撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Varasd (ヴァラシュド/クロアチア)の教会

2013-05-28 01:10:55 | 海外生活

 クロアチアにも、ハンガリーの古い教会があると聞き出掛けてみた。 場所は高速道路M7を南下し、

そのまま国境を越えるとクロアチアの高速道路A4である。 国境から30kmほど離れた所にVarasd

(ヴァラシュド、クロアチア語でVarazdin)という人口47,000人(2011年)の中堅都市が今回の第一

目的地である。

この地(クロアチア北部)は1200年頃には、ハンガリー王国の支配下にあったようだ、オスマントルコ軍

の襲撃から防御する要塞都市として共に戦う必要性があった。

オスマントルコの支配後は、ハンガリーとの関係は薄れ、町はクロアチア建国の礎を築く時期を迎える。

1756年には短期間ながらクロアチアの首都となる。

再び、ハンガリーとの関係は、ハプスブルグの女帝マリア・テレージアの出現により、オーストリア=

ハンガリー帝国の植民地になり、ハンガリーが再び、統治することになった。

しかし、それも1920年のトリアノン条約(第一次世界大戦)後は、クロアチアは多くの民族問題を抱え

ながら、スロベニア、ボスニア・ヘルツゴビナと共に独立の道を歩む。 

紆余曲折はあったが第2次世界大戦後の1992年に、ユーゴスラビアから独立する。

以上の歴史と人種配分(1921年にはハンガリー人は4%弱でマイノリティ)より、教会にはハンガリー

色は全くないようだ。

 

市街地                     Ursuline (姉妹)修道院と教会(1712年建立)

 

 

 市庁舎(1523年建立)と中央広場              Old town (Stari Grad) 全体

 

 

 Varazdin城

 

 

<百七十九番札所; Varasd (Varazdin) 教会>

1.大聖堂 ; 最初はイエズス会の教会として、聖マリア教会と修道院が1647年に建てられた。

          後に1997年に大聖堂(教会区教会)となった。

 

   

 

2.聖ニコラス教会 ; 15世紀にゴシック様式で建てられたが、1761年にバロック様式で再建された。

 

  

 

 聖ニコラスの像            教会内部

  

 

3.フランシスコ会修道院と教会 ; 1641年に建立、塔の高さ54.5mは、市内で最も高い建物。 

                       教会は聖ヨハネを祀るバブテスト派の教会である。

 

  

 

 次に目指す目的地は Varasd から20号線を北上し、9km離れた Csáktornya(チャークトルニャ、

クロアチア語で Cakovec) である。 人口15,000人(2011年)の町である。

1910年には人口 5,000人中、半分はハンガリー人であった。 トリアノン条約まではハンガリーの

ザラ県に属していた。 第2次世界大戦中の1941~1944年に再び、ハンガリーの支配下となる。

 

<百八十番札所; Ference (フェレンツェ) ローマン・カトリック教会&修道院>

   教会は、1545年頃、この地の領主 Zrinyi Miklos が同じ場所にあった木造の修道院を再建。

   今日の教会は1702~1750年に聖ミクロシュを祀って、バロック様式で改築されたものである。

 

 市街地と教会                          教会は市街地の中心にある

 

 

                   塔は1753~1757年築   教会内部

  

 

                 教会正面ブースには、Zrinyi Miklós の像が収められている。

    

 

    これで、「Varasd (ヴァラシュド/クロアチア)の教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

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Locse (ルーチェ)の教会

2013-05-15 14:48:07 | 海外生活

 Kassa (カッシャ)を後に、高速道路D1でスロバキアの尾根Tátra (タートラ)山脈方面に向かう。

Kassa (カッシャ)から、80kmほどで、次の目的地のLöcse (ルーチェ、スロバキア語でレヴォチャ)

に到着する。 5km手前には、世界文化遺産に登録(1993年)されているスピシュ城を、道路沿い

から望むことが出来る。 

Löcse (ルーチェ)の町は人口14,800人ほどで、1910年には全人口が7,500人で、3000人が

スロバキア人、2,400人がハンガリー人であったが、現在はハンガリー人の数は数字に表れないほど

の少なさになっている。

 

 スピシュ城(1780年に火災によって廃墟化している)とルーチェの町

 

 

 Tátra (タートラ、スロバキア語でTatry) 山脈は2000m級の山が連なり圧巻。

 

 ここまで来たら、タートラ山脈の麓まで足を延ばすことを推奨したい。

 

 

                 Löcse のスペルö が違っていることをご了承ください。

<百七十八番札所; Löcse Szent Jakab (ルーチェ聖ヤカブ)教会>

  教会は、昔ハンガリーで最も美しい教会のひとつに数えられ、1245年にロマネスク様式で

 建てられ始めた。 約100年をかけて、徐々にゴシック様式も取り入れ完成させた。

 中世の木造彫刻は、現存している遺物の中で、最も美しいと云われている。 又、Löcsei Pál

 の作品である主祭壇は高さ18.6mで、1502年に造られた物であり、ゴシック様式の祭壇と

 しては最も大きい物と云われている。

 残念ながら、内部撮影がミサ中の為出来なかった。

 

 東南からの教会全貌            オリジナルの塔は、1550年の火災で焼滅し、

                          今日のものは1858年に建立。

 ((

 

 北側(副祭壇)の外観     東側(主祭壇)の外観      塔下の西門

  

 

       南側から見た塔と入口

 

 

 北側壁面                              南門の内門

 

 

南門の中に絵師Storno Ferenc のフレスコ画(19世紀)が壁に残っている。 とその天井。

 

 

 教会の南隣にユニークな建物の市庁舎がある。 オリジナルは15世紀に建てられたが、1550年の

火災で焼滅し、1615年にアーケードの姿になり、1893~1895年に今日のユニークな建物になった。

  

 

    これで、「Löcse (ルーチェ)の教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 


Kassa(カッシャ)の教会

2013-05-13 17:06:53 | 海外生活

 今回はハンガリーの隣国スロバキアにあるハンガリーの教会(であった)を訪ねたいと思います。

ハンガリーの国道3号線でスロバキア国境を越え、20kmも入った所に Kassa (カッシャ)、

スロバキア名でコシツェという大きな町がある。 最初の目的地である。 ここも第1次世界大戦前

まではハンガリーの領土であった。

当時(1910年)は、人口44,000人(うち、85%がハンガリー人)であったが、スロバキアに移行後

の2003年には、235,000人に膨れ上がり、今ではスロバキア第2の都市になった。 

但し、ハンガリー人は全体の3%(8,000人)と年々減少傾向にある。

 

 中央通り                               国立劇場

 

 

 市庁舎                          中央公園内の彫像とアンドラーシ・パレス

 

 

<百七十七番札所; Kassa Szent Erzsébet-dóm (カッシャ聖エリザベス大聖堂>

  聖堂の場所には、1250年頃よりゴシック様式の教会が建っていたが、1373年の火災

 によって焼失してしまった。 後に、1期、2期、3期と少しづつ建設していき、最終的には

 1520年に完成した(バロック様式であった)

 しかし、再び1556年に火災で多くが破損してしまった。 その後、修理、改修を重ね、

 今日見られる聖堂は、Steindl Imre の設計で1894年に改修されたものである。

 

 北側からの大聖堂       東側からの大聖堂(左が聖ミハイル礼拝堂)

 

 

 北塔は1775年の建立

  

 

 主祭壇は1474~1477年のバロック様式。

 

 

 大聖堂(南側から)の手前が、聖ミハイル礼拝堂; 正面入口に、ビクトリーアーチと屋根の

上に小さな塔を載せている。 屋根はジョルナイ瓦であろう。

 

礼拝堂は1350年代の建立。  天井はチュウチベシ(対角線リブ)という典型的な

                     ゴシック建築様式。

  

 

大聖堂の北隣りはOrbán-torony (オルバーン塔); 大聖堂には、当初、塔がなかった為、

                                  聖オルバーンがここに塔を寄進した。

 

 

 最初の鐘は、1557年に、重さ72kg、外径2m、高さ168cmの鐘を鋳造したが

 1966年の火災で塔から鐘は落下し、割れてしまった。

 

 

        これで、「Kassa (カッシャ)の教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

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Magyar-gyeromonostor (マジャール・ジェローモノシュトル)の教会

2013-05-01 22:32:22 | 海外生活

 ハンガリーの教会巡りの旅も、当初の目標であった八十八箇所をはるかに超え、ちょうど今回で

ふた周りしたことになる。 まだ、まだ、ここErdély (エルディ)には数多くのハンガリーの教会(古刹)

があるが、ひとまずルーマニア(トランシルヴァニア)に別れを告げたい。

最後に、この地域(Kalotaszeg)で、最も古く、Erdély でも素朴で、最も美しいと評判の教会を紹介

しましょう。 Magyar-gyerómonostor (マジャール・ジェローモノシュトル)の村の人口は1900人、

うちハンガリー人は200人、2002年以前は、もっと割合は多かったが、年々減少傾向にある。

                                   gyerómonostor のó のスペルが違っていますことご了承ください。  

<百七十六番札所; Magyar-gyerómonostor  カルビン派教会>

   教会は、最初に1196年に Mikola 家のシトー会の修道院としてスタートし、後にベネディクト派

  の修道院となった。 13世紀に、タタール族に襲撃された後、現在の西側にある塔をツインの形で

  建てた。(現在はひとつである)  南門脇にある3体の石の彫刻もこの時代に造られたものである。

  1330年、教会区教会となり、1442年には教会は改築、拡張された。

  18世紀に、ハブスブルグ帝国によって教会は破壊された。 (戦いはいつの世にも、なんとも罪な

  所業であることよ)  1734年に残された建物で再建された。

  1447~1758年に、内陣天井を絵師 Umling Lórunc によるカセットタイプの板絵を貼って飾ったが

  現在は、2階信者席の手摺部分にあるのみ。

         シトー会; 1098年にフランスの St. Robert によって創立された、ベネディクト派の一派

 

 南側からの教会                          西側からの教会

 

 

 西門                 南門

 

 

 現行の南門脇にオリジナルの門が保存されている。

  

 

 教会北側            北側内陣壁にあるユニークな窓(換気孔?)

 

 

 南門の横の壁にある日時計と彫刻 (13世紀のオリジナルのもの)

 

 聖ミハイルとドラゴンとの戦い       ライオンの像

 

 

カロタのBird-Girl と呼ばれている。 塔の窓(ロマネスク)/ロマネスク様式の玄関レリーフ

      

 

 内陣(祭壇と東側信者席)                    説教台(1752年作)

 

 

 内陣西側信者席                         祭壇通路のゲート

 

 

 カセットタイプの板絵                     この地域の特徴的な青い刺繍

 

 

 テーブル(1758~)         内陣への通路ゲート(アーチ枠にロマネスクのレリーフ

 

 

   これで、「Magyar-gyerómonostor (M.ジェローモノシュトル)の教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」