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売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『幻影2 荒原の墓標』第31回

2014-08-15 12:40:08 | 小説
 台風12、11号襲来以来、梅雨のような天気が続きます。
 もう8月も半分が過ぎました。天気予報ではしばらく不安定な天気が続くようです。
 夏は終わってしまったのでしょうか?

 今回は『幻影2 荒原の墓標』31回目の掲載です。


            2

 美奈を通して、裕子に悲報がもたらされた。実家には上松署から連絡が行った。母親は宏明の死を聞いてふさぎ込み、外に出る気力も失ってしまったので、上松署には父親が向かった。
 DNA鑑定を行うまでもなく、遺体の歯の治療歴から、遺体は秋田宏明のものと確認された。裕子はしばらく休暇を取り、いなべ市の家に帰った。
 葬儀は家族だけで行われた。遺体は上松で荼毘に付され、父親が遺骨を持ち帰った。父親は息子が二年前から失踪し、さらに殺害されていたということで、とても恥ずかしくて世間に顔向けできないと、告別式を出さなかった。詐欺グループの一員としての疑惑もある。
 美奈たちにも告別式は行わない旨、裕子から連絡が入った。上松署から刑事が来て、いろいろ質問されたそうだ。
 晩夏とはいえ、まだ暑い時季に長袖の服を着ていることを怪しまれ、結局裕子のタトゥーは両親に知られてしまった。そして食品会社を辞め、ソープランドに勤めていることも告白した。茶色に染めた髪は、元のように黒く染め直すよう、父親に命じられた。
 家族での密葬が終わって一段落した段階で、裕子は父親からさんざん叱られたそうだ。秋田家は地元では名家として通っているのに、その娘がいれずみをしたり、売春まがいな行為をしていたとは、どういうつもりなのかと責められ続けた。父親から、もうおまえはうちの娘ではない、とっとと出て行けと宣告された。しかし母親が必死に裕子をかばってくれ、何とか勘当は免れたと、裕子から電話があった。
 美奈も半年ほど前、繁藤の事件で週刊誌などに書き立てられたことで、美奈がやっていることが兄に知られ、同じような苦労をしている。だから裕子の気持ちが痛いほどよくわかった。裕子がタトゥーを入れた原因の一つに、自分があると思うと、美奈は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「そんなことないですよ。タトゥーを入れたのは、あくまでも自分の意志だし、それで私は強くなれたんです。いやな過去を振り切ることができて。私がオアシスに勤めたのは、美奈さんとは何の関係もないことです。それより、そのおかげで、私も素晴らしい友達が得られたのだから、むしろ感謝しています。だから、美奈さんは全然気にする必要ないですよ。
 それより、ひょっとしたら、私、もうオアシスには戻れないかもしれないので、そのほうが辛いです。少なくとも、当分は名古屋に戻れません。でも、どんなことがあっても、美奈さんとは親友ですよ。メグさんも、美貴さんも。それから、さくらさんも」
 本当に裕子は強くなった、と美奈は思った。兄の遺体が見つかったという報を受けても、気丈に耐えていた。以前の裕子なら、父親にソープランドに勤めていることがばれ、怒鳴られれば、それだけで精神的に折れてしまったことだろう。以前のように鬱状態となり、当分は立ち上がることもできなかったかもしれない。

 恵と美貴も裕子から連絡を受けており、裕子のことを心配していた。勤務が終わってから、三人はなじみのファミレスで話し合った。
「大丈夫ですよ。裕子さん、きっとこの試練、乗り越えられると信じています」
 裕子のことを心配する恵と美貴に、美奈は断言した。美奈はそう信じている。
「そうね。私たちが裕子を信じてやらなくちゃ。ほんとに裕子、強くなったんだから。美奈のように」
「美奈も強くなったね。オアシスに入店したころとは、全然違う。裕子だって、変わったんだから。あたしも裕子、信じてるよ。たとえ裕子がオアシス辞めることになっても、あたしたち、ずっと友達」
 恵も美貴も美奈も、父親が風俗関係の仕事はもうやらせないと言っていることを聞いているので、しばらくは裕子に会えなくなることを憂えていた。裕子は今、自宅に軟禁状態だ。
 父親は裕子を連れて、皮膚科や美容整形外科にタトゥー除去の相談に行った。しかし黒っぽいアゲハチョウ一匹だけならまだしも、これだけ広範囲にあるタトゥーは、レーザー照射では完全に消すことはできず、皮膚の切除や植皮が必要だと言われた。レーザー照射は、黒いタトゥーには有効だが、それ以外の色に対しては、あまり効果がない。皮膚を切除すれば、大きな傷痕も残り、かえって醜くなってしまう。せっかくきれいな絵が入っているので、本人がタトゥーを後悔していないなら、無理に消して傷を残すより、必要なときにはファウンデーションやリストバンドなどでタトゥーを隠すようにしたほうがいいのではないか、とも助言されたという。
 さくらは卑美子やトヨに比べ、手彫りのように、針を深めに刺すので、インクが真皮のやや深いところまで入る。だからかさぶたが厚くなりやすい。しかしかさぶたをはがさないようにケアをきちんとすれば、色が鮮やかだ。繊細な色合いの卑美子やトヨとは、作風が異なる。針を深く刺す分、レーザーなどで除去するのは難しくなる。
 裕子も醜い傷痕が残るより、きれいなタトゥーのままでいたい、と父親に懇願した。タトゥーを消すことは父親も断念したようだった。裕子にしても、かつての同僚で、親友でもあるさくらが彫ってくれたタトゥーを、消したくはなかった。
 恵、美貴、美奈の三人は、裕子を信じ、再会できるのを楽しみに待とうと話し合った。裕子の兄を殺した犯人は、きっと三浦が探し出してくれる。宏明の事件の管轄は上松署だが、三浦や鳥居が担当している連続殺人事件と密接な関連がある。美奈は三浦が、裕子の悲しい思いを晴らしてくれるだろうと確信している。

 裕子は自宅に戻り、家に閉じこもっていることが多かった。父親からは当分家から出ず、反省しておれ、と命じられていた。父親が会計事務所に行って留守の昼間に、ときどき気晴らしに近所を散歩することがある。母親からはタトゥーが近所の人に見つからないように気をつけなさいと注意されていた。母親も世間体を気にしていた。散歩に出るときには、鈴鹿の山が間近に見え、その景観が裕子を慰めた。
 裕子は少し足を運んで、市役所の北にある、いなべ公園に行くことが多い。いなべ公園のシンボルタワーから見渡す鈴鹿の山がきれいだった。いつかは美奈たちと、あの山に登ってみたいと思った。

  

  
 いなべ公園 シンボルタワーからの眺め

中学生のころ、家族で宇賀渓にキャンプに行ったとき、兄と四九七メートルの砂山に登ったことがある。岩が積み重なったような小さな山で、砂山というよりは、岩山だった。山頂は周りに木が繁っていたが、眺望はよかった。眼前には大きな竜ヶ岳の勇姿があり、反対側からは伊勢平野を見下ろすことができた。砂山の山頂で、いつかはあの鈴鹿の高い峰に登って、きれいな景色を見てみたいと兄に伝えると、兄は 「そのうち鈴鹿の山に裕子を連れていってやるからな」 と応えた。しかしその約束は、果たされずに終わった。
 これからどうなるのか。おそらく、オアシスにはもう戻れないだろう。また美奈たちに会いたかった。もうすぐさくらの誕生日パーティーがあり、裕子も招かれているのだが、とても参加できそうにない。
 ある日の夜、自分の部屋で眠っているときに、何かの気配を感じて目が覚めた。
 誰かがいる。じっと裕子の方を見つめているようだ。誰? お兄さん? 裕子には、そこに兄がいるように思われた。
「お兄さん、お願い。もう人を殺さないで。もしお兄さんがあの事件の本当の犯人だとしたら。そして、どうか、安らかに高い霊界に行ってください。お願いします」
 裕子は美奈から教えてもらったように、心を込めて、兄に祈った。裕子の近くにいた影は、やがて消えた。


『幻影2 荒原の墓標』第30回

2014-08-08 17:56:18 | 小説
 最近は台風12号、11号の影響で、雨が多くなっています。
 一昨日はすぐ隣の名古屋市守山区で、1時間に100mmもの豪雨だったといいます
 何年か前には、守山区で庄内川が氾濫して、多くの家が床上、床下浸水の被害を受けました。
 私が住んでいるところは標高100mで、近くに氾濫するような川はないのですが。
 台風11号は明日西日本に接近、上陸の恐れがあります。被害を最小限に食い止められればいいのですが。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』第30回です。いよいよ最終章です。


       第五章 対決


            1

 夏目陽一は妻籠(つまご)から馬籠(まごめ)に通じる木曽街道を歩いていた。しかしどこかで道を間違えてしまったようだ。
「ちょっとおかしいんじゃない? 道、間違えていない? 戻ったほうがいいと思うよ」
 一緒に歩いている菅原朋子(すがわらともこ)が陽一に意見した。
「いや、道はバスが通る大きな道だから、間違えるはずはないよ。もう少し歩けば、馬籠峠に出るはずだ」
 陽一は今さら間違いを認めたくはなかった。それに、道はわかりやすい一本道のはずだ。先日、文豪島崎藤村のことを、 「ふじむらとうそん」 と言って、朋子の前で恥をかいてしまったので、これ以上間違いを認めたくないと思った。
 二人は東京の私立大学の四年生だ。同じ学年とはいえ、陽一は一年浪人しているので、一歳年上だ。この夏休みは、卒論のめどは何とかついたものの、就職活動で忙しかった。せめて夏の最後に思い出を残そうと、朋子が好きな島崎藤村ゆかりの木曽路を二泊三日で歩こうということになった。藤村の生まれ故郷である馬籠宿が属する長野県木曽郡山口村が、平成の大合併による越県合併で、昨年岐阜県中津川市に編入された。朋子は信濃の藤村が美濃の藤村になってしまったことが、大いに残念だった。
 前日、早朝ののぞみで名古屋に来て、中央本線を走るワイドビューしなのに乗り換えた。南木曽まで約一時間の乗車だった。昨日は妻籠宿をのんびり散策して、近くの民宿に宿泊した。そして今日は馬籠に行くことになっていた。最初はバスで行く予定だったのを、陽一が 「今日は時間がたっぷりあるんだから、馬籠まで旧中山道をゆっくり歩こうよ。パンフレットには、三時間で行けるし、道中の景色もいいと書いてあるよ」 と提案した。
 木曽路をのんびり歩いてみたいという気持ちが強かった朋子は、二つ返事で了承した。そんなわけで、二人は慣れないハイキングをしていた。
 陽一は地図を取り出した。地図といっても、民宿でもらった、イラストを多用した観光用のマップで、それほど精確なものではない。それによれば、妻籠から馬籠まで、約九キロメートル、徒歩二時間半から三時間とある。雄滝(おだき)、女滝(めだき)がかかる男(お)だる川も眼下に流れている。まだ歩き始めて、一時間も経っていない。もう少し歩けば、馬籠峠に出ると陽一は考えていた。
 陽一が方位磁石(コンパス)を持っていれば、今向かっているのは、馬籠宿がある南ではなく、東の方角だと気付くはずだが、陽一はコンパスを持っていなかった。コンパスを使う習慣がなかった。観光地である妻籠、馬籠で迷うはずはないと高をくくっていた。陽一が男だる川だと思っている川は、蘭(あららぎ)川だった。男だる川は蘭川の支流だ。旧中山道を行くには、国道二五六号線を途中で右に折れなければならなかったのを、そのまままっすぐ進んでしまったのだ。
 さらに一時間ほど歩いて、大きなホテルの近くに出た。そのホテルを見て、道を間違えていたことを認めざるを得なかった。
「どうしてくれるのよ!? 暑い中、こんなに歩かせて。全然違った方向に来てしまったじゃないの。だから私が早く引き返そうと言ったのよ」
 八月末の木曽路といっても、まだ暑い。信州は涼しいかなと思ったら、とんだ見込み違いだった。東京と変わらない。汗だくになった顔をフェイスタオルでぬぐいながら、朋子は陽一に抗議した。朋子に言われたときに引き返していれば、ほどなく正しい道に戻れたはずだった。
「そんなこと言ったって、今さらどうしようもないじゃないか。バス停探して、バスで戻るしかないよ。さっきバスとすれ違ったから、どこかにバス停があるはずだ」
 陽一は謝ったほうがいいと思いながら、素直になれなかった。
「何よ、その言い方は。人をさんざん歩かせておいて。一言ぐらい謝ったらどうなの?」
 朋子は陽一を置き去りにして、足早に歩いていった。
「おい、待てよ。謝るよ。謝るから、そう怒るなよ」
 陽一はそう叫びながら、朋子を追いかけた。
「それで謝ったつもりなの? きちんと謝りなさいよ」
 そう言いながらも、朋子は、まあ、いいか、許してやろう、少しすねてやれば、すぐに態度を軟化させるので、陽一はかわいいもんだ、と考えた。
 それから一〇分ほど歩き、バス停を見つけた。時刻表を見ると、妻籠方面に戻るバスは、少し前に出たばかりで、次のバスまでは、二時間もある。
「さっきすれ違ったバスがそうだったんだ」
「こんなところで二時間も待つの?」
「しかたないだろ、タクシー呼ぶほどのゆとりもないし。それより、ちょうど昼時だから、めしでも食おうよ。近くに集落があるから、なんか食わせる店でもあるだろう。信州はそばがうまいぜ」
 食事をすることに、朋子も異存なかった。
「それじゃあ、陽一のおごりよ」
「わかったよ。めし食っていれば、時間もつぶせるよ」
 二人は尾越の集落に向かった。やっとのことでレストランを見つけ、そこに入った。広い駐車場がある、意外としゃれた店で、そばがおいしかった。
「ああ、うまかった。やはり信州はそばだよな」
 陽一は自分の失敗を糊塗するような口ぶりで言った。
 天ぷらそば定食を食べ終えても、次のバスまで、まだ一時間以上ある。
「まだ時間があるから、ちょっとこのへんの自然に親しんでおこうよ」
 陽一はそう言って、森のほうに向かった。近くには小川も流れている。東京の都会の中に住んでいる二人にとって、得がたい自然ではある。
「もう、そういうところは子供みたいなんだから」
 取り残されるのが不安で、朋子は渋々陽一についていった。とはいえ、たまにはこういうところを探検するのもわるくはないかな、と思った。陽一はどんどん森の中のかすかな踏み跡を進んでいった。
「あまり奥まで行って迷子にならないでよ。次のバスに乗り遅れたら、タクシーおごらせるからね」
 朋子は陽一に釘を刺した。踏み跡を進んでいくと、小さな空き地に出た。空き地といっても、背が高い草が生い茂っている。そのとき、朋子は急に尿意を感じた。さっきレストランに入ってすぐにトイレに行ったのだが、出るときにもう一度お手洗いに行っておけばよかったと思った。
「陽一、ちょっとお花摘んでくるから、ここで待っててよ」
「お花摘みって、このへんに花なんかあるのか?」
「バカ、わかってるくせに」
 朋子は陽一の後頭部を、平手でパカンとはたいた。そして姿を隠せる草むらの中に入っていった。
 用を足し終わり、朋子は立ち上がろうとした。さっきの小川で手を洗わなくちゃ。そう思いつつ、斜め前方を見ると、そこだけたくさんのハエがたかっている。そういえば、いやな臭いがする。
「いやだな、何か動物の死骸でもあるのかしら」
 早くその場を立ち去ろうとしたとき、朋子の気配に驚いたのか、ハエの大群が今までたかっていた物体から一斉に離れた。一瞬その物体に目を向けた朋子は、それが容易ならざるものであることに気がついた。

 長野県木曽郡南木曽町の山林から、白骨死体が見つかったという知らせは、小幡署に詰めている鳥居と三浦にももたらされた。
 旅行に来ていた東京の大学生から一一〇番通報を受け、南木曽交番の警察官が現場に向かった。その後、上松(あげまつ)署からも検死官や警察官が大勢詰めかけた。
 遺体は一部白骨化している。地中に埋められていたため、腐敗の進行は緩やかだったが、熊か野犬が嗅ぎつけ、掘り出したようだ。遺体は二〇歳から四〇歳ぐらいの男性で、死後半年から一年、腕や肋骨、頬骨などに亀裂骨折がある。交通事故による負傷というより、暴行を受けたことによる骨折であると思われ、上松署では殺人事件と判断した。
 まもなく秋田の遺体が見つかるだろうと美奈から聞いていた三浦は、遺体の特徴を聞くと、すぐに秋田ではないかと考えた。場所も南木曽岳から近い。
 その報を聞き、三浦は倉田警部を通じて、“矢田川河川敷殺人事件”の捜査本部長である小幡署長に、上松署にさらに詳しく問い合わせてもらった。身体特徴は、秋田宏明のものに一致している。秋田宏明は二年前、三重県いなべ市内の交番に、家出人捜索願の届け出がされている。小幡署からの連絡を受け、上松署は北勢署にも照会した。


『幻影2 荒原の墓標』第29回

2014-08-01 06:48:48 | 小説
 昨日、近くの書店に行ったら、私の新刊『地球最後の男――永遠の命』が4冊売れていました
 発売1ヶ月で4冊なら、まあまあかな、とも思いました。チラシをまいた成果かもしれません。
 しかし全国的にはまだ知名度が低く、このブログのタイトルのように、“売れない作家”です
 “売れっ子作家”となれるよう、頑張りたいと思います


            8

 南木曽岳に登った翌日、美奈はオアシスの勤務が終わってから、誰もいないところで裕子に、 「裕子さんのお兄さん、右目の下に大きなほくろがありますか?」 と、そっと尋ねた。
「はい。兄は泣きぼくろみたいでいやだと言っていましたけど。でも、美奈さん、どうして兄のほくろのこと、知っているのですか? 兄の写真見せたことって、ありました?」
 裕子は不審に思い、聞き返した。そのことを言うべきかどうか、美奈はずっと悩んでいたが、いつかは真実を知らなければならないときが来るのだから、はっきり言おうと決意していた。以前の弱い裕子ならともかく、今の裕子は真実をしっかり受け止めてくれると信じている。ただ、いつものファミレスだと、恵と美貴にも聞かれてしまう。それでも大丈夫か、それとも場所を改めて話をするかを確認した。美貴は先にバイクでファミレスに行っている。
「はい。メグさんも美貴さんも親友だと思ってますから、一緒に聞いてもらいます」
 裕子はきっぱりと応えた。おそらく裕子には、美奈が伝えようとしていることが、ある程度は見当がついているだろう。それなのに、恵と美貴を親友と信じて、苦楽を共にしようという裕子の決意に、美奈は感動した。
 美奈はパッソに恵と裕子を乗せて、ファミレスに向かった。
オーダーしたものが届いてから、美奈はさっそく本題に入った。
「皆さんには私に千尋さんという守護霊がついていることは、もう話しましたよね」
 美奈の問いかけに、恵、美貴、裕子は頷いた。
「昨日、私は四人で南木曽岳に行ってきました。メンバーは今回の事件の関係者です。そのうちの一人、徳山優衣さんのお姉さんの久美さんは、裕子さんのお兄さんと付き合っていたと思われます」
「え、そうなんですか?」
 裕子が驚いた。
 優衣は初対面の美奈を、最初は警戒し、あまりしゃべらなかった。無責任な週刊誌に植え付けられた、悪女という偏見にとらわれていたからだ。話をするにしても、間に北村を介してだった。しかし一緒に山歩きをしているうちに、美奈は唾棄すべき女性ではないということがわかり、美奈を受け入れた。優衣は 「最初は姉の付き合っていた男(ひと)は、秋田県の人だと思っていたのですが、秋田という名前だったのかもしれません」 と美奈に話した。そのことを美奈はかいつまんで、裕子に話した。
「南木曽岳登山道から少し逸れた地点で、今回の事件の出発点ともいえる、あることが起こったのですが、私たちはそこに行きました。裕子さんにはとても言いづらいことなんですが、そこで、私の守護霊の千尋さんが、こう言ったのです」
 ここまで言うと、美奈は言葉を切った。というより、続けることができなかった。美奈の頬に、涙が流れ落ちた。その涙を見て、裕子は覚悟を決めた。
「ここに今は霊はいないけど、かすかに残存した意識の痕跡を感じます。この近くに、二五歳ぐらいで、右目の下に大きなほくろがある人が眠っています。千尋さんはそう言いました」
 美奈は涙声で、やっとそれだけを言った。その意味することは、三人とも理解できた。覚悟はしていたとはいえ、裕子はその場で泣き崩れた。深夜で、近くの席には客が少なかったのでよかった。
 恵と美貴は、今は裕子をそっとしておいてやるのが一番いいと思い、あえて声をかけなかった。
 しばらく泣き続けた裕子は、 「ごめんなさい。取り乱しちゃって。私、もう踏ん切りつきました。大丈夫です。美奈さん、教えてくれて、ありがとう。美奈さんには辛い役をさせてしまって」 と泣き笑いした。
「強くなったわ、裕子。寂しいでしょうけど、私たちはいつも一緒だからね。気を強く持ってね」
 恵が優しく裕子を慰めた。
「せっかく食べるもの来たんだから、早く食べようよ。料理が冷めちゃうよ。食べて、元気出しなよ、裕子」
 いつも明るく振る舞っている美貴も、涙ながらに裕子に声をかけた。
「ありがとう。私、いい仲間に巡り会えました。苦楽を共にできる仲間。こんなにいい友達がいるんですもん、寂しくなんかない」
 裕子は頭を上げた。まだ涙に濡れていたが、健気(けなげ)に笑顔を見せた。
「これ、兄の写真です。兄が家を出る前に写したのですが」
 裕子は携帯電話に保存した宏明の写真を見せた。携帯電話のカメラで古い写真を接写したので、やや不鮮明だった。しかし顔の特徴はよくわかる。宏明と裕子が並んで写っている。
「間違いありません。南木曽岳の近くで眠っている人は、その人です。しかし、まもなく見つかるでしょう」
 千尋の声が美奈の胸に響いた。写真を見て確認したので、やはり宏明に間違いないようだ。
「今守護霊の千尋さんからメッセージがありました。写真を見て、やはりお兄さんに間違いないそうです。でも、お兄さんはまもなく見つかるそうです」
「兄はもうすぐ見つかるのですね」
 裕子は早く兄を供養してあげたいと思った。
「裕子さん、これは私が体験していることだから、確信を持って言えることだけど、命というものは、たとえ肉体がなくなっても、形を変えて存在しているものなの。私の守護霊になっている千尋さんも、同じように二年間も冷たい土の中に埋められていたのよ。でも今は、守護霊となって、いつも私を見守っていてくれる。お兄さんだって、きっと裕子さんを護ってくれると思います。でも、今はお兄さんは苦しんでいると思います。まず、お兄さんの霊が高い霊界に行けるように、祈ってあげましょう」
 美貴と裕子は、美奈たちと一緒にファミレスで集うようになってから、守護霊の話を聞いた。二人は美奈の守護霊を信じている。いかがわしい宗教団体や怪しげな霊能者が言うことより、美奈の言葉のほうがずっと重みがあり、真実味がある。
 また、裕子自身、多少の霊感があるのか、ときどき誰もいないはずなのに、ざわざわした声が聞こえたり、影のようなものが見えたりすることがある。裕子は気のせいかと思っているのだが、ひょっとしたら、ということも考えていた。
「はい。一日も早く兄が安らかな境地で霊界に旅立てるように、祈ります」
 裕子はそう宣言した。 


『幻影2 荒原の墓標』第28回

2014-07-26 23:53:27 | 小説
 今回は『幻影2 荒原の墓標』第28回です。
 美奈たちは長野県の南木曽岳に登ります。
 以前にも書きましたが、上ノ原の登山道の付近が、先日の台風8号で大きな被害に遭いました。
 最近大雨による被害が、日本各地で起こっています。
 大規模災害が起こりそうな異常気象をいち早く予測し、被害を最小限に抑えることができるようになればいいと思います。


            7

 八月二三日、北村、三浦、優衣、美奈の四人の即席パーティーは、長野県の南木曽岳に向かった。天気は予報通り、晴天だった。ただ、午後夕立の可能性があるという。
 七時一四分、美奈は高蔵寺駅から電車に乗り込んだ。朝六時過ぎに起床した。美奈にとっては深夜ともいえる時間だった。弁当は昨日の出勤前に握り飯などを作り、冷蔵庫に入れておいた。
 昨夜も仕事が終わってから、恵たちとファミレスに寄った。軽く食事をとりながら、明日は事件の関係者と南木曽岳に登るということをみんなに伝えた。
「え、大丈夫? 危険じゃない?」 と恵が心配そうに尋ねた。
「三浦さんも一緒だから、大丈夫ですよ」
「そっか。愛しの君が一緒なら、平気よね」
 みんなはもう三浦と美奈の関係を知っている。美奈が年内をめどに、オアシスを退職することは、すでに美貴や裕子にも伝えてあった。いつまでも内緒にしているのは、やはり友として水くさい。美貴も裕子も美奈を祝福してくれた。
「ただ、本当に事件と関係があるかどうかは私にもわからないんです。もしお兄さんのことで何かわかれば、裕子さんにも伝えますね」
「よろしくお願いします」
 南木曽岳でもし秋田宏明についてわかることがあれば、それはよくないことだろう。しかしそれがたとえ悲しい知らせであろうとも、裕子は兄のことを知りたかった。
 明日は美奈は朝が早いので、食べ終わるとすぐにお開きとなった。

 美奈は高蔵寺駅まで歩くつもりだった。しかし六時前に起きる予定が少し寝過ごし、時間が押し迫ってきたので、やむなくバスに乗った。通勤時間帯なので、バスの本数は多かった。
 電車は多治見方面に通勤する人で込み合っていた。とはいえ、名古屋に向かう電車に比べれば、ずっと楽だった。夏休み中なので、高校生や大学生は少ない。
 美奈は車両を移動して、三浦たちを捜した。三浦たちは名古屋駅から乗ってきている。三人は一つ後ろの車両にいた。美奈は三人に挨拶をした。優衣とは初対面だった。
「あれ、ミクさん、今日はいつもと感じが違いますね」
 仕事のときとは全く違う、地味な雰囲気の美奈に、北村は驚いた。山に登るので、化粧もごく薄くしかしていない。メガネをかけた美奈を見るのも初めてだった。今日はメタルフレームのメガネだ。素顔の美奈は、地味な顔立ちではあるが、どことなく気品が漂っている。ちょっとした化粧で、非常に美しく見える顔立ちだ。
「いつもは営業用の顔です。これがふだんの私です」
「いや、驚きました。でも、素顔のミクさんもすてきですよ」
 優衣は大きなタトゥーを入れているソープレディーというので、もっと派手な、けばけばしい感じの女性を想像していた。しかし第一印象は全く違っていた。髪も風俗を職業とする若い女性としては珍しく、染めていない。OLをしている優衣は、髪を濃い栗毛色に染めている。目立っているのは、小鼻の左側にあるピアスぐらいだ。しかしそれも地味な感じの美奈には、いいアクセントになっている。彼女が週刊誌を賑わせた“現代の毒婦”だとは、とても信じられなかった。
「初めまして。徳山優衣です。今日はご足労をかけて、すみません」
「木原美奈です。私こそ図々しくついてきてしまい、迷惑おかけします。よろしくお願いします」
 美奈と優衣は、初対面の挨拶を交わした。そのとき座席から立ち上がった優衣を見て、一七〇センチ以上ある恵より、さらに背が高いと美奈は感じた。
「ミクさん、本名は木原みなというのですか?」
 二人の自己紹介を聞いていた北村が確認した。本名を聞くのは初めてだ。美奈もここでは、オアシスの個室での呼び名である高村ではなく、北村先生と言った。そのへんの使い分けは、美奈も心得ている。
「はい。美しいという字と、奈良の奈で美奈です」
「木原美奈さんか。いい名前ですね」 と北村が美奈の名前を褒めた。
 電車の中で、優衣は登山は鈴鹿の藤原岳、御在所岳の二度経験があると語った。いずれも登山好きの職場の同僚に連れて行ってもらったそうだ。御在所岳は登りをロープウェイ、下りに中道を利用したが、きつかったと言った。
「下りのほうが楽そうに思えますが、脚への負担は下りのほうがずっと大きいですよ。それに、中道は景色はいいですが、御在所の登山道では最も急峻なので、下りに使うことはあまり勧めません。事故がなく下山できて、よかったですね」
 北村がいろいろ登山の蘊蓄(うんちく)を披露した。
 電車は中津川乗り換えだ。接続がよく、すぐに南木曽行きに乗ることができた。電車は木曽川に沿って進む。ほどなく南木曽駅に着いた。
 南木曽岳には、南側の尾越(おこし)のバス停の近くにある蘭(あららぎ)キャンプ場からと、北の上の原の二つの登山ルートがある。キャンプ場からのルートは急峻で、鎖場やはしごなどもあり、登山初心者の優衣にはきついので、上の原からの往復の道をとることにした。上の原ルートは行程が長く、体力を要求される。優衣は高校時代はバスケットボールをやっていたので、体力には自信があるとのことだ。
 上の原から登る場合は、南木曽駅から徒歩となる。北村、優衣、美奈、三浦の順で隊列を組んだ。優衣以外は、南木曽岳に登山経験がある。登山のパーティーでは、先頭にサブリーダー、最後尾にリーダーを、そして二番目に最も体力の弱い人を配するのが一般的だ。優衣は体力はあるが、登山の経験が少ないため、その位置になった。
 駅からしばらく車道を歩き、中央本線を跨いで一〇分ほど行くと、読書小学校の前に出る。読書と書いて、よみかきと読ませる。小学校らしい名称だ。現在の南木曽町(なぎそまち)大字読書に該当する旧読書村(よみかきむら)は、与川村(よがわむら)、三留野村(みどのむら)、柿其村(かきぞれむら)が合併してできたのであるが、それぞれから一字ずつ取り(与三柿(よみかき))、読書という字を当てはめて名付けられた。
 その後、読書小学校は二〇〇七年に、蘭(あららぎ)、田立(ただち)小学校と統合し、南木曽小学校となっている。

 

 等覚寺という大きな寺を越え、しばらく歩いて、やっと登山口を示す道標が見えた。その道標の横には、“南木曽岳自然環境保全地域”という、略図を添えた大きな表示があった。登山口から三〇分ほど歩き、二つめの鉄塔のところで最初の休憩を取った。体力には自信がある優衣ではあるが、最近あまり運動していなかったためか、辛そうだった。汗もびっしょりかいている。まだ標高が低いので、気温は三〇度近い。日陰では五度ほど低く、そよ風が吹くと心地よい。そこから眺められる山頂は、まだはるか彼方なので、先が思いやられそうだと優衣は覚悟した。
 北村に歩く速度を落としてもらった。優衣も歩いているうちに、だんだん山歩きのペースをつかんでいった。登山道では、他のセミの声に混ざって、ずっとヒグラシの鳴き声が続いていた。ツクツクボウシも鳴き始めていた。
 さらに一時間ちょっと歩くと、大きな木が茂るところに来た。それまでのヒノキの人工林とは、趣を異にした景観だ。山と渓谷社の登山ガイドブックでは“巨大樹の森”と形容されている。ブナを中心に、カシやミズナラなど、何百年もの年輪を刻んだような、見事な大木が続いている。
「わぁ、すごい。なんか、おとぎの世界の魔女の森にでも迷い込んだみたい」
 初めて巨木が林立する森を見て、優衣が感動した。美奈もこの森に来るたびに、その迫力に圧倒される。北村は樹齢四〇〇年以上と推定される、大きなミズナラの幹に両の手のひらを当てた。

  

「こうしていると、巨大な木の生命エネルギーをもらえるような感じがしますよ。僕はここに来ると、いつもこうして巨木からエネルギーをもらうんです。でも、あのときは死ぬつもりだったので、そんな気にはならなかったけど、帰るときはいっぱいエネルギーをもらってきました」
「その声を聞いたのは、この近くなんですか?」 と美奈が尋ねた。
「確か、ここから登山道を逸れて、少し下っていったところです。でもそこに寄るのは、帰りにしませんか? まずは優衣さんに、南木曽岳からの雄大な景色を見せてあげたいのです」
 北村が提案した。三浦は遊びに来たわけではないが、頂上に寄っていくのはかまわないだろうと思い、反対はしなかった。そこでしばらく休憩して、水分を補給したり、軽く菓子や握り飯をつまんだりした。
 それからしばらく、急な斜面を登った。倒木も多く、歩きにくいところもあった。クマザサの背丈がだんだんと高くなっていった。登山口の大きな案内板にあった、“木曽ヒノキの天然林”が多くなり、薄暗い樹林帯がやや明るい雰囲気になってきた。ときどき、コトトトトン、というリズミカルな音が何度も聞こえた。
「あれ、何の音ですか?」
優衣が不思議がって尋ねた。美奈が教えようとすると、北村が 「あれはキツツキが木をつっついている音だと思いますよ。近いところでは、春日井市の弥勒山なんかでも、たまに聞こえます」 と答えた。
「あれがキツツキなんですか? 本当にトントン木をつついているんですね。ウグイスの鳴き声や、キツツキが木をつっつく音など、山の中は自然の音がたくさんあるんですね」
 優衣は山の自然にもっと親しもうとでもするかのように、耳を傾けた。
振り返ると、木の間越しに所々で中央アルプスの勇姿が眺められ、疲れを癒やしてくれた。下山する男性二人とすれ違い、道を譲ると、 「どうもありがとう。あと少しですよ。頑張ってください」 と元気づけてくれた。
 やがて、三六〇度の視界が開ける、女岩(めいわ)のすぐ上にある展望台に出た。少し下のほうに赤い屋根の小屋が建っている。美奈はシュラフザックを担いで、その小屋で泊まったことがある。

  山頂付近の山小屋
  

「やったー、頂上だ」
 雄大な中央アルプス連峰や南アルプス、北アルプス、木曽の山々の大展望に、優衣はこれまでの疲れが吹き飛んだ。そこには山々の名前を示す案内板があり、山の名前を確認することができた。
御嶽山やアルプスの山並みが見える南木曽岳の眺望は、鈴鹿の山以上に素晴らしい。美奈は何度も南木曽岳を訪れているとはいえ、登るたびにこの景色には感動する。まだ夏休み中とはいえ、平日のためか、他に登山者がおらず、大展望を独り占めだった。休みの日に登れば、何人かの登山者に会うのだが、鈴鹿の山に比べれば、登山者は少ないようだ。
 日差しを遮るものが何もないので、直射日光は強いが、さわやかな風が心地よく、汗がすっと引く。名古屋なら三五度近い猛暑だろう。
「残念ながら、頂上はもう少し先ですよ。でも頂上は樹林に囲まれて展望がないから、ここでお昼にしましょう」
 北村が提案した。腕時計を見ると、もう午後一時に近かった。元来登山では、ピクニックとは違って、長い食事時間をとらない。休憩中に空腹具合に応じて、少しずつ食糧を補給する。長時間休憩し、一度にたくさん食べるのは、かえって身体に負担を強いることになる。美奈もさっきの“巨大樹の森”での小休止で、おにぎりを一つ食べ、それほど空腹感はない。
 優衣はお昼の休憩を心待ちにしていた。ただ、美奈が 「空腹になると、シャリバテするので、登山では、糖分が多いものを少しずつ食べるのがいいですよ」 とアドバイスし、優衣は巨大樹の森で休憩したとき、持ってきた弁当を少し食べていた。
 美奈がいつものようにコーヒーを淹れたので、みんなが喜んでくれた。しばらく休憩し、標高一六七七メートルの山頂には寄らずに、下山することになった。この展望台は、実際は二等三角点がある山頂よりもわずかに高く、一六七九メートルだ。優衣もこの大展望ですっかり満足した。
 優衣は美奈に、タトゥーを見せてほしいと頼んだ。いくらほかに人がいないとはいえ、山の上で裸になるのははばかられたので、袖をまくって、両腕の牡丹と蝶のタトゥーを見せた。
「きれいなものですね。私はあえて姉の遺体のタトゥーは見ませんでしたが、姉のものもきれいだったんでしょうね。そんなに美しいものなら、姉がやってみたくなった気持ちも、少しだけ理解できました」
 最近は街でもタトゥーを入れた人を見かける機会が多くなったとはいえ、優衣はタトゥーというものをじっくり見たことはなかった。赤やピンク、黄、青、紫などの、色とりどりの牡丹の花や蝶の艶やかな色彩に、優衣は驚いた。絵の具を使って、肌というキャンバスに、きれいに描いてあるようだ。これが生きた人間の肌に刻み込まれた絵だなんて、とても信じられなかった。
「お姉さんのタトゥーは、冥さんという女性アーティストが彫ったんですが、冥さんはとても上手なアーティストさんだそうです。きっと、とても美しい絵だったんでしょうね」
「え、女の彫り師さんがいるのですか?」
 優衣は姉の背中を飾った彫り師は、てっきり男性だと思っていた。
「今は女性アーティストは珍しくないですよ。私の絵も、全部女性のアーティストさんに彫ってもらいました」
 美奈の身体には、卑美子、トヨ、さくらの三人のアーティストによる絵が入っている。
「南木曽岳の景色も素晴らしかったけど、美奈さんのタトゥーもすごいですね。以前、週刊誌で見たんですけど、全身に入っているんでしょう? 週刊誌の写真は小さいし、白黒だったので、またいつか全身のを見せてくださいね」
「はい。でも、男の人がいないところでお見せしますね」 と美奈は約束した。
 下りは楽なように思えても、脚への負担が大きく、事故も起こりやすい。山での事故は、下山時のほうがはるかに多い。疲労がたまっているところに加え、山を下るときには、登りよりつい勢いがつき、転倒したり、滑落したりする。三浦は先頭の北村に、もう少し速度を落とすように指示した。北村が速く歩くと、その後ろを行く優衣もつられて速度を上げる。山慣れない優衣にとっては、急な下山道を急ぐことは危険だった。尾越に下るルートよりなだらかとはいっても、上の原への道もけっこう勾配がきつい。
 先ほどの“巨大樹の森”に来た。北村は登山道を逸れ、記憶を頼りに、不思議な声を聞いた場所に皆を案内した。
「急な斜面を下りますので、気をつけてください」 と北村は優衣に注意を喚起した。
「確か、このあたりでした。ここの木に寄りかかり、睡眠薬を飲もうとしたときに、『死ぬな』という叫び声が聞こえたのです。耳に聞こえたのではなく、心に響いた、というのがより正確かもしれません」
 ここが霊の声を聞いたところなのかと思うと、優衣は怖気(おぞけ)で身体がびくりと震えた。自分が一度その場に行ってみたいと言いだしたのに、来たことに後悔の念が頭をもたげた。山上のあの素晴らしい展望だけでやめておけばよかったと思った。霊の存在など信じないはずなのに、自分でも不思議だった。
「美奈さん、どうですか? 何か感じますか?」と三浦が問うた。
「そうですね。何か、言うに言われぬような、不安な感じがします。何だか、心を押しつぶされそうな、焦燥感のような。優衣さん、何か感じませんか?」
 顔を蒼白にして震えている優衣を見て、美奈が尋ねた。
「いえ、よくわかりません。でも、私も何だかおかしな気分です。前もって先生から話を聞いていたせいかもしれませんが。霊など信じていないはずの私が、怖いような、変な気持ちです」
 優衣は語る言葉も、少し震えていた。
「千尋さん、どうですか? 何かわかりますか?」
 美奈は心の中で千尋に問いかけた。
「今は邪悪な霊はここにはいません。ただ、その霊のものかどうかわかりませんが、かすかに残存した意識の痕跡を感じます。深い山の中の、小さな荒れ地に誰かが眠っています。ここからそんなに離れたところではありません。二五歳ぐらいで、右目の下に大きなほくろがある男性です」
 千尋はそう言った。美奈は千尋の言葉を三浦に伝えた。
「その埋められた男の怨念が、この事件を引き起こしているんでしょうか」
「はい、私はそう思います。そして、その埋められた人が、秋田さんだと思うんです。一度裕子さんに、お兄さんの右目の下にほくろがあるかどうか、確認してみます。今生きていれば二六歳と言っていたので、年齢的にも合っています」
「秋田さんというと、姉が付き合っていたかもしれない人なんですね。妹さんはゆうこさんというんですか?」
 三浦と美奈の会話に、優衣が加わった。
「刑事さん、以前言っていた心霊関係の顧問というのは、ひょっとしたら美奈さんのことなんですか?」
 会話に参加できないでいた北村が、その場にそぐわない、ピント外れの質問をした。三浦が言っていた顧問が美奈であることは当たっているのだが。
 やはり事件の発端となった怨霊は秋田宏明だったのだろうか。その可能性が高いことがわかっただけでも、今回南木曽岳に来たのは収穫だった。裕子にとっては辛いことだろうが。美奈は裕子の気持ちを考えると、つい涙を流してしまった。
 一行は午後五時前に南木曽駅に着いた。登山口から駅まで、少し距離があるので、次の電車に間に合うように、一般道では少しペースを上げた。八月も下旬となり、日没が早くなってきた。山間(やまあい)の地では、日が陰るのが早い。やはり上の原からの往復は道程が長く、時間がかかる。登山初心者の優衣が、体力があり、ペースを落とさずに歩けたのはよかった。心配していた雷雨がなかったのも、ありがたかった。
「辛いことも多かったけど、でも楽しかった。先生、また山に連れて行ってくださいね。美奈さんもまた一緒に登りましょう」
 優衣は苦しさを通り越したあとにある登山の醍醐味に、気付いたようだった。
 美奈は高蔵寺駅で三人と別れた。今度は事件を離れて、ゆっくり話をしようと優衣と約束した。北村が 「名古屋まで来て、みんなで夕食でもどうですか?」 と誘った。しかし今回は三浦にとっては捜査の一環でもあり、また別の機会にみんなで集まりましょう、ということになった。
 優衣は最初、美奈をソープレディーと軽蔑する気持ちもあった。しかし今日一日美奈と一緒に行動し、職業だけで人を判断することは過ちだということに気付いた。少なくとも、美奈に関しては。美奈なら、友人としてずっと付き合っていけると思った。


 

『幻影2 荒原の墓標』第27回

2014-07-18 10:16:02 | 小説
 最近蒸し暑い日が続き、熱中症になりそうです。何とか扇風機でしのいでいます。
 来週には梅雨明けになりそうですが、エルニーニョの影響で梅雨が長引き、冷夏になるという予報から、例年並みの暑い夏になりそうだ、と予報が少し変わりました。
 去年は7月始めに、知人が熱中症で亡くなっています。私も気をつけなければと思います。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』27回です。

            6

「今日は八時から高村さんの予約が入っています」
客を送り出したあと、ミクはフロントの葉山から告げられた。沢村は休暇を取っていた。北村はつい先日に来店したばかりで、こんなに間を空けずに来るのは、珍しい。
「こんばんは。いつもごひいきにしてくださり、ありがとうございます」
 ミクは北村の腕を取り、個室へと案内した。
「先日見えたばかりなので、びっくりしました。今週はお盆休みなのですか?」
 個室に入ってから、ミクは北村に尋ねた。
「いや、僕のような業種は、盆も正月もないですよ。まあ、ちょっと実家に帰って、墓参りには行きましたが。すんなりアイディアが出ればいいけど、アイディアが浮かばないと、年中糞詰まりみたいで苦しまなければなりませんからね。お盆だからとのんびりできません」
「いやですわ、糞詰まりだなんて。高村さんの頭の中には、いろいろなストーリーがいっぱい詰まっているんじゃないですか?」
「いや、そんなことないですよ。いつもこの先どう展開させようか、汲々としてますよ。僕は事前にじっくりプロットを練ってから書くタイプじゃないので、いつもどうしようかと苦労します。けっこう行き当たりばったりですよ。それより、ミクさんの作品、できたらそろそろ見せてくれませんか?」
「はい、いちおう完成しましたが、今大幅に手直ししています。でも、私の作品なんて、高村さんに見ていただくのは恥ずかしいです」
 接待の導入として、ミクは世間話から入っていく。二人は服を脱ぎ、いよいよサービス開始となる。
 一緒にバスタブに浸かっているとき、北村が 「ミクさん、もしよかったら、一緒に南木曽岳に登ってくれませんか?」 と切り出した。
 ミクは客との個人的な付き合いは、極力しないようにしている。それは店の方針であり、ミクにも繁藤との悲しい思い出があるので、個人的な付き合いを避けていた。だからミクは断ろうと思った。しかし、北村の表情は、いつになく厳しいものだった。単に、客とソープレディーとの付き合いの延長上で言っているものではないということが感じられた。
「僕はミクさんが、以前の事件で、すばらしい探偵役を演じたことを知ってます。それから、守護霊のことも。今日山に誘ったのは、実は今度の事件に関係があるからなんです」
「話してください」
 ミクは断る前に、話を聞いてみようと思った。
「昨日、徳山久美の妹さんに会いました。事件の被害者となった徳山久美さんのです」
 北村は昨日、金山のファミレスで優衣に会った経緯を話した。そして、つい不用意にミクのことを話してしまったことを詫びた。
「私のことは雑誌などでもう知られてしまっているので、気にしないでください」
「最初は事件に霊が関係しているということを疑っていた優衣さんですが、最後には僕の言うことを信じてくれたようです。そして、僕がその霊から啓示を受けた場所を見たいから、連れて行ってほしいと言うのです」
「そうですか。その場所に行っても、何かがわかるとは限りませんが。でも、私もその場所を見てみたいと思います」
 ミクは次の水曜日が休みだった。今は主に月曜日、水曜日を公休日にしている。優衣はまだ夏期休暇を残してあるので、ミクの都合に合わせて休みを取ってくれるそうだ。北村は携帯電話で、次の水曜日はどうかと優衣に連絡した。優衣は、その日なら特に重要な予定は入っていないので、明日、会社に休暇の申請をしてみる、と答えた。電車はパソコンで時刻表を調べてから決定することになった。美奈は、確か名古屋駅を午前六時四五分ごろに出発する快速電車があると記憶している。七時一五分ごろ、高蔵寺駅で合流し、中津川で乗り換えだ。南木曽着は八時半ぐらいになる。その電車が一番いいのではないか、と北村に提案した。以前南木曽岳に登ったとき、その時間の電車を利用している。週間天気予報によれば、水曜日は晴れる確率が高い。
 前回北村はダブルで九〇分の時間をとったが、この日はシングルで五〇分で帰っていった。前回来てまだ一週間と経っていないし、いくら流行作家の末席に連なったとはいえ、まだあまり贅沢ができる身分ではない、と北村も自覚している。それに、今回は南木曽岳登山のことを話すのが目的だった。ただ、北村としては、ミクの携帯電話の番号とメールアドレスを聞き出せたことが満足だった。

  南木曽岳山頂付近の展望台

 美奈は恵、美貴、裕子となじみのファミレスで少し話をしたあと、三浦のアパートに寄った。もう午前一時を回っていたが、三浦は起きて待っていてくれた。昨日も捜査で忙しく、帰ったのは日付が変わる直前だった。
「今度の水曜日、北村先生と南木曽岳に行くことになりました。そのとき、徳山久美さんの妹の優衣さんも一緒に行きます」
 美奈はさっそく三浦に報告した。ふだんなら、客のプライベートなことを話す美奈ではないが、ことは事件に関係しているかもしれない。それで美奈は三浦に報告したのだった。
「優衣さんも一緒に? 優衣さんは北村先生と接触したのですか?」
 鳥居が捜査本部に話をし、近いうちに北村と優衣を小幡署で会わせる予定だった。
「優衣さんがファンレターを装って北村先生に手紙を出し、それで会う約束をしたそうです」
「優衣さんにも困ったもんだな。せっかく鳥居さんが骨折って会えるように段取りしていたのに。苦労を無にされて、鳥居さんが気をわるくしそうだ」
 美奈は 「たーけ!」 と怒鳴る鳥居の顔を想像して、微笑んだ。
 美奈は三浦のパソコンを使わせてもらい、電車の時刻表を検索した。美奈が考えていた時間帯に電車があった。高蔵寺発は七時一四分で、早起きが苦手な美奈にとっては、辛い時間だった。
「僕もその登山、同行しますよ。北村先生の監視も役目の一つですからね。理由なら何とでもつけられます」
 三浦は同行を約束した。三浦も一緒に行けることは、美奈にとっても嬉しかった。やはりソープの客である北村と登山するのは気が引けていた。たとえ優衣が一緒でも。しかし三浦が同行すれば、捜査の手伝いという大義名分も立つ。

 三浦の報告を聞き、鳥居は怒りを爆発させた。
「あのたーけが! せっかく北村と会えるように取りはからってやっとったのに。まあ、しかたないがや。おい、トシ、おみゃあも一緒に山に行ったれ。逃げる恐れはないだろうが、いちおうセンセを監視しとかんとな。愛しの彼女も行くんだろ」
 事件の関係者が会って、不測の事態が起こるといけないので、相棒の鳥居も三浦に登山の同行を促した。
 三浦は素知らぬ顔をして、北村の予定を聞き出した。水曜日に優衣と山に行くということを申し訳なさそうに言ったので、 「え、先生、優衣さんと会ったのですか? 困ったもんだな、優衣さんも」 と芝居をした。
三浦も職務として同行すると申し出た。北村としては拒絶できなかった。
「実はもう一人、一緒に山に行く人がいるのですが」
 三浦は知っていながら、誰ですか? と尋ねた。
「あ、以前先生のアリバイを証言してくれた人ですね。その人なら全く事件と無関係ではないから、まあいいでしょう」
 三浦はすました顔をして了承した。