<首相「子ども2人、最低限の義務」 国会答弁、後で撤回>
朝日新聞 http://www.asahi.com/ 2009年5月7日
麻生首相は7日の衆院予算委員会で、少子化問題に関連して「私は43で結婚してちゃんと子どもが2人いましたから、一応最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」と述べた。首相はその後、「義務という言葉は不適切だ」と発言を撤回した。
首相は、民主党の西村智奈美氏との質疑で「子どもを産んだら楽しいという話をあまり言わないんですね、この国は。子ども産んだらいいことありますよと自分自身は思うが、他の人は大変だ、大変だという話しかしていない」と持論を展開し、「最低限の義務」に言及した。
だがその後、「産みたいと思っても産めない、いろいろなことがあって産めない、肉体的理由で産めないとか、いろいろな理由があろうと思う」と自ら切り出し、発言を不適切だったと認めた。
少子化問題をめぐる発言では、安倍政権当時の07年1月に柳沢伯夫厚生労働相が「女性は子どもを産む機械」と述べたことが問題化し、安倍首相が陳謝している。
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デリケートな問題です。
確かに「産みたいと思っても産めない、いろいろなことがあって産めない、肉体的理由で産めないとか、いろいろな理由があろうと思う」のですが、考えなければいけないのはそういった理由に該当しない場合でも子供欲しがらなかったり、産もうとしなくなっていることだと思います。
現実に日本における少子化による世代間のアンバランスや、人口の減少は社会的に大きな問題なのです。
子育てをするこれからの社会への不安を口にしながら、一方で子孫に大きな借金が残るような施策で今一息つこうとしている矛盾について、もっと突っ込んだ議論をして欲しいと思うのですが、どうも言葉じりを捕らえた揚げ足取りをされたくないばかりに表面的な議論から抜け出ていない印象です。
人類が生き物である限り、子孫を残そうということは自然なことであり、「義務」とか「権利」で整理できるようなことではなく、失ってはいけない本能だと思うのですが、その本能すら「権利」の名のもとにコントロールしようとすることは果たしていかがなもんでしょうか。
オヤジも答えを持っているわけではありませんが、もっと今に生きる人たちが考えなければいけないことだと思います。
朝日新聞 http://www.asahi.com/ 2009年5月7日
麻生首相は7日の衆院予算委員会で、少子化問題に関連して「私は43で結婚してちゃんと子どもが2人いましたから、一応最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」と述べた。首相はその後、「義務という言葉は不適切だ」と発言を撤回した。
首相は、民主党の西村智奈美氏との質疑で「子どもを産んだら楽しいという話をあまり言わないんですね、この国は。子ども産んだらいいことありますよと自分自身は思うが、他の人は大変だ、大変だという話しかしていない」と持論を展開し、「最低限の義務」に言及した。
だがその後、「産みたいと思っても産めない、いろいろなことがあって産めない、肉体的理由で産めないとか、いろいろな理由があろうと思う」と自ら切り出し、発言を不適切だったと認めた。
少子化問題をめぐる発言では、安倍政権当時の07年1月に柳沢伯夫厚生労働相が「女性は子どもを産む機械」と述べたことが問題化し、安倍首相が陳謝している。
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デリケートな問題です。
確かに「産みたいと思っても産めない、いろいろなことがあって産めない、肉体的理由で産めないとか、いろいろな理由があろうと思う」のですが、考えなければいけないのはそういった理由に該当しない場合でも子供欲しがらなかったり、産もうとしなくなっていることだと思います。
現実に日本における少子化による世代間のアンバランスや、人口の減少は社会的に大きな問題なのです。
子育てをするこれからの社会への不安を口にしながら、一方で子孫に大きな借金が残るような施策で今一息つこうとしている矛盾について、もっと突っ込んだ議論をして欲しいと思うのですが、どうも言葉じりを捕らえた揚げ足取りをされたくないばかりに表面的な議論から抜け出ていない印象です。
人類が生き物である限り、子孫を残そうということは自然なことであり、「義務」とか「権利」で整理できるようなことではなく、失ってはいけない本能だと思うのですが、その本能すら「権利」の名のもとにコントロールしようとすることは果たしていかがなもんでしょうか。
オヤジも答えを持っているわけではありませんが、もっと今に生きる人たちが考えなければいけないことだと思います。
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