撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き (30) Felsőörs の教会

2020-08-27 10:25:52 | 海外生活

 先日、知人が訪ねて来たのでバラトン湖北岸で最も美しいと評判の教会を案内すること

にした。 教会には人によっては、いろいろ美しさの基準が異なると思うが、ここ

フェルショゥ・ウルシュ (Felsőörs) の教会はアルパード時代のロマネスク建築様式が堪能

出来ることと共に教会を取り巻く景観も重要なファクターであろう。

 

<スケッチ>

  

   画面の黒い犬はプリ(puli) と呼ばれているハンガリー原産の牧畜犬で、目まで

  隠れてしまうほどのモフモフ犬。

 

                                                                                                              Aug. 05 2020

 教会は13世紀前半に、この地の領主ウルシ (Örsi) によって、聖マリア・マグドルナ

を祀るためにロマネスク様式で建てられた。

オスマントルコ軍の襲撃で焼き払われた(内陣と天井、側廊が破壊)後は 1736年まで

廃墟になっていた。

1736年にヴェスプレーム (Veszprém) の司教 Marton Padani Biro によって再建され、

祭壇や説教台はバロック様式になったが、建物はオリジナルのロマネスク様式の改築。

  歯形形状の棚の上にヘラクレス結びを施した3連の窓があるが、この歯形形状、

 ヘラクルス結び、細長いスリット窓がロマネスク様式の特徴である。

 このヘラクルス結びは、前々回紹介したパンノンハルマ修道院にも使われており、

 当時では魔よけの役割があると云われていた。

   

   入口門は典型的なロマネスク様式で、左右に円柱を配して、その上部に石彫と

  足元には守護神であるライオン像が飾られている。

 

 ● 内陣

   主祭壇と説教台           副祭壇

    

  主祭壇の天井はクロス・ヴォールト構造と云われるロマネスク様式。

 

  教会は3層内陣構造となっており、この地域の教会は1内陣(祭壇)がほとんど

 であるので、当時としては大きな、権威ある教会であったと推定される。

 もう一つの北側側廊にはフレスコ画が飾ってあったが残念ながら素性は不明。

 

 ● 教会背部(祭壇側外観)

 

 

<ロケーション>

 

 ● お薦めフォトスポットよりの景観

 

<教会付近で見つけた夏の野草スケッチ>

 ● ムクゲ(ハイビスカス)

  

 

 ● アザミ

  

 

  これにて「バラトンそぞろ歩き(30)Felsőörs の教会」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

 


バラトンそぞろ歩き (29) Somogyvár の教会

2020-08-20 14:44:51 | 海外生活

 光陰矢の如し、ハンガリー語では「時は飛ぶ (repöl idő) 」と単純に揶揄しているが、

今回のショモジヴァール (Somogyvár) は前回訪れた時が 2007年であったので、実に

歳月はひと回りしたことになる。

不思議なことにバラトン湖のこちら側、南岸にも古い教会が多く在るのだが足が遠

のいている。 新型コロナ様々というべきなのか地元をディスカバーしてみよう。

 

 バラトン湖から20kmも離れているのに、薄っすらとバダチョニ (Badacsony) の

山々が望めたのには、ちょっと嬉しくなってしまう。(手前の湖はバラトン湖ではない)

            ..... Somogyvár 遺跡内の展望台より     Aug. 06 2020

 

  13年前と変わったところと云えば、2015年にオープンしたミュージアムであろう。

 北側のショモジヴァールの丘の麓、徒歩15分の所に設置された。

 

1.ショモジヴァール (Somogyvár) 修道院遺跡

  現在、発掘され復元されている建物(教会と宮殿)の北側に、10世紀の

 アルパード王朝時代に築かれた城塞(城壁は残っている)があった。

 城塞は初代国王イシュトヴァーンの宿敵であったコッパーニ王子の所有する城で

 あったが、ヴェスプレーム (Veszprém) 近郊での戦いに敗北し、ハンガリー国家

 誕生が始まった。

 

 城塞のあった所

 

  建国後の1091年に、聖ラスロー1世(王在位1077~1095年)によって、教会施設

 と修道院がロマネスク様式で建てられ、フランスよりベネディクト派の修道士を招き

 当時はハンガリー国内で最も大きく、ハンガリーのキリスト教の宣教に大いに貢献

 したらしい。               売店で購入した小冊子より借用

 

 教会となりの宮殿

 

 石彫に興味のある方には堪えられない逸品の数々

   

  

 

 遺跡の発掘は、1972~1989年に国立歴史民俗協会によって実施され、新しく出来た

 ミュージアムには興味深い遺品が盛り沢山。

   

 

<ロケーション>

 

 

2.ショモジヴァーモシ (Somogyvámos) 教会遺跡

  建てられたのは12世紀ということなので、前出のショモジヴァール修道院の建設

 後すぐということになる。 建物から後期ロマネスク様式と推定され、八角形の

 見張り塔の役割を持った石塔が特徴。 いつ廃墟になったかは不明であるが恐らく

 オスマン帝国の襲撃によって破壊された後であろう。

<スケッチ>

  

  まったく何もない畑の真ん中でポツンと打ち捨てられた教会。

   ノンビリ草を食むハンガリーの国宝ラッカ羊、本当にこんな所に人の営みは

  あったのだろうかと思えてならない。

 

3.ギュウジ (Gyugy) の教会

   まだ建国されていないアルパード王朝時代の 900年頃に建てられたと云われ、

  ロマネスク様式の祭壇と南門が特徴らしいが、南門は切り取られ破壊されたので

  あろう。 教会内外の壁面には貴重な壁画が描かれていた形跡があるが漆喰で

  塗り潰されている。

<スケッチ>

  

 先ほどのラッカ羊と同様、国宝に指定されている灰色牛はこの辺で多く見掛ける。 

 

  今の教会は 2001~2004年に改修されたもので、前回訪問時と変わっている点は

 丘の麓からの参道が綺麗に整備され、一層、周囲の美しさと調和された。

 

 内陣と壁面に残るフレスコ画

 

  これにて「バラトンそぞろ歩き(29) Somogyvár の教会」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

 

 


パンノンハルマをスケッチ

2020-08-16 21:01:33 | 海外生活

 本日の目的地はジュール (Györ) から国道82号線で20Km ほどの所にある。

因みにジュールはブダペストからウィーンまでの中間点(約120km)にある大きな街。

目的地のパンノンハルマ (Pannonhalma) は、「パンノニアの聖なる丘」と呼ばれ、

ハンガリーのキリスト教信仰の出発点となった地であり、1996年にはユネスコの世界遺産

に登録された。

丘の上には修道院教会、礼拝堂、学校、古文書館といったベネディクト派の宗教施設が

すべて揃っており、敷地内には農園などもあり自給自足の生活を続けて来た。

 

<国道82号線からのスケッチ>

  

  修道院の隣に千年記念館、ちょっと離れた丘の上に聖母マリア礼拝堂。

  8月が過ぎるとコウノトリもアフリカヘ帰る準備で忙しくなる。

  (この辺りには電柱の上に多く見掛ける)

 

<ロケーション>

 

1.パンノンハルマ修道院 (Pannonhalmi Főapátság)

  修道院は996年に、ハンガリーの初代国王イシュトヴァーンの父であるアルパート

 王朝時代の大首長ゲーザ (Géza) がチェコのボヘミアからベネディクト派の修道士を

 招き、ハンガリー国内への宣教活動の為にこの地に修道院を創建した。

 父の死後(997年)意志を継いだイシュトヴァーンは、ここを「パンノニアの聖なる

 丘」と定めて、ハンガリーのキリスト教化を推し進めた。

 今日見られるような後期ロマネスク様式の姿になったのは、国王アンドラーシュ2世

 の時代の1224年であった。

 その後、13世紀のタタール(モンゴル)人の襲撃、14世紀のオスマントルコ軍の

 襲撃で破壊、再建、改修を繰り返して来た。

 

 ● 麓の村の中心から  .... 以下の画像はすべて、Dec. 15 2007 に撮影したもの   

 

 ● 反対側が宗教施設の入口となる。

  こちら側には自然保護公園、葡萄畑、ラベンダー、薬草園があり遠くはドナウ川

 を望む絶景が広がる。

 

 ● 修道院教会入口(塔の高さは55m)

  

 

 ● 1001年完成の聖マルティン礼拝堂と説教台

    

 

 ● 祭壇の向かい側に据えられた大きなオルガン

  

 

 ● 他の教会ではあまり見かけないインポス(円柱が伸びる起点)上の人面彫刻

  

  

 

 ● 回廊部には美しいステンドグラスと煌びやか装飾の祭壇

  

  

 

 ● 修道院内に所蔵されている聖母マリアの絵はお宝であるらしい。

  

 

2.古文書館

  30万冊以上の蔵書があると云われており、宗教書のみならず各分野の書物が

 集められている。

  

 

3.千年記念館 (Millennium monument)

  国家の建国1000年を記念して1896年にハンガリー国内に7つのミレニアム・

 モニュメントが全国に建てられたが、そのうちの一つが修道院横に建てられた。

 

4.聖母マリア礼拝堂 (Boldogasszony kápolna)

  1714年に建立、1865年に改修された。 当初はベネディクト派でないキリスト

 教徒の為に建てられたようだ。

  

 

  これにて「パンノンハルマをスケッチ」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。

 

 

  

 

 


クーセグ (Kőszeg)をスケッチ

2020-08-13 18:22:46 | 海外生活

 前回のショプロン(Sopron)の街より、50Km ほど南下した所に、もう一つの

オーストリアとの国境の街、クーセグ (Kőszeg) がある。 クーセグ山系の麓にあり

自然に恵まれたハンガリーで有数な美しい町である。(人口は約12,000人) 

 

<街の中心部スケッチ>

  

  ユリシチ広場 (Julisics tér) :左から聖ヤコブ教会、聖イムレ教会、英雄の門

 

<ロケーション>

 

1.聖ヤコブ教会 (Szt. Jakab templom)

  ローマカトリックの教区教会で、1403~1407年にゴシック様式で建立され、

 17~18世紀に部分的にバロック様式で改築されたクーセグで最も古い教会である。

 今日見られる教会のファサードは1807年に改修され、祭壇部屋根の上に塔を15

 世紀に追加した。  

   教会裏手の祭壇側と塔

  

 

  教会内部は3層構造の内陣で、祭壇の背面のビザンチン風のフレスコ画は15世紀

 に描かれた。 黒死病(ペスト)で苦しむ人々にマントを提供する聖女の絵は必見。

 

2.聖イムレ教会 (Szt. Imre templom)

  1615~1618年にゴシックの後期ルネサンス様式で建てられた。

 英雄の門を出たユリシチ広場からの教会(左側の建物が市庁舎)

  

 

 内陣はバロック様式

 

3.英雄の門 (Hősök kapu)

 1532年のオスマントルコ軍の撃退から400年を記念して、1932年に建立。

   城の内側から見た門

  

 

4.ユリシチ城 (Jurisics vár)

 <城入口部のスケッチ>

  

  オスマントルコ軍のスルタン・スレイマン率いる当時の最強軍団が20日間も

 の包囲と攻撃に墜ちなかった難攻不落だった城。

 13世紀に建てられ、城の名称の由来は城主のユリシチ・ミクロシによる。

  

 

5.中央教会 (Jézus Szive templom)

  街の中央広場に1894年に建てられた新しいローマカトリック教区教会。

 1936~1987年に逐次改修を重ね、古い聖ヤコブ教会から移行されつつある。

  

 57m の尖塔を持ったネオゴシック様式の立派な教会

 

6.シナゴーグ (Zsinagóga)

  第二次世界大戦中、クーセグのユダヤ人は1944年にアウシュビッツ収容所に

 移送され、以後、廃墟となってしまった。

(ここにも戦後75年の悲しい物語が埋まっていることだろう)

 

7.ロザリオクィーン修道院教会 (Rózsafüzer Kiralynője templom)

  1902年に建立されたカトリック修道院教会

 

  これにて「クーセグ (Kőszeg) をスケッチ」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。