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金閣寺も雪化粧 京都の市街地で初積雪(3月1日も積雪!)

2016-02-23 07:59:12 | ラジカル

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160120000034 (動画必見)!!

 

 

金閣寺も雪化粧 京都の市街地で初積雪

今年初めて白い雪に包まれた金閣寺(20日午前、京都市北区)
今年初めて白い雪に包まれた金閣寺(20日午前、京都市北区)

 強い冬型の気圧配置の影響で、京都市の市街地では20日、今年初めての積雪を記録した。京都市北区の金閣寺も雪化粧し、白と金色の美しいコントラストを池に映し出した。

 京都地方気象台によると、20日午前9時現在、京都市内の積雪は4センチを記録。京都府京丹後市峰山町では最大8センチの雪が積もった。

 この日の京都市内の最低気温は前日より1・3度低いマイナス1・7度まで冷え込み、路面の凍結などにより市内各地で交通事故が相次いだ。

 金閣寺では早朝から職員が参道の雪かきなどの準備に追われ、午前9時の開門を待つ参拝客が列を作った。石畳には転倒防止のむしろが敷かれ、参拝客らを出迎えた。


これが日本の「百年企業」

2016-02-20 10:37:36 | ラジカル

これが日本の「百年企業」・・・たゆまぬ進化と社会貢献=中国論説(4)

2015-04-13 17:18「サーチナ」より抜粋

 
 
 中国の企業管理の専門家、王育〓氏は11日、「日本の“百年企業”はいかにして醤油を極限にまで引き上げたか」と題する文章を発表した。日本の“老舗企業”のあり方を知れば、中国人として「痛いところを突かれた」と思わざるをえない点もあると主張した。(〓は王へんに「昆」)  中国語で、日本語の「老舗企業」に近いニュアンスで使われる言葉が「百年企業(バイニェン・チーイエ)」だ。同文章はまず、麩の製造・販売を行う半兵衛麩を例として取り上げた。ただし、半兵衛麩の創業は1689年で、その歴史は300年をゆうに超えている。100年を大きく超えて存続する企業の存在は、中国人にとって「ほとんど想定外」であることが、言葉づかいに現れているとも言える。  王氏は、老舗企業は古き伝統を守るだけの企業ではないと指摘。半兵衛麩当主の11代玉置半兵衛氏の言葉を引用し、「実際には老舗というものはありません。新しい麩を作っても、多くの者がすぐに同じようなものを作る。同じ場所にいたのでは、すぐに追い越される」と、常に進化してきたからこそ、老舗企業という存在になったと指摘した。
 王氏は次に、キッコーマンに注目。創業は1917年で、本社は千葉県野田市、主力商品には醤油以外に各種調味料や酒類、飲料、医薬品で、醤油博物館の運営も行っていると紹介した。  同社の毎年の社員採用は35人程度だが、ハーバード、オックスフォード、ケンブリッジなど海外の名門大学出身者も含めて、2万人もの若者が同社への就職を希望するという。王氏は「極めて実直に、醤油を1つの『文化商品』にしてきた。多くの人が共有できる味覚にした。(同社は)文化的な誘因力に満ちることになった」と分析した。  王氏はさらに、キッコーマンが日本内外で農地改良事業を進めていることを紹介。日本の農村部では土地が極めて良好な状態を維持していると指摘し、「中国人は実に痛いところを突かれたことになる。われわれは土地を焦土にしてしまった(中略)われわれはいまだに、土地から搾取することをしている」などと論じた。  キッコーマンについて改めて「会社は社会の公器」、「社会貢献は必須」、「先義後利」との経営理念が定着していると評価。  王氏は中国企業について「まずは手段を選ばず生き残ろうとする。慈善による貢献はその後」と、日本の老舗企業とは発想が全く異なると指摘。企業の性格により「その製品が人々の健康や安らぎに役立つかどうかが決定する」と主張し、日本の企業が消費者に役立つ製品を生み出す大きな理由が「企業精神のあり方」に大きく関係しているとの見方を示した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)

 


日本人が2000年もの間、愛し続け、育んだものとは=中国メディアピックアップ(3)

2016-02-20 09:38:05 | ラジカル

日本人が2000年もの間、愛し続け、育んだものとは=中国メディアピックアップ(3)

2016-02-19 14:07


 
 中国メディアの騰訊新聞は17日「日本人が2000年来、最も愛したものとは意外にも」と題する記事を掲載した。  同記事が取り上げたのは「米」だ。多少の誇張はあるが、日本人が歴史を通じて米を愛し続け、育んだことに驚嘆を示した。台湾や旧満州で「美味しい米」の生産を定着させたのも、日本人の努力の成果と論じた。  記事は最初の部分で、米は中国から日本にもたらされたと説明。日本は山が多く平地が少ないので、米づくりのための田を開墾するのは極めて困難だが、日本人は「米を食べたいの一念で、中国人よりはるかに超える苦労を厭わなかった」と紹介した。  米の生産性が上がらなかった時代には、「白米を思う存分食べること」は庶民の夢だったと紹介。黒沢明(黒澤明)監督の名作映画「七人の侍」では、落ちぶれた7人の武士が、「米を食べる」ために身分の低い農民に雇われて生死を賭けて山賊と戦うが「これは戦乱の世を如実に描いたもので、決して誇張ではない」と主張した。  また日本は歴史上、米の流通が経済活動の根本だったと指摘。戦国時代から江戸時代にかけて、上層階級の武士の俸給は、米の量である「石(こく)」で計算されたと紹介した。  文章は話題を明治時代に転じ、日本は「米への崇拝」が失敗をもたらしたと指摘。日本政府は軍対して「最もよい食べ物」として白米を供給し、兵士も喜んで食べたが、白米だけではビタミンなどが不足することは知られていなかったと説明。  日本軍ではビタミンB1不足のために脚気が蔓延し、1895年に日清戦争では脚気による脚気で死亡する兵士も続出したと紹介。20世紀になってから脚気の原因が解明された後に、白米だけでなく玄米や小麦も食べさせるようにしたので「兵士からは白米が食べられなくなったと恨まれたが、将兵の健康状態は改善された」と説明した。  記事は「日本人は米を愛すると書き連ねたが、彼らが愛するのは日本産の米」と指摘。日本人にとって日本産の米は「天下無双」であり、「国際的には有名な韓国米も中国の東北米もタイ米も日本人の眼中にはない」と論じ、日本人が外国米を食べるのは「災害などで、その他の選択肢がなくなった場合」だけと説明した。  記事は、中国人の米の好みは南部と北部で異なると指摘。北部出身者が日本に旅行すれば、日本の米の美味しさを大いに称賛するよううになると説明。一方で、南部出身者は日本の米には粘りが多すぎると感じ、むしろタイのジャスミンライスなどを評価すると説明した。  記事は続けて、日本の「匠の精神」は、「美味しい米を食べる」分野でも発揮されたと紹介。何世代にもわたる人々が一生をかけて「品種改良、栽培法、貯蔵、加工」の細部に至るまで工夫を続けたと説明し、中国人は日本製の電気炊飯器を争って買うが、「炊飯器は最後の段階にすぎない。そもそもよい米がなければ、炊飯器だけではどうしようもない」と、日本で開発された質の良い炊飯器の背景には、美味しい米を食べるために情熱を注ぎ続けた日本人の歴史があると指摘した。  記事は、日本人の米づくりにかける情熱は、台湾や中国の東北地方(旧満州)でも発揮されたと紹介。日本人が頑なに改良を続けたので、台湾や東北地方では優秀な米が生産できるようになったと指摘した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)akiyoko/123RF.COM)

日本料理は味だけではない!繊細で美しい・・・中華料理との違いは中国メデイアピックアップ(2)

2016-02-19 13:26:52 | インポート

 

日本料理は味だけではない!繊細で美しい・・・中華料理との違いは

2016-02-19 13:11


 味のおいしさだけではなく、見た目の美しさでも外国人に評価の高い日本料理。中国メディアの網易はこのほど、「極限まで精巧な、芸術級の日本料理は文化まで味わえる」と題して、日本を訪れ、宿泊先で極上の日本料理を体験したという中国人旅行客の手記を紹介した。  中国人にとって「畳」のうえで取った食事は楽しい異文化体験となる。靴を脱いで畳に上がり、1人1人の眼前に御膳が置かれ、背もたれが付いた座椅子に座って食事を取るという体験は「中国にはない食事の風景」として非常に新鮮に映るようだ。中国では円卓に座り、みなで皿をつつき合うのが一般的な食事の光景だからだ。  記事は、日本料理で特に感心した点として、随所に見られる「料理へのこだわり」を挙げた。「料理に合わせて異なる器を使う」ことや、器がどれも美しく、鳥の形に作られた陶器はふたをとると中に料理が入っていたり、食前酒の梅酒は、器にそそぐとハートの形になったりと見ているだけで楽しく、「邪念が生まれなくてよかった」と思わず持ち帰りたくなるほど心を奪われたようだ。  料理そのものも繊細で美しかったという。刺身には菊の花が添えられていたり、かぼちゃの煮物が葉の形に、シイタケが花の形になっていたりと、細かなところまで楽しませてくれたという。こうした料理の一品一品が美しいうえ、懐石料理は食欲が増すように順番を考えてコースになって供されることに感心した様子だ。  もう1つ感心したというのが1人用のコンロだ。食事前に火をつけて、長くも短くもないちょうど良い時間に出来上がり、温かい料理を楽しめることはうれしかったようだ。中には白米が入っていて、上に木のふたが付いており、炊き立ての米が食べられたと感心。お米も非常に香ばしく、お米だけでも「おいしい味がした」と振り返った。  同中国人は中華料理の脂っこさが恋しくなり、日本料理に対して物足りなさも感じたようだが、健康的で食材本来の味が楽しめたと称賛。見ても食べても楽しい日本料理を満喫したことが文章の隅々からうかがえた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

日本の「のれん」・・・簡素な布切れに日本文化が凝縮されている!

2016-02-07 08:25:58 | インポート

日本の「のれん」・・・簡素な布切れに日本文化が凝縮されている!=中国メデイアピックアップ(1)

サーチナ2月17日(水)10時51分(2016)
画像:先日、中国メディアが日本の「ちょうちん文化」について紹介したが、「ちょうちん」と並んで、日本の大衆文化を語るうえで欠かせないアイテムがある。それは「のれん」だ。中国メディア・騰訊網は10日、「日本ではのれんが文化的記号になっている」とする記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF) 
 
 
 先日、中国メディアが日本の「ちょうちん文化」について伝えたことを紹介したが、「ちょうちん」と並んで、日本の大衆文化を語るうえで欠かせないアイテムがある。それは「のれん」だ。中国メディア・騰訊網は10日、「日本ではのれんが文化的記号になっている」とする記事を掲載した。

 記事は、のれんが禅宗と一緒に日本に伝わり、平安時代末期の12世紀ごろには寺社や店、民家などで日よけ、ホコリよけ、風よけ、寒さよけの用途に用いられ、その多くは極めて簡単な作りのものであったと説明。その後、店が特定の時間にのれんを掲げることで営業中であることを知らせる目的で用いられるようになり、それぞれの店が家紋を染め込むようになったとした。

 さらに、江戸時代に入るとのれんに文字が用いられるようになり、より宣伝的な要素が強くなったことを紹介。一方で、のれんは通常2枚で、長さは幅の3倍であることなど、その設計や外観に明確な規定も設けられていたと説明した。

 また、のれんが日本の大衆文化を代表する物の1つであることの例として、作家・山崎豊子が1957年に発表したデビュー作のタイトルが『暖簾』であり、その後『花のれん』で直木賞を受賞したことを紹介した。

 記事は、防寒や風よけといった実用的な機能に加え、各店舗のイメージを表す視覚的機能が備わった日本ののれんは「日本文化の審美の方向性、そして日本のデザインにおける質素な風格を映し出している」と評した。そして、居酒屋をはじめ、さまざまな店の軒先に今も多種多様なのれんが掲げられている写真を併せて掲載した。

 居酒屋に寿司屋、ソバ屋、ラーメン屋、和菓子屋など、今もなおわれわれの日常生活に溶け込んでいるのれん。昼間はもちろんのこと、夜もちょうちんの明かりと相まってノスタルジー漂う雰囲気を醸し出してくれる。のれんはそれぞれのお店の「顔」であると同時に、日本文化の「顔」でもあるのだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)