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どうして日本のアニメは人びとを「やみつき」にさせるのか

2016-05-09 09:09:14 | うんちく・小ネタ

http://news.searchina.net/id/1609104?page=1

どうして日本のアニメは人びとを「やみつき」にさせるのか =中国メディア

2016-05-06 10:45

中国メディア・羊城晩報は1日、中国でも若者を中心に大きな人気を誇る日本のアニメ文化について「何が人びとを『やみつき』にさせるのか」とする評論記事を掲載した。
アニメ産業が日本の重要な支柱産業の1つとなっており、作品や人材が次々と出現してくると説明。一方で、このような状況でも長期にわたり人気と新鮮味を保ち続け、多くの人を魅了してやまない名作も存在することを紹介し、その「原動力」について3つの観点から論じている。
まず、作品が「庶民の中から生まれ、庶民に帰する」点にあると指摘。日本アニメが素晴らしいのは「生活に源があり、また生活に帰する」ことであり、空想的な題材や、歴史ものの作品でも生活感が色濃く出ており、作者と読者の間で共鳴を生むと解説した。
続いて、創意が絶えず、新鮮味が減らない点を挙げた。時代や流行、そして読者の審美眼が変化するなか、その「風向き」をしっかり把握して絶えずイノベーションすることではじめて読者の目を引き付け続けられるのであると論じた。
さらに、作品中にしっかりとした思想がありながら、説教じみた押しつけがましいテイストにならぬよう、細かい部分で作者の感情や価値観を表現している点について言及した。また、「細かい情感、生き生きとした性格、豊かな思想」が日本アニメの魂であり、それがアニメ作品を文学的でドラマティック、高品質な芸術作品に高めているとも解説している。
マンガやアニメの作品は、画風やコミカルといった要素に加え、作者が作品を通じて何を訴えたいかが見えるかどうかも、魅力に大きく影響するのではないだろうか。そして、文章も指摘しているが「押しつけがましさ」のない、読者が自然とその世界に入り込み、共感できる仕掛けや工夫が大事なのだ。もちろん、作中に何の思想もないような、ただただ笑わせてくれる作品というのも多分にある。それはそれでやはり、日本のアニメ・マンガ界に欠かせない存在なのである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)af8images/123RF)

日本相手に耐え忍ぶ理由、「わが国は核兵器も空母も保有するが・・・」=中国

2016-03-28 08:15:13 | うんちく・小ネタ

日本相手に耐え忍ぶ理由、「わが国は核兵器も空母も保有するが・・・」=中国

日本と中国は隣国同士であり、現在に至るまでには非常に長い交流の歴史がある。日中関係は時に良好で、時に険悪でありながら今に至っているが、中国は日本に対してどの様な感情を持っているのだろうか。(写真は「CNSPHOTO」提供、2013年10月撮影)© Searchina 提供 日本と中国は隣国同士であり、現在に至るまでには非常に長い交流の歴史がある。日中関係は時に良好で、時に険悪でありながら今に至っているが、中国は日本に対してどの様な感情を持っているのだろう…

 日本と中国は隣国同士であり、現在に至るまでには非常に長い交流の歴史がある。日中関係は時に良好で、時に険悪でありながら今に至っているが、中国は日本に対してどの様な感情を持っているのだろうか。

 中国メディアの今日頭条は、「中国は核兵器を持つのに、なぜこれほど長く日本相手に耐え忍んでいるのか?」との疑問を呈し、中国の兵器事情を解説している。

 記事は冒頭で、中国国産の艦対空ミサイルの写真を掲載。まるで日本を威嚇するかのようだが、艦対空ミサイルには日本製のリミットスイッチが使われていることを紹介している。そして専門家の意見として、中国国内にも同様のリミットスイッチ製品は存在するが、耐久年数や性能に差があるため中国製は使用できず、日本製品を使用していると指摘。さらに「兵器内部の電子部品は種類も数も多く、兵器の性能は部品の性能に依存している」と論じた。

 続いて、中国は兵器の開発分野で目覚ましい発展を遂げてきたが、「電子部品や新素材、半導体や工業製造設備は長年輸入に頼っている」としたうえで、「特に日本からの輸入に依存している状況」と中国の兵器事情を解説。

 中国はすでに空母と核兵器を保有しているが、そのいずれも日本にはないものだ。だが、日本にあって、中国にないものも存在する。それは「高性能」の複合素材や電子部品、半導体チップ、高級NC工作機械や工業ロボットだ。記事は「こうした製品の輸出を日本が停止した場合、われわれはどうすれば良いのか」と指摘し、「核兵器も空母も保有する中国が日本相手に耐え忍んでいる理由はこれだ」と説明した。

 記事の論調は、中国製部品の性能が日本を含む海外製品より劣るために、日本を攻めることができないといった内容だが、言い換えれば、中国製品の質が向上すれば日本を攻めることができるという宣言にも聞こえる。(編集担当:村山健二)(写真は「CNSPHOTO」提供、2013年10月撮影)


シーボルト著「日本動物誌」(ファウナヤポニカ)と川原慶賀

2013-11-09 15:02:10 | うんちく・小ネタ

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図1 ファウナヤポニカの閲覧風景。慶賀筆のエビとオオサンショウウオの図が開けられているのが垣間見える(田隅本生:「静郁」Vol 37(2001), No.4、 1頁 :シーボルトと「ファウナヤポニカ」より抜粋)。http://www3.kulib.kyoto-u.ac.jp/bull/jpn/pdf/374.pdf)。

ファウナヤポニカの原著は縦37cm×横30cmの大判図鑑4冊であるため、机に広げると圧巻である(図1)。最近、京大附属図書館の電子図書館システムに西洋の古典『ファウナ・ヤポニカ』、いわゆる「日本動物誌」が収録された:(http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b02/pisces.html)。「日本植物誌」(フローラヤポニカhttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/b01cont.html:)とあわせて、自由に何処からでも閲覧できる。同システムとその利用者のためにまず祝意を表したい。京大所蔵の4巻本セットは無脊椎動物の1巻「甲殻類」と、脊椎動物の3巻「哺乳類・爬虫類」「鳥類」「魚類」から成っている。ここでいう“爬虫類”は旧式の分類方式によるもので、現今の“両生類”の全てを含んでいる。当時はダーウィン流進化論が確立するより30年以上も前であり、生物の分類は系統関係を問題にせずに形式的な類別や命名を事とするものだった。甲殻類と魚類は特に優れた絵師(川原慶賀)による作品が集中しているので、見飽きることはない。

元来、3Dを表現する方法として、1遠近法、2フォッグ(ぼかし)法、3陰影法、4点描法、5グラデーション、6ステレオビュー、・・・、がある。どれを使っているかは検討課題としておくが、現代にも十分通用する技法にまで到達していた事が明らかに判る。以下に、筆者が特に「ウッ」と唸った図を以下に示す。興味ある方はぜひ上記URLを参照されたい。

図2は日本の河川でお馴染みのモクズカニである。手足に成長したモクズを一本一本丁寧に描き、その手法の中に慶賀特有の3D技法が秘められている。

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図2 モクズガニ。モクズの1本1本まで丁寧に描かれ、未知のモノクローム3D画法が取り入れられている。

図3は通常の魚の側面を描く図鑑の方法を採らず、俯瞰法を採り、しかも、尻尾を直角に折り曲げて、一図で原寸に近い大きさを描画できる方法を策している。何ともはや、斬新な技法をとっているではないか!拡大すると良く判るが、俯瞰図であるが立体的で、水槽の魚を上から俯瞰している感じがする。これはまさに「灰色の濃淡」(墨の濃淡)のマジックである。

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図3 シロザメ。 3D表現を駆使しているので、いかにも水槽を上から俯瞰している感じがする。

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図4 モンガラカワハギ。グレーの点描の妙である。 拡大すると判るが、グレーの点描が魚体全体に描かれており、その粗密でうろこの模様や陰、立体を描いている。

図4のモンガラカワハギの図を拡大すると判るが、立体感を出す為にグレーの点描とグラデーションが散りばめられている。また、口元と鰭のオレンジ、目の下辺りと尻尾のレモン色の模様が肌の黒地とのコントラストを為して、如何にもモダンな感じがする。川原慶賀でなければこのような巧妙な作画は出来ないと予想しているが、図鑑全体を連続して眺めてみると明らかに区別できる。

北斎の浮世絵が一世を風靡した頃に長崎では、ヨーロッパの3Dが取り入れられ、既に、新しい画法が次々誕生していた!シーボルトの江戸行きの際、北斎父子と川原慶賀が逢っていた形跡がある。父子による浮世絵の遠近法や陰影法採用はどうも慶賀の影響によるものと思われる。

 

 

 

 

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シーボルトお抱え絵師「川原慶賀」再考

2013-10-27 14:12:03 | うんちく・小ネタ

川原 慶賀は江戸時代後期の長崎の画家で、出島出入絵師として風俗画、肖像画に加え生物の詳細な写生図を描いた。諱(字とも)は種美、通称は登与助(とよすけ)。慶賀は号である。別号に聴月楼主人。後に田口姓を名乗る。息子の川原盧谷も父に学び、洋風画を描いた。長崎の今下町(いましたまち、現・長崎市築町)に生まれる。父・川原香山も町絵師であった。当時の長崎で絵師の第一人者として活躍していた石崎融思に師事し、頭角を現す。出島オランダ商館への出入りを許され長崎の風俗画や風景画、出島での商館員達の生活等を描いた。

Photoクリックで拡大)
図1 慶賀が描いた植物画ビワ。約200年前の作であるが、素晴らしい3Dグラフィックス技法が取り入れられており、実物を見ているような錯覚に囚われる。この3D技法は最大の謎である(日本植物誌:

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/b01cont.html参照)。

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図2 慶賀が描いた植物画ボウブラ(カボチャ)。 この絵には、珍しく茎の影が描かれている。この影により、3次元画像が一際目立つ。他の植物画にはほとんど見当たらない! 慶賀が渾身の知恵を絞って、シーボルトの要望に応えている姿が垣間見える(川原慶賀の見た江戸時代の日本:http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/top2/top2.html参照)。

1823年にシーボルトが商館付医師として来日した。慶賀は日本の動植物等を蒐集し始めたシーボルトの注文に応じ、『日本』という本の挿絵のために精細な動植物の写生図を描いた。また、1826年のオランダ商館長の江戸参府のシーボルトに同行し、道中の風景画、風俗画、人物画等も描いた。これらに使用された紙、顔料、支払われた給与などはオランダ政府から支給され、絵図のほとんどはオランダへ発送された。1828年のシーボルト事件に際しては多数の絵図を提供した慶賀も長崎奉行所で取り調べられ、叱責された。シーボルト追放後、シーボルトを慕う人々によって嗅ぎ煙草入れがシーボルトの元へ送られた。この嗅ぎ煙草入れの蓋には、慶賀が下絵を描いた楠本滝と楠本イネの肖像画が表裏に螺鈿細工で表されている(「シーボルト妻子像 螺鈿合子」:図3参照)。

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図3 シーボルト妻子像螺鈿合子(川原慶賀下絵)。シーボルト記念舘蔵

その後もシーボルトの後任となったハインリッヒ・ビュルゲルの指示を受け、同様の動植物画を描いた。1842年、オランダ商館員の依頼で描いた長崎港図の船に当時長崎警備に当たっていた鍋島氏(佐賀藩)と細川氏(熊本藩)の家紋を描き入れた。これが国家機密漏洩と見做されて再び捕えられ、江戸及び長崎所払いの処分を受けた。長崎を追放された慶賀は、長崎半島南端・野母崎地区の集落の1つである脇岬(現・長崎市脇岬町)に向かった。脇岬観音寺に残る天井絵150枚のうち5枚に慶賀の落款があり、50枚ほどは慶賀の作品ともいわれる。また、この頃から別姓「田口」を使い始めた。その後の消息はほとんど不明で、正確な没年や墓も判っていない。ただし1853年に来航したプチャーチンの肖像画が残っていること、出島の日常風景を描いた唐蘭館図、出島蘭館絵巻は開国後に描かれていること、慶賀の落款がある1860年作と推定される絵が残っている、ことなどから少なくとも75歳までは生きたとされている。一説には80歳まで生きていたといわれている(そうなると慶応元年(1865年)没となる)。

慶賀は伝統的な日本画法に西洋画法を取り入れた。また、精細な動植物図についてはシーボルトの指導もあった。日本に現存する作品は約100点だが、オランダに送られヨーロッパ各地に分散した慶賀作の絵図は6000-7000点ともいわれている。慶賀が描いた動植物図のほとんどはオランダに送られ、シーボルトらの著作である『日本植物誌』、等の図として利用された。これらはライデン国立自然史博物館に所蔵されているが、その精密な図は今猶、生物学者の使用に耐える標本図となっている。動植物図以外にも長崎をはじめ日本各地の風俗画、風景画、肖像画などが多数残されている。「唐蘭館図」(2巻 紙本着彩 各10図)は長崎歴史文化博物館所蔵で、国の重要美術品に認定されている。他に、「シーボルト肖像画」(同博物館蔵)(図4)、「出島図」(福岡市博物館蔵)などが代表作として挙げられる(wikipedia「川原慶賀」より)。

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図4 シーボルト肖像画(川原慶賀筆)。


チャート層と京都

2013-09-02 13:01:29 | うんちく・小ネタ

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図1 チャート層の典型例。

京都盆地を取り囲む山地は,主として丹波層群と呼ばれる中生代層からなり,約 2 億年前のジュラ紀~三畳紀に、遥かミンダナオ島あたりで形成されたチャート(*)などの堆積岩で構成されている。また、盆地の地下に伏在する基盤岩も主に丹波層群であると推定されている。盆地縁辺部には西山丘陵や桃山丘陵などが広がる。これらの丘陵には,300~30 万年前頃の新第三紀から第四紀 に堆積した大阪層群が分布し,未固結の砂礫,砂,粘土などの互層で構成されている。特に,海に堆積した海成粘土層や火山灰などの特徴的な地層がはさまれ,京都盆地にも海が広がっていた時代があった。地表付近は数万年前以降に堆積した新しい地層で覆われ,盆地北部では北山から流れ込んだ河川の作用により扇状地性の砂礫が、南部では旧巨椋池や横大路沼で代表されるように湿地性の粘土やシルトが優勢となっている。京都盆地の縁辺部は花折断層や樫原断層など南北性の活断層で限られ,盆地を囲む東山,西山,北山などの山々との明瞭な地形境界となっている。また,盆地の東側には桃山丘陵により隔てられた山科盆地があり,その縁辺部は黄檗断層などが同じく南北に分布する。これらの活断層については京都市などの調査により,断層の活動履歴などの情報が蓄積されてきている。

(*)チャート(chert)は"堆積岩" の一種である(図1)。主成分は二酸化ケイ素(SiO2石英)で、この成分を持つ放散虫海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底堆積してできた岩石。断面をルーペで見ると放散虫の殻が点状に見えるものもある。非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い。チャートには赤色、緑色、淡緑灰色、淡青灰色、灰色、黒色など様々な色のものがある。暖色系のものは、酸化鉄鉱物に起因し、暗色系のものは硫化鉄炭素化合物に起因する。緑色のものは、緑色の粘土鉱物を含むためである。これらは、堆積した環境によって変わると考えられている。 チャート同士を火打石のように打つと小さな火花を生じる。

(Ⅰ 京都市の特性1 京都市の自然環境より抜粋)

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図2 弁慶石あるいは弁慶の腰掛石。

京都にはこの堆積岩が露出している小山や丘が多い。船岡山、衣笠山、吉田山、双丘など標高100m前後の高台はその典型である。これらは良く地学観察に利用されている。保津峡の奇岩、景勝地は保津川の侵食によって出来た。また、有名な神社、仏閣にはチャートで出来た奇石が多く、金閣寺の鏡湖池にある奇岩奇石はその典型である。竜安寺の石庭の15個の石のうち8個はチャートである。各地にある弁慶石(腰掛石)もチャートである場合が多い(図2)。