撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ショプロンの教会スケッチ(2)郊外にて

2020-07-24 22:59:07 | 海外生活

 ショプロンには郊外にもたくさんの素敵な教会があります。 そんな小生の大好きな

中世の教会をスケッチしてみました。

次の2つは目と鼻の先、歩いてでも行き来出来る、ハンガリーで小生の最も気に入って

いる、癒せる地域の一つでもある。

 

<スケッチ>

  

  手前が「マリア・マグドルナ教会」と道路を挟んだ向こうが「カルメリタ教会」

 

1.カルメリタ (Karmelita) 教会

  

  さほど古い物ではない。  

 教会自体としては1495年(15世紀後半)にカトリック修道院として建てられたが、

 三度に亘り(オスマン帝国、ハプスブルク帝国による戦火と第二次世界大戦後、

 最近まで貧民救済館として)、教会活動を停止、廃墟化していた不運な教会である。

 カルメル会に戻ってきて、教会が再開したのが2002年からである。

 (Karmelia とはカルメル山(イスラエル北部に存在)に住んで修道生活を営んでいた

  団体組織)

 

● ここの良さは長い石段に飾られた古い石像群で、なんとも不幸な教会を物語っている

 ような悲痛な祈りが聞こえて来そうな癒しの場であろうか。

   

   

   

   

 

 石段を登り切った後に見る景色も、一息つけるものがある。

 

 ● 教会の外観等の詳細は、本ブログ「ショプロンの教会郊外編」 2013/02/25,27投稿

   をご参照下さい。 

   

 

2.マリア・マグドルナ (Mária-Magdolna) 教会

    12世紀に石を積み上げたロマネスク様式のカワイイ教会である。

 塔は14~15世紀に追加されたという。

 

 ここには内陣に興味深い古い壁画を見ることが出来る。

 

<ロケーション>

 

3.ヒデグシェーグ (Hidegség) 教会 ....正式名はアンドラーシュ教会 

  ハンガリー語で直訳すると「冷たい何か」となるのかな? フェール湖 (Fertő) 

 から吹きつける寒風で大層、寒かった所だったのだろうか? 

 テレビ番組の「日本人のおなまえ」流に考えると。

 

<スケッチ>

  

 13世紀に建てられた教会で内陣の壁に残された壁画が素晴らしい。 

ローマ帝国からの価値ある建造物である。 塔のある側の建物が古い物で、黄色い建物

の方は14世紀に追加された云われ、実際に日常的に使われている。

 

  

 

 ● 内陣の旧祭壇壁面に描かれているフレスコ画

 

 天井部にも、

 

4.ショプロン・ホルパーチ (Sopron horpács) 教会

  市街地から大分離れているが(約20km)、いつもながら、何故こんな小さな

 田舎の村に、こんなに立派なと思えて来る代物である。

 時期から言って、新規旅立ちを迎えた村の子供たちの為の激励会にぶつかったようだ。

 小学校に上がる子、卒業して次に進む子供たちが壇上に..... 村人にとっての教会とは?

 がちょっと理解出来たような一時であった。

                             Sep. 15 2007 撮影

 12~13世紀にロマネスクとゴシック様式を混合させた美しい教会である。

 流石に3層内陣とはいかないまでも、立派な2層内陣で古い聖具が保存されていた。

 その立派さはロマネスク様式の多層石柱の正門に見られる。 

 これだけの多層石柱門は他でもそう多くは見られない。

   

 

  まだ、まだショプロン地域にはたくさんの教会(中世の古刹としての)はあるが

 コロナ騒ぎが収束した後で、久しぶりに訪ね描いてみたいと思う。

 

 これにて「ショプロンの教会スケッチ(2)」は、お終いです。

 本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

 

 

 

 


ショプロンの教会スケッチ(1)

2020-07-19 19:15:21 | 海外生活

 ジュール (Györ) の街で国道1号線から国道85号線に進路を変え、国境までひたすら

走るとオーストリアの国土側に盲腸のように出っ張っている街がショプロン (Sopron)で

ある。 何故かオーストリアの領土に複雑に入り込んでいるのかを何度も話したくなる

のは余程のハンガリーびいきなんだろうと思ってしまう。

第一世界大戦での敗北で、オーストリア・ハンガリー帝国は領土の削減と共に、二分

されるにあたり、ショプロンはどちらの国に帰属させるかの住民投票が1921年12月14日

に行われた。 そして住民達はハンガリーの方(小国の方)に帰属することを選んだ。

それによって変形的な国土になってしまったのである。

 

<スケッチ>

  

 

 次の写真は、小生がハンガリーに最初に赴任した年のクリスマス休暇で、初めて

ハンガリーの国内を旅した時(1997年12月24日)に、ホテルの窓から眺めた小雪

舞う暮れ行く夕陽の古都に感動したものである。

  写真は街の中心部であり、手前の高い「火の見塔」、その後ろが「山羊教会」、

 左に福音教会 (ルター派)で、プラハの「100塔の古都」を彷彿させてくれる。

 

 ショプロンは9~11世紀にローマ帝国の属州の一つとして司教区であって、

西側への流通の要衝として栄えて来た。

この街は1989年の8月19日に東ドイツ人に国境を開放し、「ベルリンの壁崩壊」への

道を開いた街でもあり、ハンガリーの首都になったことはないが、戴冠式を代行した

こともある古い歴史ある近代的な国際都市である。

幸いオスマン帝国や第二次世界大戦での戦災もなく古刹も多く残っているのが多くの

観光客を呼んでいる所以であろう。

 

<ロケーション>

 

                                 Sep. 08 2007撮

 写真は中央広場の「火の見塔」と市庁舎前、塔の上から街を眺めてみよう。

 

1.山羊教会 (Kecske templom)  .....英 Goat church

 <スケッチ>

  

  13世紀にベネディクト派の信者であった山羊飼いのガイゼル (Geisel) が山羊で

 掘り当てた埋蔵金を教会建設の為に寄付して、建てられたという逸話の教会。

 14世紀には 48mの塔も増築された。  「火の見塔」の下にある。

                                            Sep. 08 2007

    三位一体像と右側の白い建物は諸官庁ビル

 

2.福音教会 (Evangélikus Egyhásközs templom)

 夕闇迫る中世を醸し出す路地とルター派の福音教会

      Dec. 29 2008

  1675年に木造の教会で創建され、1782年に今の石造りの教会になった。

 

3.聖ミハーイ (Szt. Mihály ) 教会 と聖ヤコブ礼拝堂

 「火の見塔」から北の方向を眺めると見ることが出来る。

  聖ヤコブ礼拝堂は教会の庭の中にある。

 教会は13世紀に創建され、現在の物は1800年代に再建されたものである。

 

4.聖ジュルジ (Szt. György) 教会

 「火の見塔」から東方向手前に見ることが出来る。

  1380年~1430年にゴシック様式で創建され、1685年に再建された。

 

5.聖ヤーノシ (Szt. János) 教会

 「火の見塔」から西の方向に見ることが出来る尖塔の教会。

   1217年には既に、この地に木造ながら存在していたらしいが、15世紀に

  ゴシック様式で建立された記録は残っている。     

 

6.オルショリャ (Orsolya) カトリック修道学院とドミニカ会教会

 「火の見塔」から南の方向を見ると手前の福音教会の向こうに立ち並ぶのが

 ● オルショリャ修道学院 : 1861~1864年の創建

 ● ドミニカ教会 (Szt. Júdás Tádé templom ) :1725年に創建

 

  町の中心から東西南北に教会が林立、教会の詳細(内部も含め)は本ブログの

  「ショプロンの教会」(2013/02/25投稿)に記載しておりますので、興味が

 ございましたらご参照下さい。

 又、「知りたいハンガリー史(1)汎ヨーロッパ・ピクニック」(2019/05/01投稿)

 も併せてショプロンに関連しております。

 

  これにて「ショプロンの教会スケッチ(1)」は、お終いです。

 本ブログへのご訪問有難うございました。                                  

 

 

 


ハンガリーの教会スケッチ(1)国1沿線

2020-07-11 01:59:22 | 海外生活

 国道1号線は言わずと知れたブダペストとウィーンを結ぶ日本で云えば東海道である。

多くの中世ハンガリーの教会を見てきたが、地域によって教会の特徴が大きく3つに分け

られるようだ。  その要因は宗派的なものもあるが、地域的、時流、豊かさといろいろ

あるだろう。  

ハンガリー東部はトランシルヴァニア地方も含めて古きハンガリーのルーツを色濃く

残しているような、南部は質素な祭壇部と礼拝部だけのカワイイ教会が多い。

そして北西部(西欧からの表玄関というべくこの辺)は、何故か立派な教会が多い。 

勿論、例外的な物もあり、主観に偏ってもいる帰来もあるかも知れない。

今回スケッチした教会は非常に似かよった教会で、何故、街の中心でなく辺鄙な郊外に

こんな立派な教会が存在したのか不思議なのである。

 

1.ジャーンベーク (Zsámbék) 修道院教会

  

  ブダペストから 30Km  ほど西へ行くと Zsámbék という村があるが、そこには中世

 の美しかったであろう教会が遺跡として残っている。 

 この教会は通常のオスマントルコ軍の襲撃→破壊→廃墟という歴史パターンではなく、

 オスマン帝国が撤退する1686年までの記録が欠落しているので恐らく、支配されていた

 時代には、オスマン帝国によって使われていたと思われる。

 彼等の撤退後、戻って来たが 1763年 の地震により教会は壊滅し、そのまま廃墟化し

 現在に至っている。                    

                                   Sep. 22 2007

  教会は 1250年頃にロマネスクとゴシック様式を混在させたバジリカタイプの

 三層内陣構造でプレモント派の修道院がオリジナルである。

 (参考)プレモントレ修道会は 1120年にフランスの Premontre で創設された。

  残されている教会の高さ 47m、長さ 79m、他の施設の基礎部から推定すると、

 国内でも当時としては最大級だったと思われる。  立地条件も高台で見晴らしが

 良かったため、145年間もオスマン帝国の軍事拠点とされていたらしい。

 

 後述する非常に類似しているレベニー (Lébény) の教会から内部構造も推察出来る。

 教会内部に使われている石柱もよく似ている。

 (教会の詳細は本ブログの「ブダペスト郊外の教会 (1) 2013/03/04投稿を乞う参照)

 

   1986年より発掘調査が開始され保存、再建が行われているが完全再建を

  して欲しいものである。(ハンガリーには財力がないのが悔やまれる)

 

<ロケーション>

 

2.レベニー (Lébény) 教会 .... 別名:聖ヤコブ使徒教区教会

  

  オリジナルは 1199~1212年にベネディクト派の修道院としてロマネスク様式で

 建立された。 その後モンゴルの襲撃での破壊、オスマン帝国軍の撤退時の破壊も

 あったがその都度、復元されて来た。

 現在の教会の姿は 1862~1865年に再建されたものである。

  Sep. 22 2007

 

 3000人足らずの村の人口で何故、これだけの教会が存在したのかが疑問である。

  主祭壇            脇祭壇(三層内陣のバジリカ構造)

  

 

 石柱

 

3.その他の教会

  またこの付近には、小さい村に分不相応なバジリカ構造の教会やユニークな

 祭壇部構造の教会が存在する。 (いずれも創建は中世である)

 

3-1. アールパーシュ (Árpás) 教会

 モーリチダ (Mórichida) という村に有る。 1251年の創建でロマネスク様式の

 一見バジリカ風であるが単層構造の内陣。

 

3-2. ラーバ・セントミクローシュ (Rába-szentmiklós) 教会

 12世紀後半のロマネスク様式で、後ろの円筒形状の祭壇部が特徴。 

 塔は17世紀に増築。

 

  これにて「ハンガリーの教会をスケッチ(1)国1沿線」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

                           

 

 

 

 

 


バラトン湖をスケッチ(11) 麦畑とひまわり畑

2020-07-06 19:06:58 | 海外生活

 ハンガリーは高い山のない平坦な地形なので、野原一面に咲き誇る草花は圧巻である。

バラトン湖周辺では五大パノラマが楽しめ、既に、

  4月の菜の花

  5月のポピー(ヒナゲシ)

  6月のラベンダー とスケッチ紹介して来たが、7月は麦とひまわりで有終の美を

飾ってくれる。 同じ畑で麦とひまわりとトウモロコシを毎年順繰りで植え付けている

(ひまわりは連作を嫌うので)。  トウモロコシを加えれば6大ということになるの

だが、個人的にはイマイチ観で除外している。

 

1.麦畑

  麦は黄金色に輝く麦穂が風にたなびく様が実に美しい。 わりと湖と一緒になった

 風景は少なく、ここという My spot が探し切れていない。

 <スケッチ>

  

  最も描いてみたいと思った場所は、タポルツァ (Tapolca) の Hegysd 山を望む位置。

  山(又は湖)と夏の入道雲と麦畑、癒されるなあ~。

                           @ Hegysd Jun. 25 2018

 

 ● 麦畑は身近な近所でも、いっぱい有るのだが .....             

                                                                                                       @ Sóstó   Jun. 15 2020

 

 

                                                                                           @ Balatonaliga  Jul. 04 2020

 

 湖を望める所もあったがイマイチ     

                        @ Balatonkenese Jun. 04 2020       

 

 

<ロケーション>

 

2.ひまわり畑 (ハンガリー語では Napraforgó ナプラフォルゴー)

<スケッチ>

  

 

 昨年 (Dec. 18 2019) にスケッチした耕作前の状態...スケッチを始めて3枚目の作品。

  

 

  ヒマワリについては定点撮影ポイントが存在しており、今年はヒマワリだろうと

 予測した(2019/12/19にブログアップ)通りとなった。

                        @ Balatonkenese Jul. 04 2020

  バラトンケネシェには、ひまわり畑がいっぱい存在するが、My spot で再会する

 のは実に8年ぶりということになる。 途中、ハンガリーを不在していた時期が

 あったので、その間にヒマワリは一度植えられたと思う。

 いずれにしても、毎年、同じ場所で見れる訳ではないので懐かしいものである。

 

<追加情報>

  本来、教会を主体に紹介しているブログであったので、参考までに上記写真の左側

 の教会はローマカトリック教会で1819年の建立である。

 右側の教会は改革派(カルヴィン)教会でオリジナルが1231年建立で古い中世の物で

 あったがオスマントルコ軍の襲撃で破壊され、今の物は1820年に再建された物である。

  (詳細は本ブログ、バラトンの車窓から 2013/08/20投稿をご参照下さい)

 

  これにて「バラトン湖をスケッチ(11)麦畑とひまわり畑」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。