撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

国8沿線(2)ヘレンド磁器の里

2019-09-25 22:35:45 | 海外生活

 我が国日本でもご存じのように、数え切れないほどの窯元があって、有田焼だとか九谷、伊万里

だとか全国各地で「我こそは ....」という自慢の陶磁器がある。 それは日本に限ったことでなく

世界中のどこの国でも云えるようで、ここハンガリーでも知る人ぞ知る自慢の陶磁器がある。

ハンガリーの中で、三大名窯メーカー*の一つであるヘレンド磁器の工場が国道8号線沿いにある。

驚いたことに9月22日に秋篠宮佳子様がここ(ヘレンド磁器の里)をご訪問されたことを後で

知り...今回の小生訪問の3日後であった.... 嬉しいような残念なような。

 

  ヘレンドの磁器花瓶

 

 ここで前置きをちょっと....

  焼き物には、狭義な意味で3つの種類に分けられる。 陶器と磁器そしてセラミックである。

 それらは用途によって原料(配分も含めた)と焼き方と云われる焼成条件が異なる。

 陶器とはいわゆる瀬戸物であり粘土を800~1200℃で焼き、特性として脆くて、表面がザラ

 ザラで吸水性に富んだ物。 (瀬戸焼、常滑焼、益子焼、備前焼等)

 磁器とは石の成分の多い粉を1200~1400℃で焼いた、薄くて硬く、表面がツルツルした物で

 唐津焼が日本で最初に始めた所である。(他に有田焼、伊万里焼等)

 セラミックは強度、耐熱性、電気絶縁性に優れた特徴を生かした新しい時代の産業製品(特に

 電子部品や半導体素子等)に使われており超高温の2000℃前後で焼成して、主原料のSiC

(シリコンカーバイト)の大小の粒径を焼成融着させた多孔性を利用した排気ガス除去フィルタ

 としても最近の地球温暖化対策に一役買っている。

          (....10年間ほどこの道で食っていたことがあり、ついつい蛇足でした。)

<ロケーション>

  ヘレンドの工場は1826年にウィンツェ・シュティングル(ショプロン生まれ)によって

 創立され、1851年の第一回ロンドン万博でヴィクトリア女王に認められ、ヨーロッパ各国

 の王侯貴族の間で人気を博している。

 

 ● ヘレンド磁器工場の正面玄関と左側がミュージアム                                 Sep. 19 2019

  数年毎にライオンは衣替えされているようだ             Apr. 24 2011

 

 ● 直売所(左側)                           Sep. 19 2019

 

  壁角に興味深い彫像が(聖母マリア様かな?)

 

売店入口

 

店舗内部

 

 ● 製造工程見学(見学ビル)                       Sep. 19 2019

 

 1. 成形工程                               Apr. 24 2011

 

 2. 焼成工程

  

 

 3.絵付け工程 

 

 4.焼き付け工程           5.製品

     Apr. 24 2011

 

 ● ヘレンドの食器を使ったレストランと喫茶店(ビルの中央)       Sep. 19 2019

 

 * 他のハンガリー陶磁器メーカー 

 (2) ジョルナイ (Zsolnay) 

 ハンガリー南部の街ペーチ (Pecs) にあり創立1853年の特に瓦などの産業陶器の方が強い。

                                     Dec. 31 2011


ブダのマーチャーシュ教会のカラフルな瓦と独特な輝きの磁器

       Jan. 01 2014                                                    Sep. 24 2019

    

 

<ロケーション>

(3) ホローハーザ (Hollóháza)

  ハンガリー北東部スロヴァキア国境沿いの村にある1777年にガラス工房として創立し、

 後に磁器も手掛けた。 実は未だ行ったことはないので画像はSNS Wikipedia より拝借。

  

                                       Sep. 23 2019

 

 以上の三大名窯の製品は日本でも購入することは可能である。

 ・ ヘレンド製品   ;高島屋デパート

 ・ ジョルナイ製品  ;楽天市場(ネット通販)

 ・ ホローハーザ製品 ;ホローハーザ・ジャパン、楽天市場、Amazon

 

    これにて「国道8号線沿線(2)ヘレンド磁器の里」は、お終いです。

    本ブログへのご参加、ありがとうございました。 

 

 

 

「ハンガリーでのんびり」


バラトンそぞろ歩き(24)秋晴れ

2019-09-22 00:04:41 | 海外生活

 まさに、「天高く馬肥ゆる...」「秋雲たなびく...」バラトンブルーの日和り続きで足はつい、

バラトン湖の二大行楽地の初秋に向いてしまう。 貼付の画像は全て、Sep. 20 2019に撮影。

1.ティハニ (Tihany)

 ● ベネディクト派の修道院教会 (Apátsági templom) ; 1055年に創建、1754年再建(現状)

 詳細は本ブログ 2013/09/13 投稿の「バラトンの車窓から(6)ティハニ」参照。

 ホームページ http://motsukahu.web.fc2.com 「バラトン遍路の旅」を参照下さい。

  

  年々、凄い勢いで観光地化開発が進んでおり、その変貌ぶりに目を見張らされる、

 何年経っても変わらない場所が多い中で、ここだけは別の国のようである。

 

 ● ティハニの船着場

 

 ● 湖畔沿いの道路;向こうの街並みはバラトンフレド (Balatonfüred)

 

<ロケーション>

 

2.バラトンフレド (Balatonfüred)

 ● フレドの船着き場

 

 ● フレドから眺めるティハニの修道院教会

 

 ● ティハニ半島を越えた向こうにM7高速道路の高架橋が走る。

 

 ● 対岸はシオーフォク (Siófok) の街を望む。

 

 ● 若者の街だった湖畔のプロムナードもこの時期はご覧の通り(夏去りぬ)

  金曜日の午後だった。

 

 ● ギャルと子供達で行列が出来ていたアイスクリーム屋さんもオジサンとオバサンが.....

 

3.ティハニ (Tihany) で見つけた草花

 ● まだ残っているラベンダーと旬の薔薇たち

 

 ● ビロード・モウズイカとケルショー湖 (Külső-tó)

 

   これにて「バラトンそぞろ歩き(24)秋晴れ」は、お終いです。

   本ブログへのご参加、ありがとうございました。

 

「ハンガリーでのんびり」 


国8沿線(1)ケルメンドとトーリェ修道院教会

2019-09-17 16:04:18 | 海外生活

1.序

  ハンガリーの国道の番号構成は単純なロジックで成り立っており、それを頭に入れておく

 ことに依って、かなりの方向音痴は解消される。

 首都ブダペシュトの中心から放射線状に、一級国道(番号が一桁の国道)が周りの各国境まで

 伸びている。 番号の付け方は国道1号線を基準に時計回りに順に、2,3,4....8号線で

 一周する。 二桁の番号は準一級国道として、一級国道の間に入る形で番号が付けられている。

 三桁の番号の国道は一級国道と準一級国道同士を蜘蛛の巣のように横で結んでいる二級国道。

 高速道路は一級国道に沿うように走っており、一級国道の番号の前にMという文字(モータ

 ウェイという意味)が付けられている。

 但し、国道8号線(国8)のみブダペシュトが始点でなく、セーケシフェヒールヴァール 

  (Székesfehérvár) が始点でオーストリア国境まで伸びており、Mの付いた高速道路はない。

  小生の住むバラトン湖から西欧に向かうルートの一つとして、国道8号線はよく使うルート

 で沿線界隈の興味深い所を、これまでに既に紹介してきたものと重複するかも知れないが、

 沿線(街道)という切り口で訪ねてみたい。 貼付した画像は特記以外、Sep. 12 2019に撮影

 

2.沿線の街

 2-1. ケルメンド (Körmend) の中心部

  Vas 郡に所属する人口約12,000人の町で、国8沿線では3番目に大きい(Székesfehérvár 

 と Veszprém に次ぐ)町である。 ハンガリーの貴族バッチャーニ (Batthyány) 家が所有

 した宮殿(城)の周りに使用人、小作人が集まって出来た町である。

  自由広場 (Szabadság tér) に佇む1848年の独立運動の指導者コシュートの像と市庁舎

 

 桜に囲まれた第一次世界大戦の戦没者慰霊碑                Mar. 28 2019

 

 ● バッチャーニ・ミュージアム (Dr. László Batthány-Strattman Museum)

 正面の宮殿と門は、13~14世紀に建てられていた城の上に17世紀に建て替えられた。

 所有者は Edmund BatthányüStrattman (1826-1914) & Dr. László 親子 (1870-1931)

 

 2-2. ケルメンドの教会

 ● 聖エリザベート教区教会 (Szent Erzsébet Plébánia templom)

  オリジナルは 1244年に既に建てられており、1490年にはゴシック様式で、1731年には

 バッチャーニ家によってバロック様式で再建された。 以後3回の大改修があり1980年に

 改修したものが現在の姿である。

  

 

 ● ルーテル教会 (Körmendi Evangélikus templom)

    建立時期不明

 

3.沿線にある古城と教会

 国8は昔流で云えば街道であるので沿線には古城が多く、城と云えば当然ながら教会も多い。

<ロケーション>

 

 3-1. シュメグ城 (Sümeg vár)

  国8から国道84号線にちょっと入った所にある。

  詳細は 2017/04/27 投稿の「バラトンそぞろ歩き 古城(3)」を参照

 

 3-2. ショムロー城 (Somló vár)

  国8から城のある山は見える

  詳細は 2019/04/27 投稿の「バラトンそぞろ歩き 古城(8)」を参照

 

 3-3. テュリエ (Türje) の聖母マリア修道院教会 (Boldogasszony templom)

   アルパード時代の1230年以前にローマネスク様式の単身廊の教会と北側に修道院が繋がる

 形で建てられた。 農場施設(穀倉など)も備えた複合体であったが 1547年に焼失した後は

 ヴェスプレームの要塞として使われていたが、18世紀にバロック様式で南側にも修道院を追加、

 1921年には教会タワーとファサードが再建された。

 現在は北側修道院が老人ホームに使われている以外は廃墟になっている。実は11年前に一度

 立ち寄っているが、その廃墟化が一層進んでいるのに心を痛めている。

 教会は2021年を目指して再建計画が立てられているが ......

   

  

 

  教会北側修道院(現在は老人ホーム)からの教会側壁

 

  教会南側の修道院は廃墟になっている。

 

 祭壇のフレスコ画は 1761~1763年の作品

  

 

  身廊の南壁面、注目点はロマネスク様式特有のヴォールト構造の柱と石造天井。

 老人ホームの隣なりの閉鎖されている聖具室から撮らせて頂いたので、北側壁面にある

 「聖ラディスラウスの伝説」を描いたフレスコ画(一番の宝物)は見ることが出来なかった。

  

 

 祭壇天井部を飾るフレスコ画(いずれも貴重な宝物に違いない)

 

   これにて「国8沿線(1)ケルメンドとテュリエ修道院教会」は、お終いです。

   本ブログへのご参加、ありがとうございました。

 

「ハンガリーでのんびり」  


バラトンそぞろ歩き(23)秋と夕焼け

2019-09-15 10:10:34 | 海外生活

◆ バラトンアリガ (Balatonaliga) 湖畔にて、

  あの喧騒は何処へ行ってしまったのだろう、取り残された沖の飛び込み台と無人の湖岸で

 戯れる白鳥が去り行く夏の移ろいを告げている。

                                     Sep. 10 2019

 

                                                                                                          Jul. 07 2019

 

  そして早まる日没で、僅かの間の夕焼け空が郷愁を一層掻き立てる。 そんな夕焼けが

 最も映える場所、恐らくバラトン湖周辺では一番かも知れない。

                                        Jul. 25 2019

 

<ロケーション>

 

 アリガ (Aliga) 湖畔から望む夕焼けスポット                 Jul. 07 2019

 

◆ Sep. 10 2019

 夕日の丘より南方角(シオーフォク Siófok) を眺めれば美しい緑が続く。

 

 夕日の丘の対岸は、アルショーウルシ (Alsóörs) の山並みを望む。

 午後9時頃の日没が2時間も早まり、6時半より夕焼けが始まるようになった。

 

◆ Sep. 12 2019

 

◆ Sep. 13 2019

 ティハニ (Tihany) 半島とザマールディ (Zamárdi) の最も狭まった水域、その先は見えない。

 

 野生の林檎も実りの時期を迎えている。

 

 女神の像の傍らでは ...

 

◆ Sep. 14 2019

 

   これにて「バラトンそぞろ歩き(23)秋と夕焼け」は、お終いです。

   本ブログへの参加、ありがとうございました。

 

「ハンガリーでのんびり」       


「春の目覚め作戦」バラトン湖の戦い(2)

2019-09-01 00:32:09 | 海外生活

 前回に引き続き、この戦いで最も激戦区であったバラトン湖~ヴェレンツェ湖間の残りの戦線を

辿ってみる。 (以下の写真は特記以外、Aug. 28 & 30 2019 に撮影)

<ロケーション>

 

4.オゾラ (Ozora) 村

  オゾラには、オスマントルコ軍と戦った古い城があるような山間に位置している為、今回

 の戦線からは離れていた。 よって村の破壊もなく城と教会は無傷で残った。

   村の中心部 (真ん中にはコウノトリの巣が)

 

 教会(左)と城(右)は1410年代に建立された(当時のイラスト)

  

 1740年代にバロック様式で再建された、改革派教会と隣なりの城。

    

 

5.ツェツェ (Cece) の村

  ツェツェの付近から平原(プスタ)が開けており、ドイツ軍はこの辺の突破を図ったと

 推定される。 国道61号線がツェツェ村(人口2,800人)に向かう幹線道路は真っすぐ。

 

 ● ツェツェ村の教会

 1.ローマカトリック教会 (Cece Szent kerest templom)

   

 

 2.改革派教会 (Cece Református templom)

   1789年に建立

 

 <当時の戦場懐古写真>     写真は「バラトン湖の戦い」 大日本絵画出版より拝借

 

6.カーロズ (káloz) 村

  この辺りは湿地帯で小さい湖(池)も多く、当然フラットな地形である。

 冬場には川も凍り付くだろう。 カーロズ 村の人口は2,300人。

 

 ● カーロズ (Káloz) 村の教会

 1.ローマカトリック教会(1743年の建立)  2.改革派教会 

       

 

7.シャールケレストール (Sárkereszstúr) 村

 村の人口は約2,500人で、90%がハンガリー人で、カトリック教徒は60%、改革派教徒13%

 

 ● シャールケレストール (Sárkeresztúr) の教会

 ローマカトリック教会 (Római katolikus templom)  ....18世紀に建てられた

 

8.シャーロシュド (Sárosd) 村

 遮る林も森も無ければ、窪みも無し、夏は灼熱、冬は吹きっさらし。 人口は約3,200人。

 

 ● シャーロシュド (Sárosd) 村の教会

 ローマカトリック教会 (Rónai katolikus templom) .... 1824~1827年に建立

 

9.ヴェレンツェ湖 (Velence-tó) 付近

  湖は首都ブダペストから最も近い(約50 km) 避暑湖である。 周辺の町、村を加えた人口は

 約6,000人である。 南岸の町ガールドニィ (Gárdony) までをバラトン湖の戦いと呼んでいる。

 

 <当時の戦場懐古写真>

◆ 献花

 旅の途中で見つけた草花を儚く散った若者たちに捧げよう。

(♪ 花束を君に贈ろう~ ...Youtubeでも聴きながら読んで頂けると平和への喜びが一入かと)

 ●エニイング (Enying)三位一体教会の境内より             Aug. 27 2019

  色鮮やかなユウセンギク

 

   アガパンサス(上)とマリーゴールド(下)

 

 まだ残っていたネムの花

 

 ● カーロズ (Káloz) 付近の河原より                    

        ヨシ(上)と野に咲くアザミ(たむらそうかも?)

 

 リンドウ

 

    これにて「春の目覚め作戦」バラトンの戦い(2)は、お終いです。

    本ブログへのご参加、ありがとうございました。

 

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