のヒストリーを順に追いながら解説しているのだが、単なる伝記本や変なカルト本の類いでは無く、その内容がマニアックながら極めて洞察に富んでおり、言わばその題名の通り、“プリンス論文”と言った深い内容で、思わず一気に読んでしまった。それくらい面白い本であった。



僕は中学1年であった1983年頃からオフィシャルに洋楽の世界にハマった、いわゆる80’sの音楽に最も影響を受けて育った”MTV”世代だ。LAに住んでいた小学生の頃にはKISSにハマり、親の反対に合いながらも『Double Platinum』という2枚組レコードアルバムを買って貰ったのが最初の洋楽体験だったが、自分の力でレコードを買い、本当の意味で洋楽にハマったのはやはり1983年にマイケルジャクソンの『スリラー』を買った頃からだろう。そこからMTVにもハマり、『Off the Wall』のアルバムにも遡ってマイケルジャクソンにまずどっぷりとハマり、そしてプリンス、マドンナ、カルチャークラブ、デュラン・デュラン、シンディーローパー、ワム!、U2などにどんどんハマって行った。当時ラジオではケイシーケイサムによるAmerican Top 40という音楽カウントダウン番組が毎週日曜にあったが、これをラジオにかじり付いて聴いて、雑誌Billboardでヒットチャートの順位などを熱心に確認していたのが今でも懐かしい。



ちなみに、マイケル、プリンス、マドンナの3人は1958年産まれの言わば“同期”。キャラや音楽性も全く違うが、3人ともそれぞれの強い個性で80年代から現在までの音楽業界に多大なる影響を与え続けながら牽引してきた偉大なるミュージシャンたちである。マイケルは残念ながらもうこの世にはいないが、マドンナそしてプリンスは常に時代の変化を取り込みながらも進化を続け、今でも第一線で活躍し、我々を驚かせているのは本当に凄いことなのである。



さて、今回の本題であるプリンスだが、この本の著者西寺郷太さん音楽家、音楽プロデューサー、小説家としてマルチに御活躍だが、1973年産まれということで、僕にも近い同世代として80年代の洋楽シーンを“体感”されている。マイケルジャクソンの関する著書も多い。その意味ではまさにあの輝かしくも激動の80’sに刺激と影響を受けてこられたことが、このプリンス論を読んでも良く理解出来た。そして、僕が80年代当時に思っていたことや感じていたことがそのままそっくりに書かれており、ほぼ全ての点で共感が出来る内容だったこともあって、一気に面白く読ませて貰った。



西寺さんも冒頭で書かれている通り、プリンスは兎に角第一印象が気持ち悪い(笑)。特に若い頃のプリンスのエロさは格別、胸毛を見せたり、トレンチコートにビキニ姿という変態ルックで登場するこのむさくるしいチビ男は、兎に角気持悪さ全開であった。レコードジャケ写の気持悪さもピークであったと思うし、歌の歌詞もそのルックスに負けず相当エロかったので、親の誰もが自分の子供には絶対に聞かせたく無い音楽という意味で共通していた。自分でもプリンスのレコードを買う為にレジに持って行くのも憚れるような作品も数多くあった(とにかく明るい安村を先取りしていたような、Love Sexyのジャケ写メ[ズは、ある意味秀逸)。そんな灰汁の強いプリンスは、かなり多くの人(特に女性)からは敬遠されたのも事実で、その一方で唯一無二な存在であること、そして何よりもその高い音楽性が世界で評価されているのも事実。またその音楽もリスナーに取っては、好き嫌いがはっきりと分かれるのではないかと思うが、僕はやはりプリンスは天才だと、常々思っているので、西寺さんがこの本で書かれていることもしっくりと馴染んだのだ。



プリンスは、その持って産まれた音楽の感性(これは、彼が産まれ育ったミネアャ潟Xでの環境や、ミュージシャンであった父親による影響や当時の複雑な家庭環境などが色濃く影響していることが伺えるのだが)はやはり秀でているし、独学で学んだギターや、シンセ、ドラムなど様々な楽器を一人で自由自在に操るその音楽的な才能は非凡である。プリンスがデビューした1978年当時は、バンドなども主流で、ボーカルはボーカル、ギターはギターと完全に役割分担としてすみ分けられていた。しかし、ソロアーティストとしてギターを弾きながら、歌も歌い、シンセも操るプリンスのマルチタレントぶりは当時珍しかったのではないかと思うし、無尽蔵に曲を産み出す彼のワーカホリックぶりも異常と言えるほどであった。はっきり言って、こんな変態な奴は他にいない。僕が常々感じていて、前にもブログで書いているが、プリンスはその才能と音楽生産量からも、現代の“モーツアルト”に匹敵する天才だと確信しているが、西寺さんの本にも同様の感想が書かれていたのは嬉しかった。



本著で詳しく追っているが、プリンスは常に時代を先取りし、時には時代に早過ぎた感もあるが、80年代、90年代、2000年代、そして2010年以降と、各年代において自分の軸を持ちながらも、常に新しいことに挑戦し続けているという意味でも偉大なる音楽家だ。プリンスのデビュー時から関係が深かったWarner Recordsとの対立や決別(そして今年の復縁)、私生活での結婚、離婚、子供との死別 (これはこの本を読むまで知らない事実だった!)、宗教上の変化など、様々な栄光と挫折を繰り返し経験し、特に90年代はAn Artist Formerly Known as Prince(元プリ)に改名したり、混迷を極めた時代もあったが、それを乗り越え、最近でも昨年ニューアルバムを2枚、今年も1枚リリースしている。この過程で、売上的なピークを何度も経験しながら、音楽的な評価としての幾つかの極みなども経ているのである。

また、本著に登場するエピソードとして面白かったのは、あの有名な『We Are The World』になぜプリンスが参加しなかったのか? という謎に迫り、更には参加しなかったことがプリンスのその後のキャリアに及ぼした影響に関する西寺さんの考察がまた実に興味深かった。『We Are The World』はQuincy Jonesプロデュースで、作詞作曲をライオネルリッチーとマイケルジャクソンが手鰍ッるという何とも豪華な曲なのだが、プリンスに加えて当時人気絶頂にあったマドンナも参加していないのは改めて振り返ると驚きである。



プリンスは自分の作品に関する権利を全てのコントロールし、また作品の内容、作品制作のタイミング、リリース方法等全てに制限をかけられず、自由な環境の中で行うことにとことん拘った様子が本著に書かれていた。これは決して金にがめついわけでは無く、自分の作品に対してプライドを持ち、それをコントロールするということは“プロフェッショナル”としてはある意味当然なことなのである。最近は技術が発達し過ぎて、何事でもアマチュアやプロアマみたいな人間でも昔に比べたら容易に作品を世に出せる、しかも安いコストで出せる世の中になってしまった。我々買う側からすれば安く、便利になったものだとして、ありがたい面はただあるわけだが、作品で金が取れるアーティストなら、やはり最低限の作品価値に対して尊重して欲しいし、どのような作者の意図で届けるかということに対するコントロールは持ちたいものだ、ということを本著で読んでいて改めて認識した。その意味では、プリンスは天才でも有り、また真の“プロフェッショナル“なのだ。

次回のブログではこの続きとして、僕の好きなプリンスの楽曲などをもう少し掘り下げて取り上げたい。
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