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祇園祭2014(1):長刀鉾(なぎなたぼこ)

2014-06-18 16:32:37 | まち歩き

Hokonaginata(クリックで拡大)

図1 祇園祭のハイライト山鉾の巡行のトップが長刀鉾。http://www.kyotok.com/maruwap11.html

祇園祭が近づいてきた。先日(6月4日)、祇園祭・長刀鉾の稚児・禿(かむろ)の発表があった。いよいよ、今年も祇園祭の始まりである。長刀鉾は「くじとらず」の名があるように、山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾。命名は、鉾のてっぺんを飾った三条小鍛冶宗近作の大長刀による。宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したが、鎌倉期にある武人が愛用した。しかし何かと不思議が起こり、返納したという。1522年、疫病がはやり、神託で長刀鉾町で長刀を飾ったところ、疫病は退散した。創建は1441年説がある。真木は全長20メートル。7月17日午前9時に前祭(さきまつり)の山鉾巡行が始まり、四条烏丸に集結した23基の先頭を「くじとらず」で長刀鉾が東に向かう。生稚児の乗るのは現在では長刀鉾のみで、鉾頭にかざす長刀が晴れていれば夏の太陽を反射してきらりと輝く。
    朝9時の巡行が始まってまもなく辿り着く四条麩屋町では、斎竹(いみだけ)に張られた注連縄(しめなわ)を稚児が真刀で切る「注連縄切り」の儀式が行われる。注連縄切りは「鉾がこれから神域に進むことを伝える」意味がある。

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図2 2014祇園祭長刀鉾の稚児に選ばれた平井誠人君(9)。

今年も6月4日、長刀鉾の稚児と補佐役の禿二人が決定した。 稚児に京都市左京区の京漬物製造販売「西利」社長、平井誠一さん(46)の長男誠人(まさと)君(9)=京都教育大付属京都小4年=である。禿は、中京区の御所南小5年石田佳希君(10)と、左京区の京都教育大付属京都小中5年井上喜晴君(10)が務める。 稚児や禿は祭りの無事を祈願する「お千度の儀」(7月1日)などを経て山鉾巡行に臨む。祇園祭は貞観年間(9世紀)より続く、京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭であるが、そのなかでも「宵山」(前祭7月14日~16日・後祭7月21~23日)、「山鉾巡行」(前祭7月17日・後祭7月24日)、「神輿渡御」(7月17日)などがハイライトとなっている。宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名がある。また、山鉾巡行ではさまざまな美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、動く美術館とも例えられる。

Naga 図3 長刀鉾のシンボルマーク。織田信長の自筆(口伝)。

因みに、長刀鉾のシンボルマークは長の変形漢字(図3)が使われている。この文字は織田信長が長刀鉾町内に何か(不明)を寄進された時に、自筆で書かれていたとされており、以来、図3が使用されるようになった(町内の古老よりの口伝)。又、信長公は左利きであったと伝えられており「長」が図3となったのではないかとの言い伝えもある。

祇園祭歴史は古く、平安京の疫病の流行により、朝廷が863年、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行ったことに始まる。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。869年、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身・牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。祇園祭が生まれた直接の背景は、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、建都による人口の集中、上下水道の不備(汚水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと。その原因が、先に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったこと、などである。さらに、1世紀後の970年からは毎年行うようになったとされる。これらの祭式は神仏混淆の儀式として成り立っていた。室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。その後、応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在でも続いており、1000年を超える歴史がある。なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっている。
室町時代以来、祇園祭のクライマックスは山鉾巡行であったが、現在ではいわば「巡行の前夜祭」である宵山に毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多い。
◎1962年(昭和37年)5月23日、山鉾29基が重要有形民俗文化財に指定された。
◎1979年(昭和54年)2月3日、「京都祇園祭の山鉾行事」が、重要無形民俗文化財に指定された。
◎2009年(平成21年)9月30日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録された、等々、祭礼などの行事が国の重要無形民俗文化財に指定され、それとともに屋台・山鉾などの用具が重要有形民俗文化財に指定されているものは日本全国で5例のみで、そのなかの1つが祇園祭である。(毎日新聞より)