撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き(18)ラベンダー祭り

2019-06-23 11:20:48 | 海外生活

 この時期(6月中旬~下旬)は、バラトン湖周辺にはラベンダーが咲き溢れている。

先日、近所の銀行のカウンターに置いてあったラベンダー・フェスティバルのパンフレットに

誘われて、ぶらりと出掛けてみた。 場所は前章の「バラトンそぞろ歩き(17)」で取り上げた

バラトン・フルドヴァール (Balatonföldvár) であったので一層、興味を覚えた次第である。

 

 ● M7高速道路高架橋からのフルドヴァールの街               Jan. 09 2019

 

 この日は雷雨前、快晴とまでいかなかった(残念)             Jun. 22 2019

        右の教会がカルヴィン派改革教会、左がローマカトリック教会

 

 ● 心休まる牧歌風景

  クルシュヘッジ (Köröshegy) 村からのM7高速道路高架橋        Jun. 22 2019

 

  牧草ロールがあって、ラベンダーがあって、灰色牛が居て、羊が居て、北海道みたい。

 

  ハンガリー特有の灰色牛が以前は居た                   Nov. 02 2007

 

  ねじれ角の羊 “ラッカ” も以前は居た筈                 Nov. 01 2008

 

<ロケーション>

 

1.ラベンダー祭り (Levendulás)

 ● 会場入口(会場は厳密にはクルシュヘッジ Köröshegy 村の山中)             Jun. 22 2019        

 

    実は15日はラベンダー満開までは、ちょっと時期尚早だった。               Jun. 15 2019

 

                                                                                                      Jun. 22 2019

 

                                      Jun. 15 2019

 

  次週末 (Jun. 29~30) 用に摘み取り制限中                                         Jun. 22 2019

 

   このラベンダー・フェスティバルは2012年から始めているらしく、恐らくバラトンで

  最も大きなラベンダー園(株数は最多)だと思う。

 

2.村にある二つの教会

 ① ローマカトリック教会 (Köröshegy Szent Kereszt templom)

   15世紀にフランシスコ会によって建てられた教会で、過去に3度の修復があり、現在の

  姿は2002年修復後の物である。                                                      Jun. 22 2019

 

  第二次世界大戦記念碑とのコラボ      内部身廊

    

 

 ② カルヴィン派改革教会 (Köröshegy Református templom)

   1813~1818の建立                                                     Jun. 22 2019

  

 

   これにて「バラトンそぞろ歩き(18)ラベンダー祭り」は、お終いです。

 

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中・東欧を訪ねる(8)チェスキー・クルムロフ

2019-06-21 00:21:14 | 海外生活

 プラハの街を貫いたヴルタヴァ川(独語:モルダウ)を上流に遡って行く(南下する)と

オーストリア国境が近くなるに従い、緑が多くなり森の中に中世の面影を残す小さな町や村が

忽然と現れる。 ブダペストへの帰り道、是非、立ち寄ってみたい所が「世界で最も美しい町」

と呼び声の高いチェスキー・クルムロフ (Cesky Krumlov) であった。

 

 ● ヴルタヴァ川はあくまでも、たわやかに流れ、時間が止まってしまったよう。

                                    Aug. 11 2008

 

<ロケーション>

 

<市街地マップ>

 

1.チェスキー・クルムロフ城 (Zámek Cesky Krumlov)

  13世紀にヴィートコフ家によって城が建てられたのが町の始まりであった。 その後、

 町の支配者が替わる度に城も拡大し、16世紀には繁栄のピークに達したが、それ以降は

 時代に取り残されてしまった。 それがこの町を「世界で最も美しい所」としている所以

 なのだろう。

 

 Lazebnicky 橋を渡って行くのが城への常道

 

 

 Latrán 通りの中世の街並み(だまし絵の家でいっぱい)

 

 赤門を抜け城内へ

 

 城の塔;1580~1590年にルネサンス様式のに改築された

 

 

 ルネッサンス時代に流行ったスプラヴィータ(だまし絵)装飾を施した城の壁

 

 時代と共に写真左の方に城は拡大されていく。

 

 ヴルタヴァ川の大きく蛇行する回り角から

 

 

 ● Radnichi 通りからの眺め      ● Masná 通りからの眺め

   

 

2.聖ヨシュ教会 (St. Jost Church)

 オリジナルは 1334年に創建、1596年にルネサンス様式で再建されたプロテスタント教会。

 

3.旧市街

 ● スヴォルノスティ広場 (Nám Svornosti)

 

 ● Siroka 通り

 

 ● 聖ヴィート教会 (Kostel sv. Vita)

 オリジナルは 1309年に創立、現在の姿は1407~1438年に再建されたもの。

 Ed. Benese橋からの眺め

 

 Kostelni 通りからの眺め

  

 

  これにて「中・東欧を訪ねる(8)チェスキー・クルムロフ」は、お終いです。

 

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中・東欧を訪ねる(7)プラハ旧市街

2019-06-20 01:19:42 | 海外生活

 カレル橋を渡り切って、更に、真っ直ぐ歩を東に進めると旧市庁舎のある旧市街広場に出る。

広場の脇を抜けて火薬塔までを「王の道」と呼ばれているそうで、観光必須ルートであろう。

カレル橋を挟んで、北のマーネス橋、南のレギー橋までの範囲が旧市街地区であるらしく、ブラ

ブラと歴史的な建造物を眺めて歩いてみた。

 ● プラハ城から眺めた旧市街地                       Jul. 25 2009

 

<ロケーション>

 

1.カレル橋の袂にあるアッシジの聖フランチェスコ教会

  1679~1685年に掛けて建立、教会前に佇むカレル4世の像と共にドームの緑屋根は旧市街の

 シンボル的な建造物である。

   Jun. 12 2011

 

2.クレメンティヌム (Klementinum)

  神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世の治世(1526~1564年)でのフス戦争で疲弊した国家

 と減少した国民を補強するためにイエズス会をプラハに招聘し、その修道院が1556年に出来た

 のがクレメンティヌムの起源で、プラハ城に次ぐ複合建築である。

 敷地内には、次の興味深い建築物があり、修道院は現在はなくなった。

  ● 聖サルバドール教会 .... 1601年に建立、カレル橋のの対面にある。   Jun. 11 2011

 

  ● 聖クレメント大聖堂 ....1711~1715年に建立。ちょうど聖サルバドール教会の後ろに位置

              し、カレル通りを歩いていくと、見過ごしてしまいそうな聖堂。

              この右側に中庭があり、鐘の礼拝堂、図書館、天文台がある。

   

 

3.カレル通り (karlova)

 ● 交差するフソヴァ (Husova) 通りで、

  北方向を眺めるとクラム・ガラス宮殿                                  

    

  

  南方向を眺めると、右に有名ビアホール「黄金の虎」と向こうに聖イリイ教会が見える。

   

 

 ● カレル通り沿いマレー広場 (malé) にあるルネサンス様式の建物

   ハードロックカフェ        シュトルチの家(1897年に本屋として改築)

      

 

4.一分の家/ミヌタ館 (dum U Minuty)

  1564年に “スグラフィット” で装飾された壁とルネサンス様式で改築された、15世紀初頭

 にはゴシック様式の一般人住居であったが、1896年に市が買い取り旧市庁舎の一部となった。

                                     Jun. 11 2011 

 

5.旧市庁舎の天文時計 (Orloj)

  

 

6.旧市街広場 (Staroméstské nám)

 ● ティーン教会(正式名はティーン(税関)前の聖母マリア教会)

 オリジナルは12世紀にロマネスク様式の教会で創設され、14世紀半ば~16世紀初頭に

 かけてゴシック様式で改築された。 高さ80mの二つの塔が空にそびえている。

                                     Jul. 25 2009

 

 ● ヤン・フス像(背後にキンスキー宮殿)

 チェコにおける宗教革命者で、カトリック教会を批判し1415年に火炙りの刑で処され、

 死後に信仰者がフス派を名乗ってフス戦争(1419~1436年)に発展した。   Jun. 11 2011

 

 ● 2009年7月25日(土)のイベント

  イベントの名も目的も判らなかったが、チェコ建国に関わった国々に関係しているようだ。

  青と黄色の国旗はウクライナ、向こうにはオーストリア国旗も見える。    Jul. 25 2009

 

  民族衣装からオスマントルコかな?

 

  ハンガリーも参加

 

6.火薬塔 (Prasná brána) 

 旧市街公園を通り過ぎると、1475年に建てられた火薬塔が見えてくる。

  Jun. 11 2011

 

 火薬塔隣なりの市民会館はアールヌーボー様式で1911年に建てられた。   Jul. 25 2009

 

7.ヴァーツラフ広場と国立博物館本館

 火薬塔をくぐって Na prikope 通りを南に進むと、広い遊歩道のヴァーツラフ広場に出る。

 

8.マリオネット人形劇

 プラハに来たなら是非とも見たい伝統芸術のマリオネット人形劇、国立マリオネット劇場

                                    Aug. 09 2008


9.ハット!驚く小路

  フソヴァ (Husova) 通りとイルスカ (Jilská) 通りの交差する角に“ぶら下がり男” と

 首吊り人形が目を引く。 プラハの小路にはこの種の前衛アートが多く飾られている。

                                     Jul. 25 2009   

      “ぶら下が男” は前衛芸術家ダヴィッド・チェルニーの作品


   これにて「中・東欧を訪ねる(7)プラハ旧市街」は、お終いです。


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中・東欧を訪ねる(6)カレル橋

2019-06-19 00:17:49 | 海外生活

 カレル橋と云えば、最初にピーンと来るのがスメタナの「わが祖国(モルダウ)」と思うのは

小生だけではないような気がする。 Youtube をかけながら、珈琲を啜りながら、撮った写真を

眺めながら、ブログを書く、なんとこの上もない至福なひと時か! そしてカレル橋の上に佇む

彫像写真を全部並べてみたかった。

カレル橋は12世紀の初頭に、ヴルタヴァ川の最初の橋として木造で造られたが洪水で流された

為に、12世紀半ばには石造りの橋(ユディタ橋)に造り替えられた。 しかし1342年の洪水で

再び流された後に造られたのが現在のカレル橋である。

 

1.カレル橋いろいろ

 ● 下流(北)側にあるマーネス橋 (Mánesúv most)から

  カレル橋の全長は516m、幅は9.5m                                                     Jun. 11 2011          

  

 ● 橋の西側袂から

 

 フランツ・カフカ博物館横のレストランは、橋を下から眺める絶好のポイントかも、

 

 すれ違うことも出来ない狭い階段も古都ならでは .....

  

 

 ● カレル橋の上から上流側(南側)の眺め

  川の中州に架かる橋はレギー橋 (Legil most) 

 

2.橋塔

 ● 旧市街側(東)の橋塔は1400年に完成

  

 

  橋塔の内天井

  

 

 ● マラー・ストラナ側(西)の橋塔

  

    塔は二つになっており、左の低い塔は1342年の洪水で流された前の橋(ユディタ橋)

   の物をそのまま使っている。

 

3.欄干に立ち並ぶ聖人像たち

 上図の像No.と以下の写真No.は合致させている。

 結局、像の補修中でもあったような、見過ごしもあったであろう、3体が欠損してしまった。

 もう一度行く機会があれば、今度は必ず......

 

          これにて「中・東欧を訪ねる(6)カレル橋」は、お終いです。

 

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中・東欧を訪ねる(5)プラハ城

2019-06-18 02:41:13 | 海外生活

 中欧の三大古都と云えば、ウィーン、ブダペスト、プラハで、五大古都となるとクラクフ

(東欧に分類されることが多いが)、ブラチスラヴァが入るのだろう。*1

プラハの人口は130万人で、ウィーン185万人、ブダペスト175万人と比べると、ちょっと少ない

が第二次世界大戦の戦火から逃れたため貴重な文化遺産がそのまま残されている点では、歴史の

宝庫として他を十分に凌駕していると云えるだろう。 世界でトップの人気を誇る観光スポットと

頷ける街、先ずはその歴史が始まったプラハ城に足を向けてみる。

   *1:クラクフの人口は75万人、ブラチスラヴァは45万人である。

「百塔の町」と呼ばれるほど、プラハ城を中心とした西側は至る所に塔が林立し、赤茶色の瓦屋根

が何とも中欧の情緒を醸し出している。


1.プラハ城 (Prazsky hrad)

 城は9世紀半ばから建設が始まり、チェコの建国の歴史において複雑で波乱に満ちたものは

あったが、ボヘミア王国や神聖ローマ皇帝の居城として始まり、現在はチェコ共和国の大統領府

が置かれ政治の中心の場になっている。 城の敷地内にはいろんな歴史的な建物があり、世界で

最も大きな複合建築の一つとして、当然ながら1992年から世界遺産に登録されている。

                                     Jun. 11.2011


<ロケーション>

 

 1-1. 城へ

 カレル橋西端からマラー・ストラナ広場の聖ニコラス教会と“ペスト終焉記念円柱”脇を通って

登城階段を登る(王道かな?)                                                                Jun. 11 2011


 城の正面フラッチャニ広場に到着、毎正午に行われる衛兵交代式       Jul. 25 2009

 

   第二中庭にあるコールの噴水は、1686年に設置された。 

  背後の白い建物は1762年に建てられた聖十字架礼拝堂 (Kaple sv. Kfize)

   Jun. 12 2011

 

 1-2. 聖ヴィート大聖堂 (Katedrala sv. Vita)

 当初の大聖堂はロトンダ(円形のシンプルな教会)タイプのロマネスク様式で930年に建てら

れたが、14世紀にボヘミア王国の黄金時代を築いた神聖ローマ皇帝カール4世の時代に、現在

の姿のゴシック様式で再建された。

 ● 大聖堂ファサード

 第三中庭に入ると眼前に迫る大聖堂、幅60m 、塔の高さは96.6mである。

  

    Jun. 12 2011

 

 ● 大聖堂南塔

 

 ● イジー広場(背後)から見た聖ヴィート大聖堂

 

 ● 大聖堂北側壁面

    

 

 ● 中央身廊と祭壇             ● 入口側

   

 

 ● 窓を飾るステンドグラス

 19箇所ある側廊には聖人や王を祀っており、壁面には美しいステンドグラスが飾られている

   

 

 ● 聖ヴァーツラフ礼拝堂

  大聖堂の中の礼拝堂で注目を集めているのが聖ヴァーツラフ礼拝堂である。 

 残念ながら補修中であった。

 

 ● ネポムツキー(ボヘミアの守護聖人)の墓碑

 

  2トンもの銀を使って造られているという。

 

 1-3. 旧王宮

  南門の向かいにあり、16世紀まで王室として使われていた。

 多目的使用であったヴラディスラフホール (Vladislavsky sál)

  

 

 1-4. 万聖人礼拝堂 (Kostel Vsech svatych)

 

 1-5. 聖イジー教会 (Bazilika sv. Jiri)

  プラハ城に残る最も古い教会で973年に建立された。 現在のバロック様式のファサードに

 改築されたのが17世紀後半であった。                                                    Jul. 25 2009

 

 背後の祭壇側から見た教会

 

 

 三つある身廊の真ん中の祭壇部

 

 

 祭壇部の丸天井

 

 1-6. 黄金小路 (Zlata Ulicka)

  1597年に出来た住居で、城に仕える召使いなどが住んでいた。 黄金の由来は住居に一角

 に錬金術師たちが住むようになったことから名付けられたと云う。

  

 

2.聖ミクラーシュ教会 (Kostel sv. Mikulase) ...マラー・ストラナ地区

 旧市街に同名の教会があるが別物で、丸天井と鐘楼を持ったバロック様式の最高峰と

 評判高く1737年に建立された。

 

    これにて「中・東欧を訪ねて(5)プラハ城」は、お終いです。

 

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