今日もArt & Science

写真付きで日記や趣味を勝手気ままに書くつもり!
徒然草や方丈記の様に!
あるいは寺田寅彦の様に!

ちょっといっぷく25 アマゴは描きやすい

2009-10-27 14:09:53 | ちょっといっぷく

Amago_19
図1 朱点を入れたヤマメ。姿形はアマゴとそっくりであるが、アマゴと異なり、本来は朱点がない。格好の好いヤマメの写真が見つかると、描画ののちに朱点を入れてみる。

 アマゴはその特徴がはっきりしているので書きやすい。体側に沿ってブルーのパーマーク(9個または10個)、鮮やかな朱点と背中側に無数の黒点。それに鰭には白色または朱色の帯状模様。これだけ揃えばアマゴに間違いなし。

Amago_3

図2 典型的なアマゴ。模様は各個体によってすべて異なる。したがって、筆者が間違って描いても、間違いにならない。

 アマゴに比べてイワナは時間が掛かる。あの虫食い模様を背中全体に描こうとすればアマゴの10倍以上の時間を要する。まあ、重量感が醸し出されて、絵の質は向上するが・・・。因みに、ちょっといっぷく1及び3と比べればその苦労はご理解いただけるであろう。

 絵を描く時、もっとも技術を要するのが三次元の被写体を二次元でいかに表現するかにある。最も一般的な技法は遠近法である。特に西洋画では良く用いられてきた。わが国でも洋画の導入により次第に普及してきた。

 日本古来の技法としてフォグ技法がある。図1はこの技法で描いてみた。やはり、何か幻想的な印象が醸し出されている。このフォグ技法に極細消しゴムが威力を発揮する。微に入り細に入り、自由自在に遠近が調節できる。


ちょっといっぷく24 鉛筆画作成再開

2009-10-13 10:41:02 | ちょっといっぷく

 古希の会の引き出物用に鉛筆画を再開した。毎日、1枚を目標に22枚を達成した。22枚とは出席者数に合わせた数のことである。別に深い理由があってのことではないが、このところ、絵を描く気がしなかった。必要に迫られて、書き始めるとやはり腕の退化が激しいことっが分かった。兎に角、枚数をこなさなければと一心に書いているうちに、納得の行く筆使いが戻ってきた。22枚を並べてみると始めと終わりが歴然とする。図1はその途中の絵である。

Amago_18(クリックで拡大)

図1 アマゴのイラスト。

 最近は水中カメラが普及してインターネットのHPにも、水中写真が掲載されるようになった。釣り上げられた死んだ魚と水中の生きた写真では迫力が違う。その中のお気に入りを拝借、オブジェにしている。やはり生きた絵は生きている写真でないとだめ!

Amagov3(クリックで拡大)

 図2 成長したアマゴのオス。面構えが違う。

 小学生の時は先生の喜ぶ顔を見たさに友達の似顔絵を水彩画でよく描いた。中学時代から油絵を始めた。どちらも絵が乾くまでじっと待った。大学に入ってまた始めようかなと思ったがこの待ち時間を耐える持久力はもう残されてはいなかった。結婚後短時間で完成する鉛筆画を始めた。渓流魚の端正な姿に魅かれてイラストを始めた。鉛筆画にこだわっている理由は別にあるわけではないが、極細消しゴムが販売されて、どのようにでも修正が可能なことが挙げられる。端的な例は図2のアマゴのオメメを見てください!眼球の上部を書き終えた後、完了のつもりで、極細消しゴムの先端を利用してヒカリ(光点)を入れる。これを入れた途端に絵がますます生きてくる!絵の完成度が不十分だとかえってアンバランスになる。図1が途中の絵だと書いているのは、まだどこか不十分な部分があり、光点が入っていない!結局、オブジェにはどこかに光があり、光る部分と翳る部分ができるが、これがうまく描かれているか否かに関わるようである。

 

 

 


ちょっといっぷく23 借景余聞

2009-10-13 09:19:30 | ちょっといっぷく

京都人は借景・調和にうるさい。

 まず、小は料理を盛る器にある。北大路魯山人ならずも、料理と器の調和により、料理の味を最高度に引き出し、賞味する。これが京都人である。筆者の親父は生粋の大阪人であった。京都の料理を評して、「器で腹が膨れん!」とよく愚痴を言っていた。

 借景・調和にうるさい京都人の例で、大は京都タワーとJR京都駅の建設であった。東寺の五重塔を始め、京都と調和するか否かで長年大論争があったのである。京都駅論争に終止符を打ったのは堀場の会長の発言であった。「京都は平安京以来、スクラップ‐アンド‐ビルトの歴史でした。今度のことも一度試してみたらどうどす。気に入らなければ壊したらよろしいがな!」