撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き 古城(7)ザドル城

2018-08-23 16:21:50 | 海外生活

 今回目指した古城は私にとって、バラトン湖周辺で兼ねてから行ってみたい、最後に残されていた

古城であった。 当然、気張って行くような名のある城でもなく、こんな所にも「いにしえの城」が

といった程度の、周りからも忘れ去られているような代物である。 

これまで城への登り口が見つからず引き返しおり、結局、今回が3回目の挑戦であった。

「麓から見えない遺跡なんだから、標識を判り易くしてくれ!」などと腹を立て、道に迷って1時間

もロスをした時には3回目の断念を考えたが、城から見た景色で暑さと疲れも吹き飛んだ。

    背の高い糸杉の並木が街道沿いに続いているのが気に入っていた自慢の景色。

 反対側、バラトン湖を背にしてみると、

 

<ロケーション>

 

ザドル城跡 (Zádorvár rom)

 城はザドル山 (Zádor-hegy) の頂上(海抜363m)に麓の村の領主ヴェゼニィ (Vezsenyi) 家に

よって1386年に要塞として建てられた。戦略的要所ではなかった為か、ここには数年しか住んで

なく、近くのNagyvázsony の町中に新しい城、教会を造り移り住んだ。 

よって城は住む主を失い、1652年より廃墟となり城としての役割も果たすことなく、歴史に刻ま

れることもなかった悲運の城であった。

 現在、残っているのは石壁の一部だけである。 南方角から見た城跡で右端が礼拝堂

 

<当時の城の推定イラスト図>

  

 

 中庭から見た城の内部

 

  2017年の8月より発掘調査が開始され、考古学者とその卵たちはテントで寝泊まりのご様子。

 この暑さの中をご苦労様! 新しい歴史の事実を期待しています。

 

 礼拝堂の内部

 

 

 礼拝堂の外壁

 

 

城には三つのルートがあり、どちらも麓から1時間もあれば十分な距離。

 ペーチェリ (Pécsely) の村外れから入っていくのが、道幅も広く、緩やかで車高の高い

 クルマならば登頂も可能だろう。 途中出会ったのは写真(上)のひと家族だけであった。

 

  途中の小川のせせらぎと、その水が冷たく美味しかったこと!

 

山頂の城への入り口は2つ有り。

  

     こちらは道が狭く急こう配。           木の幹に白色で記されたLという記号に沿って進む。

 

<心を癒す風景>

 収穫間近の山頂付近の葡萄畑

 

 眼前に広がるバラトン湖

    正面の山はケレストファー (Keresztfá-tetö 349m) 山。

 

  これにて「バラトンそぞろ歩き 古城(7)ザドル城」はお終いです。

 

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ヴェローナとその教会(2)

2018-08-12 14:53:19 | 海外生活

 前章に引き続き、残されたヴェローナ(イタリア)の名所を訪ねる。

ピエトラ橋から見た悠久の流れアディジェ川はアドリア海へと向かう。

 左;聖ジョルジュ・イン・ブライダ教会(1477~1536年創立)....ギリシャ正教会

 右;マドンナ・ディ・ルルド教会(1967年創設)...1858年にフランスのルルド村に出現

                        した聖母マリアを祀る教会。

<ロケーション>

 

2-5. サン・ピエトラ (San Pietra) の丘

 ピエトラ橋は5連のアーチで出来た石橋で古代ローマ時代からの物(但し、初期は木橋)

   丘の上にはサン・ピエトラ城、麓には古代ローマ劇場(紀元前1世紀建設)

 

 古代ローマ劇場から見たヴェローナの街

 

2-6. カステルヴェッキョ (Castelvecchio)

 もともと在った古城跡に内外に対する防衛の為に造られた城(1354~1409年に建造)

 

 アディジェ川岸からのカステルヴェッキョとスカラ橋

 

2-7. 聖ゼノ・マッジョーレ (San Zeno Maggiore) 教会

 ヴェローナの守護聖人ゼノの没後5世紀に建てられたのがオリジナルで、967年にロマネスク

 様式で再建されたが、その後の地震で1398年に再度、再建されたものが現在の姿である。

 向かって左隣の建物は13世紀のベネディクト修道院の塔、右が12世紀の鐘楼(高さ62m) 

 

彫像、彫刻、ばら窓と正面ファサードには見所満載。

 ◆ 柱廊式玄関の扉上部にある浮き彫り(騎兵と子供達に囲まれた聖ゼノ)

 

 ◆ 門の両脇で円柱を支えるライオン像(向かって左側のライオン)

 

 ◆ 円柱頭部のアーキトレーブに飾られた浮き彫り...ドウォーモにも同じような物があった。

  

     「イワレ」は不明                                   年間の月毎の風物詩を物語るレルーフ

 

   

 

 ◆ アーチ門隅に彫られた聖教徒像(向かって右アーチ)

  

 

 ◆ 玄関壁に彫られたローマ神話の数々(向かって右壁)

  

 

2-8. 円形競技場アレーナ (Arena)

 ブラ広場にある西暦30年頃の古代ローマ屈指の競技場(収容人員は25,000人)

    長径139m、短径110mの楕円形

 

2-9. 聖フェルモ・マッジョーレ (San Frermo Maggiore) 教会

 オリジナルは、この地で殉教した聖フェルモと聖ルスティクスを祀る為に8世紀に建てられた。

 その後1065~1143年にベネディクト会によってロマネスク様式で下層の教会が再建された。

 1260年からはフランシスコ会がゴシック様式で上層の教会を重ねたユニークな教会。

  祭壇側(後陣)から見た教会で鐘楼の尖塔部はフランシスコ会が14世紀に追加した。 

 

3.ガルダ (Garda) 湖

 イタリア最大の湖がヴェローナの先にあるので、ちょっと寄り道をしてみた。

 <ロケーション>

  

  湖の総面積:370 ㎢ (592 ㎢)、  最長距離:51.6km (78km)、  最大深さ 346m (11m)

  括弧内の赤字はバラトン湖の数値で、ついついベンチマークしてしまうのは昔の癖のよう。

 

 ◆ シルミオーネ (Sirmione) 半島

         向こうに望むはヴェローナの方向

 

◆ 湖の南岸を守るスカラ家のスカリジェル (Scaliger) 城 ...13世紀の建立

 

 ◆ サロー (Saló) 付近の湖

 

4.ちょっと寄り道ミラノ (Milano)

 ここまで来たのだからミラノのドウォーモに立ち寄ってみた。 ちょっと立ち寄るというには

 ミラノは大き過ぎる街、また改めて訪ねたい街。 (バラトン湖から900kmの総走行距離)

 古代から在ったS.マリア・マッジョーレ大聖堂の場所に500年の歳月をかけて完成(1813年)

 

 ◆ 135本の尖塔がある屋上は圧巻

 

 ◆ ステンドグラスに囲まれた祭壇と礼拝堂

 

 

 

 ◆ ドウォーモ脇のヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

 中の十字アーケードは1877年の完成、買い物の街でもあるミラノ。

 

       これにて「ヴェローナとその教会(2)」は、お終いです。

 

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ヴェローナ・イタリアとその教会(1)

2018-08-09 16:46:25 | 海外生活

 ハンガリーから北イタリアへ旅するには、オーストリアを経由して南下するか、又は

スロヴェニアから西に向かいパルマノヴァ (Palmanova)で合流し、高速道路A4に乗って

ヴェネツィア→パドヴァ (Padova) まで行くのが一般的ルートであろう。

パドヴァは南北イタリア(トスカーナ/ローマ方面とミラノ方面)の分岐点である。

ヴェローナへは、西へそのままミラノ方面を目指すことになるが、本場のボロネーゼを所望

したくパドヴァにちょっと寄り道。(旅のナレーター濱田マリ風に言ってみる)

 

1.サンタ・ジュスティーナ聖堂(Santa Giustina Basilica) @パドヴァ

 パドヴァの街の南部にあるプラート・デッラ・ヴァッレ広場に隣接する教会である。

 4世紀初めに異端者として殉教したジュスティーナを祀る為に5世紀に創設されたが、

   1117年の地震で崩壊し、1532~1579年に再建されたものが現在の姿である。

   建物の外表面はヴェローナの赤大理石が使われている。

 

16世紀ヴェネツィア派の画家、ヴェローナ出身のヴェロネーゼの壁画を飾る祭壇部

 

 全長122m、ルネサンス期の絵画が多く、床の大理石はローマのサン・ピエトロ寺院と同じ物。

 

 ◆ プラート・デッラ・ヴァッレ (Prato della valle)

  ヨーロッパ各所から巡礼者が目指す教会はサンタントニオ聖堂であり、後日調べるまで、

 この教会と勘違いしていた。流石にイタリアは歴史の国、何処にもじっくり見たい教会だらけ。

 

<ロケーション>

 

2.ヴェローナ (Verona)

 街の起源は紀元前1世紀に誕生し、13~14世紀にはスカラ家が統治、15~18世紀には

 ヴェネツィア共和国の一部として栄えた。 地理的にも南北、東西イタリアを結ぶ拠点で

 交易・文化の中心地でもあった。

 ピエトラの丘から眺めたヴェローナの街

  ヴェネト州の西部に位置する都市、ヴェローナ県の県庁所在地で人口約25万人、

  2000年に中世の面影を残すこの市街地がユネスコの世界遺産に登録された。 

<市街地マップ>

 

2-1. ジュリエッタの家

 ヴェローナと云えば、すぐに思い浮かべるのがシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」

 の悲恋伝説、むしろこちらで多くの観光客を集めているような感がある。

 ジュリエッタのバルコニーと中庭にあるジュリエッタの像には黒山の人だかり。 像の右胸に

 触ると幸福が訪れるという言い伝えで、像のオッパイはピッカピカ。

 

2-2. エルベ (Erbe) 広場

 ジュリエッタ家のあるカッペッロ (Cappello) 通りを真っ直ぐ進むと、ヴェローナで最も美しい

 エルベ広場に出る。 広場は次のような中世の雰囲気を残す建物に囲まれている。

 

ガルデッロ (Gardello)塔とマッフェイ (Maffei)宮殿

  

  ガルデッロ塔は13世紀に建てられ、高さは44m。

 

 聖マルコのライオン(ヴェネツィアの守護神)とマッフェイ宮殿の屋上に並ぶ神話の神々。

 

マッツァンティ (Mazzanti) 家とランベルティ (Lamberti) の塔

 マッツァンティ家の外壁には古代ローマ神話を綴るフレスコ画が描かれており、ランベルティ

 の塔はヴェローナで最も高い建物(84m)で内部には368段の螺旋階段。(1464年に完成)

 

ジローラモ・フラカストロ(イタリアの科学者)像を載せたアーチ(シニョーリ広場への通路)

  

 

ダンテ像と宮殿に囲まれたシニョーリ (Signori) 広場

  右側の建物はカングランデ (Cangrande) 宮殿

 

聖マリア・アンティカ (Santa Maria Antica) 教会とスカラ家の石棺

 

 

2-3. 聖アナスタシア (Sant' Anastasia) 教会

 エルベ広場を抜け、更に進むと街のランドマーク的存在の聖アナスタシア教会の鐘楼に。

  

 6世紀頃の治世下でキリスト教が迫害されていた時、キリスト教徒として殉教した

 アナスタシア聖人(夫人)を祀る為に、ドミニコ派の修道士達が中心に創設した教会。

 サン・ピエトロの丘からの眺め

 手前の塔が聖アナスタシア教会(高さ72m)、向こうの塔がランベルティの塔(高さ84m)

 

内部祭壇部 (教会の創設は1290~1481年の間)

 

 

2-4. ドウォーモ (Duomo)

 別名はサンタマリア・マトリュラーレ大聖堂と呼ばれており、ヴェローナの街で一番最初に

 出来た建物らしい。 1117年の地震で倒壊し1187年に再建、献堂された(現在の姿)

 アディジェ川沿いにそびえるドウォーモと石造りのピエトラ橋

 

 ロマネスク様式の傑作と云われている二重アーチの柱廊式の玄関。

 

 

 扉口の両サイドには伝説の怪獣グリフォンが鎮座する。 下写真は左側。

 

 両門柱の頭部に飾られている不思議な彫像。 右側には「せむし男」の像

 

 

 円柱上部に彫られた聖教徒たちの彫像。 下写真は左側。

 

 ドウォーモの鐘楼(高さ75m)と右側面

 

 

  ここにも興味深い柱廊式の小玄関がある。

 

教会内部;主祭壇

 

その側廊には個別の礼拝堂を抱えており、そのどれもが美しく、見逃し難い逸品揃いである。

 

 

 

ヴェローナで採掘される赤大理石の説教台も自慢のひとつ

 

 

 まさに「垂涎の的」とはこの事を云うのであろう。 1回のブログでは記載できないほどの

 感動揃いで、残りは次号に続けたい。

 これにて「ヴェローナとその教会(1)」は、お終いです。

 

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