撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ブダペストの秋

2018-10-30 19:00:46 | 海外生活

 「朋遠方より来るあり、」久しぶりにブダペストを案内がてら一回りブラつくことにしたが、

この時期(晩秋)の写真がアルバムの中に意外と少ないのに気づき、ブダペストの秋模様を

撮ってみたいと思った。

1.王宮の丘 (Vár) からの秋

 今にもポツリと来そうな空模様、晩秋日和りではないか(本当はカラッと晴れて欲しかったが)

  Oct. 26 2018

 

 

 

 

 

2.ペスト側からの秋

 

 覗き見るマーチャーシュ (Mátyás) 教会と漁夫の砦 (Halaszbastya)

 

 

 

 国会議事堂の対岸

 

 晩秋に見る靴たちは一層、もの悲しくて、涙が誘われる‼

 

 

3.Budapest Eye からの秋

 2014年の5月に登場した期間限定の大観覧車、期間限定といえども、何故か期間が過ぎても

 Erzsébet tér に居残っている移動式観覧車。 今回は10月末で終了になっているが?

                                   Oct. 26 2018

 

  聖イシュトヴァン大聖堂 (Szt. István Bazilika)                                    Oct. 26 2018

 

 ライトアップされたくさり橋 (Széchenyi Lanchid)

 

 英雄広場まで一直線のアンドラーシ通り (András út)

 

4.英雄広場 (Hősök tér) からの秋

 とうとう久しぶりの雨に枯葉も濡れる。                Oct. 27 2018

 

 ヴァイダフニャド城 (Vajdahunyad vára) ... 1896年の博覧会用に建てられたもの。

                                   Oct. 27 2018

 

5.ゲッレルト (Gellért) の丘からの秋

 雨に煙るブダペスト市街                      Oct. 27 2018

 

              これにて「ブダペストの秋」は、お終いです。

 

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バラトンそぞろ歩き(13)フォニョード

2018-10-23 10:04:41 | 海外生活

 バラトン湖南岸で一番風光明媚な所と云ったら、フォニョード (Fonzód) ではないだろうか。

南岸は概してフラットな地形なので、見晴らしという点では北岸には敵わないが、フォニョード

辺りは高い台地で対岸の美しい山々(太古の昔に火山の噴火で隆起した)が一望出来る。

最初にバラトンに来たのがここであり、以後バラトンの虜になった小生にとって特別な場所でもある。

                                  Oct. 15 2018

 

 <ロケーション>

 行き方;クルマならばM7高速道路で、ブダペストから150 km 出口で下りて湖岸に向かう。

     電車ならば、MAVでBP南駅まで急行で約2時間、この時期1時間に1本くらい運行。

 

1.秋景のお薦めスポット

 道中途中にあるコールシヘージ (Kőröshegy) 高架橋である。 近隣の環境保護問題で難航し

 工事が始まったのはやっと2004年であった。 完成したのは2007年の8月でM7高速道路は

 それまでクロアチアから一気通貫できず、長い間この地域のみ迂回していた。

 この高架橋の完成によってアドリア海までが、ぐうっと近くなり、バラトン湖もブダペスト

 の郊外と云われるようになった所以だろう。

 ● バラトン湖対岸 (Balatonkenese) から

                                                             May 25 2008 撮影 AF Nikkor 70-300mm

 

 ● 高架橋の下から              

                                                          Oct. 20 2018 撮影 AFS Nikkor 18-135mm

 

 ● M7高速道路上から

 

 ● 紅葉が素晴らしい Balatonlelle (140 km) 付近

  Marché レストランが入っている MOLガソリンスタンドがお気に入りの Tea Time Place。

 

2.フォニョード (Fonyód)

 ● 展望台 (Sipos-hegy kilátó) からのフォニョードの街

   Oct. 20 2018

 

 北東の方角(シオーフォク  Siófok)

 

 北の方角(対岸のバダチョニ Badacsony)                                            Oct. 20 2018

  生憎の連日の好天によって湖水の蒸発で対岸が in-visible

 

 ● 湖畔の公園より                                    Oct. 15 2018        

 

 帽子の恰好をしたバダチョニ (Badacsony) 山 ... 437 m     

                                                                 Nov. 11 2007 撮影 AF Nikkor 70-300mm 

                                                                                                              

 Balaton-Fuji と勝手に名付けたグラーチ (Gulács) 山 ... 393 m

                                                             Oct. 15 2018 撮影 AF Nikkor 70-300mm   

 

 ● ファーツァノシ城跡 (Fonyód-Fácános várrom)

 オスマン帝国の脅威から昔からあった砦の位置に1543年に下記のような城が築かれた。

 対岸のシグリゲット (Szigliget) 城の隊長でもあった Magyar Bálint によって度重なる

 オスマン帝国の攻撃から城を守り、彼の亡くなる1573年まで持ち堪えたが、2年後の

 1575年に遂に陥落、破壊され、そのまま現在に至っている。

 <当時の推定イラスト図>

  

 

 上図のA視                           Oct. 20 2018

 

 上図のB視

 

 バラトンの美しい秋景、小さい秋をお届けしたかったが、2日とも靄が ...... 無念!

 またの機会を期することにしよう。

 これにて「バラトンそぞろ歩き(13)フォニョード」は、お終いです。

 

 

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ドナウ河岸歩き(9)ハンガリー大平原

2018-10-20 03:01:05 | 海外生活

 ドナウ河はブダペストを過ぎるとマジャールプスタ(大平原)の中を真っ直ぐ南下する。

他のドナウ沿岸の国々は、国境として端を掠めるように流れるが、国土の真ん中を、それも首都を

突っ切るのはハンガリーだけである。 だからドナウ河からの影響も非常に強く、川と共に生きて

来た「ドナウ魂」を最も持っている国とも云われている

 

1.ラーツケヴェ (Ráckeve)

 ドナウ河の中で最も大きな中州(島)のチェペル半島 (Csepel sziget) で、再び大きく二手に

 分かれて川は流れる。 中州の中の東側にあるドナウ河の歴史にとって見逃せない町が人口

 約8,000人の「ラーツケヴェ」である。

 1-1. ドナウ河支流に架かるアールパード橋 (Árpád hid)                 Feb. 23 2008

 

 1-2.  メイン通り .... 手前が裁判所、尖塔が改革派教会、向こうがローマカトリック教会

  

 

 改革派教会;1913年に奉献された。 ローマカトリック教会;1791~1799年に建立。

    

 

 ローマカトリック教会の内部

 

 1-3.  セルビア正教会 (Ortodox Szerb Templom)   ....裁判所の裏手にある

 1487年に建てられ、今もハンガリー国内のセルビア系住民の心の古里であり続ける。

 その昔、多くのセルビア系住民は「ラーツケヴェ」を目指してドナウ河を北上してきた。

 町は16世紀~1872年まで歴代のハンガリー国王より都市権を認められ栄えていた。

 正教会としては、非常に珍しいゴシック建築であるが、内部は18世紀中期のイコンが

 目を見張るほどに飾られている。 残念ながら写真撮影は禁止である。

 

  鐘楼は18世紀に追加された。

 

 1-4. サヴォヤイ城館 (Savoyai-Kestélyt)

 街の北外れにあるオーストリアの軍人オイゲン公(フランス貴族)の別邸であった。

 数十年前までは国際会議場、迎賓館、ホテルなどに用いられていたが、今では??? 

 

<ロケーション>

  

 

2.ドナウの渡しから近代的な橋梁へ

 ドナウ河もブダペストを過ぎると、つい数年前まではちょっと大きな街には

 カーフェリーが、人の輸送だけなら、いわゆる「船頭付きの渡し」があった。

 小生が初めて利用した1998年には、まだ運行しており、実に牧歌的であった。

 2-1. 閉鎖した Dunaujváros のフェリー乗り場        Oct. 12 2018

  用済みのフェリーが接岸放置

 

 2-2. 近代的な自動車専用橋梁 

  ペンテレ橋 (Pentele hid)  2007年7月に開通した。         Oct. 12 2018

 

<ロケーション>

  

 

3.カロチャ (Kalocsa)

 カロチャと云えば、刺繍の町として広く知られているがドナウ河の(ハンガリー)の歴史

 として重要な地域であったことはあまり知られていない。 それは穿った見方をすれば、

 あまり触れたくない屈辱の歴史であったかも知れない。 またドナウ河を辿って進出する

 オスマン帝国にとっては、どうしても手に入れたい町であったと推定できる。

 3-1. 大聖堂 (Főszékeseghaz) と大司教座宮殿 (Éeseki palota)

                                                                          Oct. 12 2018

  

  

 上の大聖堂は、1735~1754年にバロック様式で再建されたものであるが、1686年までは

 オスマン帝国のモスクとして、その前の1135~1529年まではハンガリーの大司教座であった。

 オスマン帝国が撤退する時にすべて焼き払って去った為、どのような姿であったか記録がない。

  

 大聖堂の横にある大司教座の宮殿

 キリスト教を国教とした際に、国内に4箇所*あった大司教座の1つがここであった。

 オスマン帝国の支配下では、ここが1602年まで要塞として使われており、街は1686年に

 オスマン帝国が撤退するまで、完全なトルコ人街となってしまった。

 現在の宮殿は1775年に再建されたものであるが、第二次世界大戦で大きな損傷を受け、

 現在も修復中である。

  *他の3箇所は、Esztergom, Veszprém, Trnava (スロヴァキア)

 

3-2. 聖イシュトヴァン教会 (カロチャのその他の教会)

  1860年にイエズス会の教会として建立。

   

 

 3-3. カロチャ刺繍

 刺繍にはあまり興味がなかったので、長い間 Kalocsa 刺繍はハンガリー北東部の

 Borsod-Abaúj-Zemplén 県にある karcsa(カルチャ)の事だと誤解していた。

 ● Karcsa にあるカルヴァン派教会(12世紀の建立).... お薦めの教会  

    詳細は本ブログ2013-03-30投稿に取りあげています。                        Aug. 19 2008

   

 

  教会内に展示販売されていた刺繍

 

 参考ながら下記のようにハンガリーには十種を超える刺繍が各地に存在することより

 ドナウ河が刺繍のデザイン等にもたらした影響はなかったような気がする。

 

   これにて「ドナウ河岸歩き(9)ハンガリーの大平原」は、お終いです。

 

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ドナウ河岸歩き(8)ブダペスト

2018-10-13 00:53:55 | 海外生活

 ドナウ河はドナウベントを東に蛇行しながら流れてきたが、一気に90度向きを変え国土を

真っ二つに分ける形で進路を南に取る。

1.センテンドレ (Sentendre)

 センテンドレ島の中州でドナウ河は二つに分かれるが、西側の流れの河畔に、古代ローマ

 時代から1000年以上もの歴史を持つ古い街「センテンドレ」がある。

                                                                                                     2008/Apr.

 

       ここから10kmも下るとブダペストの街に入る。

 

 この街は16世紀にはハンガリーの中のセルビア人街として栄え、当時はセルビア正教会

や礼拝堂がたくさんあり、セルビア正教会のブダ教区でもあった。

18世紀になりオスマン帝国の支配から解放されると、再び以前のようにセルビア人、クロアチア、

スロバキア、ギリシャ人などがドナウを辿って入植を始めた。 1720年の記録によると町の人口の

88%が南スラブ人であったという。 今日では民族の同化が進み90%以上がハンガリー人であるが

元を辿れば、ドナウ川流域から来た民族の筈である。

  手前の教会はセルビア正教会、向こうがギリシャ正教会である。 

  尚、詳細の教会紹介は以前のブログ (2013-03-07投稿)で取り上げています。

 

2.ブダペスト (Budapest)

 かつて、本ブログで何回となくブダペストは取り上げているので、ここではドナウ河畔の情景

 のみの記載とする。 但し、今後ドナウ河の下流へと進めていく上で、自分自身の為にもブダ

 ペストの歴史を簡単にまとめておきたい。

 1.最初のブダペスト地域に集落を造ったのはケルト人で1世紀頃である。

 2.西暦105年に、ローマ人がこの地に侵入して来て、アクインクムの中心都市を作った。

 3.アールパードに率いられたハンガリー人が9世紀になって定住し、王国を作り始めた。

 4.13世紀にモンゴル(タタール人)の侵略により町が一時消滅するが15世紀に復活。

 5.1526年にオスマントルコ軍がブダを襲撃開始し、1541年にブダは陥落。

 6.1686年にオスマン帝国から全国土を奪還したが、ハプスブルク帝国の支配となる。

 7.1783年に首都がブラチスラヴァからブダペストに移る。

 8.1848年にハンガリー革命を起こし、ハプスブルク帝国からの独立を図るも失敗する。

 9.1867年にオーストリア=ハンガリー帝国が誕生する。

 10. 1873年11月17日にブダとペスト(オーブダも含め)が合併し、一つの市となる。

 11. 第一次世界大戦の敗北で、1920年のトリアノン条約で国土の72%を失う。

 12. 第二次世界大戦で枢軸国として、日、独、伊と共に敗北し、共産主義政府となる、

 13. 1956年にブダペストで、「ハンガリー動乱(革命)」が勃発し、民主化運動が激動。

 14. 1989年のソ連の崩壊と「東欧革命」により10月23日にハンガリー共和国となる。

 

<ブダペストに架かる7つの橋>

  

 

1.アールパード橋 (Árpád hid)

 マルギット島とオーブダ島を跨ぐ形で架けられ、ブダペストの橋の中で最も長い(981m)

● マルギット島から向こうのオーブダ島を眺める。             2018/Oct.

 

● アールパード橋よりドナウ河上流を眺める。                2018/Oct.

 

2.マルギット橋 (Margit hid)

 ブダペストに架かる橋として2番目に古い橋で、1872~1876年に建設された。

 中州にあるマルギット島の南端と接している。 2009~2012年に大改修が行われた。

 

● 「漁夫の砦」より                           2005/May

 

● ブダ側の橋の麓より                             2018/Oct.

 欄干の色を黄色く、電柱にはアールヌーボー模様をあしらって中世のムードを醸し出した。

 

3.セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi lánchhid)

 ブダとペスト地区を結ぶ最初の橋として1849年に架けられた。

 第二次世界大戦でナチスドイツ軍により爆破され陥落、1949年に復興した。

● 王宮から                               2009/Sep.

 橋の向こうは聖イシュトヴァン大聖堂:50年の歳月を費やし1905年に完成。

 

● 船上より                              2007/Nov.

 橋の名前、セーチェーニは橋の建設に尽力した Széchenyi István の名を採った。

 

● くさり橋の上下から垣間見た国会議事堂                  2018/Apr.

 橋の両たもとに横たわるライオン像(4頭)は街の守護神として1852年に建造。

 国会議事堂はイギリスのウエストミンスター宮殿を模し、1885~1904に建てられた。

 

● ゲッレルトの丘からの定番の撮影スポット                2007/May

 

   冬景色もまた幻想的哉!                                                          2005/Dec. 31

 

4.エルジェーベト橋 (Erzsébet hid)

 最初の橋は1898~1903年にセーチェーニ鎖橋と同じチェーン吊り橋方式で造られた。

 建設が開始された年に、ハンガリーで「シシィ」の愛称で親しまれていたオーストリア皇后

 エルジェーベトが暗殺され、その哀悼の気持ちから彼女の名前が橋に付けられた。

 第二次世界大戦末期、くさり橋と同じ日にドイツ軍によって爆破されたが、暫く放置された

 後、1961~1964年に再建された。 但し、以前と同じでなくケーブル吊り橋方式となった。

 

● ライトアップされた日                       2009/Nov. 17

 従来は夜間照明がなかったが、日洪国交樹立140周年を記念し、日本の協力でライトアップ

 された。 写真は当日ゲッレルトの丘より撮ったもの。

                                    2018/Apr.

 

● 独立記念日                            2006/Aug. 21

 

5.自由橋 (Szabadság hid)

 橋の旧称は「フェレンツ・ヨーゼフ橋」で、1894~1896年に造られた。

 この橋もドイツ軍によって爆破、崩壊されたが、いち早く1946年には架け替えられた。

                                  2018/Oct.

    ブダペストに架かる橋の中では、最も短い橋(334m)である。     

                                   2018/Apr.

 

● 緑色にライトアップされた姿にファンが多い。             2009/Nov.

 

6.ペトフィ橋 (Petöfi hid)

 最初の橋は1933~1937年に造られたが、この橋も他と同様、爆破され1950~1952年に再建。

 旧称はホルティ・ミクローシ橋と呼ばれていた。 彼はハンガリー人であったがオーストリア

 帝国の英雄であったということで、戦後、橋の名前を改訂した。自由橋も同様でオーストリア

 皇帝の名前を改訂した。 但し、エルジェーベト橋だけは替えていない(理由は言わずもがな)

 

● ゲッレルトの丘に夕陽がまた沈む                     2008/Jun.

 

                                                                                                    2008/May

 橋の袂からHEVという近郊電車が出ており、ドナウ河沿いを共に下って行く。

 

7.ラーコーツィ橋 (Rákáczi hid)

 旧称はラージマーニョシ橋 (Lágymányosi hid) で2011年まで暫定的に使っていた。

 エキスポ '96 の万博開催の為に1992~1995年に造られた新しい橋である。

 因みにラージマーニョシという名は、この地域の名称で、工科大学、経済大学、国立劇場

 が立ち並ぶ文教地区として発展を続けている。

                                 2018/Oct.

 真ん中の四角い建物が新しい国立劇場で、ヴィガドー(マリオットホテルの横)に替わるもの。

 

 

● 上記写真の対岸にある Uj-Buda 島は、北のマルギット島に対する南の市民憩いの場。

                                  2008/May

 

     これにて「ドナウ河岸歩き(8)ブダペスト」は、お終いです。

 

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秋色のA9号線とザルツカンマーグート (2)

2018-10-05 13:36:18 | 海外生活

 ザルツカンマーグートを一躍、「世界で一度は行ってみたい所」ランキングの最上位に

したのは何といっても1965年に公開された映画「サウンド・オブ・ミュージック」であろう。

1996年に世界文化遺産に登録されたザルツブルク (Salzburg)とセットで旅したい。

ちなみにザルツカンマーグート地方の世界遺産は1年遅れの1997年の登録であった。

 

前章に引き続いて、国道145号線は Bad Aussee 付近となり、目指すハルシュタットも近い。

                                   Sep. 15. 2018

 

<ザルツカンマーグートのロケーション>

 

 以下の項目番号と上記イラストの地域番号は一致させる。

 

❿ ハルシュタット (Hallstatt)

 紀元前800年頃より村は存在しており、山の頂上には当時の岩塩坑も残っている。

 現在の人口は900人ほどのグムンデン郡の小さい村であるが、湖畔沿いの3km は都会の

 繁華街並みの賑わいである。

 ❿-1. 湖畔の美

 観光パンフレットの定番のスポット、湖畔のゼー通りが教会まで続く。 

 

 ゼー通りの反対方向、大きな建物 (Techinical Calledge) 手前まで続く。

 

 対岸の鉄道駅からの観光客を運ぶフェリー。

 

 ❿-2. 天空からの眺め

 船着場の先よりケーブルカーに乗って天空の展望橋~塩坑へ。

  

 

 ケーブルカー内から発着場付近を見下ろす。

 

 東方角の対岸、鉄道の走っているオーバートラウン (Obertraun) の町。

 

 ハルシュタットの中心街。

 

 展望橋から更に上がった所にある塩坑ハウス。

 

 ❿-3. ハルシュタットの教会

 ◆ 福音教会 (Evangelische pfarrkirche)

  皇帝ヨーゼフ2世の発布した「宗教寛容令」によってカトリックと共存する形で

  プロテスタント教会が1863年に5年の歳月を掛けて建てられた。

  1962年に全面的な改修を終えたものが現在の美しい姿である。

 

 マルクト広場脇に教会は佇んでいる。  1744年からの三位一体像 

     

 

 教会内部(祭壇部)

 

 ◆ カトリック教会 (Katholische pfarrkirche) 

 オリジナルとして1181年に小さなロマネスク様式の教会がこの地にあり、1505年までに

 ゴシック様式の教会に建て替えられた。(塔は12世紀から建築は始まっていた)

 2002年に現在の姿に改修された。

 

 

 教会の正門の上にはイエス受難のフレスコ画、壁には彫刻を飾っている。

 

 教会裏の墓地からの眺めもまた格別。

 

 墓地の上にある納骨堂 (12世紀に建造) には1200個の頭蓋骨が収められている。

 墓地が狭いために、時期が来たら掘り出し頭蓋骨のみを収納。

 

 

 教会内部

 

➍ バート・イシェル (Bad Ichel)

 オーストリア皇室の別荘地として、ハイクラスの湯治場としてヨーロッパ屈指の保養地

 で知られている。 生憎の雨模様では早々に引き上げるしかない。

 ◆ 聖ニコラス・カトリック教区教会 (Pfarrkirche)

 古文書に依ると1320年には、既にオリジナルの教会は存在していた。 1490年の塔

(高さ72m)はそのまま残し、1771~1780年に現在の教会に建て替えた。

 皇帝フランツ・ヨーゼフは夏の離宮に訪れた際の日曜ミサに通っていた。

 

 

❸ ザンクト・ヴォルフガング (St. Wolfgang)

 聖ヴォルフガングが10世紀に開いた町で、絵になる風景と評判のスポット。

 写真左の白亜の教会は聖ヴォルフガング巡礼教会で11世紀より多くの巡礼者を集めている。

 近くにあるシャークベルグ登山鉄道は映画「Sound of Music」でのピクニックシーンの舞台。

 

❻ フシュル湖 (Fuschlsee)

 ◆ 夕闇迫る湖畔のレストラン

 

 ◆ ローマカトリック教区教会 (pfarrant Fuschlsee)

 19世紀の初めに建てられ、1880年に火災が発生し、同年に修復された。

 

旅の終着地ザルツブルク (Salzburg)

 以下の写真は20年前に訪れた時のもので、カメラもフイルム装填機種でデジタル化した。

   いつか使える機会を待っていた次第で、今回の旅ではザルツブルク市街地は素通りした。

 ◆ ザルツァッハ川からのホーエンザルツブルク城塞

                               1998 Aug.  ニコンF2撮影

 

 ◆ 城塞からの市街地 ....人口15万人、ザルツァッハ川で新・旧市街が2分されている。

 

 城塞より東方角、手前はノンベルク修道院 (Stift Nonnberg)

                       「サウンド・オブ・ミュージック」にも出てくる修道院

 

 ◆ ミラベル庭園とミラベル宮殿 ... ここも「ドレミの歌」の舞台となった

 古いビデオ「サウンド・オブ・ミュージック」を引っ張り出して、また観たくなった。

  

    これにて「秋色のA9号線とザルツカンマーグート (2)」は、お終いです。

 

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