撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Sarospatak (シャロシュパタク)の教会

2013-03-30 00:30:00 | 海外生活

 前回のZemplén-hegység (ゼンプレーン山脈)を廻り込んで反対側(東側)の麓にある国境の町に

向かいます。 国道37号線を目指します。 国境に沿って行けば、景観が楽しめること間違いなし。 

 

<百四十八番札所; Sátoraljaújhely (シャートラリョ・ウイヘイリィ)修道院>

  ここ Pálos 修道院は、13世紀に建てられた。 1786年に神聖ローマ帝国皇帝 Józef 2世

 (オーストリアの 皇帝でもあった)の命令により、Pálos の信仰活動が禁止されたので、

 以後 Piarist (ピアリスト)会の修道院となった。      

    Pálos : 聖職者Pál の教え

    Piarist :  1957年に聖ヨゼフ・カラティウスによって創立された聖職者修道会

 

 

 

         オリジナルの門及び石の彫刻を建物内部に保存展示

 

 

 翼祭壇             祭壇内部の壁画(バロック)は目が眩むばかりの美しさ      

 

 

 内陣祭壇側         内陣入口側

 

 

<百四十九番札所; Sárospatak vártemplom (シャーロシュパタク城教会)

   教会は城の敷地内に建つ、北ハンガリーで最大級のゴシック様式のホールタイプの教会である。

  教会の建築は 1537年であり、城が1534~1537年の建立であったので、城と同時に工事は進められ

  ていたと思われる。

  町の人口は、13,000人(2009年)で、非常に美しい、静かな落ち着いた町である。

  城と教会は、当時の石垣で囲まれており、脇には Bodrog (ボドログ)川が流れている。

  向こうに城を眺む。

 

 

 

 内陣(祭壇側)      内陣(入口側)        南門

  

 

<百五十番札所; Karcsa református (カルチャ) カルビン派教会>

   教会は、ロマネスク様式のレンガ造り、12世紀に建立した祭壇を6分割したユニークな

  円形教会である。 

  内陣は、13世紀に美しく整え、イタリア・フランスの影響を受けた石彫刻を見ることが出来る。  

  1964~1968年にオリジナルスタイルに復元させただけあって、建築美は素晴らしい。

 

 教会正面            南側から

 

 

           正面門周りの石彫刻

  

                             南門

 

 

 祭壇側からの教会外観               西側にかわいい鐘塔あり。

 

 

祭壇のアーチ形状ブースは6つある。 現在の祭壇は1764年に作り、他の部分より新しい。

 

 

 柱に施した彫刻は、イタリア・フランスの影響を反映している。

 

 

 この地域は刺繍が盛んで、教会の中で展示即売していた。

 

 

  これで、「Sárospatak (シャーロシュパタク)の教会」はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」 

 

 

 

 

 

 


Zemplen (ゼンプレーン)山脈の教会

2013-03-29 00:15:12 | 海外生活

 Zempléni-hegység (ゼンプレーン山脈)の麓を幹道の国道3号線でスロバキアへ向かうと

国境手前が今回の目的地である。 森はあくまでも深く、手つかずの大自然は動物の楽園であろう。

 

 Zempléni-hegység を仰ぎ見る。       Boldogkö (ボルドグクー)城(13世紀創建)

 

                                   

                                                                          ここまで来たら是非、寄って欲しい所、

                                                                          Aggtelek (アッグテレク)バラドラ洞窟

          1995年にユネスコの世界遺産に登録....但し、国道27号線の方が近い。 

 

 

<百四十五番札所; Vizsoly református (ヴィジョリイ) カルビン派教会>

  教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられたのがオリジナルである。 のちに14世紀に

    ゴシック様式の内陣と塔を一緒に追加、拡張した。 

    内部には13、14、15世紀の中世フレスコ画のオンパレードである。

 教会内には伝道師 Károlyi Gáspár (カーロイ・ガスパール)の聖書オリジナルが展示されている

 

 東側(祭壇側)からの眺め            北側からの眺め

 

 

塔と大きい方の内陣は14世紀に建立。   13世紀に建った小さい方の内陣と南門。

  

 

 大きい内陣の南門。    小さい内陣の南門庇部の飾り。 どちらの南門も使われていない。

 

 

 小さい内陣から祭壇側を見る。        内陣同士の境目、説教台は1792年作品。

 

 

 大きい内陣から祭壇を見る。         内陣の境目壁の壁画(15世紀初期のもの)

 

 

 小さい内陣の壁画(1400年代のもの)

 

 祭壇と壁画(13世紀のもの)      小さな内陣の天井(アーチ対角線リブ...ゴシック)

  

 

 Károlyi Gáspár の聖書 (1590年)

 

<百四十六番札所; Gönc református (グンツ) カルビン派教会>

  教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられたものを、14世紀にゴシック様式の内陣で拡張した。

 今日の教会は、18世紀にバロック様式で再建されたものである。

 

 

 

祭壇は内陣の真ん中(カルビン派の特徴)    東側信者席

 

 

 西側信者席

 

<百四十七番札所; Szent Imre (セント・イムレ) ローマ・カトリック教会>

   教会は、14世紀に聖イムレを祀るために、ゴシック様式で建てられた。 

       1530年代にルター派の教会として、のちにカルビン派に使われた。 1640年に火災で

       焼失した為、当初の物はほとんど残っていない。

   1712年の終わりにカトリックに教会は戻ってきた。 1714年と1777年にバロック様式

     で再建された。

   今日の教会は1827年に、祭壇と内陣の壁を強化・改修したものである。

 

                ゴシック様式の窓(当初のもの)

    

 

 内陣祭壇側            手水鉢の側面に葡萄房のレリーフ(1728年作品)

 

 

 内陣入口側

 

 

  これで、「Zemplén (ゼンプレーン)山脈の教会」 はお終いです。

 

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 


Miskolc (ミシュコルツ)郊外の教会

2013-03-28 01:19:43 | 海外生活

 今回はMiskolc から、まっすぐ北上し、スロバキアの国境付近まで案内しましょう。

 

<百四十一番札所; Boldva reformétus (ボルドヴァ) カルビン派教会>

  教会は、1175~1180年にロマネスク様式でベネデクト修道院教会として建てられた。 

   しかし1285年にタタール族の襲撃によって教会は焼失し、隣にあった修道院も破壊してしまった。 

   生き残ったモンク達は、バラトンの南西部にあった Somogy vár の修道院に逃れ、ここでのベネデクト

   修道院の活動は終わった。 

  その後、修道院は建てられることはなかった。 

  1552~1560年の間に、カルビン派によって教会は再建された。 南側の塔は19世紀の建立。

 

   

 

 隣にあった修道院跡(現在は基礎のみ残る)

    

 

 内陣祭壇部           祭壇部には飾り物は何もない。

  

 

<百四十二番札所; Szalonna református (サロンナ) カルビン派教会>

   教会は、アールパード王朝時代の貴重な石造りの教会である。 11世紀に建てられ、13世紀には

  ロマネスク様式で四角い内陣を拡張追加した。 この時に施されたオリジナルの壁画「聖マルギットの

  伝説」は必見である。 1562年にオスマン・トルコ軍によって壁画はすべて、白い漆喰で上塗り

       された。

    1589年には、すでにカルビン派の所有となり、特徴のひとつである木の屋根等の改修を図り、

    1970年には上塗りされた壁を削り取り、今日見られるようにした。

 

 東方向からの眺め                  祭壇部外観

 

 

 内陣(祭壇側)

 

 祭壇の壁画 「聖マルギットの伝説」を描写

 

 内陣入口側(西側)               説教台飾りと柱に描かれた壁画

 

 

 西側入口門                 門上部のレリーフ(浮き彫り)

 

 

<百四十三番札所; Rakacaszend református (ラカツァセンド) カルビン派教会>

  教会は、12世紀に半円形の祭壇部分と四角い内陣をロマネスク様式によって建てられた。 

   13世紀には半円形の反対側に、更に四角い内陣を追加拡張した。 この時の壁画が追加した内陣内部

   に残っている。

 

   

   

 

 12世紀の半円形の内陣側           壁の縁に描かれた壁画(15世紀作)      

 

 

 13世紀に拡張した時の壁画(半円形内陣の反対側)

 

 天井の絵板(パネル)

 

<百四十四番札所; Tornaszentandrás (トルナセントアンドラーシ)R・K 教会>

  教会は、12世紀にロマネスク様式で建てられた。 国内では貴重なツイン祭壇構造教会である。

 14世紀にゴシック様式で拡張され、内部にはその時の壁画が残されている。

 今日見られる教会は18世紀に改修したものである。

 

半円形の祭壇が2つ並んでいる(ツイン構造)  屋根の上には特徴ある小さな塔(18世紀設置)

 

 

 右の小さい内陣は12世紀ロマネスク様式で

 左の大きい内陣は14世紀ゴシック様式で      説教台(13世紀のもの)      

 

 

 内陣(相似形の祭壇2つ)

 

壁には「聖アンドラーシの伝説」の描写(14世紀の壁画)  木製のマリア像(18世紀)

  

 

 信者桟敷席(18世紀設置)

 

  これで、「Miskolc (ミシュコルツ)郊外の教会」はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 


Miskolc (ミシュコルツ)の教会

2013-03-26 22:41:34 | 海外生活

 ミシュコルツは、人口168,000 人(2011年)で、現在国内第4位の大都市であるが、1989年の共産圏

時代は人口が20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次いで、第3位の工業都市であった。 

その後、旧ソ連の撤退により人口は激減した。 大都市の共通のことであるが、ここミシュコルツ市街地

にも古い教会は少ない。

それは外部からの侵略者の攻撃により焼失するせいと、町の近代化の為に消失してしまうためであろう。

歴史的に古いものとしては、Diósgyőri vár (ディオーシュジョール城)がある。 13世紀半ばに、

モンゴルの襲撃対策として作られた石造りの砦城。 ミシュコルツは山と渓谷に囲まれた都市であるため

に、郊外には美しい自然がいっぱいである。

 

 Diósgyőri vár                                           Lillafüred (国内で一番の景勝地との評判)

 

 

<百三十八番札所; Miskolc Avas református (アヴァシュ) カルビン派教会>

     ミシュコルツで、最も古い教会が町中のアヴァシュの丘の上にある。 13世紀にロマネスク様式で

 建築が始まった。 この時は小さい単内陣の教会であったが、後に14世紀にゴシック様式で3層内陣

 構造に拡張した。

 しかし、1544年にはオスマン・トルコ軍の攻撃により、焼失してしまった。

 1560~1569年にカルビン派によって、現在の教会に再建築された。

 

 塔と教会の建屋は離れている。         塔の屋根に特徴(カルビン派)

 

 

 裏には墓地                  教会正面

 

 

 祭壇は真ん中(カルビン派の特徴)          両サイドには聖歌隊席   

   オルガンはネオ・ゴシック(1816年)

 

 

 

<百三十九番札所; Zubogy református (ヅボジィ) カルビン派教会>

    教会は、15世紀にゴシック様式で建てられた。 ローマ時代に描かれた絵板(パネル)の天井が

ユニークで美しい。 1726年に老朽化した絵板を改修し、1758~1762年の間に内陣の周り

の飾り、家具、床等を整え、今日に至っている。

                       カルビン派の典型的な塔

 

  

 

 祭壇は内陣の真ん中に位置。          天井の絵板(パネル)

 

 信者席(西側)                信者席(東側)

 

 

<百四十番札所; Rundabánya református (ルンダバーニャ)カルビン派教会>

    教会は、14世紀にゴシック様式で建てられ、15世紀には3層内陣、リブを張ったゴシックの

   典型的なアーチ形天井、祭壇等を拡張した。 

  トルコの占領時代には破壊されていたので、1660年に改築した。  1758~1762年には

  内陣を整え、塔を建てたのは1896年である。

 

南側から眺む(手前が鐘塔)      東側(祭壇側)外観

 

 

                祭壇 (北側の壁にはフレスコ画)

 

 

   左側 : 聖ゾフィアと子供  右側 : 聖イロナと十字架 (1430年作である)

 

 天井の絵板(パネル) 1726年に改修

 

 説教台の脇に置かれた大理石の墓石(1437年作)   祭壇と説教台

 

 

  南壁面左下の日時計

 

 

  これで、「Miskolc (ミシュコルツ)の教会」はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Eger (エゲル)の教会

2013-03-25 15:00:50 | 海外生活

 エゲルは、城、温泉、歴史的建造物、そしてワインの町として、どれも当てはまる故に、ハンガリー国内

では、人気Top10 に入る町であろう。

人口は、56,500人(2011年)で国内19番目、市街も小じんまり、綺麗にまとまっている。

城は、1552年にオスマン・トルコ軍と38日間の死闘を戦い抜き、1596年まで防戦し続け、結局、

トルコの占領時代は91年間と他に比べ短かった。 この戦いの話は学校の教科書でも書かれており、誰も

が習うために、この町が人気のある所以かも知れない。 又、兵士がワインを飲んで士気を高めたのを、

トルコ兵が見て、牛の血を飲んでいると恐れたという逸話もあり、銘柄 “Bikervér (雄牛の血)” ワインは

全国区。   ワインセラーは町の中心から2kmで徒歩範囲、つい行ってみたくなる地名、Szépasszony

Völgy (美女谷)。

但し、町中には、さほど古い教会はないのは残念である。

 

Dobó István 広場と左側は Ference 教会(1770年建立)  大聖堂(1836年)

 

 

 エゲル城 (1687年までトルコ軍が使用していた為、綺麗に残っている)

 Minaret (イスラム尖塔) 高さ38m (17世紀初めの建造)

 

 

<百三十六番札所; Bogács Szent Márton (ボガーチ聖マールトン)教会>

  教会は、1248年に聖 György を祀って、すでにこの場所に建っていたという記録が残っており、

 その後、14世紀に再建された。 今日見ることのできる教会は、1958年にローマ時代の部分を

 復古させるために、石作りの塔や聖具室等を復活させた。

 

 オリジナルのロマネスク・ゴシック様式に改修。

 

 

 正面入口門       塔の窓はゴシック様式

  

 

<百三十七番札所; Bélapátfalva (ベーラパートファルヴァ) 修道院教会>

  修道院は、1232年にエゲル司教 Kilit 2世によって、ベネデクト派の修道士の為に設立された。

 その後、13世紀の初めに、アールパード王朝の君主ラスロー4世によって破壊されたが、14世紀

 ~15世紀にゴシック様式で再建された。

 雄大な Bükk 国立公園の麓に佇む、ほとんど無傷で残ったローマ時代のベネデクト修道院教会で

 あり、国際的にも建築専門家の間に興味を持たれているという。

 内部は三層内陣構造で、まさに中世を代表する高い石柱アーチ天井である。 塔はない。

 

西側正面の壁には、バラの花弁をあしらった丸窓と門柱がみごとに調和(ゴシック&ロマネスク)

 

 

南門に相当する通用門(実際は西)

 

 

 主祭壇側の外観

 

 

 主内陣(祭壇)     主内陣(入口側)     翼内陣側廊

  

 

 教会横に修道院宿舎跡(基礎のみ)        Bükk 山脈を眺む

 

 

     これで、「Eger (エゲル)の教会」 はお終い。

 

「バラトン遍路の旅」