今回の「統一地方選挙」、テレビやネットで見ていて、昨年末のことが蘇る。
テレビで当選した候補者の話をきいたが「議員の手当てを減らし議員の数を減らしてそのお金を政治に回す」というケチな意見を堂々と、まるで一大事のように言う。
その表情も硬く暗い、多分何も考えていないのだろうけれど。
あまりにもバカな一生懸命な表情と声にため息、情けなく思う。下手な芝居を見るような感じである。
・・・それぽっちのお金で何ができるというのか?
もっと言わなければならないことがあるだろう。(それを理解できないのかもしれない)
バカバカしくなってきた。
それに「世間の人々」もある程度「わかっている」けれど素知らぬ顔をしている人が案外多いのかもしれない。
しばらくそれを書くのは自制していたのだけれど、そのうち書く。
「次世代の党」についても、あれほど実力のある政治家が多いのに(それが「どこかにとって」都合が悪いから?)国会という戦場から突然に引きあげさせてしまった、そして今の国会は目も当てられぬ状態である。言葉にするにもバカバカしい。
民主政治はいい面はもちろんあるが、「無責任」「媚」「金目」がいっせいに跋扈し、人々の耳目を塞いでしまう。
大変な時に「見て見ぬふり」をし、「国家の盾」を追いやり、真実を見失ってしまう。無責任でもある。
西部先生や佐伯啓思先生の仰るようにポピュリズムの危険を思います。
昨年の衆議院選挙は、国会で「国民の盾」として戦っていた国士たちをその戦場から中途で帰したこと、ここから国会から活気が失われ、重箱のすみをつつくような揚げ足取りなどがいかにも重要なことのようにその位置を占めたのでした。
マスコミは真実を報道することなく、享楽番組作成に明け暮れ、政治家は上に述べたようなバカバカしい意見をもっともらしく言い、
それをきく人々もわかっていても騙されているほうが「楽」と思う、言えば動かなくてはならない。
「次世代の党」は、下野した政治家が素晴らしかっただけに、あとに残った人たちはその抜けたところを補うことも大変である。
しかし、このままの状態ではだめだ。
できることをしていかなければ。
★ ヴェルディ『アッティラ』より (・・・アッティラ役の歌手のメークが凄いけれど。)
古代ローマの歴史よりヴェルディがオペラに作曲した。<動画は2分53秒>
Duo de Attila y Ezio - Ildar Abdrazakov (bajo) y Claudio Sgura (baritono)
VIDEO
【覇王アッティラ 】
(映像はここは映っていないが、この言葉を受けて次のエツイオの言葉があるので書いた)
もはや裏切り者や嘘つきに成り下がったローマは
空気も汚れている。
神も力を失い、
皇帝は臆病者だ!
わが鞭でわが神をもたらそう。 (アッティラの大軍の勢力は「神の鞭」と怖れられた)
映像、ここから・・・
【ローマの将軍エツィオ 】
あなたが私と義兄弟になれぬと言うなら
再びローマの使者になろう。
カエサル(シーザー)の帝国の意志を伝えよう。
【覇王アッティラ 】
高慢な! 卑しい奴らめが!!
だらしなく高慢な奴らがこの世界を支配する帝国だって?
灰と骨を超えて私の勇敢な大軍は駆けぬくのだ。
汚れた灰など風で吹き散らしてやろう。
【ローマの将軍エツィオ 】
私が剣を手にし軍を指揮している限り
偉大なローマは揺らぐことはないだろう。
あなたはそのことをシャロンの戦い で思い知ったではないか。
あなたが今までのように蛮族を率いるなら
私も今までのようにローマの戦士を指揮するまでだ。 ・・・(以上、意訳です)
★「シャロンの戦い」とは・・・カタラウヌムの戦い(カタラウヌムのたたかい、フランス語読みでシャロンの戦いとも、英: Battle of Chalons)は、ゲルマン民族の大移動の時代に、フン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。両軍合せ約5万名が参戦し、うち1万名が戦死するという大激戦となった。(WIKIより)
覇王アッティラは「神の鞭」として怖れられ、アッティラの大軍が通ったあとは犬一匹いない焦土となり、アッティラはヨーロッパを
制覇していた。
この動画はアッティラが敵将であるエツイオと面会する名場面。
敵でありながらアッティラはエツイオに内心敬意を持っていた。
「英雄は英雄を知る」ということか・・・。
その結果アッティラを撃退したのが「最後のローマ人」と称賛される将軍エツイオであったが、
小心者のローマ皇帝はアッティラを打ち破りローマを護った恩人エツイオの軍功に嫉妬し、騙し討ちにする。
ローマ帝国末期の様子・・・「陛下は左腕で右腕を切り落とされました」、『ローマの盾』として活躍した国士たちを排除した皇帝に、側近が進言した言葉。皇帝はエツイオを慕う部下によって殺害される。
国家防衛を失ったローマは侵略され続け、その後はローマ法王ピオ一世がローマの財宝をすべて敵に与えてなだめた、とある。