恋愛ラボ。
今期あまたあるソフト百合アニメの1つである。
実はだな。
このアニメ、ネットでは不穏な疑惑が取りだたされているようなのだ。
それは・・・
百合ではないということだ。
てっきり野郎は抱きまくらのダッキーだけだと思っていた。
なのに、実はそれは凄惨な日常へ続く序章でしかなかったというのだ。
それは本当なのか?
確かめていない。
原作を買えば真実は白日の下にあらわになるというのに、未だそれを確かめてはいない。
場合によっては途中で切ることになるかもしれん。
その覚悟だけは必要に思う。
いやまて。
なぜ我々はたかがこんなことで狼狽えねばならないのか?
それはだな。
俺たちが見たかったものはこんなものじゃなかったという深い絶望が、その作品への愛情が一気に嫌悪感となってこみあげてくるからだ。
まあたぶんあれだ。
AKBのファンも時折同じ思いをしているあれだ。
ただ会いにいけるだけで幸せになれたあの人、そんなふうに思っていた人でさえ、野郎のちんこ握った手で握手していると思った瞬間に
「なんで俺はわざわざ遠方からお金まで払って会いに来ているんだ・・・」
と、この世のことわりに絶望と嫌悪感を抱くのと同じことだ。
いや実際には我輩その体験をしたことがないからホントのところはどうか知らんがw
ちなみに声優オタの世界ではこの惨状のことを「耳に精子がかかる」とか「処女膜から声が出ていない」と言うようだ。
まあそれはいいとして。
百合は百合であってほしい。
夏緒がダッキー以外の男に抱き付いた時点で我々の2割は戦線から離脱する。
いや百合に限らず、我々の望まない形での超展開など起こってほしくない。
我々は見たくないものに忍耐を費やしてまで見ることはしない。
たとえば近年でいうと、さくら荘のペットな彼女は登場人物のねたみの陰湿さにことごとく辟易してそっと閉じた。
恋愛ラボはそうではないことを強く願う。
今期あまたあるソフト百合アニメの1つである。
実はだな。
このアニメ、ネットでは不穏な疑惑が取りだたされているようなのだ。
それは・・・
百合ではないということだ。
てっきり野郎は抱きまくらのダッキーだけだと思っていた。
なのに、実はそれは凄惨な日常へ続く序章でしかなかったというのだ。
それは本当なのか?
確かめていない。
原作を買えば真実は白日の下にあらわになるというのに、未だそれを確かめてはいない。
場合によっては途中で切ることになるかもしれん。
その覚悟だけは必要に思う。
いやまて。
なぜ我々はたかがこんなことで狼狽えねばならないのか?
それはだな。
俺たちが見たかったものはこんなものじゃなかったという深い絶望が、その作品への愛情が一気に嫌悪感となってこみあげてくるからだ。
まあたぶんあれだ。
AKBのファンも時折同じ思いをしているあれだ。
ただ会いにいけるだけで幸せになれたあの人、そんなふうに思っていた人でさえ、野郎のちんこ握った手で握手していると思った瞬間に
「なんで俺はわざわざ遠方からお金まで払って会いに来ているんだ・・・」
と、この世のことわりに絶望と嫌悪感を抱くのと同じことだ。
いや実際には我輩その体験をしたことがないからホントのところはどうか知らんがw
ちなみに声優オタの世界ではこの惨状のことを「耳に精子がかかる」とか「処女膜から声が出ていない」と言うようだ。
まあそれはいいとして。
百合は百合であってほしい。
夏緒がダッキー以外の男に抱き付いた時点で我々の2割は戦線から離脱する。
いや百合に限らず、我々の望まない形での超展開など起こってほしくない。
我々は見たくないものに忍耐を費やしてまで見ることはしない。
たとえば近年でいうと、さくら荘のペットな彼女は登場人物のねたみの陰湿さにことごとく辟易してそっと閉じた。
恋愛ラボはそうではないことを強く願う。