(Science Portal12009年1月号 http://scienceportal.jp/contents/guide/rikatan/0901/090113.html
「地震は起こるもの 盆地は地震によってつくられた」より転載改変 )
今年もお盆の季節が巡って来た。五山の送り火を眺めながら何時も疑問に思うことがある。なぜ如意が嶽の斜面はあのように綺麗なのか?インターネットサーフィンを続けているうちにその解答が見つかった!それが上記のScience Portal2009なのである。
図1 如意が嶽の大文字。斜面は綺麗な3角形をしている。左右、上下は約100mの大型キャンバスとみなせる。近衛信ただ(寛永の3筆の一人)の大の字は勇壮で気品がある。
京都の東山山系にある大文字はお盆の送り火として多くの人に知られている。8月16日、午後8時大文字山の斜面の大の字型の75基の火床に一斉に点火される。燃え立つ炎はすさまじく、その炎とともに祖先の霊が送られる。この「大」の字の火床を歩いてみると、一つの斜面に火床が並んでいるのがわかる。「大」の字のハライまで下ると斜面は終わり平坦になる。この「大」の下には断層が通っていると推定されている。この大きな斜面は遠くから見るときれいな三角形に見える。断層によってできた三角形の地形は三角末端面と言われ、この三角形は山の尾根が断層によって切られてできた三角形と考えられる。同じような三角末端面は京都の西山にも見られる(図2)。
図2 京都盆地の西山側の三角未端面図。右大文字斜面とそっくりである。
図2は西山でも、東山と同じように断層を境にして西山側が上がり盆地側が沈降したことを示している。よく「清水の舞台から飛び降りた気持ちで……」と言われるように、清水寺の段差は有名である。訪れた人はその舞台から夕焼けに染まる京の街を眺めることができる。昔の人はこの美しい光景に西方浄土を重ね合わせた。この清水寺の背後には京都の東山のなだらかな山なみが続いている。他方、舞台から下を見ると地面はかなり下の方にある。東山は盆地側に急に落ちている(図3)。東山と京都盆地の境となっている断層は、花折断層と呼ばれ、度々動いて地震を起こしている。1662年(寛文2年)の大地震はこの断層の北部が動いたもので、南部は2500年前から古墳時代までの間に動いたようである。要するに、京都盆地は地震を繰り返してできたのである。花折断層は南北方向に直線状に伸びている。京都盆地の西にも何本かの断層があり、断層によってできた地形が見られる。盆地は断層によってかたどられている。
図3 京都盆地の地下の推定断面図(京都市(2001)(植村原図)を改変)。
東山連峰と盆地の間に断層があり、この断層を境に東山が上がり盆地側が下がっている。清水寺はこの地形を上手く使って建てられている。
東山の麓に広がる京都盆地より少し高い丘陵では今からおよそ100万年前の地層がところどころに見られる。この丘陵は標高が100mくらいである。一方、京都盆地の中心部では同じ100万年前の地層が地表から250mくらいの深さにある。ということは、100万年の間に山側は100m隆起し盆地側が250m沈降し、合わせると350mの落差ができたことになる
大地震は断層が動くことによって起こる。地震のときには土地が上下におよそ1m、横に1~2m一挙にずれたりする。1995年に起こったM7.2の兵庫県南部地震ではその震源となった“野島断層”は最大1.2m上下に動いた。1891年のM8.0もあった濃尾地震では“根尾谷断層”が6mも上下に動いている。京都盆地では100万年の間に350mの落差ができている。M7クラスの地震では平均して1mくらいの落差ができるので、なんと100万年の間に350回ものM7クラスの地震があったことになる。これを単純に平均するとおよそ2900年に一度の割合で大地震が起こっていることになる。