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祇園祭2014(3):船鉾Ver.2

2014-06-25 11:25:30 | まち歩き

船鉾:

Gihune2
図1 船鉾ー出陣の鉾と言われる。切妻や唐破風、跳ね出し高欄、舵、等の黒塗りが重厚さを醸し出している!

神功皇后の説話により、船の形をしている。船首には想像上の鳥である鷁(げき)、船尾には飛龍紋の舵をつける。神功皇后と磯良・住吉・鹿島の三神を祀る。御神体の神功皇后には安産の御利益があるとされる。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。巡行順は全32の山鉾の23番目。財団法人祇園祭船鉾保存会が主体となって運営している。現在巡行を行なっている全32の山鉾のうち、唯一の船の形であるが、2014年頃を目途に大船鉾が復活することになっており、その際は船形の鉾が2基となる。重量・8.41トン、高さ・6.7メートル、車輪・直径約2メートル。

歴史:

身重でありながら男装し海戦に勝利した『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。船鉾の名の初めての登場は、室町時代中期頃の文書、祇園社(今の八坂神社)に伝わる『祇園社記』の中の第十五、御霊会山鉾記の記事で「神功皇后の船」と記されている。この頃にはこの名の鉾が2基あり、その一つが「出陣の鉾」といわれる現在の鉾。もう1基は1864年に焼失した「凱旋の鉾」(大船鉾)を指す。

Gihune1(クリックで拡大)
図2 お池通りを西進する船鉾。舳先(へさき)には金色の鷁(げき)が前を向いて羽を広げている。
http://kyoto-k.sakura.ne.jp/gion107.html#gihune

F3_(クリックで拡大)
図3 最近、考証・復元された歴博甲本の右隻二扇。図の「船鉾」には帆柱があるが、舳先(へさき)の鷁(げき)と飛龍紋の舵(かじ)(図1)がない。

これまで洛中洛外図屏風研究は上杉本に偏っていた為、洛中洛外図では最も古い歴博甲本の研究は盛んでなかったが、2007年に歴博で開催された企画展示「西のみやこ東のみやこ-描かれた中・近世都市」を契機とした歴博館内の研究から解釈も進んで来たので、2009年各分野の研究者の参加を求め共同研究が始まった。歴博「研究報告第180集」は共同研究の纏めであるが、研究の中心的な課題の一つに「歴博甲本の復元複製制作」がある。例として、図3には右上部に「函谷鉾」、「蟷螂山」に続き四条通を東進する「船鉾」が見事に復元されている。大船鉾の復活を契機にまた新しい研究が始まろうとしている。http://shugakuin.blogzine.jp/blog/cat10428945/