撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き(12)フルドヴァール

2018-09-28 13:13:10 | 海外生活

 久しぶりにバラトン湖周辺をブラブラ散策してみたくなった。

9月や10月の特に vénasszonyok nyara (洪語では老女に対する侮辱的な意味もあるが、

ここではインディアンサマーと訳しておこう)と云われる暖かい日差しの昼下がりが最も好きな

シーズンである。 8月までの喧騒もなくなり、何も考えずボーっと水面を眺めていることが

至高のひと時のように思える。

今回はシオーフォク (Siófok) から10 km ほど下った Balatonföldvár という所で、

思うにバラトン湖南岸では最もリッチな避暑地で、いち押しの所である。

 

<ロケーション>

 クルマで行くならM7高速道路で、ブダペストから1時間もあれば十分である。MAVの国鉄も

 見逃せない。 この時期はブダペスト南駅まで所要時間1時間半の急行直行列車も多い。

 

  12時48分発、Nagykanizsa~Budapest 行きの急行列車が入線。

 

 駅舎もこの沿線の中では垢抜けしているというかトップクラスの綺麗(カワイ)さ。

 

 今朝は4年前に日本から持って来た焙煎珈琲でコーヒーを煎れて、ポットに詰め、

コーヒーカップ、文庫本を持参でやって来た。 駅の向かいにあるヨットハーバーの先端で

もう閉まっているカフェのテーブルを無断拝借し、小一時間もヒネモスのたりのたりかな。

                                  Sep. 27 2018

向こうにティハニー (Tihany) 半島、釣り糸を垂らすというのも良いかも知れないなぁ~

 

 隣なりにある Strand (湖水浴場)も8月までは大勢の避暑客で溢れていたことだろう。

 

 湖畔沿いの並木道も人っ子一人いない貸し切り状態。 もう秋だなぁ~!

 

 

 ヨットハーバーから真っすぐに歩いてくると国道7号線にぶつかる。

 

 ぶつかった所に郷土料理を出すレストラン (Kukorica)があるので昼食を所望。

 10年ほど前に日本からの友人と来たことがあり、夜にはハンガリーの伝統的なダンス

 も上演され、バスでの団体客もあったことから、ちょっと名の知れた所なんだろう。


<フルドヴァールの教会>

 1.ローマカトリック教会

 駅前の公園の中にあり、1941~1943年の第二次世界大戦中に新ロマネスク様式で建立。

  

 

 2.聖母マリア礼拝堂

 駅から徒歩15分ほどの丘の上にある礼拝堂で1897年にネオロマネスク様式で建立。

 

<雑>

 実はもう一つの目的に、来年までの完成予定であるというティファニー大橋の進捗状況を

 確かめたかった。 結果は工事着工の気配がまったく感じられなかった。

 サントード (Szantód) のフェリー乗り場

 

 ティファニー大橋の構想図.....まだまだ先の話かも知れないなぁ~

 

     これにて「バラトンそぞろ歩き(12)フルドヴァール」は、お終いです。

 

「ハンガリーでのんびり」     Http://motsukahu.web.fc2.com

  

     


ドナウ河岸歩き(7)ブラチスラヴァ

2018-09-26 06:46:12 | 海外生活

 ドナウ河が辿る約2900 km は9か国の領土を貫いているわけであるが、国境が接して川を

共有している地域や上、下流の関係する所では両者間のトラブルや紛争が数多く発生したこと

であろう。スロヴァキアとハンガリーはドナウ河流域で対岸同士で141 km を共有している。

そして両国が1992年にオランダのハーグにある国際司法裁判所で争ったダム建設に関する

興味深いドナウの歴史の場所を訪ねてみる。

 

◆ 90%工事が終わっていたスロヴァキア側のダム予定地:ガブチョコヴォ (Gabcikovo)

 

◆ 計画されていたハンガリー側ダム建設予定地のナジマロシ (Nagymaros)

 

<ロケーション>

 

<歴史>

 ドナウ河での水力発電や水量調節による度重なる洪水の防止と安全航行を目的にチェコ

スロヴァキア政府とハンガリー政府は1977年にドナウ河の開発計画を締結した。

1985年に工事は着工されたが、ハンガリーの民主化で環境破壊反対運動が激化し、ついに

ハンガリー政府は1989年に工事を中止せざるを得なくなってしまった。

貯水池に有害物質が沈殿し周辺の飲料用井戸が汚染されるという理由であった。

1992年にハンガリーは条約を一方的に破棄し、既に90%の工事を完成していたスロヴァキア

(この時チェコとは分離独立)との間に拭い去ることの出来ない禍根を残す結果となった。

この問題は国際司法裁判所で争われ、条約を一方的に破棄したハンガリーとダム建設を強行し

自然環境を破壊したスロヴァキアの両方に責任があるとして両国に罰金が命じられ結審した

のが1997年であった。

この年は小生がハンガリーで暮らし始めた年でもあり、当時は全くの無知な事件であったが、

今となっては何かドナウ河に因縁を感じてしまう。

 

1.ハンガリー側の対岸する街

 1-1. ヴィシェグラード (Visegrád)

 ナジマロシの対岸にある村で、アルパート王朝が絶えたあと14~15世紀に栄華を極めた

 アンジュー王朝期の王宮跡と要塞跡がある。 1934年に発見され現在も発掘中。

 ◆ 王宮跡 

 ハンガリーの絶頂期の古都。バルカン半島やポーランドへも領地を拡げたがハプスブルク

 支配からの独立をかけた戦争で敗北し神聖ローマ皇帝により破壊され埋もれた。

 <王宮の推定図> 

 

 ◆ 要塞跡 (Fellegvár)

 <砦の推定図>

 

 ◆ ドナウ河の中州センテンドレ島

  ドナウ河に2つの大きな中州があるがその一つ(写真の右上)

 

1-2. エステルゴム (Esztergom)

 この地域で、もう一つ忘れてならないのはハンガリー建国の街である。初代国王イシュトヴァン

 1世がキリスト教国を作るために、この地に王宮と大聖堂を築いた。

             初代国王イシュトヴァン1世像 

 スロヴァキアへの架け橋マーリア・ヴァレーリア橋 

  戦後57年間、第二次世界大戦で破壊されたまま放置されていた。(2001年に再建)

 

2.スロヴァキア側の対岸する街

 2-1. ガブチョコヴォ (Gabcikovo)

 写真の向こうはブダペスト方面のドナウ下流、遊覧船が行き交う。

  水門を開けて水位を上昇させた後、上流また下流に航行。

 

2-2. ブラチスラヴァ (Bratislava)

 ブダペストがオスマントルコ軍に屈し(1541年)、その支配から逃れるまでの間の1536~

 1783年までハンガリー王国の首都であった。ここで即位したハンガリー王は11人、女王は

 7人でハプスブルグ家のマリア・テレジアもその一人で、この城を居城にして街の発展に尽力。

 

 ◆ ブラチスラヴァ城 (Bratislavsky hrad)

 手前の銅像はモラビア王国のスヴァトプルク王(在位870~894年)の像。モラビア王国は

 9~10世紀初頭までの200年間この地を支配した(スラブ人の王国であった)

 

 ◆ 聖マルティン大聖堂 (Dóm sv. Martina)

 14世紀初期にロマネスク様式で建て始められ、その後ゴシック、バロック様式を混ぜ

 200年の歳月をかけて完成。 この教会でハンガリー王の戴冠式が取り行われた。

   塔の高さは85m

 

 ◆ 街の中心フラヴネー (Hlavne) 広場

 左からイエズス会教会、旧市庁舎(正面)、日本大使館。 真ん中はロランド噴水(1572年)

 

 ◆ フランシスコ教会 (Frantiskánske nám)

 1297年にハンガリーのアンドラーシ3世(1290~1301年在位)によって奉献された。

 街で最も古い教会で聖マルティン大聖堂が出来るまでは、その代役を果たしていた。

  

  

 

 ◆ ミハエル門 (Michaiaka brana)

 旧市街地には4つの城門があるが、唯一現存する門であり、現在の高さは18世紀の改築で。

   高さ51m

 

 ◆ サルヴァトーレ薬局(旧市街には古い建物やユニークな建造物が多い)

  

 

 ◆ SNP 橋

 ドナウ河に掛かる近代的な橋で車道の下に歩道がある二重構造。 

 

 対岸側には展望タワー(UFOの塔と呼ばれている)、ドナウ河は左に流れハンガリーを目指す。

   

 

    これにて「ドナウ河岸歩き(7)ブラチスラヴァ」は、お終いです。

 

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ドナウ河岸歩き(6)ヴァッハウ渓谷

2018-09-25 00:55:38 | 海外生活

 遊覧船は発着場のあるメルク川岸を離れ、本流のドナウ河へ向かう。

世界中の旅好きの垂涎の地、ヴァッハウ渓谷クルーズの始まりである。

 

<ヴァッハウ渓谷のイラストマップ>

  

1.シェーンビュール (Schonbuehel) 城

 9世紀頃より存在し、14世紀にシュタルヘンベルク家の所有となり、19世紀には

 ベロルディンゲン伯の城となり今日に至る。

 

2.シェーンビュール (Schonbuhel) 修道院

 上記同様、シュタルベンベル家によって17世紀に建てられた。

 

3.アックシュタイン城 (Burgruine Aggestein)

 標高480mの丘の上に12世紀の初頭に建てられたと云われている。

 

4.ヒンターハウス城跡 (Hinterhaus castle)

 古文書によると1243年に言及されているので、その少し前に建てられたと推定する。

 その後、城の争奪戦が繰り返され所有者が何回も代わり、1493年にはハンガリー軍にも

 奪われたこともある。 1504年以降は見捨てられ廃墟となっている。

 

 葡萄畑に囲まれた城跡(特にこの辺り一帯はヴァッハウ渓谷の中でも一番のワイン生産地)

 

 ライトアップされた幻想的な城跡

 

 城跡から麓の村シュピッツ (Spitz) を望む、ドナウ河は下流方向。

 

 城跡よりドナウの上流方向を望む。 下には鉄道の駅。

 

5.聖ミヒャエル (St. Michael) 教会

 この同じ場所にオリジナルの教会は989年に建てられたと云われ、ヴァッハウ渓谷の中で

 最古の教会である。 1523年にはこれまでのロマネスク様式から後期ゴシック様式で改築。

 1630年の火災の後、1784年に初期ゴシック様式で再建された。

 

 円塔の屋上より教会の中庭を通してドナウの上流を眺める。

 

 教会ファサード

 

 

 教会内部身廊部

 

 

5.ヴァイセンキルヒエン (Weissenkirche) 要塞教会

 ゴシック様式で14世紀に要塞化された教会。周りを守備塔の壁で囲っている。

  

 

6.ケーンリンガー (Kuenringerburg) 城跡

 12世紀に築かれた城で、この城を一躍有名にしたのは第3回十字軍遠征からの帰途に

 イギリスのリチャード獅子心王がオーストリアのレオポルト公の命で幽閉された逸話。

 

7.デュルンシュタイン修道院教会 (Stift Dürnstein)

 オリジナルの教会は1410年に奉献され、現在の物は1710年にバロック様式で改築、

 青と白の美しい教会は街のシンボルとなっている。 別名アウグスティヌス修道院。

   

 

8.デュルンシュタインの街並み

 南国に来たような白壁の建物の多いハウプト通り。

  

 

   これにて「ドナウ河岸歩き(6)ヴァッハウ渓谷」は、お終いです。

 

 

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ドナウ河岸歩き(5)ヴァッハウ渓谷メルク

2018-09-24 01:24:40 | 海外生活

 ヨハン・シュトラウスにより謳われた「美しく青きドナウ」は、まさにヴァッハウ渓谷と

呼ばれるメルク (Melk)からクレムス (Krems) 間の 36 km のドナウ河岸のことではないかと

思ってしまうほど風光明媚な所で、2000年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

ヴァッハウ渓谷にドナウ上流から入る最初の町は人口5000人たらずのメルクである。

 

 メルク修道院のベランダからドナウ河を眺める、本流のドナウ河は左より右に流れる。

 手前の川はメルク川で遊覧船の発着場があり、ドナウ河の本流へ導いてくれる。

   写真の真ん中に写っている白い教会は聖ニコラス (St. Nikolaus) 教会

 

<ロケーション>

 

1.メルク修道院 (Stift Melk)

 1089年にバーベンベルグ家のレオポルト2世によってベネディクト会の修道院が

 建てられ、1702~1736年に今日に残るバロック建築様式に改築された。

 <修道院の配置図>

 

以下タイトル番号は配置図の番号に合わせる。

① 正門

 高い台座の上に立っている像は、聖レオポルトと聖コロマンの像。

 

④ 東ファサード(ベネディクトの間)

 ペテロとパウロの像が門の両側に立っている。 右手の白い丸い塔は昔の要塞の一部。

 

⑤ 高位聖職者の庭

 庭の真ん中にはコロマン噴水が。

 

⑳ 大理石の間

 天井のフレスコ画はザルツブルクの画家パウル・トローガーの作品 (1731年の作品)

 

㉑ バルコニー

 大理石の間と繋がったバルコニーからはドナウ河を含めた市街地が一望できる。

 

㉒-㉓ 図書室

 天井には前出のパウル・トローガーのフレスコ画。ここには約10万冊の貴重な書籍が保管。

 

㉔ 修道院付属の教会

 教会の名称はペテロ・パウロ教会で1702~1744年の建立(バロック様式)

 

 

 主祭壇の天井フレスコ画はヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤーの作(1716~22年)

 

 ペテロとパウロの像を真ん中に聖人達の像が立ち並ぶ主祭壇。

 

 副祭壇も豪華絢爛の数々。

    

 

 身廊部の天井と天蓋のフレスコ画は前出のヨハン・ミヒャエルの作(1722年)

 

  聖職者席の飾り(1970年頃製)   ローマン十字架(12世紀の終り頃製)

    

 

2.福音教会 (Evangelisches)

 メルク市街地で見かけた気になった美しいプロテスタント教会(1959年の建立)

 

   

     これにて「ドナウ河岸歩き(5)メルク」は、お終いです。

 

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ドナウ河岸歩き(4)パッサウとリンツ

2018-09-22 19:23:15 | 海外生活

1.パッサウ (Passau)

 パッサウはバイエルン州に属し、ドイツの最東端にあってオーストリア、チェコと国境を接し、

 ドナウ河がイン川とイルツ川に、この地で合流することから「3河川の街」とも呼ばれている。

 蛇足ではあるが、日本で「3河川の街」といえば、私がかつて働いていた地区の岐阜県にもあった。

 (長良川、木曽川、揖斐川)ちょっと、懐かしい気もしないでもない。

 ここまでドナウ河はドナウ・エシンゲンの源流より678 km ドイツ国内を流れたことになる。

  写真の左側からドナウ河、右側からイン川が流れ込む。

<ロケーション>

 

 1-1. オーバーハウス要塞 (Veste Oberhaus)

 ドナウ河沿いを歩いてくると街のランドマーク的存在で、1219年に当時のパッサウ領主

 司教ウルリッヒ2世によって築城された要塞が対岸の丘の上にその雄姿をみせる。

 オーバーハウスとは「上の要塞」を意味し、丘を下った所にニーダーハウス「下の要塞」

 を意味する建物も、ほゞ同時期に築城された。

 この要塞は1802年にバイエルン王国が所有する物となるがフランスのナポレオン軍と

 同盟を結んでいた関係でナポレオン軍の中継基地として対オーストリア前線要塞として

 使われていた時期もある。

 

1-2. 旧市庁舎 (Alters rathause)

 ドナウ河沿いにもうひとつ目を引く建物が旧市庁舎である。 

 パッサウはローマ帝国の1地方都市であったが、739年に司教座が置かれパッサウ司教のもと

 街の発展が始まった。 1602年と1680年の大火災でゴシック様式の建築物の大半を失い、

 現在の町並みはその後に再建されたものである。 現在の人口は約5万人である。

 

 この街はイン川とドナウ河の増水により幾たびも洪水に見舞われてきた。

 市庁舎の入り口横の壁に、洪水の年と水没高さを示している。(ユニーク)

 

1-3. 船着き場

 

 ハンガリー船籍の船を見つけると、ついつい懐かしさを感じてしまう。

 

1-4. 旧市街

 二つの鐘楼のある建物が聖ステファン大聖堂(現存の物は1668~1693年にバロックで再建)

 尖塔の建物は聖パウロ教会(現存の物は1667~1668年にバロック様式で再建された)

 

2.リンツ (Linz)

 ドナウ河もここまで来ると対岸同士で視認不可距離となるほどの川幅となる。

 向かうは下流で、向こうに見える近代的な橋は高速A7道路が走る Vöest brücke である。

 

 遊覧船も何百人を収容できる大型船になる。背の高いビルはレントス美術館、写真左端

 の背の低い大きな平らな建物はブルックナーハウス(コンサートホール)である。

 

 上流を眺めるとリンツ城博物館(写真中央)と新大聖堂の尖塔が目に飛び込む。

 上下いずれの写真も街の中心を貫くニーベルンゲン橋の上からの眺望である。

 

<市街地マップ>

  人口約19万人は、ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第3の都市である。

 

2-1. ハウプト広場 (Hauptplatz) 

 ニーベルンゲン橋のほとりにある街の中心、広場の真ん中に三位一体の柱が立っている。

  

 

2-2. 旧大聖堂 (Alter Dom)

 ハウプト広場の片隅にあって大聖堂と呼ぶには小粒で地味、本来の名称は

 イグナティウス教会と呼ばれており、バロック様式で1678年に建てられた。

  

 

  旧大聖堂の身廊部

  

 

2-3. 州庁舎とミノリーテン教会

 ハウプト広場をちょっと右に曲がった所にあるのが州庁舎 (Landhaus) である。

  

  1568年にルネサンス様式で建てられた。 オリジナルはミノリーテン修道院であった。

  軒を連ねているのがミノリーテン教会 (Minoritenkirche)

   1752~1758年にロココ様式の教会として建てられ、長い間イエズス会の教会であったが

 現在はオーストリア政府の施設として使われている。

 

2-4. カルメリタ教会 (Karmeliterkirche)

 リンツのカルメル会の修道院として1671年に設立され、その跡地に現存の教会が

 1690~1726年にバロック様式で建てられた。

  

  

 

2-5. 新大聖堂 (Neuei Dom)

 別名で聖マリア大聖堂とも呼ばれ、ネオゴシック様式で1924年に完成した。 塔の高さ

 134mはウィーンのシュテファン寺院に次ぐオーストリア第2位でその差は2m低いだけ

 であるという。     東側から見た大聖堂

  

 

   北側面               南側面

    

 

  祭壇部

  

 

  祭壇部と反対の入口(オルガン)側

  

 

  側廊の副祭壇

 

   これにて「ドナウ河岸歩き(4)パッサウとリンツ」は、お終いです。

 

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