撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトン湖の教会をスケッチ(5)

2020-04-29 02:09:48 | 海外生活

 前回のタリアーンデョーグド(Taliándörögd) から13 Km ほど北へ、ヴェスプレーム

方向 へ向かうと Veszprém 城域で最も大きい支城のナージヴァーゾニ (Nagyvázsony)城

がある。

1526年、モハーチでオスマン帝国に敗れたハンガリー軍は、次に守るべき重要拠点は

ヴェスプレーム(司教本部)であり、この城はいわば、最後の砦であったかも知れない。

しかし1552年には陥落し、その後は廃墟になっていた。

(ブダペストの陥落が1541年になっているので、順番が交錯しているが一説によると

 ブダペスト城は戦わずして明け渡したようなので、こういうことは有り得たかも知れ

 ない .... 明智光秀ではないが敗者の歴史は甚だ不確かになるもののようだ)

 

<周囲の風景スケッチ>

  

    ナジヴァーゾニの坂を登りきると、バラトン湖を望むことが出来る。

 

 <ロケーション>

 

 ● ナジヴァーゾニ (Nagyvázsony) 城 = キニズィ (Kinizsi) 城      Dec. 02 2017

 

 ● 葡萄畑(一帯はハンガリー有数のワイン名産地)          Jun. 30 2007 

 

 ● ナジヴァーゾニ (Nagyvázsony) の村

  ヴェスプレーム郡(県)に所属する人口2000人弱の村であるが、歴史は非常に

 古く、建国アルパート時代のアコシ族の族長であったヴァーゾニ家の領地であった。

 1472年からキニズイ・パールが当時の国王マーチャーシュ1世より後継者のいなく

 なったこの地を任された。

 彼の偉業は下記の業績で、以降20年間、村の繁栄に尽くしたと云われている。

  1.石造りのキニズイ城を強固に再建 .....  1469年~

  2.ローマカトリック(聖イシュトヴァーン)教会の改築 ..... 1481年

  3.パール(聖ミハーイ)修道院の設立 ......  1483年

 第1項目については、本ブログ 2017/12/04 投稿の「バラトン湖の古城(2)」にて

 記載していますので、興味があったらご参照下さい。

 

1.聖イシュトヴァーン教会 (Szt. István templom) 

  

   教会のオリジナルは、11世紀のアルパート時代には既に存在しており、その

  基礎の上にゴシック様式で1481年に建て替えられた。

  オスマン帝国の攻撃で破壊されたが、幸いに残った物が多く、内陣を含め1773年に

  バロック様式で再建された教会が現在の姿である。 但し、観光用のみに使用。

 

 ● 以前(1300年頃)の教会の推定図

 

 ● 現在は .....                                                                                               Apr. 24 2020

 

 ● オスマン帝国の攻撃で残った物は ......

  入口門の上の石像                                                                       Apr. 24 2020

 

  祭壇            天井の交差リブヴォールト構造と説教台

    Jun. 30 2007

 

 壁に残されたフレスコ画

 

  香炉

 

 

2.パール修道院遺跡 (Pálos kolostorrom)  ....別名 Szt. Mihaly 

                                                                                                           Jun. 30 2007

 1552年オスマン帝国の攻撃で破壊され、以後、廃墟になっていたが 1958年に発掘

 

 キニズイ城内にある展示場の模型では ....           Dec. 02 2017

 

   これにて「バラトン湖周辺の教会をスケッチ(5)」は、お終いです。

   本ブログへのご訪問、有難うございました。

   

  


バラトン湖の教会をスケッチ(4)

2020-04-26 04:07:39 | 海外生活

 14世紀にオスマン帝国(トルコ)軍がトルコ行進曲ばりの太鼓の囃子に載せ、

ハンガリーに進撃した経路の一つにバラトン湖を迂回するコースがあったが、

そこに、はだかったのがヴェスプレーム (Veszprém) 城域であった。

城域には支城や要塞化した教会が多数あったが、根こそぎ破壊もしくは略奪された。

その後の戦略目標であったブダペストの陥落、ウィーンへの攻撃を容易するもので

あった。 今回はその代表的な村を訪ねてみた。

 

<近郊のスケッチ>

  

 

 <ロケーション>

 

                              Apr. 24 2020

       左の道路は国道77号線、タポルツァ (Tapolca) へ向かう。

 

 ● タリアーンデョーグド (Taliándörögd) の村

 人口が1000人にも満たない小さな長閑な村、何故、戦場になったのか?

                               Apr. 24 2020

  手前がローマカトリック教会、向こうが改革(ルッター)派教会。

  さらに行った丘の上には、聖アンドラーシ教会遺跡が残っている。

 

1.聖アンドラーシ教会遺跡 (Szt. András templomrom)

                                                                                                                May 17 2008

  13世紀に初期ゴシック様式、単内陣形式で建てられたが、1548年のオスマン

 帝国の攻撃で破壊され、そのまま廃墟になってしまった。

 

   <建物の推定図>

       

   バジリカタイプの教会で、残されている南側の壁の高さ(20m)から

  小さい物ではなかったと推定され、当時は繁栄していた村であり、オスマン帝国

  としては破壊しておきたい村であったのだろう。

 

2.改革派教会 (Evangélikus templom)

 オスマン帝国軍の撤退後の18世紀に建立された物で、さほど古いものではない。

                                Apr. 24 2020

 

3.聖母マリア教会 (Szűz Maria Neve templom)

  

  オリジナルの教会は、1100年とも1200年とも云われ、定かではない。

 14世紀にゴシック様式で小さな礼拝堂が再建されたが、オスマン帝国の撤退後の

 1740年代に聖母マリアを祀るために、教会のレイアウトを変更し、新しい祭壇と

 現在の鐘塔が追加された。 オスマン帝国時代に漆喰で上塗りされていた壁画を

 20世紀に復元が開始されたが、資金不足で中止され未完状態になっている。

                                Apr. 24 2020

 

     12年前は ....                                                                                       May 17 2008

 

 ● 新祭壇                           May 17 2008

 

 ● 復元された壁画

  

 

 ● オルガン席と右が旧祭壇場所

  通常、小さい教会や日常使っていない教会では、牧師さんは居ない。

 近所に管理を委託されている人が居て、頼むと鍵を開けて教会の内部を見せて

 くれる。  当然ながらお布施は賽銭箱または本人に上げよう。

 12年前のこと、おばあさんが日本からの珍客(小生)の為に、わざわざ讃美歌を

 奏でてくれたのには、教会で初めて神聖な気持ちにさせられた。

  ハンガリーの女性の普段着で ....... もう12年も経った事だし、表情がとても

 素敵なので顔を隠さないで記載させて貰おう。

 

 ● 手水鉢 .... 聖アンドラーシ教会遺跡から出土した物でローマ時代の物らしい。

 

  これにて「バラトン湖周辺の教会をスケッチ(4)」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有り難く感謝いたします。 

 

 

 

 

  


春の庭花スケッチ(1)

2020-04-20 02:21:43 | 海外生活

 4月は我が庭に咲く花は、前章で述べた春一番、二番、三番の花が持続しており、

5月になればという感じで、春を彩るにはまだ中途半端な時期と言えるだろう。

そこで、重複する花もあるがスケッチをすることにした。

 

1.遅咲きの水仙

  この水仙は西洋水仙と呼ばれるもので、今年はボリュームも少なく、元気も無さそうに、

 一層首を下に傾けている。 暖冬にも関わらず例年の開花時期より1週間は遅れている。

 何も手当もせずに、十年以上も咲き続けてくれたので、もうそろそろかも知れない。

  

 

   赤いチューリップと白い水仙のコラボ。 この水仙は別名「クチベニズイセン」と

  呼ばれており、雌しべが赤い縁取りをされている可憐な花である。

 

 水仙が元気だった頃は .....                                                               Apr. 11 2017

 

                                                                                                                Apr. 18 2018

 

 今年は ....                                                                                           Apr. 28 2020

  チューリップが黄色2輪であったものが、赤色一輪だけとなった。

   (色が変わるということはあるのだろうか?)

 

2.チューリップ

  チューリップはこの時期の開花は例年通りであり、毎年、芝桜の中で咲くものは

 色も同じである。

  

  ここに生えて来たのも、意図的でなくまったく突然であった。

  チューリップって生命力があるねぇ~。           Apr. 24 2018

 

                                                                                                                 Apr. 13 2020

 

3.ムスカリとたんぽぽ

  ムスカリもまだ元気だ。 園芸者には嫌われるタンポポもムスカリとのコラボ

 では捨てたものではない。 (撮影後、すぐに抜いて捨ててしまったが)

  

 

                                Apr. 09 2020

 

4.ハタケニラ

   ハナニラと非常に似ているが、ハタケニラのようだ。庭には半端ない数に

  悩まされている。 鳥が食べてくれれば良いのだが好きじゃないらしい。

  

  ここでも不思議発見、3月には黄色い花弁であったものが、4月になると

  白く(一部薄紫)変色、そんなことってあるのだろうか?

  (結論は来年まで待ってみよう)

                                    Mar. 20 2020

 

                                                                                                              Apr. 13 2020

 

  以前、抜いて調べた結果;根っこにニラ様な球根があり。

 

   これにて「春の庭花スケッチ(1)」は、お終いです。

   本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

   

 

 


バラトン湖の教会をスケッチ(3)

2020-04-16 23:08:18 | 海外生活

 前回に引き続き、バラトン湖周辺でお気に入りの菜の花畑と教会をスケッチした。

 

2.リテール (Litér) の菜の花畑 

  

 <ロケーション>

 

 今年のスポットは、......                                                                 Apr. 13 2020

   夏の為の作付けが始まっていた。 向日葵か麦か? ひまわりに賭けたい。

  こんな☟予測をしていたのに、                           Apr. 27 2017

 

 向かいの丘の上からリテール (Litér) の村を眺めると、      Apr. 13 2020

  村のすぐ横にドイツ系の新工場が建設中、又ひとつ村の美観が損なわれた。

 

2-1. リテール (Litér) の教会

 

  教会が出来たのは、13世紀の初めでロマネスク+ゴシック様式が使われた。

 オスマン帝国の襲撃で村人は去り、1582年には廃墟になったが、オスマン帝国の撤退で

 村人が戻って1784年には再建され、10年後には塔が増設された。

 再建後から教会は改革派の教会となっており、現在も使われている。

 

 ● 教会のファサード                         Apr. 16 2020              

    

 

 ● 教会の特徴                      Jun. 16 2007

 

  この門は、1961年に近くの山中から発掘され、1969年に復元された。

 両側の柱には使徒らしき石像、門の傍らにライオンの石像2頭が鎮座している。

 いずれも長い間のダメージで欠損し、表情も定かでなく時代を感じさせてくれる。

    

 

 石柱(コラム)に飾られた植物、動物の紋様から後期ロマネスク時代の物であろう。

    

 

 ● 教会の内部

  1898年に内部を改築した際、天井に貴重な木製の絵画パネルがあったが盗難に

 遭い、現在特筆する古い物は残っていない。           Jun. 16 2007

 

  恐らく天井は、下の画像のような絵画パネルであったと推定できる。

 隣なり村シォーリィ (Sóly) の教会の天井が、ブダペストの工芸美術館に展示されて

 いるが、時代・地域的に同等の物であったのだろう。           Dec. 14 2008

 

2-2.  シォーリィ (Sóly) の教会

  教会は、前出のリテールの教会同様、16世紀に再建された後、改革派が使用。

 創立は11世紀にイシュトヴァン1世がこの地のコッパニーの戦い(天下分け目)

 で勝利した記念にロマネスク様式で建てられた、この地最古の教会である。

 現在の姿は1700年代にバロック様式で再建された時の物である。

 

  

 

 ● 教会の外観                  

    

      Apr. 16 2020                                 May 23 2009 

                                                                                                                   Apr. 16 2020

 

  注目は次の南門で、リテールの教会の物と似ており、門は破壊されたまま。

 何処かにまだ埋まっているかも知れない。 宝探しのドリームは残っている。 

                                                Jun. 16 2007

 

 ● 教会内部

  現在は観光用のみで使用。 但し、内部は特筆すべき物はない。

 

 ● シォーリィの春の祭り

     例年5月末で建国当時の服装で祝う。(今年はコロナウイルス渦で中止だろう)

 

 

 

   これにて「バラトン湖周辺の教会をスケッチ(3)」は、お終いです。

   本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

  

 


バラトン湖の教会をスケッチ(2)

2020-04-15 00:46:46 | 海外生活

 やはり今年はコロナウイルスの祟りなのか、思うようにならないものだ。

漸く待ちに待った菜の花が咲き始めたので、とっておきのバラトン界隈、自慢の花の絨毯

を撮ろうと出掛けてみた。       あゝ無情!、なんと「菜もなく、花もなし」とは!

菜の花も連作は効かないものなのか.....www    

皮算用では、 4月には菜の花の黄色い絨毯、

       5月にはポピー(ハンガリー語でピパチ pipacs)の赤い絨毯、

       6月にはラベンダーの紫色の絨毯、

       7月にはヒマワリの再びの黄色い絨毯、

       8月には麦の黄金色の絨毯、

色とりどりの絨毯はハンガリーの大平原(プスタ, puszta)によく似合う。

とりわけ菜の花は圧巻であり、過去の写真を使って秘蔵の風景とそこに残された古い教会

を今回と次回の2回に亘って、描いてみよう。

教会は決して大きく豪華でもないが、戦禍の長い歴史の中で慎ましく、生き続けた姿が

お気に入りなのである。

 

1.ベルヒダ (Berhida) の菜の花畑

 

 

 <ロケーション>

 

      今年は、.....                                                                                    Apr. 13 2020

            今年は休耕中のようだ。

                               Apr. 20 2019

               右上の集落がベルヒダの町外れである。

 

 ● 古い駅舎

 町民の足であったヴェスプレーム (中心街) までの鉄道路線は廃線になって久しい。

 時間が止まっているように長閑だなあ。            Sep. 04 2017

                現在はバス運行が町民の足となっている。

 

 ● 旧ベルヒダの教会

  今はほとんど使われていなく、日常的には新教会がある。   

   

  14世紀の初めに、ロマネスクとゴシック様式が混在したスタイルで建てられた。

 16世紀になるとオスマントルコ軍の襲撃に備えて、壁を厚く強化して要塞化し、

 最前線エリアで参謀本部として使われた時期もあったらしい。

 

 教会の外観                            Apr. 13 2020

            この角度が最も美しい。 

 

 後期ロマネスク様式の窓                 Jun. 16 2007

 

 

 教会内部                          Jun. 16 2007

 

  祭壇は後期ゴシック様式(13世紀のマーチャーシュ時代の逸品)

 

  内陣の天井はゴシック様式の典型リブ・ヴォールト工法

 

  壁画があったようだが、漆喰で上塗りされており判別不能。

                 

   これにて「バラトン湖周辺の教会をスケッチ(2)」は、お終いです。

   本ブログへのご訪問、有難うございました。