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売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『幻影2 荒原の墓標』第26回

2014-07-11 20:46:13 | 小説
 昨日は台風8号が接近しました。私が住んでいる尾張地方は幸いたいした被害はありませんでしたが、長野県の南木曽町は土石流などで大きな被害が出ました。
 南木曽岳登山で、今回被害があった近くに何度も行っています。
 痛ましいことだと思います
 1日も早く復旧することを祈っています。
 南木曽岳には『幻影2 荒原の墓標』でも、次々回掲載予定のときに、美奈たちが登ります。



            5

 優衣が小幡署に行った二日後、会社から戻ると、北村弘樹から封書が届いていた。盆休みが終わり、今日から出社だった。その封書を手渡されるとき、母親から、 「男の人からだけど、その人、どういう人?」 と尋ねられた。
 封筒の差出人名を見て、優衣は 「あら、作家の北村先生からだわ。この人、最近売り出し中の作家なのよ」 と応えた。それと同時に、心がときめくようなものを覚えた。
「優衣、そんな有名な作家と付き合っているの?」
「まさか。ファンレターを出したから、きっとその返事をくれたのよ。それよりお母さん、他人(ひと)の手紙のことで、いちいち口うるさく詮索するの、やめてくれない? そんなだからお姉ちゃん、この家から出て行っちゃったのよ。お姉ちゃんがあんなことになったの、お母さんにだって責任があるんだから」
 そう言って優衣は自分の部屋に入った。以前は姉と二人で使っていた部屋だ。さっき母親はいやな顔をしていた。少し言い過ぎたかなとも反省したが、歯止めがきかなかった。夕食のとき、一言謝っておこうと思った。
 自分の部屋で、もう一度差出人名を見た。住所は名古屋市昭和区となっている。今は東京ではなく、名古屋に戻っているんだ、と思った。名古屋市内なら、すぐにでも会いに行ける。さっそく中を読んだ。文章はワープロで書かれていた。

「お手紙拝見しました。
 立秋を過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい日が続きます。
 ところで、優衣様は徳山久美様の妹であるとのことと知り、私も驚きを禁じ得ません。
 言葉が硬いと窮屈ですので、初めてのお手紙ですが、ふだん通りの言葉遣いをさせていただくご無礼、お許しください。
 まず、優衣さんの最大の疑問に対し、回答いたします。私は久美さんとは一切面識がございません。このことは何度も警察に話していることです。
 家族でさえ知らない背中のタトゥーのことを知っていたとのことですが、これも私の創作で、偶然の一致でしかありません。とはいえ、私自身信じられない思いです。
 実は作中の“久美”には、Mさんというモデルがあり、彼女は背中に騎龍観音の見事なタトゥーを入れています。お寺の娘という設定も、彼女の境遇をそのまま使わせてもらいました。
 しかし、彼女はあくまで優衣さんのお姉上である久美さんとは別人です。“久美”という作中人物の名前も、Mさんの名をアレンジしたものです。だから私は久美さんと会ったことはございません。これは紛れもない事実です。
 お姉さんだけではなく、それ以外の事件の被害者とも、私は全く面識がありません。こんなことを言っても、信じてもらえないでしょうが。自分自身、もしこれが自分の身に起きたことでなければ、信じられないでしょう。
 警察からも、事件への関与を疑われていますが、こればかりは警察がなんと言おうと、白いものを黒いとは言うことができません。ただ、警察の中でも、二人だけ私のことを信じてくれている刑事さんがいます。
 最近、第四の登場人物と同姓同名の人が私の身辺に現れたそうです。警察は今その人物をマークしています。あるいは大岩というその人物が、優衣さんが知りたい情報を握っているかもしれません。けれども警察はその大岩なる人物が、どこの誰かを教えてくれないので、私は大岩のことは全くわかりません。ただ、その大岩という人は詐欺グループの一員である可能性があるということは聞いています。
 優衣さんからのお手紙にもありましたので、無礼を顧みず書かせていただきますが、久美さんを始め、今回犠牲になられた方は、皆その詐欺グループのメンバーであった可能性が大きいといいます。それで私は、その詐欺に遭った被害者側の復讐に荷担しているのではないかと疑われています。しかし、それに関しても、私自身全く与(あずか)り知らぬことなのです。
 最後に、優衣さんが信じてくれるかはわかりませんが……。昨年の秋、私は不思議な体験をしました。作家として凋落し、私は生きる望みを失いました。山の深い原生林の中で、私は睡眠薬を飲み、自殺をしようとしていました。そのとき、『死ぬな』という不思議な声を聞いたのです。それがこれら一連の事件の始まりだったという気がしてなりません。こんなことを書くと、信じてもらえず、一笑に付されるかもしれませんが。
 このことは作中の“徳山久美”のモデルになったMさんと、二人の刑事さんにしか話していません。警察の中では、その二人の刑事さんだけが、こんな荒唐無稽な話を信じて、私の無実を確信してくれます。
 優衣さんが久美さんの妹さんだと知り、なぜかこんなばかげたことを打ち明けてみたくなりました。それが優衣さんの問いかけに対する、唯一の答えだからです。
 もし納得いただけないのなら、ご連絡ください。お手紙でも、お電話でもけっこうです。会う機会を設け、直接お話ししたいと存じます。
敬具」

 そのあと、日付や手書きによる署名などと共に、北村の携帯電話の番号が記入してあった。
 手紙を読んでいて、優衣は北村が書いたことが、信じられなかった。北村が姉を知らず、全くの偶然だなんて、あり得るはずがない。特に不思議な声がすべての始まりだということには、あまりにバカバカしくて、ついていけない感じがした。作家ならもっとまともな話を書けばいいのに、と思った。
 しかし、もし作り話なら、もっと真実味がある話を書くだろう。売れっ子作家が、そんな荒唐無稽なおとぎ話を書くはずがない。それがかえって、真実なのではないかと思わせた。そうでなければ、人を食っている。また、文中にある、北村の無実を確信している二人の刑事というのは、一昨日会った三浦と鳥居ではないかと思われた。
 それに、作中の登場人物である“徳山久美”のモデルが別にいるというのも、思いがけないことだった。そのモデルに、優衣は心当たりがあった。半年前に殺人事件の犯人として週刊誌などに書き立てられた女性が、“M”というイニシャルで、背中に騎龍観音のタトゥーがあったという。お寺の娘だということも書いてあったように記憶する。実際は犯人ではなかったのだが、優衣もひどい女がいたものだと、同性として不快に思っていたことがある。姉ではなく、彼女がモデルだったのか? 一時期、“全身刺青のソープレディー”として、二流週刊誌や娯楽夕刊紙を賑わせていたので、北村もその女をモデルに使ったのだろう、と優衣は考えた。
 優衣は北村に直接会ってみたいと思った。刑事が会えるように手はずを整えてやるといっていたが、できれば刑事がいないところで、一対一で話したかった。まさか密室に入ったとたん、オオカミに変身することもないだろう。喫茶店かファミレスで会えば、その心配もない。優衣は携帯電話で、手紙に書かれていた番号をプッシュした。

 翌日午後七時、名古屋市中区の金山駅近くのファミレスで、優衣と北村は会った。優衣は一宮市内の会社に勤めているので、JR、名鉄沿線の店が便利だった。
 優衣の祖父は以前、繊維の街といわれた一宮市で、大きな衣類の製造会社を経営していた。しかし中国などの安い輸入品に押され、工場を閉鎖せざるを得なくなってしまった。祖父の会社で役員をやっていた父親は、会社が倒産してから、名古屋市内の会社に勤めていた。会社倒産に伴う債務を返済するため、大きな家を処分し、団地住まいをしている。今は姉の不始末で世間に顔向けできないと、父親は会社を辞めて逼塞(ひっそく)してしまった。
 優衣は午後六時前に会社を退社し、そのままJR尾張一宮駅に急いだ。JRと名鉄の駅は隣接している。優衣は名古屋方面に行く場合、名鉄でしか行けない鳴海、有松方面に行くとき以外は、JRを利用することが多い。金山までは、JRのほうが少し運賃が安い。
 一宮は人口四〇万人近い都市だが、金山のほうが一宮の駅前に比べて、ずっと人通りが多い。待ち合わせのDというファミレスは、北村の説明通りに歩いたら、すぐに見つかった。
 店の中を見回したが、まだ北村は来ていなかった。優衣は北村の顔を知っている。待ち合わせの七時まではまだ一五分ほどあった。喫煙席か禁煙席かを問われたので、優衣は喫煙席に案内してもらった。会社では狭い喫煙コーナー以外は禁煙となっている。その喫煙コーナーさえ、廃止される方向だ。嫌煙権が横行し、喫煙家の優衣としては肩身が狭い思いをしている。ヘビースモーカーではないものの、二日で一箱空けている。以前は一日一箱以上を煙にしていた。
 ほどなく北村が現れた。優衣は目印に、テーブルに北村の本を置いていた。二人は初対面の挨拶をした。実物の北村は、想像していたより小柄なんだと優衣は思った。だが北村が小柄なのではなく、優衣が背が高いのだった。高校時代、バスケットボール部に入っていた優衣は背が高い。
「遅くなってすみません」
「いいえ、まだ七時前ですから。こちらこそ、お忙しい先生をお呼び立てして、申し訳ありません」
 二人はまず料理のオーダーをした。原稿書きでほとんど運動していない北村はさほどでもなかったが、優衣は空腹だった。
「お目にかかれて光栄です。先生のご本はあらかた読んでいます。名探偵榛名敏彦、とてもすてきです」
「いや、駄作も多いので、そんなものまで読まれていては、恐縮です」
「そんなことありません。先生の作品、とてもおもしろいですわ」
「でも、八作目の『藁人形』以降、ひどい評価でしたからね。僕としては、呪いを推理小説に持ち込んだのは新しい着眼だと思ってたんですが、評論家からは思いっきり叩かれました。読むだけ時間の無駄と酷評されましたよ」
「確かにあれは推理小説としては異色だと思いましたが、でも人間の怨念はこんなに怖いものかということを考えさせられました。それなりにおもしろかったです。今では再評価されているようですね」
 北村の作品について話し合っているうちに、オーダーした料理が運ばれた。空腹だった優衣は、まず食べることに専念した。
 食後のコーヒーが届いたので、二人はまた話を始めた。二人とも喫煙をした。
「ところで先生、あのお手紙に書いてあったことって、本当なんですか? 山の中で聞こえた声がすべての発端だなんて」
「あのことですね。事実です。『おまえにはまた作家として、輝かしい未来が再び訪れるのだ』という声が頭に響き、それで僕は自殺をやめたのです。もしあの声が聞こえなかったら、今僕はこうして優衣さんと話をしていることはなかった」
 死者の霊や、死後の世界の存在を信じていない優衣には、とてもそれが信じられなかった。神が実在するとか、わるいことをすれば死んでから地獄に堕ちる、などということは、すべて迷信だと考えている。この科学万能の世の中に、そんなものが存在するはずがない。人間は死ねば、それで終わり。身体は骨と灰になり、意識は消滅して、無、永遠の闇となるのだ。自分よりずっと美人だった姉も、今は物言わぬ一片の骨となっている。無となることが恐ろしく、死後の世界や生まれ変わりがあってほしいとは願うのだが、信じることはできなかった。
 今年の初めに、会社の先輩から、守護霊を持てるすごい仏法があるので、ぜひやらないかと誘いを受けたことがある。その教団に入り、守護霊を授かれば、どんどん運が開け、幸福になれるという。死後も輝くばかりの天界に行け、永遠の幸福が得られるそうだ。
 しかし、優衣はそんな荒唐無稽な教えを信じることができなかった。その先輩も会社での成績がいいとはいえなかった。そんなに功徳がある守護霊なら、あなたはもっと成績が上がっているのではないかと言って、断った。その先輩は 「守護霊様を冒涜すると罰(ばち)が当たるぞ」 と捨て台詞を残して引き下がった。けれども姉が殺されると、 「これは守護霊様を否定した罰だ」 とまた言い寄ってきた。
「罰を当てるのなら、なぜ私に当てないで、姉を殺したりするの? そんな人を殺すような守護霊など、持つ気にならないし、守護霊自体も眉唾物じゃないですか。もう二度とそんな怪しい宗教の話なんか、私にしないでください」
優衣は先輩を追い返してしまった。
「確か妙法心霊会とかいう教団でしたね。僕も以前、入信を誘われたことがありましたよ。断りましたがね」
 北村もその教団のことを知っていた。最近かなり強引な布教をしており、問題になっている教団だ。
「僕も唯物的な人間で、小説では呪いなど、人間の念のことを書きましたが、霊の存在など、信じていませんでした。死んだら無になる、地獄などあるはずがないと、つい最近まで考えていました。この事件のことも、何かの報道で、優衣さんのお姉さんや山下和男、佐藤義男、大岩康之などが犯罪組織の一員と知り、それで無意識のうちに作品に名前を使ってしまったのかとも考えました。自分の顕在意識では認識していなかったけれど、潜在意識のうちで彼らに罰(ばつ)を与えるつもりで、殺される役どころとして名前を僕の作品で使ってしまったとか。あ、すみません。お姉さんのことも犯罪組織の一員みたいに言ってしまって」
「いいえ、気にすることありません。事実ですから。私も刑事さんから聞いたときは、大ショックでしたけど」
「でも、その人たちが詐欺グループのメンバーだったということがわかったのは、つい最近のことだそうですね。また、今でもはっきりしてるのはお姉さんと山下和夫だけだといいます。それにそのことはまだ一般には報道はされていません。優衣さんと僕がそのことを知っているのは、個人的に警察から教えてもらったからです。だからその推測も成り立ちません。やはり霊的存在の介入ではないのかと、今では思えます」
 優衣はだんだんと北村の話に釣り込まれていった。
「作中の“徳山久美”というのは、別にモデルがあったそうですね。その人って、ひょっとして半年ぐらい前に、けっこう話題になった、ソープに勤めている、背中にいれずみした女(ひと)じゃないですか?」
「あ、優衣さんもご存じでしたか。そうですね。けっこういろいろ悪女として書き立てられていましたからね。でも僕は知っていますが、彼女、噂のようなひどいあばずれ女じゃなくて、とても素直でいい女性なんですよ」
 こう言ってしまって、北村は客としてそのソープレディーのところに行っていたことが、語るに落ちたかっこうであることに気付いた。そのソープレディーのことを知っているというだけなら、雑誌などで話題になっていたから、別にどうということはない。女性である優衣だって知っていたことだ。しかしそれらの記事は、美奈が世にもまれな悪女である、というような書き方をしていた。素直ないい女性だと知っているということは、個人的に美奈を知っているということになる。それに手紙には、彼女に霊の話をしたということを書いてしまった。
「あ、いや、これはつい余計なことまで白状してしまいましたね」
 北村はソープランドに遊びに行っていることを自白して、顔を赤らめた。そう言ってしまったあとで、ミクに取材をしたことにしておけばよかったと後悔した。しかし、『鳳凰殺人事件』を執筆していたのは、事件が起こる前だということに気付かれれば、嘘を言ったことがわかってしまう。まあ、正直に打ち明けておくほうがいいだろう。
「あ、いえ、先生も殿方ですので、それぐらいのことは……」
 優衣も少し気まずい思いだった。
「もうばれちゃったのではっきり言いますが、彼女、ミクさんといいます。ミクを逆にして“久美”にしたのです。彼女も何度か霊的な経験があるそうです。自動車事故に遭いそうになったときも、その霊に助けられ、その話題になった事件を解決したのも、霊の協力があったおかげだと言います。その体験、僕も作品にしたいなと思いましたが、彼女自身が、ミステリーとしてまとめたそうです。その彼女も、やはり事件の鍵は、その“霊の声”なのではないか、というのです」
「そのミクさんという人は、霊の存在を信じているわけですね」
「そうです。今ではその霊が守護霊になっていると言ってます」
「やっぱり霊が関係しているといっても、私には半信半疑です。でも、先生の口調などを聞いていると、でたらめを言っているとは思えなくなりました。先生はそこまで嘘をつける方ではないと信じています。そのタトゥーをしたミクさんという女(ひと)も、先生の話を聞いていると、雑誌にあったようなひどい悪女ではないように思えますし。先生が姉とは会ったことがないというその言葉、信じます。そして先生がこの事件には、直接の関わりがないということも」
 世の中にはそんな不思議なことがあるのかもしれないと、優衣は考えを変更し始めた。
「信じてくれてありがとう。普通ならとても信じられないことですからね。僕自身、もし優衣さんの立場だったら、絶対信じられないですよ。今でも信じられないことですが、しかし事実だから信じざるを得ないのです。僕も不思議な声を聞いたのは事実であり、だからこそ今、こうして生きているのだから」
「お願いがあるのですが、先生がその声を聞いたという場所を見てみたいと思うんです。一度連れて行っていただけませんか?」
 優衣は突然、その場所を自分の目で確認してみたいと思った。なぜそんなことを思いついたのか、自分でもわからなかった。見たところで、どうなるものでもない。その霊に出会えるわけではないだろう。しかし、理屈ではなく、何となくその場に行ってみたかった。
「行きたいといっても、そこはかなりの山の中ですが、大丈夫ですか?」
 北村は優衣の唐突な申し出にためらった。
「はい。私は登山はあまり経験がないけど、高校時代、バスケットボールをやっていて、体力には自信があります。友達と鈴鹿に登ったこともあって、山道具も靴やザックなら持っています」
 北村は若い優衣と一緒に山に登れるというのは、内心嬉しかった。優衣は美人とはいえないまでも、明るく健康的で、魅力ある女性だ。バスケットボールをやっていただけあって、背が高い。北村は女性の優衣より背が低いことにコンプレックスを感じた。しかしいきなり若い女性と二人だけで山に行くのも、気が引けた。
「そうだ。ミクさんも登山が趣味なので、彼女を誘ってみませんか? ソープレディーですが、人柄は僕が保証しますよ。優衣さんも男と二人だけで行くより、そのほうがよくないですか?」
「タトゥーの女(ひと)とですか?」
 優衣は少しためらっているように見えた。とはいえ、男性と二人だけではやはりちょっとまずいかなと思ったし、タトゥーの女性にも興味を抱いた。
「そうですね。私もその人に会ってみたくなりました。もしその人の都合がよければ、誘ってみてください」
「では、ミクさんに確認してみます。もしミクさんがだめなら、二人で行きましょう」
 二人はそれからしばらく小説の話などをした。北村は作家だけあって話術に長けており、優衣は話していて楽しかった。優衣はだんだん北村に惹かれていく自分に気付いていた。


『幻影2 荒原の墓標』第25回

2014-07-04 19:29:45 | 小説
 今日、近所の書店に行ったら、私の新刊『地球最後の男―永遠の命』が10冊置いてありました。
 文庫本コーナーの台の端にあり、目につきやすい位置でした。
 地元の書店で扱ってくれたことは、とてもうれしく思います
 できれば“地元ニュータウンの作家”などとポップをつけてくれると、注目度が上がるのですが、あまりわがままも言えません。
 1冊でも多く売れるとうれしいと思います。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』の第25回です。


            4

「お姉ちゃん、なぜあんなことになってしまったの?」
 徳山久美の妹、優衣(ゆい)は姉の写真に問いかけた。優衣は久美より二歳年下の二五歳だった。
 優衣は殺された姉の背中が、鳳凰のタトゥーで彩られていたことがショックだったのに、さらに詐欺グループの一員だったという事実を知らされ、大きな精神的打撃を受けていた。
 姉は名古屋で就職し、一宮からでは遠くて通勤に不便だからといって、名古屋市内にアパートを借りた。母親は久美の背後に男の存在を嗅ぎ取り、それとなく久美に注意した。どうもまともな男だとは思えなかったからだ。父親からも強く意見をしてもらった。しかし久美は聞く耳を持たなかった。両親は名古屋市内の久美のアパートに様子を見に行ったが、久美はもうアパートを引き払っていた。その後、久美の消息は不明となった。父親が次に対面したときには、久美は物言わぬ身体となっていた。
 ミステリーファンの優衣は、北村弘樹復活第一作と銘打たれた『鳳凰殺人事件』を読んだ。その中に、姉と同姓同名の徳山久美が殺害される場面があることに気付いた。そのときは姉と同じ名前の女性が死ぬ、ということにいやな感じはしたが、単なる偶然だとしか考えていなかった。作中の徳山久美は、寺の娘という設定だったし、舞台は東京だった。
 ところが実際姉は殺されてしまった。そして、作中にあるとおり、姉の背中には鳳凰のタトゥーが刻まれていた。姉が“入れ墨”をしていたことが、優衣には大きな衝撃だった。なぜ姉がそんなことを。そして北村弘樹はなぜ姉がタトゥーを彫っていたことを知っていたのだろうか。そして殺されることを予見していたのだろうか。これはとても偶然ですまされることではないと思った。
 優衣は北村に会わねばならないと思い、『鳳凰殺人事件』を出版した文学舎に北村の住所を問い合わせた。『鳳凰殺人事件』は、最初は自費出版で、発行部数はわずかだったので、その後、かつて北村と関わりがあった文学舎がその出版権を引き継いだのだった。
 しかし、出版社には、作家の個人情報に関してはお答えできないと断られてしまった。ファンレターなら当社に送っていただければ、責任を持って回送いたしますという返答を得たのみだった。
 優衣は104でも訊いてみた。北村はおそらく東京に住んでいるのだろうと考えた。以前、人気作家だったころに発行された作品の著者プロフィールには、愛知県出身、現在東京都在住とあったからだ。それに、優衣はプロの作家はたいがい首都圏に住んでいると思っていた。東京都23区とその周辺で、北村弘樹の名前で登録されている人をすべて教えてもらい、片っ端から電話をかけてみた。しかし、どれもが違っていた。北村弘樹はペンネームで、電話は本名で登録してあるのだろうか。いや、確か本名のはずだ。都下や神奈川、千葉、埼玉にも範囲を広げてみようかと考えたが、あまりにも広くなってしまう。作家はいたずら電話や嫌がらせなども多いだろうから、電話帳には載せていないのかもしれない。それとも、携帯電話しか持っていないのか。今は携帯のみで、固定電話に加入しない人も多いという。北村弘樹に会って、話を聞きたいと思っていたのに、気勢をそがれてしまった。
 それからしばらくして、優衣は姉が詐欺グループの一員だったという報告を刑事から聞かされた。このことはまだ一般には報道されていない。殺人事件としてはもう解決ずみであり、また大岩たち残りのメンバーに警戒させないためでもあった。
 娘が殺されたというだけでも肩身が狭い思いをしていた両親だったが、世間を騒がせた詐欺グループの一員だったということがわかり、父親は 「世間様に顔向けができん」 と勤めを辞め、家の中に引きこもってしまった。
 そんな父親を見て、優衣は自分が頑張らねばと決意した。そして、姉がなぜあんなことになってしまったのか、北村弘樹に会って話を聞いてみたいと思った。優衣もテレビや新聞の報道で、北村は事件と一切関係がないと言っていることは知っていた。だが、作品の中で三人の殺人予告を当てているということは、いくら何でも偶然とは信じられなかった。姉の久美が背中にタトゥーを入れていたということは、家族さえ知らないことだったのだ。
 優衣は北村に手紙を書いた。北村の住所はわからないが、出版社に送れば、手紙は回送してくれるという。多少手間はかかるが、やむを得ないと思った。ただ、人気作家となれば、ファンレターの数も多いだろうから、北村本人が読んでくれるかが心配だった。
 優衣は姉の事件を担当した、優しそうな刑事を思い出した。確か県警の三浦という名前だったと記憶している。もう一人の名古屋弁のオジンはおっかなそうだったが、三浦なら私の話を聞いてくれるのではないかと思った。
 優衣が勤めている会社は、今は盆休みなので、その翌日、県警に三浦を訪ねた。盆休みといっても、今年の夏は姉の不幸もあり、旅行に行こうという気分にはならなかった。久美の初盆でもあった。
 県警の前まで行ったものの、中に入りづらく、しばらく右往左往していると、偶然姉の事件で会ったことがある石崎警部の顔を見つけた。優衣は石崎に、四月初めに殺された徳山久美の妹だということを告げ、その事件を担当した三浦刑事に会いたいという旨を伝えた。石崎は優衣のことを思い出し、三浦は今別の事件で守山区の小幡署に行っていると教えてくれた。石崎もちょうど今から小幡署に行くところなので、よかったら連れて行ってあげようと言ってくれた。偶然とはいえ、 「ラッキー、これはさい先がいいぞ」 と思った。優衣は生まれて初めてパトカーに乗り、小幡署まで行った。そのパトカーは、クラウンがベースになっており、乗り心地がよかった。国民の税金を使って、こんなにいい車をパトカーにしているのか、という反感も多少はあった。優衣の家族は、事業に失敗したということもあり、維持費が安い軽自動車に乗っている。
 小幡署には、三浦と一緒に鳥居もいた。山下和男、佐藤義男両殺人事件の捜査本部は合同し、今は鳥居も小幡署にいることが多い。鳥居を見た優衣は、 「この人、ちょっと苦手だな」 と心の中で呟いた。
 石崎が優衣のことを紹介する前に、鳥居が 「おう、おみゃーさん、前にいっぺん会ったことがあるな。確か、徳山の優衣ちゃんじゃなかったか?」 と声をかけた。
 優衣は鳥居が自分のことを覚えていて、三浦より先に笑顔で声をかけてくれたことに感激した。
「この人、思ったほど怖い人ではないのかもしれない」
 優衣は鳥居を再評価した。
「徳山優衣さんですね。ご無沙汰しています。あのときは、いろいろご協力いただき、ありがとうございました」
 三浦も優衣に挨拶した。三浦は一八〇センチを超える長身だが、優衣も女性としてはかなり背が高かった。
「ところで警部、なぜ優衣さんがここに?」
「おまえに聞きたいことがあって、わざわざ一宮から来てくれたそうだ。お姉さんのことで、納得いかないこともいろいろあるそうでな。まあ、せっかく来てくれたんで、少し話を聞いてやってくれ。話しているうちに、何か事件のヒントがつかめるかもしれん」
 石崎は小幡署に来る前に、ざっと優衣の話を聞いてみた。優衣は気付いたことを報告に来たというのではなく、逆にいろいろなことを尋ねたいとのことだった。石崎としては優衣からこれといった収穫を得ることはできなかった。それでも、捜査に直接関わっている三浦や鳥居が相手をすれば、何か引き出せるかもしれない。特に三浦は話を引き出すことがうまかった。そう考えて、石崎は優衣を小幡署に連れてきた。捜査が膠着している今は、小さなものでもいいから、少しでも手がかりが欲しい。
徳山久美の事件は、すでに逮捕された犯人が犯行を自供しており、物証も得ているので、山下、佐藤の事件とは切り離して考えられている。とはいえ、久美と山下、佐藤、そして現在監視下に置いている大岩は、詐欺グループとしてつながっている可能性が高い。徳山久美に関するちょっとしたデータの発見が、他の事件の手がかりになるかもしれないのだ。
 石崎は小幡署の一室を借り、そこで優衣の話を聞くことにした。聴取は三浦と鳥居に任せ、石崎自身はその場を離れて、捜査本部の指揮を執る倉田警部のところに行った。警察官三人に囲まれれば、優衣は萎縮してしまうだろう。
「殺風景な部屋ですみませんが、気を楽にしてください」
 三浦は優衣に話しかけた。
「ここ、ひょっとして取調室なんですか?」
「いや、会議室ですよ。会議室でも、一番小さな部屋ですが。さすがに容疑者でもない優衣さんから、取調室で話を聞くのも無粋ですからね」
「取り調べの時は、やはりカツ丼なんか出るんですか?」
「あれはテレビドラマの作り話ですよ。もし被疑者が何か食べたければ、自腹で出前を取ることになりますね。それに取調中は食事はできません」
「え、そうなんですか。古い刑事ドラマなんかでは、犯人が刑事から出されたカツ丼に感激して、涙ながらに犯行を自供する、なんてシーンがありますが」
「そういやあ昔の刑事物なんかにはそんな場面がよくあったけど、実際そんなことして自供させたことなんか、いっぺんもないがや。どっちかといえば、俺なんかはぎゅうぎゅう締め上げたってゲロさせたることが多いがや」
 鳥居が首を絞める真似をして、笑いながら言った。
「まあ、怖い」
「冗談ですよ。鳥居刑事は、こう見えてもけっこう優しい人ですからね。ただ、犯罪者から見れば、やっぱり怖いオジサンかな」
「おい、トシ、オジサンはないだろ。せめてお兄さんにしといてちょう」
「怖いお兄さんだと、また別な意味にとられちゃいますよ」
 こんな刑事たちのやりとりに、優衣は思わず吹き出してしまった。三浦は優衣のことを、なかなかユニークな発想をする人だなと思った。優衣の緊張がほぐれたところで、三浦はそろそろ本題に入った。
「ところで、今日はどんなご用で来たんですか? 訊きたいことがあるとのことですが」
「実は、私、姉が詐欺グループの一員だった、ってことを聞いて、ショックで……。背中にタトゥーを入れていたことでさえショックだったのに、さらに詐欺を働いて、多くのお年寄りなどの弱者からお金をだまし取っていただなんて、とても衝撃を受けて。あんなに真面目で優しかった姉が」
「その気持ち、よくわかりますよ。僕たちも久美さんのことを調べましたが、久美さんを知っている人は、皆久美さんを褒めていましたからね。まさか詐欺グループのメンバーだったとはずっと気付かずにいました」
「私は今でも信じられないです。なんかの間違いじゃないかと。でも、背中にタトゥーなんかしてたし。タトゥーとハイカラにいっても、しょせんは入れ墨でしょう? やっぱり入れ墨なんて、悪い人がすることですよね」
「いえ、最近はファッションとしてタトゥーを入れる人も、けっこう多いですよ。歌手やスポーツ選手にもいますし。僕が知ってる女性も、何人か入れてます。僕が刑事だからそういう人を知っている、というわけではなく、どこにでもいそうな普通の女性です」
 三浦は優衣の沈んだ心を慰めるために、タトゥーのことをあえて肯定的に言った。そして美奈の顔を思い浮かべた。
「久美さんの背中に鳳凰の絵を入れたアーティストさんに会いましたが、久美さんはタトゥーを入れるとき、自分を強くするためにタトゥーをするんだと言っていたそうです」
「自分を強くするためにタトゥーを入れるだなんて、変です。やくざが入れ墨をするのは、もう二度と堅気に戻れなくなるよう、決意を固めるためだと何かの本で読んだことがあるけど、姉もそうだったんじゃないでしょうか? 自分自身を悪の世界に染めるため、その決意でやったんではないでしょうか?」
 優衣は悲しげに顔を俯けた。
「そのへんのことは僕にはわかりません。でも、女性が大きなタトゥーを背中に入れるということは、何かよほど重大な決意があったんでしょうね。腕にバラを一輪入れる、という程度なら、軽いファッション感覚でやってしまうかもしれませんが」
「私、作家の北村弘樹さんに会ってみたいんです。私も北村さんの作品はいくつか読みましたが、なぜ姉が殺される前に姉の死を予言できたか、ぜひとも訊いてみたいんです。姉が家族も知らなかったタトゥーを彫っていることを、なぜ知っていたかもです。私、北村さんにお会いしたいと思い、出版社に住所を訊いたんですが、プライバシーに関することは教えられないと、断られました」
 優衣は話題を北村弘樹のことに変えた。
「その件について、警察は何度も北村先生を訊問しました。しかし、北村先生は偶然の一致でしかないと言われます」
「そんなの、嘘に決まっています。偶然だなんて、絶対あり得ません。刑事さん、北村弘樹の住所、教えてもらえませんか? 私、直接会って話をしたいんです」
「でも、お姉さんの事件に関しては、犯人はもう捕まっているんだから、北村先生は犯人ではあり得ません。ほかの事件でも、北村先生のアリバイは成立しています」
「それでも一度お目にかかりたいんです。もちろん、北村弘樹さんは姉を殺した犯人じゃないということははっきりしているので、復讐しようなんてつもりは毛頭ありません。ただ、お話を聞きたいだけなんです」
 優衣は三浦に懇願した。三浦は個人的には会わせてあげたいという気持ちが強かった。だが、北村は事件の関係者だ。被害者の遺族である優衣を、三浦の一存で北村に会わせるわけにはいかなかった。
「おみゃーさんの気持ちはようわかった。けどよ、警察というところは、けっこう規則でがんじがらめで、難しいとこなんだがや。そのことは俺が上司と掛け合って、もし許可が出たら、会えるように段取りとったるでな。少し待っとりゃあ」
 鳥居が横から助け船を出してくれた。
「本当ですか? 会わせてもらえるんですか?」
「だが絶対とは約束できんぞ。被害者側の人間と事件の関係者を会わせるというのは、難しいかもしれんでよ。それに会うといっても、刑事立ち会いの下(もと)でだぞ。北村のセンセとは、もう十分話し尽くしとるで、新しい事実はこれ以上出てこんかもしれんし」
「はい。それでもけっこうです。でも、姉の肉親である私が聞けば、今までわからなかったことが何かつかめるかもしれません」
 優衣は鳥居の約束に了承した。鳥居はさすがにベテラン刑事だ。三浦は鳥居のとっさの判断に敬服した。
「ところで、解決済みの事件のことを伺うのも何ですが、生前、お姉さんのことで、気付いたことはありませんか? どんなことでもけっこうです」
 久美の事件について質問をするのはあまり意味がないかもしれないが、ひょっと考え、三浦は質問した。
「そうですね。前にも刑事さんには話しましたが、姉は三年ぐらい前に、通勤が大変だからと名古屋に引っ越していって、最初のうちはときどき電話もあったけど、そのうちだんだん疎遠になってきました。付き合っていた男(ひと)がいるようなことをちらっと聞いたんですが、あのときは誰だったか思い出せませんでした」
「それで、思い出したんですか?」
「確か、秋田県の人だとか言っていました。でも、その人は犯人じゃなかったのだから、関係ないですよね。そのあと姉はどこかに引っ越してしまい、連絡もとれなくなりました」
 優衣は姉が絞殺されたとき、三浦からいろいろな質問をされた。
久美が男性と付き合っていることを一度だけ聞いたことがあった。ちょっと崩れたところがある人だということで、久美はあまり付き合っている人のことを話したがらなかった。優衣が 「そんなら別れちゃいなよ」 と意見したら、 「でも、優しいところもあるんだ。根はいい人なのよ」 と擁護した。そのことは両親には話していないようだった。それで優衣が両親にわるい男ができたみたい、と話したのだった。母親もよくない男と付き合っていることを、うすうす感づいていた。
 優衣は姉を殺害した犯人が逮捕されてから、秋田の人だということを思い出した。しかしもう犯人は捕まったのだから、今さら刑事に伝えても意味がないと思い、刑事には教えなかった。
「いや、この事件はまだほかの事件とつながっているかもしれないので、参考になりますよ。ところで、秋田県の人だと言ったのですか? それとも秋田という名前なんですか?」
 三浦は確認した。
「えっと、秋田の人だと聞いたと思ったんですが、ひょっとしたら秋田という名前だったかもしれません。よく覚えてないんです」
「でも、秋田と言ったんですね?」
「はい、そのとき、東北地方を連想したので、それは間違いありません」
 三浦はこれで、徳山、山下、大岩、秋田の線がつながったと思った。佐藤もおそらく詐欺グループの一味だろう。それ以外にも仲間がいるのかもしれない。優衣との話の収穫は、それだけだった。しかしそれが確認できたのは一歩前進だ。





『幻影2 荒原の墓標』第24回

2014-06-28 01:16:14 | 小説
 明日の講演の資料を作り、さあ印刷しようと思ったら、プリンターの調子がわるい。カラー写真がずれて、うまく印刷できません。
 ヘッド位置調整の機能を使い、ずれを修正しても全くだめ……
 やむなく近くのジョーシンに行き、安い機種を買いました。

 

 一番安い機種はインクカートリッジが一体型で、本体は安くても、インク代が高くつきます。
 今使っている機種は、調子がわるいのをだましだまし使っていました。
 自分の著作のチラシを10,000枚近く印刷しているので、もう限界かもしれません。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』24回目の掲載です。


            3

 その夜、仕事が終わってから、なじみのファミレスに恵、美貴、裕子、美奈の四人が集まっていた。オアシスには盆休みがなかった。多くのコンパニオンが盆の時期には休みを取るので、今はコンパニオンが手薄だ。アドバイザーの玲奈も、いつでも行けるようにスタンバイしている。玲奈は三〇代後半とはいえ、後輩のコンパニオンが羨ましがるほど若々しい体つきを保っている。
「お姉さん、まだ現役で行けるんじゃない?」
玲奈はコンパニオンたちから冷やかされていた。玲奈はコンパニオンたちから慕われており、このような軽口も言い合える間柄だ。
「裕子さんのお兄さんのことはまだわからないけど、警察は大岩さんを詐欺グループの一員としてマークしたわ」
 オーダーをしてから、美奈が三浦から聞いたことを裕子に報告した。恵と美貴も、おおやまと名乗る男が裕子の兄を知っているようだということを聞いている。
「お兄さん、やっぱり詐欺グループの一員だったのかしら」
「それはまだわからないわ。今は希望を捨てずに行きましょうよ」
「ううん、私はもう最悪のことを覚悟しているわ。兄は予告される前に、最初に殺されたのかもしれない。最悪を考えていれば、何があっても驚かないから。でも、兄にはやはり生きていてほしい」
「そうよ。お兄さんはきっと生きているよ。そう信じようよ」
 美貴が裕子を力づけた。
「そうですね。たとえ兄が詐欺グループのメンバーだったとしても、生きてさえいれば、これからいくらでもやり直しはできるのだから」
 しかし美奈はあまり楽観できなかった。美奈としては、事件を引き起こしている怨念霊の位置に、裕子の兄を置いていた。その予感が外れていますように、と祈ることしかできなかった。
 オーダーしたものが全員分届いた。
「みんな、暗い話はもう終わりにして、食べようよ。ずっと仕事をしてて、おなかぺこぺこ。おなかの虫が、はよ食わせろ、と鳴いてるよ」
 恵がさくらの口調を真似たので、みんなが笑った。
「そういえば、この前背中の龍を彫りに、さくらのところに行ったら、さくら、今男の人の背中一面に、ラオウを彫ってるんだって。途中までの写真を見せてもらったんだけど、すごい迫力。さすが元漫画家志望。めちゃうまかった。トヨさんも感心してたよ」
「ラオウって、北斗の拳の?」 と美貴が恵に訊いた。
「もち。カップ麺のラ王じゃないわよ。お客さんは最初、黒王に跨がったところを希望していたそうだけど、それだとラオウが小さくなって見栄えしない、とさくらがアドバイスして、背中一面にラオウの戦闘ポーズになったんだって。黒一色で濃淡つけて彫ってあったけど、ほんと、漫画から抜け出したみたいだった。かっこよかったな」
「あたしも男だったら、ラオウ彫ってもらいたいんだけどな。『我が生涯に一片の悔いなし』なんて、かっこいい」
「美貴にはラオウより『ひでぶ』のハート様のほうが似合ってるんじゃない?」
「ひでぶだなんて、メグさん、ひっどーい。あたしは南斗水鳥拳のレイがいいかな。源氏名と同じアイリのお兄さんだもん。それともベルばらのオスカルとか」
 ベルサイユのばら以外は、美奈にはついていけない話題ではあったが、恵と美貴のやりとりを見ていた裕子は、愉快そうに笑った。場が和んでよかったと美奈は思った。かつてのさくらのように、今は美貴がムードメーカーとしての役割を担っている。
 美奈は最近、さくらが女性の背中に彫った、ミュシャの『ダンス』を見せてもらったことがある。原画よりカラフルな色使いだが、ミュシャの雰囲気がよく出ていて、すばらしいと思った。美奈はミュシャの絵が好きだ。さくらはもう一人前のタトゥーアーティストだ。最近客が増えてきた。収入もオアシスでコンパニオンをしていたときには及ばないとはいえ、平均的なOLより、ずっと多いそうだ。来月発売の『タトゥーワールド』という専門誌で、“美貌の新進女性アーティスト”として、トヨと共にさくらが紹介される予定だ。
その号には、さくらが恵の背中に龍を彫っている写真が掲載されることになっている。取材のときには美奈もその場にいて、昨年の秋に会った、カメラマンの長谷川と再会した。タトゥーワールドの女性編集長、熊谷(くまがい)にも会った。熊谷には以前、タトゥーワールドで、美奈のタトゥーを二ページにわたって紹介させていただきたいという、挨拶の電話をもらったことがあった。熊谷は姉御肌の、さっぱりとした感じの女傑だった。今回もまた美奈のタトゥーが撮影された。さくらが彫った脚の龍や、胸の牡丹などの写真も掲載するという。
トヨとさくらが力をつけ、卑美子が産休、育休に入っても、二人で十分卑美子ボディアートスタジオの看板を背負っていくことができる。
「メグさんの背中、まだ半分ぐらいですね」 と美奈が尋ねた。
「うん。まだ少しかかるみたい。龍はかなり色が入ったけど、牡丹がまだ全然だしね。週一で三時間以上も施術を受けるのはけっこう辛い。早く完成しないかな。さくらも彫るのが早くなったけど、来月いっぱいはかかりそう」
「裕子も腰に大きな鯉入れちゃったし、あたしもまた、さくらに何か彫ってもらおうかな。さっき言ってたオスカルもいいね」
美貴も口を挟んだ。美貴は腰の蓮以外に、もう一つタトゥーを増やすつもりでいる。
 最初は暗い話題だったが、最後にはみんなが笑顔になった。
「裕子さん、お兄さんのことで、三浦さんから何か情報が入ったら、メールか電話しますね」
「お願いします。でも、三浦さん、すてきな男(ひと)ですね。とっても優しそうで、刑事さんだとはとても思えないです」
 一時間ほどで会合をお開きにした。美奈は恵と裕子を車で家に送った。美貴は今も原付で通勤している。明日(正確には今日)は裕子と美奈は公休日だ。盆の期間中、美奈が休みにしたのは、その日だけだった。

 翌朝、遅い朝食をすませてから、美奈は作品の補筆でパソコンに向かった。『幻影』は一応完成しているが、美奈は全体的に手を入れていた。入力ミス、変換ミスや、文法上の間違い、作品の中で矛盾した記述なども点検し、見つけたら修正している。完成したら、見せてほしいと北村弘樹が言っている。出来栄えがよければ、出版社や評論家に紹介してくれるそうだ。最初は仮題のつもりだった『幻影』も、使っているうちに気に入ったので、正式なタイトルにした。
 『幻影』は、千尋や繁藤の実際にあった事件をモチーフにはしているが、事実そのままではなく、大きく創作を加えてある。名古屋の繁華街、錦三のクラブに勤める、背中に大きな大日如来のタトゥーを入れた、如月美穂(きさらぎみほ)という女性が探偵役として活躍する。美穂は三歳で亡くなった美奈の姉の名前だ。姓を如月にしたのは、姉が生まれたのも亡くなったのも、二月だからだった。美奈は姉を作品の中で、元気に活躍させたかった。
 美奈は午後、『幻影』の原稿をB5のコピー用紙に両面印刷して、JR中央本線の神領駅近くのNという喫茶店に行った。CD-Rに焼いてもよかったが、印刷しておいたほうが、相手には便利だろうと思った。そこで最近知り合った高校生の河村彩花と待ち合わせをしていた。
 Nに着くと、彩花はもう来ていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「いいえ、私の家、このすぐ近くだし、それにさっき着いたばかりですから。まだオーダーもしていません」
「今日は私がおごるから、何でも好きなもの注文して。こう見えても、私、高給取りだから」
「え、いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて、フルーツパフェ頼んじゃってもいいですか? ここのパフェ、おいしいんです」
「はい、どうぞ。それなら私、マロンパフェにしようかな」
 二人はお互いのことを話し合った。彩花は少し前に、高校の部活動の研究で、奈良の方に行ってきたという話をした。卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかと言われる箸墓(はしはか)古墳の近くに行ったということも話題にのぼった。美奈は 「私にタトゥーを彫ったのは、卑美子先生というすてきなアーティストさんなのよ」 と話した。
 今年は一月に亡くなった彩花の父親の初盆だという。寺の娘である美奈は、盂蘭盆会(うらぼんえ)について少し説明をした。目連(もくれん)尊者と、餓鬼道(がきどう)に堕ちた母親の話だ。
美奈は彩花が自分とよく似ていると思った。登山も共通の趣味だ。まるで自分に妹ができたようだ。彩花は美奈のことを、作家としてのペンネームで未(み)来(く)さんと呼んでいる。オアシスでの源氏名でもあるが、改めて彩花から作家のペンネームである未来さんと呼ばれると、面はゆい気がする。同じミクという発音なのに、不思議だなと思った。しかしそれもすぐに慣れた。
 彩花と話していたら、あっという間に三時間が過ぎた。彩花に印刷した『幻影』の原稿を渡したら、とても喜んでくれた。原稿用紙に換算すれば、六〇〇枚を超える長編だ。彩花も自分が書いた短編、中編を五作、 「これ、読んでみてください」 と美奈に手渡した。
 美奈は車で家まで送ろうか、と言ったが、彩花は 「私の家、このすぐ近くですから。あのへんの、内津川(うつつがわ)のすぐ手前の家です」 と家の方向を指し示して、遠慮した。
「私の友達も未来さんに紹介したいんですけど、いいですか?」
「はい。いつでもどうぞ。私は週に二日ぐらい、休みを取れるので、またメールください」
 そう言いながら二人は別れた。

 その夜は三浦が美奈の家を訪ねた。そして捜査の状況などを、支障がない範囲で美奈に話した。もっとも、三浦は美奈を全面的に信頼しているので、わかったことはほとんど報告していた。
 大岩には小幡署の柳と戸川が張り付いている。今のところは、これといった動きはないようだ。仲間と直接会うこともしていない。もちろん、殺人予告されているので、護衛もしっかりしている。大岩も監視されていることを知っているので、うかつに動くこともないだろう。
 ただ、大岩は警察が詐欺グループの存在に気付いていることまでは、知らないようだ。警察は自分を殺人予告から護っているだけだと油断している。だから、いつかはボロを出すことを期待している。
 三浦は北村のことも美奈に話した。しかし北村が月に一度か二度、オアシスで美奈の接待を受けていることを考えると、三浦は少しばかり心が乱れる。美奈もそのことがわかるだけに、いくら仕事だとはいえ、心苦しい。やはり早くオアシスは辞めるべきかもしれない。
 オアシスを辞めると言ったときの、恵の涙を美奈は思い浮かべた。美奈が辞めれば、仲良し四人娘は、恵一人になってしまう。けれども恵は、美奈の立場をきちんと理解していてくれる。それに、新しい仲間もできた。恵も、長くてあと二年で、三〇歳前には今の仕事を辞め、新しい生活を始めたいと言っている。かなりお金を貯めたので、バーか料理屋、喫茶店などを買い取って、店でも開こうかと考えている。その場合は美奈も従業員として協力するつもりだ。
「美奈さんが言ったとおり、北村先生はやはり南木曽岳で、不思議な体験をしているそうですね」
「はい。そして、そのとき北村先生に『死ぬな』と呼びかけた霊が、今回の事件を起こしていると思うんです。その霊が、この前一緒に会った裕子さんのお兄さんじゃないか、と私は懸念しているんです」
「千尋さんがそう言っているのですか?」
「いいえ、千尋さんはそこまでは断言していません。ただ、怨恨を残して死んだ霊が関わっているのではないか、ということは言っています。たぶん私たちに先入観を与えないためだと思うんですが、私には裕子さんのお兄さんが、仲間の人たちに殺害され、復讐しているんじゃないかと考えているんです。私の勘でしかありませんが」
 千尋は何もかも教えてしまっては、美奈が自ら思案し、行動する力を失ってしまうのではないかと考えて、あまり美奈に干渉しすぎないようにしている。必要以上に干渉しすぎるのは、守護霊としての役目を果たすどころか、千尋に頼り切るようになり、逆に美奈をスポイルしてしまうことになる。それでもときどきヒントになることを教えてくれるのは、美奈にとってはありがたかった。
「そうですか。でも、霊が関係していることがわかっただけでも、北村先生を誤認逮捕せずにすむのでありがたいですが。もちろん捜査本部では霊の存在など認めるはずもなく、北村先生を逮捕するべきだという意見は根強いです。鳥居さんと僕がまだ確証がつかめない以上は逮捕は時期尚早だと、何とか押さえています。実際北村先生が事件に関与しているという具体的な証拠は、作品に名前が挙がっていること以外、全く見つかっていませんので」
「はい。北村先生は、事件には何の関係もないので、それ以外の証拠は見つからないはずです。私はそう思います」
「ただ、徳山、山下、佐藤の三人の名前を挙げたこと自体が、紛れもない証拠とされていますが。さらに大岩も実在していることがわかりましたし。まあ、この事件は霊が相手では警察はお手上げなので、詐欺グループ、大岩の側から攻めていくしかないでしょうね」
 結局今の段階では、これ以上のことはわからなかった。秋田との関係も、まだわかっていない。
 三浦はその晩も美奈のところに泊まっていった。









『幻影2 荒原の墓標』第23回

2014-06-20 19:57:05 | 小説
 車の冷房、ひょっとしたらコンプレッサではなく、リードという部品を変えれば直るかもしれないといわれ、期待して部品を取り寄せてもらいましたが、やはりだめでした。安い中古のコンプレッサが見つかるといいですが。
 まもなく新刊が出るので、わたしの本のチラシを作り直し、今日近所で300枚以上巻きました。
  クリックすると、チラシが拡大します。

 団地ではなく、一般の宅地なので、時間がかかります。
 終わった後、近くのスーパーにガリガリ君の梨があったので、買いました。
 私はガリガリ君は梨が一番好きです。
 

 今回は『幻影2 荒原の墓標』第23回です。

            
            

 大岩は警察にマークされたことを武内に報告した。自宅の固定電話や携帯電話は使わず、自宅から離れた公衆電話から連絡した。警察に見張られていることを警戒し、プッシュしたボタンが外からわからないよう、ボタンを身体で覆い隠した。大岩自身、他人がプッシュしたボタンを高倍率ズームのビデオカメラで撮影し、どこに電話をしたかを調べた経験がある。警察はそこまでしないだろうが、用心に越したことはない。
「おまえにしては、ドジを踏んだもんだな」
 受話器の向こうで、武内が非難した。
「すまん。警察も北村と接触する人物に目をつけていたようだ。その可能性も考えるべきだった」
 大岩は自分のうかつさを悔やんだ。
「まさか、俺たちのことは感づかれとらんだろうな」
「ああ、大丈夫だ。警察は俺のことを次の犠牲者候補として、警護してくれるようだ。ある意味、俺も安心だが。これでもけっこう殺人予告には怯えているんでな。見張られているので、当分は何もできんがな」
「しかし定職もなく、ぶらぶらしとっては、怪しまれるだろう? まさか詐欺カンパニーの事務所に出勤するわけにもいかんし。あそこを警察に目をつけられるのは、まずいがや」
 武内が不安そうに言った。
「俺は容疑者ではないので、あまりうるさくは訊問されなかったがな。仕事のことは、命が狙われているのが不安で、ここしばらくは仕事も手につかん、あんな小説を書きやがって、北村に損害賠償をしてもらいたいぐらいだ、と言っておいた。とにかく、北村を悪者にして、俺は善意の被害者を装っておいたが」
 大岩は武内の不安を拭い去ろうとした。ここはともかくあまり動かず、じっとしているほうがいいかもしれない。
「しかし、北村がなぜ俺たちの名前を織り込んだ作品を書いたんか? 北村の作品を利用して誰かがたまたま同じ名前の者を殺している、としか思われないが、それにしても俺たちのグループの名前が出ているのがわからん。ここまで一致していては、絶対偶然は考えられん。警察はもちろん、書いた北村本人も首をかしげているそうだ。前は秋田の線かと思っとったが、やはり詐欺に遭い、自殺したやつの家族などが復讐している、というのが最も考えられるな。それに北村も一枚噛んでいる。ということは、北村も俺たちの正体を知っているということになる」
 大岩は自分の推測を話した。
「それなら、北村は危険だな。ちょっと痛めつけて、バックに誰かいるのか、吐かせたろうか?」
 武内は北村を拉致することを提案した。
「だめだ。やつにも警察の監視がついている。それに、あいつもこの事件に噛んでいるのなら、俺たちのことはサツには話さんだろう。それから、おまえに頼みだが、もう俺たちの出来町(できまち)のアジトは、引き払ったほうがいい。俺はサツに目をつけられ、動けんで、あそこを始末してくれんか? 俺たちが残した書類等はすべて廃棄し、あの部屋のものは処分しといてくれ。書類はシュレッダーにかけて、絶対に再生できんようにしといてくれんか」
 学生時代、左翼運動に関わったことがある大岩は“アジト”という言葉を使った。
「ああ、わかった。そうするほうがいいようだな。その件は任せろ。証拠になるようなものは、すべて破棄する。指紋なども、きれいに拭き取っておくよ。もう俺とおまえの二人になってまったんだし、事務所はいらんからな」
 武内も事務所を残しておくことに不安を覚え、処理をすることを約束した。
「世話かけてすまん。頼んだぞ。それじゃあ、テレカの残り度数ももう少なくなったんで、そろそろ切るぞ。携帯にかけると、テレカの度数がどんどん減ってしまう」
 そう言って大岩は電話を切り、電話ボックスから出た。しばらくすると、後ろから、 「大岩さん、どこに電話してたんですか? 自宅にも電話があるし、携帯も持っているのに、わざわざ公衆電話で電話されるとは」 と問われた。振り向くと柳が立っていた。
「友達だよ。急に用事を思い出したんだが、あいにく携帯を忘れてね。俺は被疑者じゃないんだから、プライバシーは守ってもらいたいね」
 大岩は声が聞こえる範囲には誰もいないことを確認しながら小声で武内と話していたので、先ほどの会話が聞かれたとは思わなかった。
「ええ。善良な市民のプライバシーまで踏み込むつもりはありません。ただ、立て続けに殺人事件が起きているので、しっかり警護をしなければと思いましてね」
「事件は今まで、深夜にしか起こっとらんのだろう? 昼間からあまり付きまとわらんでくれ」
「それは申し訳ありませんでした。以後、気をつけます。しかし、昼は絶対安全だとも言い切れませんから」
 柳は謝った。しかし、柳は大岩を胡散臭いと思っている。北村弘樹の作品に名前が挙がった四人は、ひょっとしたら何かの犯罪グループに関係あるのかもしれない。だから大岩を善良な市民とは考えていない。
 捜査本部では、今回の一連の事件は、詐欺グループの被害に遭った人が、復讐しているのではないかという意見が多数派になりつつある。詐欺グループに生活資金のほとんどをだまし取られ、自殺したお年寄りもいるので、その家族、もしくは関係者の復讐だというのだ。
復讐者は大岩たちの犯罪を知っているのなら、なぜ警察に知らせてくれないのだろうか。個人的な復讐で人を殺すことは、犯罪でしかない。
 北村弘樹もそれに絡んでおり、犯人グループに恐怖感を与えるために、あえて殺人予告を行った、という意見も出ている。
 北村は詐欺グループに恨みを持つ者から示唆をされ、それが復讐に使われると知らずに、あるいは事情を知った上で自分の作品に名前を使ったのかもしれない。それが最も合理的な解釈だ。山下和男、佐藤義男両殺人事件の捜査本部は緊密に連絡を取り合い、改めて北村弘樹に事情を聞くことになった。

 鳥居と三浦は、北村弘樹のアパートを訪れた。まだ捜査本部は正式に合同していないが、二つの捜査本部が協力し合うこととなり、鳥居と三浦のコンビが復活した。
「やあ、刑事さん、また何かご用ですか?」
 三人はすでに顔なじみになっている。
「突然恐縮だが、いろいろな状況がわかってきたんで、また話を聞きたいと思ってな。今は仕事中かな?」
 鳥居が北村に尋ねた。
「いや、僕は最近すっかり夜型になって、執筆は夕方から始めます。今はぼんやりしている時間帯ですから、何なりとどうぞ。言ってみれば、今は瞑想タイムみたいなものです」
「それじゃあ、玄関先で立ち話も何だで、ちょっと邪魔するぞ。センセもここで警察と立ち話しとるとこを近所に見られては、世間体もわるいだろうしな」
「散らかってますが、どうぞ、お入りください」
 北村は仕事場に二人の刑事を招き入れた。机の上には、原稿執筆用の省スペース型パソコンが置いてあった。液晶モニターは27インチの大型のものが使用されている。外出のときには、小型のノートパソコンで原稿を打っている。データはUSBメモリーに入れて持ち運んでいる。
仕事場には、こぢんまりとした応接セットもある。散らかっていると言いながら、部屋は意外と片付いている。地元の新聞社の担当がときどき打ち合わせに来るので、部屋はそれなりに整頓してある。北村は東京の出版社のほかに、地元のブロック紙にも作品を連載している。
「コーヒーを淹れますから、しばらくお待ちください。いちおうインスタントではなく、粉からドリッパーで抽出しますので」
「あまり気を遣わないでください」
 三浦が遠慮すると、 「いや、僕が飲みたいんですよ。昼間はどうも頭がぼんやりしてるので、カフェインの刺激が欲しいのです」 と言って、コーヒーを淹れ始めた。
 北村は応接セットのテーブルに、コーヒーカップを三つ置いた。そして、ドリップ式コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを注(つ)いだ。三人はまずコーヒーをいただいた。
 美奈のように、あらかじめカップを温めておくというような配慮は北村にはなく、味も美奈が淹れたコーヒーに比べれば、大味な感じがした。それでもインスタントのものよりはうまかった。
 北村はたばこを吸っていいかを尋ねた。鳥居と三浦は喫煙しない。鳥居は妻と娘がたばこを嫌うので、喫煙をやめた。
「最近、ちょっと被害者(ぎやーしや)のことがわかってな。それでいろいろ訊きたいんだがや」 と鳥居が切り出した。
「最初の犠牲者の徳山久美と、二人目の山下和男は、どうやら詐欺グループのメンバーだったようだ。佐藤義男については、まだわからんが、たぶん同じグループに属しとったと思われる」
「被害者(ひがいしゃ)は詐欺グループだったんですか?」
 北村は驚いて尋ねた。
「そうです。そして、大岩康之もその一員と思われます。大岩は先生を監視していました。そこを職務質問し、事情を訊きましたが、現時点では大岩が詐欺グループの一員だったかどうかの確証は得られていません」
 今度は三浦が応えた。
「大岩が現れたのですか。僕を見張っていたのですね。全然気がつきませんでした」
「それで先生にとってはちょっと都合が悪いことになったんです。捜査本部では、先生が詐欺の被害者と組んで、詐欺グループの殺害に協力していたのではないか、と推測する者が出てきたのです。先生の作品に詐欺グループの名前を出したのは、彼らに復讐するため、恐怖感を与えるためだという」
「そ、そんな馬鹿な。僕はそんなことは全然知らない。あり得ない。彼らが詐欺グループだったことも知らないし、圧力を加えるために作品を利用して殺人予告を行ったこともありません」
 思いもかけない三浦の話を聞いて、北村はうろたえた。
「おみゃーさん、ちょっと立場がまずくなってまったがや。捜査本部では、その意見が大勢を占めとるんでな。確かにセンセはアリバイがあり、コロシには直接関わってはおらんがな」
「そ、そんなことを言われても……。ぼ、僕は何も知らないんだ。何もやっていない。そんな犯罪の片棒を担ぐなんてことは、いっさいしてません。警察も、僕の無実は認めてくれたはずですよ」
 北村はソファーから立ち上がり、後ずさった。
「以前は先生と犠牲者たちとの間に、何もつながりを認めることができなかったので、先生をシロとみていましたが、犠牲者が詐欺を働いていたという状況が明るみとなり、警察としても、事態を見直さざるを得なくなってきたのですよ。本来なら、先生には署まで任意出頭をしてもらい、事情聴取させてもらわなければならないんです」
 三浦は事態が深刻であることを説明した。
「そんな馬鹿な。さっきも言いましたが、本当に僕は何もしていないんだ。作品だって、誰かに相談したことはない。完全に自分自身の創作なんです。登場人物の名前も」
 北村は取り乱して、強い口調で言った。
「まあ、そう興奮しやーすな。ほかのやつらはともかく、俺とトシは、おみゃーさんの無実を信じとるでな」
 鳥居が北村をなだめた。
「本当ですか? 信じてもらえるんですか?」
「ええ。ただ、先生の立場が厳しいことは確かです。捜査本部では、ほとんどの者が先生は加害者と関係があると睨んでいます。予知能力がある超能力者でなければ、三件もの殺人事件を的中できるはずありませんからね」
「そこなんですよ。書いた僕自身、不思議でしょうがないんです。自分でも予知能力があるとは、思ってないし。占いだって、よく知りません」
「そこで、警察としてこんなことを言うのはおかしなことですが、この事件は心霊現象が絡んでいると僕個人としては考えているんです。もちろん科学警察がこんなことを認めているわけではなく、あくまでも僕一個人としての考えなんですけどね」
 三浦は警察の一員としては、事件に霊が絡んでいるということは考えたくなかった。しかし、北村が犯行とは無関係なら、北村は超能力者としか考えられない。警察が超能力など信じるわけにはいかなかった。
 捜査本部では、これまでも北村弘樹は、殺人実行犯ではないが、犯人と何らかの関連を持っているという意見が根強かった。だが、北村のアリバイは完璧だし、いくら捜査しても、被害者とは何の関連も見いだせなかった。それに徳山久美の事件は、もう犯人が捕まっている。犯人の山岡は北村とは全く面識がないし、作品を読んだこともないと証言している。それで捜査本部は、北村を灰色だと認識しながらも、事件との関連の確証を持てなかった。
 ところが、連続殺人の被害者たちのうち、徳山と佐藤が詐欺グループとしてのつながりがあるということが判明し、殺人予告された四人はそのグループのメンバーではないかと疑われるようになった。彼らの犯行の被害者も何人か見つかった。中には自殺者も出ている。それで、北村は詐欺の被害者と何らかのつながりがあり、復讐に荷担しているのではないか、という意見が大勢を占めるようになった。
 鳥居も三浦もそう考えていた。しかし美奈から、今回の連続殺人事件には、強い怨念を持った霊が関与しているという情報がもたらされた。捜査本部としては、取るに足らない話だ。それでも橋本千尋と繁藤安志の事件で、今は美奈の守護霊となっている千尋からの霊界通信で事件を解決したという事実があった。鳥居も三浦も、そのことは否定できなかった。
「それで、変なことを伺いますが、先生は最近、何か不思議な体験をしたことがありませんか?」
 三浦は美奈から、北村が南木曽岳で不思議な声を聞いたことを聞いていた。それがすべての始まりではないかと美奈は推測した。
 美奈はオアシスの客のことを外で話すことは決してしないが、北村のことだけは、事件と関係がありそうなので、三浦に話していた。
「そうですね。そういえば、去年の一〇月の末でしたかね。南木曽岳で不思議な声を聞きました。実を言うと、その頃の僕は、作家として行き詰まって、自殺しようとしていたんですよ。南木曽岳中腹の深い森林の中で、夜中に睡眠薬を飲んで自殺しようとしていたところ、『死ぬな』という声が聞こえてきたんです。聞こえた、というより、頭に響いたというか。それで僕はもう一度やり直す気になり、寒い夜を何とかしのいで、翌朝下山しました。そのあと自費出版した作品が、昔のなじみの評論家に評価され、再デビューとなったんですが」
 その作品が『鳳凰殺人事件』だ。その中で徳山久美という登場人物が殺されている。そのモデルは美奈だった。登場人物が背中に鳳凰のタトゥーを背負っているということも、実際に起こった事件と一致していた。
「その本は、ひょっとしたら、そのとき僕に声をかけた悪霊が書かせたのかもしれません。そのあとに出した『荒原の墓標』も。悪霊は僕を利用するために、死なせたくなかったのでしょうか? 本が売れたのは、僕の実力ではなく、悪霊のなせる業(わざ)だったのかもしれません」
「いや、そんなことはない。その悪霊は、センセを利用はしたが、本が売れたのは、おみゃーさんの実力だがや。だいたい幽霊がベストセラーなんか、書けるわけないがや。ゴーストライターなんていうけどな。捜査本部としては、おみゃーさんをマークしとって、厳しい状況だが、俺とトシはおみゃーさんを信じとるでな。負けとってかんぞ。悪霊が絡んどるといっても、事件を起こしたのは人間だで、きっと犯人を捕まえて、おみゃーの無実を証明したるでな」
 鳥居が落ち込んだ北村を勇気づけた。北村は、むっつりした威圧的な外見に似合わぬ鳥居の優しさに触れ、改めて感激した。
「ただ、いくら僕たちが先生を信じているといっても、厳しい状況には変わりありません。警察には霊に操られたといっても、通用しませんから。今は確たる証拠がないから、逮捕しないでいるだけです。先生には監視がつきますが、決して逃げようなどと思わないでください。そんなことをすれば、即逮捕の口実となりますから。我々が真犯人を見つけるまでは、自重してください」
「わかりました。刑事さんたちを信じ、早まった行動を慎むようにします。だけど、いくら犯罪を犯した人は普通の人間だとはいえ、悪霊がらみの事件に警察は対処できるのですか?」
 北村は不安そうに疑問を口にした。
「そのへんは心強い神霊関係の顧問がいますから。もちろん警察で正式に認めているわけではありませんけどね。最近もその顧問の活躍で、二つの事件を解決しています」
 三浦は冗談っぽく笑いながら応えた。刑事たちはその後しばらく北村と事件関係の話をした。もちろん北村は事件のことに関しては、全く知らないの一点張りだった。秋田宏明とも全く面識がないとのことだ。
 三浦にしても、もし北村が言っていることが本当ならば、いくら北村をマークしたところで、無駄でしかないと思っている。それより、人間サイドの犯人が必ずいるはずなので、そちらのほうの捜査を進めなければならない。山下和男事件の小幡署、佐藤義男事件の篠木署共に、交友関係の調査、現場の聞き込みや残留物の調査、そして捜査二課と協力して詐欺事件の調査など、鋭意捜査を続けている。
 山下和男の件は、事件発生時の豪雨で、目撃者も見つからず、証拠物件などが洗い流されてしまい、捜査も行き詰まったかの感がある。しかし必ず犯人を捕まえてやると三浦は改めて決意した。北村の無実を証明するには、それ以外にないであろう。
 鳥居が別れ際に、余計な疑惑を招かないためにも、居所をはっきりさせておくよう、釘を刺した。北村は明日、明後日は盆だから、墓参りで実家に行くと答えた。実家は名東区にあるとのことだ。
「そういえば、巷(ちまた)ではもう盆休みだな。早いもんだ。俺たちには盆も正月もあってないようなもんだがや」
 鳥居が事件でばたばたしているうちに、もうそんな時季になってしまったのかと、感慨深げに呟いた。


『幻影2 荒原の墓標』第22回

2014-06-14 00:28:05 | 小説
 今年の梅雨は、東日本は大雨ですが、私が住む東海地方はあまり雨が降っていません。狭いと言われる日本ですが、地域の差が大きいですね。日本は思った以上に広い国なのかもしれません。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』の第22回です。昨日掲載する予定でしたが、気分が優れず、昼間、ずっと寝ていたので、日にちが変わってしまいました。
 今回、第4章に入りました。事件が大きく動いてきます。


       第四章 姉と妹


            1

 翌日の午前中に、美奈と裕子は小幡署の捜査本部に行った。二人は一〇時半に大曽根駅で待ち合わせた。小幡署での約束は一一時だった。美奈も裕子も午後三時半から、オアシスで勤務があるので、午前中に会うことにした。
 大曽根駅は、JR中央本線、名鉄瀬戸線、地下鉄名城線、そしてガイドウェイバスゆとりーとラインの駅が集まる、名古屋でも有数のターミナル駅だ。美奈は裕子に駅の北側の環状線に出てもらい、車で拾った。美奈は瀬戸街道に出て、車を小幡署に走らせた。裕子はタトゥーが見えないように、暑い季節ではあるが、手首まで隠れる長袖を着て、さらにリストバンドを着けた。ふだんはタトゥーがちらりと見えてもあまり気にかけないが、警察署なので気を遣った。
 小幡署では、三浦とその相棒の柳刑事が対応した。裕子が初めて警察署に行き、かなり緊張しているので、できれば刑事は三浦一人だけのほうがよかったのだが、警察組織として、そうもいかなかったようだ。柳は四〇歳ぐらいの、見た感じは物腰の柔らかそうな刑事だった。いきなり鳥居のような威圧感がある刑事が対応したら、裕子はおびえて何も言えなくなってしまうかもしれない。場所は殺風景な取調室ではなく、会議室を用意してくれていた。
「あなたが秋田裕子さんですね。今日はわざわざお越しくださり、ありがとうございました。私(わたくし)は三浦、そしてこちらが柳刑事です」
 三浦はまず自己紹介をした。紹介された柳は笑顔で会釈をした。裕子は(あ、この刑事さん、前にオアシスで会ったことがある。この人が美奈さんの彼氏なのかな)と三浦のことを思い出した。繁藤が殺害された事件で、美奈のアリバイの裏付けを取りに来たときだ。そのとき、かっこいい刑事さんだな、という感想を抱いた。それで、裕子の緊張も少しほぐれてきた。
「話は美奈さんから少し伺いましたが、秋田さんから詳しくお話しいただけませんか?」
 裕子が何から話してよいのか、迷っているところに、女性警官がお茶を持ってきてくれた。
「さあどうぞ。秋田さんは被疑者ではないから、指紋を採るなんて野暮なことしませんので、気楽にやってください」
 三浦は冗談を交えながらお茶を勧めた。裕子はお茶を一口飲んだ。少し気持ちが落ち着いた。
「実は、昨日おおやまさんと名乗るお客さんが来ました」 と裕子は語り始めた。そして美奈と話し合った推理などを二人の刑事に伝えた。裕子はソープランドという言葉を使わず、一般の接待業のように話した。ただ、リストカットとタトゥーのことは、事情を説明する上で、話さざるを得なかった。
「なるほど。そのおおやまという人が大岩かもしれないということですね」
 三浦は美奈と裕子の推理にも一理あると思った。
「はい。そのおおやまさんという人は、兄を知っているみたいなんです。知っていたのは昔のことで、今はどうなっているかわからないと言っていましたが、きっと兄がどうなっているか、知っていると思うんです」
「そうですね。その人物が大岩なら、この一連の事件を解く鍵を握っているかもしれません」
 そして三浦は裕子から、そのおおやまのおおよその年齢や人相の特徴などを聞き出した。話を聞きながら、三浦はおおやまの似顔絵を描き、目や鼻、口の特徴などを文字でも書き込んだ。裕子も三浦の脇に来て、 「ここはこんな感じです」 と、その似顔絵に加筆したりして、何度も描き直した。完成した絵は、さくらのようにうまく描けていないとはいえ、裕子は 「だいたいの面影は出ています」 と請け合った。
「さっそくその人物を探し出し、マークします。お兄さんのことも聞き出せるでしょう。お兄さんのことがわかれば、至急ご連絡します。貴重な情報を提供くださり、ありがとうございます」
 三浦は丁重に礼を言い、さっそく大岩を探し出すことを裕子に約束した。
美奈と裕子が帰ってから、捜査本部は対応を検討した。そしてしばらく北村弘樹を監視することになった。もしおおやまが大岩なら、また北村を監視するだろう。北村を監視している者がいれば、職務質問をするか、または尾行する。もしそれが大岩ならば、次のターゲットかもしれない大岩を保護する必要もある。
 捜査本部の倉田警部が、三浦と柳に北村を監視する任務を命じた。

「昨日、北村を尾行して、秋田の妹に会った」
 大岩はストリームを走らせながら、助手席の武内に言った。
「秋田の妹にか? よく捜し出したものだな。さすが詐欺師だ。この際、探偵にでもなったらどうだ? 客の秘密を暴き出し、おいしい獲物がいれば、そいつを逆に恐喝できるぜ。しかしそれじゃあ、悪徳探偵だな」
 武内は先日、興信所に依頼するのか、と大岩に訊いたとき、下手すれば、逆に恐喝されるぞと注意されたことを思い出し、冗談めかして言った。
「北村が行ったソープランドで、リサという名前でソープ嬢をやっとった。俺は偶然秋田の妹に当たったんだが。少し話をしてみたが、秋田が死んだことは知らんようだ。それにしても、その女、すごいいれずみをしとったな」
 大岩は武内のつまらない冗談には応えず、秋田の妹のことを話した。
「ほう、いれずみを。おまえもいい思いをしてきたんだな。俺も秋田の妹に会いに行ってみるか。そのいれずみを、俺も拝んでみたくなった。そのソープ、何という店だ?」
「オアシスという店だ。でもやめとけ。余計なことをして、万一疑惑を持たれてはやぶ蛇だ」
「それもそうだな。しかし、秋田の妹は、秋田が殺されたことを知っとって、しらばっくれてたんじゃないか?」
「いや、そんなことはない。あの反応は、芝居なんかじゃなかった。兄貴のことは全然知らんようだ。秋田の妹は容疑者から外してもよさそうだ」
 大岩は裕子は無関係だと断定した。
「俺はもう少し北村を張ってみる。ひょっとしたら何かつかめるかもしれんからな。何かわかったら、また連絡する」
 大岩は次の魔手はすぐそこまで迫っているかもしれない、急がねば、と焦る気持ちを抑えようとした。

 翌日、武内は大岩が話していたリサというソープレディーに会ってみたくなり、オアシスに行った。大岩には余計なことをするなと釘を刺されたが、大きなタトゥーをしているという秋田の妹に興味を抱いた。武内は事前にオアシスに電話して、リサの出勤を確認し、予約を取った。

「ご指名ありがとうございます。リサです」
 リサは武内と腕を組み、個室に案内した。
「お客様、どなたかの紹介で私を指名してくださったのですか?」
 リサは武内に尋ねた。武内は初めての客だった。誰かに紹介してもらったか、それともオアシスのホームページの写真を見て予約してくれたかだろう。
「ああ、知り合いからあんたのことを聞いた」
 リサはひょっとしたらその知り合いとは、おおやまじゃないかと考えた。もしそうなら、この客も兄のことを知っているかもしれない。リサはそのことを訊きたかったが、客のプライバシーには触れないという職業意識のほうが勝り、尋ねなかった。
 武内は背中に大きな不動明王の彫り物をしていた。自分の身体にもタトゥーを入れているリサではあるが、武内の不動明王には思わず目を見張った。
「驚かせてすまんな。俺は昔やくざをやってたんだ。それでこんなもんもん背負ってまったが、今は足を洗い、組は辞めている。怖がらないでくれ」
 武内はリサに詫びた。武内の背中の不動明王は、卑美子や殺鬼の兄弟子にあたる三代目彫波の作品で、見事な出来栄えだった。
 彫波は優れた弟子には“彫波”の名前を与えている。四代目彫波を襲名するに相応しい者は卑美子だということは、一門の誰もが認めるところだ。しかし、女性の弟子が大成した場合は、暴力団との縁を切らせるため、名目上は破門にするので、原則女性彫り師に“彫波”を名乗らせることをしていない。それで、彫波は卑美子には敬意を表し、本来卑美子に与えるべき四代目は欠番とし、次の継承者は五代目彫波とすることを決めている。
「大丈夫です。私もタトゥーを入れてるし、友達もしてるので、見慣れてますから」
 リサはあえて平静を装った。
「しかしあんたも女にしては、けっこう大きくやったもんだな。まあ、今は女でも背中一面に大物を入れるやつもいるんで、そんなに珍しくはないが。でもどうして彫り物なんか彫ったんだ?」
 武内に尋ねられ、リサはタトゥーでリストカットの傷を目立たなくして、忌まわしい過去を吹っ切りたかったという話をした。
 これからいよいよ核心のサービスに入ろうという矢先、武内は 「ああ、この先はもうやらなくていい」と断った。
 最も大切なサービスだというのに、自分から断るなんて、どういうことだろうとリサは不審に思った。それではわざわざ高い料金を支払って、ソープランドに遊びに来る価値はない。オアシスは比較的料金が安い大衆店とはいえ、一度遊べば二万円は散財する。
「俺にはちょうどあんたぐらいの妹がいる。今年二三になる。容姿もあんたによく似ている。どうも妹を思い出してしまうので、妹を抱く気にはならん。時間まで、話でもしよう」
 武内はそう理由を語った。リサは時間終了まで、ベッドに腰掛けて武内と話していた。客に対して、あまり自分のことを語ることはないのだが、なぜか武内にはいろいろ話してしまった。武内はあまりしゃべらず、リサの話の聞き役に徹した。
「失恋からこの仕事に就いたようだが、あまり自暴自棄になるんじゃないぞ。自分の身体を大事にしろよ。無理するな」
武内は別れ際、リサに忠告した。それには兄が妹をたしなめるような温かさがあった。
 元やくざで、背中に大きな彫り物があるのに、武内は悪い人とは思えなかった。リサには優しかった。リサはなぜか兄と一緒にいるような錯覚を抱いた。武内は兄よりずっと大きな体格で、年齢も上なのに。武内がリサによく似た妹がいると言ったせいだろうと、リサは考えた。
 リサはまた武内と話してみたいと思ったが、武内はもう二度とオアシスには来なかった。

 三浦と柳は、裕子の話を聞いた日から、北村が住んでいるモルタル塗りのアパートを見張ることになった。北村の部屋は二階にある。
 最初の日はこれといった人物は現れなかったが、翌日、昼ごろから、帽子を目深にかぶり、サングラスをかけた不審な男が現れた。二人の刑事はしばらくこの男を観察していた。その男はあまり長いこと同じ場所でじっとしていては、近所の人に不審がられるので、ときどき場所を変えたりしている。北村が住むアパートの前には、喫茶店や書店など、目立たないように見張れる店がない。そんな中での張り込みは、なかなか大変だった。しかしそれは刑事たちにとっても同じだ。それでも男は常に北村の部屋を見張れる位置にいる。長時間誰かを監視しているという行動は、挙動不審者として、警察官職務執行法第二条により、質問を行う正当な理由になると判断し、三浦と柳は、この男を職務質問することにした。
 二人は男に近づき、まず年長の柳が声をかけた。
「ちょっとすみません、あなた、さっきからずっとここで何をしているんですか?」
「何だ、おまえたちは。公道で何しようが、俺の勝手だろう?」
男は警戒しながら応えた。
「私たちは警察の者ですが、近所の人が、変な格好をした人がうろうろしているので、気持ち悪いと言っているのですが。ここで誰かを待っているんですか?」
 柳が身分を明かして、さらに尋ねた。近所の人が気持ち悪いと言っている、というのは、口実である。
「いや、別に、ただこのへんをちょっと歩いているだけだが、それが何か法律でも犯しているのかね?」
「このへんをちょっと歩いているだけの人が、なぜ帽子やサングラスで素顔を隠す必要があるのですか? 誰かを監視でもしているのですか? 失礼ですが、ちょっと事情を聞かせてもらえませんか」
 柳が重ねて尋ねた。顔には、裕子に聞きながら三浦が描いた似顔絵の特徴を備えている。その間に三浦は男の後ろに回り込み、万一逃走した場合に備えた。
「あなた、ひょっとして作家の北村先生に用事があるんではないですか?」
 柳が具体的に切り込んだ。
「え、ええ、まあ、私は北村先生のファンでしてね。ちょっとお会いしたいと思っているんですけど、なかなか先生のお部屋まで行く勇気がないので、ここで躊躇していたんですよ」
 男は刑事の話に合わせようとした。ファンが直接訪ねる勇気がなく、住居の前でためらっていることは何ら不思議なことではない。
「それなら、私たちは北村先生と面識があるので、一緒に行きませんか?」 と柳は促した。
「いえ、別にそれほど会いたいというわけでもないし……。また出直すことにします」
 男はその場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってください。あなたはひょっとしたら、大岩康之さんではありませんか?」
 男の後ろにいた三浦が話しかけた。自分の名前を呼ばれ、男はその場から駆けだした。それを予想していた三浦は素早く男の腕をつかんだ。
「は、放せ! 俺は何もわるいことはしてないぞ。警察だって、俺を拘束する権利はないはずだ」
「いや、別に拘束するつもりはありません。あなたが大岩康之さんなら、ちょっと事情を聞きたいと思っているんです。場合によっては、あなたを護衛する必要があるかもしれませんし。あなたも殺人予告をされているんですからね」
「俺は大岩なんかじゃない。職質はあくまで任意であって、強制はできないはずだ」
「職質で逃げ出した場合は、逮捕の理由になるんですよ。ここでは何だから、近くの桜山署でちょっと話を聞かせてください」
 三浦にがっちりつかまれた男は観念した。

 桜山署の一室を借り、男への事情聴取がなされた。男は自分が大岩であることを認めた。大岩は確かに詐欺や強盗など、警察に知られてはまずいことをしている。自分が手を下したわけではないが、宝石店に忍び込んだとき、警備員に見つかり、やむなく殺してしまった。仲間の秋田宏明もリンチで死なせている。また、自分たちの責任ではない(と大岩は都合よく考えている)とはいえ、詐欺に遭い、老後の生活資金を奪われた老人の何人かは自殺している。
 だが今は、自分はまだ何の容疑者でもないので、深く追及されることはあるまいと考えた。これまで働いてきた詐欺などでは、まだ尻尾はつかまれていない。指紋を残すようなへまはしていないから、照合されても大丈夫だ。ここは殺人予告におののく一般市民を装ったほうが得策であろうと頭の中で計算した。無理に逃げたりして、厳しく追及されては不利になる。それで、このまま訳もわからず殺されるのをじっと待っているのは我慢ならないので、北村弘樹を見張っていれば、犯人の手がかりがつかめるのではないかと考えた、と主張した。
「なるほど。北村先生と犯人が接触するかもしれないと思い、北村先生を見張っていたわけですね。それで、これまで何かつかめましたか?」
 大岩の話を聞いていた柳が尋ねた。
「いや、まだ何も。俺も北村弘樹を見張ることを思いついたのは、つい最近のことでね」
 大岩は一昨日、オアシスまで北村を尾行し、秋田裕子に出会ったことは言わなかった。三浦と柳は現在行方不明になっている秋田宏明との関係を尋ねたかったが、あえて今は訊かなかった。

 少し前に、四月に殺された徳山久美について、篠木署に一件の情報が寄せられた。老後の生活資金として蓄えたお金の一部、五〇〇万円を詐取されたという事件の被害者からだった。そのとき訪れた区役所の職員と名乗った女性が、徳山久美に似ているという情報だ。詐欺に遭ったお年寄りは目が悪く、新聞やテレビのニュースをあまり見ないので、殺された女性が自分をだました女だとは気付かなかった。たまたま娘が持ってきてくれた、自分の菜園で穫れた野菜を包んだ新聞紙に、殺人事件の被害者として、久美の写真が載っていた。それを見て、お年寄りは少し感じを変えてはいるが、その女性が自分をだました女だと気がついた。それで娘が、お年寄りが住む地域の交番に、その新聞の女が母からお金を詐取した犯人の一味だと通報した。その件は詐欺事件を扱っている県警の捜査二課に連絡されたが、徳山久美の事件を取り扱った篠木署にも報告が入ったのだった。
 捜査二課と篠木署がほかに同じような被害がないかを調べたところ、徳山久美が関係したと思われる事件が他に見つかった。女は変装をしていたので、殺された徳山久美だとはすぐには気付かなかったが、そう言われてみると、感じがよく似ている、とのことだ。その詐欺事件には、男も一緒だったので、山下和男や佐藤義男の写真を見せると、被害者の一人が 「ちょっと感じを変えていたが、その男はたぶん山下だと思う」 と証言した。佐藤のことはまだわからないが、一連の殺人事件の被害者は、詐欺グループの犯人としてのつながりがあるのではないかと思われる。
 山下と佐藤の自宅を捜索したが、これといった物証は見つからなかった。だが、二人とも預金通帳にはかなりの残高が残っていた。そして入金されていた時期がほぼ一致するのだ。また入金された時期も、詐欺に遭ったという届け出があったころに近い。これは山下と佐藤がつながっていた、状況証拠にはなる。自宅の近所の人たちに聞き込みをすると、どこかに勤めていたようだが、具体的にどんな会社だったのかは知らないと応えていた。佐藤がかつては剛健と名乗り、格闘技の選手をしていたことを知っている人もいたが、怖くて話しかけることができず、引退してから何をしていたのかは知らないとのことだった。どこかに詐欺カンパニーの事務所のようなものを作り、そこに“通勤”していたのかもしれない。その事務所(?)を見つけることも捜査方針の一つに入っていた。
篠木署と小幡署は密に連絡を取り合うこととなった。
 大岩も秋田も、その詐欺グループの一員である可能性がある。とはいえ、まだ大岩が詐欺グループの一員だという証拠が何もないので、今は事情聴取する段階ではない。預金通帳を見せるように強制することもできなかった。だから大岩に警戒させないためにも、秋田のことも今は伏せておくことにした。特に秋田はまだ北村の作品にも名前が挙がっていない。警察がそこまでつかんでいることは、隠しておきたい。あまり早く警察の持ち駒を見せるべきではない。それに、もし秋田のことを尋ねても、裕子に言ったように、以前の知り合いであって、今はどうなっているか知らない、とかわされれば、それ以上追及できなくなる。必要以上に備えを固めさせるだけだ。表面上は、大岩は事件の次のターゲットとなっているかもしれない、善良な市民として扱うことになった。
「大岩さん、これまで、北村弘樹氏の小説で、徳山久美さん、山下和男さん、佐藤義男さんの三人が殺人予告され、その通り殺されてきました。こんなことを言うと気をわるくされるかもしれませんが、大岩さんもその予告された一人です。そのことについて、何かお気づきのことはありませんか?」
 柳が尋ねた。
「いや、何も知らん。北村弘樹の小説で、俺の名前と一緒に予告され、ほかの三人が殺されてしまったんで、俺も正直怖い思いはしているが、何で俺がその三人と一緒に予告されたのか、全くわからん。俺もそれを知りたいところだ。ひょっとしたら、同姓同名の他人のことかもしれんし。警察では北村のことを調べたんだろ? 何かわかったことがないのか?」
 大岩は逆に質問した。
「もちろん、警察では北村先生を徹底的に調べました。しかし、アリバイは完璧で、犠牲になった方との関連も見つかりませんでした」
 徳山久美と山下和男の事件に直接関わった三浦が質問に答えた。
「三件ともアリバイが完璧、というほうが、むしろおかしいんじゃないか? もし俺が容疑者だったとしたら、そのうち二件は何とかアリバイを証明できても、他の一件は一人で家におったんで、アリバイがない状態だ。推理物では、アリバイが完璧な者が犯人だった、ということもよくあるじゃないか」
「あくまで推理小説と現実とは違いますよ。アリバイを証言した人は、信頼が置ける人たちですし、警察を完全にだませるようなトリックをそうそう思いつけるものではありませんよ。たとえ北村先生がプロの推理作家だといっても。それに最初の事件の犯人は、もう捕まっています」
 三浦は第二の事件で北村のアリバイを証言した、美奈の顔を思い浮かべた。
「それは北村が雇った殺し屋じゃなかったんか? そのあとの事件では別の殺し屋を雇ったとか」
「徳山久美さんの事件の犯人を厳しく追及しましたが、北村先生のことは全く知らないし、会ったこともない、ただあのときはむしゃくしゃして、急に人を殺したくなり、衝動的に殺した、とのことでした。北村先生が殺し屋を雇うということは、そのリスクを考えても、あり得ないと思いますよ。小説に出てくるような、プロの殺し屋など、まず存在しません。下手に暴力団を雇えば、逆に骨の髄までしゃぶられる危険性もあります」
 確かに徳山久美の事件は、衝動的な通り魔事件だった。だから、後の二件の事件とは、何のつながりもないことになる。そのへんが連続殺人を疑うネックだといえた。
しかし、徳山久美と山下和男が詐欺グループの仲間である可能性が指摘され、ひょっとしたら佐藤義男、大岩康之とも関連があるのではないか、という意見も捜査本部では出てきた。その意味では、やはり連続殺人事件としてのつながりが考えられる。そして現在行方不明になっている秋田宏明も。
 三浦は美奈から、怨念を抱いた霊がらみの事件の可能性があると聞いた。このことは現在佐藤義男の事件に従事している、篠木署の鳥居にだけ話しておいた。三浦も鳥居も半信半疑とはいえ、以前、橋本千尋、繁藤安志殺害事件に関し、今は美奈の守護霊となっている千尋の協力があったことは、認めざるを得なかった。
 しかし怨霊が絡んでいるということになると、警察では手が出なかった。まさか警察が怪しい霊能者や新興宗教団体に依頼するわけにはいかない。犯人はあくまで人間サイドで追及していく必要があった。
「それでは、徳山久美、山下和男、佐藤義男の三人のことは、本当に知らないんですね?」
 柳がさらに念を押した。
「知らないね。いったいその三人は、どういうやつなんだ? まあ、俺とは関係ないとはいえ、北村弘樹の小説で、一緒に殺人予告をされたというところが、気に食わん」
「知らないならまあいいですが。ところで、あなたは殺人予告をされています。警察では、あなたの護衛なども考えていますので、連絡先を教えてもらえますか?」
「いや、自分の身は自分で守る。俺は容疑者でも何でもないんだろ? 北村を見張っていたのも、自分自身の身を守るためだ。そんなことでは軽犯罪法違反にもならんはずだ。住所や電話番号を教えなければならん義務はない」
「しかし、現に予告された三人は殺されている。あなたもかなり危険な状態だと思う。まあ、狙われているのは、同姓同名の別人という可能性もないとはいえませんが。できればあなたの身辺に刑事を忍ばせ、あなたを守りたいのですがね。それとも、連絡先を教えるのに、何か不都合があるのですか?」
 柳に詰め寄られ、大岩は焦った。そして考えを巡らせた。
(もしここで拒否しても、警察の組織力なら、いずれ俺の住所を見つけ出すだろう。頑強に拒絶をすれば、怪しまれるかもしれない。俺だってすねに傷を持つ身だ。いらぬ容疑は招かないようにするに越したことはない。それに、やはり俺を狙っているやつがいるようなので、警察に守ってもらったほうがいいかもしれん。いざとなればどこかに姿をくらませばいい)
 そう結論づけた大岩は、住所と自宅の電話番号を柳に伝えた。その電話番号は、電話帳に載せていなかった。柳は運転免許証の提示を求め、その住所が免許証のものと一致していることを確認した。