プーラ (Pula)
温暖な地中海気候と天然の良港にもまして、半島の先端という地理的な優位性により、古代
から人が住んでいた痕跡があり、記録の上でも紀元前10世紀頃には、イストリア人が定住して
いたことが明確になっている。 紀元前177年になると、ローマ人によって征服され、急速に
都市化が進んだ。 その後、いろんな国々からの支配を受けたことは、他のイストリアの都市
と大同小異の歴史であった。 但し、イストリア半島の中で、古代ローマ時代の遺跡や歴史的な
建造物が数多く残っていることは、プーラが政略的にも最も重要な都市であった事を物語る。
古代ローマ時代(紀元前後に建設)の円形闘技場(劇場)
<市街地ロケーション>
<見どころ>...上図の番号と以下の番号は一致させている
① プーラ城
旧市街の中央、丘の上にローマ時代にあったカピトリウム(行政の中心的神殿)の跡地に
1630年に統治していたヴェネツィア共和国によって城は造られた。
4つの堡塁で星形の美しい城であり、1961年からはイストリア歴史博物館になっている。
プーラ城より市街地の北側を望む
右端に円形闘技場、ひと際目立つ煙突は古いレンガ工場
プーラ城より市街地の西側を望む
右端が聖フランシスコ会修道院、手前の石垣は城壁。
② アウグストウス神殿
古代ローマ時代のポーラ(現在はプーラと呼称変更)の街の中心であったフォルム広場に
面して、初代ローマ皇帝(アウグストウス)によって西暦1世紀頃に建てられた。
柱廊の玄関とコリント支柱は典型的なローマ建築様式。
コリント支柱頭部には、ローマ様式定番の彫刻、アカンサスの葉
玄関前に飾られている彫刻にも、古さを感じる(凱旋門を目指すマラソンランナーのよう?)
③ 市庁舎
アウグストウス神殿の右隣なりが市庁舎で13世紀に建てられたもので、異なる建築
様式が隣なりあった時代的錯綜がユニーク。 市庁舎はロマネスク様式。
。
東側側面(上の写真では右側面)、建物の角に飾れている人面や動物の彫刻に興味が湧く。
市庁舎の窓もしかり。
④ 大聖堂と鐘楼
オリジナルは4~5世紀に建てられたが、ジェノバやヴェネツィア共和国の侵攻により破壊
され、15世紀に再建されたものが現在に至る。
⑤ 聖フランシスコ会修道院
オリジナルは13世紀後半に創立されたが、現在の物は1314年にロマネスクとゴシック様式
を融合して建てられた。
ファサードにゴシック様式のバラ窓。
内部祭壇(単内陣)
アーチ型回廊で囲まれた落ち着いた雰囲気の中庭
⑥ ローマ時代の床モザイク
3世紀に造られたローマ時代の床モザイクが旧市街への途中の住宅区画内にある。モザイクの
幅は6m、長さ12mの大きさで、いろんな紋様とかギリシャ神話の絵も描かれている。
⑦ セルギ門 ...旧市街への入口門
正式な名称は「セルギウス凱旋門」で紀元前1世紀にアクティウムの海戦での勝利を記念
して、町の有力者セルギウス家が寄贈したもの。
⑧ 円形闘技場
町のランドマークであるこの遺跡の建設は、初代ローマ皇帝から始まり約80年ほど
掛かった。 大きさはローマのコロッセオに比べ、3/4程度であるが、ほゞ完全な状態
で残っており、現在でも映画祭や音楽フェスティバル等の催しに使われている。
長径133m、短径105m、高さ33m、収容人数は23,000人
地下には古代の出土品が数多く展示されている。
ヴォドニアン (Vodnjan)
プーラ手前(北へ)10kmの所にガイドブックにもないこじんまりした美しい街があった。
人口6,000人程度であるが、昔はプーラよりも大きな町であった時期もあり、確かに町の規模
の割に数多くの教会、宮殿、歴史的建造物が存在する。
特に、人民広場前にある聖ブレイズ教会の鐘楼はイストリア随一と云われている。
この地方は、クロアチア有数のオリーブオイルの生産地で、毎年11月にフェスティバルが
開催されるので、その時期に再度の訪問をせねばと思った次第である。(穴場かも?)
◆ 聖ブレイズ教会
オリジナルは4~5世紀に建てられたが、1761年に再建され現在に至る。
鐘楼の高さは56m、1777年に造られた。
これにて「アドリア海の街と教会(3)」は、お終いです。
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