ミシュコルツは、人口168,000 人(2011年)で、現在国内第4位の大都市であるが、1989年の共産圏
時代は人口が20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次いで、第3位の工業都市であった。
その後、旧ソ連の撤退により人口は激減した。 大都市の共通のことであるが、ここミシュコルツ市街地
にも古い教会は少ない。
それは外部からの侵略者の攻撃により焼失するせいと、町の近代化の為に消失してしまうためであろう。
歴史的に古いものとしては、Diósgyőri vár (ディオーシュジョール城)がある。 13世紀半ばに、
モンゴルの襲撃対策として作られた石造りの砦城。 ミシュコルツは山と渓谷に囲まれた都市であるため
に、郊外には美しい自然がいっぱいである。
Diósgyőri vár Lillafüred (国内で一番の景勝地との評判)
<百三十八番札所; Miskolc Avas református (アヴァシュ) カルビン派教会>
ミシュコルツで、最も古い教会が町中のアヴァシュの丘の上にある。 13世紀にロマネスク様式で
建築が始まった。 この時は小さい単内陣の教会であったが、後に14世紀にゴシック様式で3層内陣
構造に拡張した。
しかし、1544年にはオスマン・トルコ軍の攻撃により、焼失してしまった。
1560~1569年にカルビン派によって、現在の教会に再建築された。
塔と教会の建屋は離れている。 塔の屋根に特徴(カルビン派)
裏には墓地 教会正面
祭壇は真ん中(カルビン派の特徴) 両サイドには聖歌隊席
オルガンはネオ・ゴシック(1816年)
<百三十九番札所; Zubogy református (ヅボジィ) カルビン派教会>
教会は、15世紀にゴシック様式で建てられた。 ローマ時代に描かれた絵板(パネル)の天井が
ユニークで美しい。 1726年に老朽化した絵板を改修し、1758~1762年の間に内陣の周り
の飾り、家具、床等を整え、今日に至っている。
カルビン派の典型的な塔
祭壇は内陣の真ん中に位置。 天井の絵板(パネル)
信者席(西側) 信者席(東側)
<百四十番札所; Rundabánya református (ルンダバーニャ)カルビン派教会>
教会は、14世紀にゴシック様式で建てられ、15世紀には3層内陣、リブを張ったゴシックの
典型的なアーチ形天井、祭壇等を拡張した。
トルコの占領時代には破壊されていたので、1660年に改築した。 1758~1762年には
内陣を整え、塔を建てたのは1896年である。
南側から眺む(手前が鐘塔) 東側(祭壇側)外観
祭壇 (北側の壁にはフレスコ画)
左側 : 聖ゾフィアと子供 右側 : 聖イロナと十字架 (1430年作である)
天井の絵板(パネル) 1726年に改修
説教台の脇に置かれた大理石の墓石(1437年作) 祭壇と説教台
南壁面左下の日時計
これで、「Miskolc (ミシュコルツ)の教会」はお終いです。
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