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祇園祭2014(2)大船鉾(追加あり)

2014-06-23 16:23:34 | まち歩き

大船鉾(おおふねほこ)

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図1 洛中洛外図上杉本(国宝)に描かれた大船鉾図。中央部に帆柱が見える。http://shugakuin.blogzine.jp/blog/2013/12/post_6601.html

大船鉾は応仁の乱(1477~1487)以前からの歴史を持つ鉾で、船鉾と同じ神功皇后を御神体に祀り、船鉾が「出陣の船鉾」と呼ばれることに対し、大船鉾は「凱旋の船鉾」と呼ばれていた。 船の形をした鉾に人形を乗せた簡素な鉾であったが、江戸時代になると懸装品の装飾や囃子方も加わり、豪華絢爛な鉾へと進化した(図2参照)。 幾度の焼失に遇うもその度に再興されたが、元治元(1864)年の禁門の変で多くの懸装品を失った。その後は「休み鉾」として、焼失を免れた御神体などの展示を祇園祭・宵山に公開されていた。今年、2014年、後の祭りの復活にあわせて、150年振りに、大船鉾の再登場となっている。

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図2 再現された大船鉾。絢爛豪華な鉾に進化している。500年前の図1洛中洛外図と比べると、中央に帆柱がない!

<追加>京都新聞2014・6・28

大船鉾「龍頭」復元へ資料提供呼びかけ! 今年の祇園祭・後祭の山鉾巡行で、150年ぶりに復帰する四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)は、幕末に焼失するまで鉾の舳先(へさき)を飾っていた「龍頭(りゅうず)」の復元に乗り出す。精密な考証には焼失前の様子を伝える資料が必要として、復元を審査する祇園祭山鉾連合会が25日、参考となる絵画資料などの情報提供を呼びかけた。鉾を出す四条町は、かつて北四条町と南四条町に分かれ、1年交代で鉾を出していた。北は龍頭、南は大金幣(ぺい)を取り付けていた。現存する1813(文化10)年作の大金幣は今年の巡行で使用するが、龍頭は幕末の禁門の変(蛤(はまぐり)御門の変)に伴う大火で焼失したとされる。同保存会が所蔵する江戸時代後期の「大船鉾図」に龍頭が描かれているが、より緻密な復元にはさらに資料が必要という。連合会の専門部会である大船鉾復元検討委員会によると、かつて龍頭を製作したのは、京都を代表する彫刻師だった九山新之丞、前川三四郎、長谷川与助、長谷川若狭いずれかの家系とみられる。また、記録から、製作には画家の松村月渓(呉春)による下絵を用いたことが分かっている。