小倉百人一首は子供の遊びの一種であったが、齢70代で読み返すと味のある名句が多い!
猿丸太夫のこの句もその一つである!
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
猿丸太夫(5番) 『古今集』秋上・215
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/005.html
晩秋はメランコリーの季節。冬へ向かって暮れゆく時期ですので、
寒さが心にも微妙な変化を与えるのかもしれません。 とにかく、
遠距離恋愛や単身赴任などで恋しい人と離ればなれになっている人には、
秋の山で連れを想って鳴くこの鹿の気持ちがよくお分かりになるかも。
上の句はメランコリーの一首です。
■□■ 現代語訳 ■□■
人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿
が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は
悲しいものだと感じられる。
■□■ ことば ■□■
【奥山】 人里離れた奥深い山のことです。
【紅葉踏みわけ】 散った紅葉が地面いっぱいに敷きつめられたところを、雄の鹿が
踏み分けていくこと。この句では昔から、人が歩いているのか鹿
なのかが議論されていましたが、鹿と見るのが穏当です。
【鳴く鹿の】
秋には、雄の鹿が雌を求めて鳴くとされており、そこに遠く離れ
た妻や恋人を恋い慕う感情を重ねています。
【声聞くときぞ秋は悲しき】
「ぞ」は強意の係助詞で、文末を形容詞「悲し」の連体形「悲し
き」で結びます。「は」も係助詞で、他と区別してとりたてて、
というような意味になります。ここでは「他の季節はともかく、
秋は」という意味です。 全体では「(そういう時は他にもいろいろあるけれど)鹿の鳴き
声を聞くときは、とりわけ秋が悲しく感じる」という意味です。
■□■ 作者 ■□■
猿丸太夫(さるまるだゆう。生没年不詳)
伝説の歌人で、三十六歌仙の一人。元明天皇の頃の人など諸説あ
りますが実際には不明です。この歌も、古今集では「詠み人知ら
ず」として紹介されています。鴨長明の歌論書「無名抄」には
「田上(たなかみ)の下に曽束(そつか・現在の滋賀県大津市)
といふ所あり。そこに猿丸太夫が墓あり」と記されています。
■□■ 鑑賞 ■□■
人の住む村里から遠く離れた、人の来ない山奥に、絢爛たる紅
葉がびっしり敷きつめられたように散っている。赤や黄色の絨毯
のような情景の中から、紅葉を踏みながら鹿が現れる。角の長い
雄の鹿が、天を仰いで一声寂しく高く鳴く。
おそらくどこへ行ったのか分からない連れ合いの雌の鹿を求め
て鳴いているのであろう。
その声を聞いていると、秋はなんて悲しい季節なのだろうと思
えてくるのだよ。
◆◇◆
秋になると、雄の鹿は雌を想って鳴くとされていました。
このテーマは「万葉集」にもよく取り上げられており、奈良の
昔からの定番テーマだったようです。
さらにこの歌は、秋を美しく彩る「紅葉」が地面いっぱいに散
り拡がった情景を表現しています。まばらな木の間をすり抜ける
茶色い鹿と紅葉の赤と黄。 こんな色彩感豊かな世界で、わびしく鳴く鹿の声を聞いて、作
者は秋の悲しさを全身に感じ取るのです。
本来、秋は米の収穫の時期で、実り豊かな楽しい季節のはず。
農村生活からはこうした発想はあまり出てきません。
この歌は、貴族という都会生活者の感覚から生まれたものとい
えるでしょう。
◆◇◆ さて、紅葉の名所はどこでしょう 。
北海道なら阿寒国立公園や函館の五稜郭公園が、東北では青森の
岩木山や福島の中津川渓谷が有名です。
また、北陸では新潟県の湯沢高原や富山の高岡古城公園、石川
県の那谷寺や鶴仙渓、関東では茨城の袋田の滝や東京の高尾山や
代々木公園、東海地方では愛知の香嵐渓や、三重の伊勢神宮が有
名です。 また、近畿では京都の神護寺や東福寺、奈良の奈良公園や室生
寺、和歌山の那智の滝が、中国では鳥取の大山国立公園や広島の
宮島、山口の長門峡が有名です。
四国では愛媛の西山興隆寺や高知の中津渓谷が、九州では福岡
の秋月城や大分の耶馬渓が有名です。11月も半ばですので、見ご
ろを過ぎている場所もありますが、まだまだ12月まで美しい紅葉
が堪能できそうです。