撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Sopron(ショプロン)の教会(4) 郊外編

2013-02-27 22:48:51 | 海外生活

 

<八十七番札所; Harka (ハルカ)ローマ・カトリック教会>

  ところ; 国道84号線に戻ってショプロンに向かい、ショプロン市街地の手前、Kópháza (町名)の

                       サークル交差点を左折し3km進んだところに教会がある。

          教会は、アルパード王朝時代(12世紀頃)のもので、ロマネスクとゴシック様式を合わせて

                      建てられた。    1400年と1600年代に改築された。

      1309年に「聖ピータとポール教会」と呼ばれていたという記録が残っている。 

      ピータとポールそしてマリーが加われば、フォークソングが聞こえて来そうな教会である。

                    (このグループ知っている人は、相当な通か、古~い人!)

 

 

 南門と窓(ゴシック様式)   内陣(入口側)

 

 

 内陣(祭壇側)

 

 祭壇内の天井に Stormó Ferenc の壁画 (19世紀作)

 

 さて、いよいよ当初の目標であった八十八番目である。 四国八十八箇所に因んだ日本の寺院を

彷彿させるような長い石段を持った教会を紹介したい。 札所とか遍路などいう言葉を使ったから

にはせめて日本的に。

ハンガリー全土の古い教会(古刹)を遍路しようという計画で、このブログには57番目の教会から

投稿しております。 56番目までの教会(札所)はバラトン湖周辺の教会です。

   興味のある方はホームページ http://invitelweb.hu/otsuka でご覧できます。

    

<八十八番札所; Karmelita (カルメリタ)教会>

  ところ; ショプロンの市街地を抜け、鉄道線路を渡り、西へ進路をとりÓ-Hermes 方面3kmの

      県道沿いの急な石段を上った丘の上に教会がある。

           教会は、1495年にPálos (ハンガリーのカトリック修道士)修道院として建てられた。 

                     1532~1643年にはオスマントルコ軍の襲撃により廃墟化した。 

                     1643年から、再びPálos の修道院としてバロック様式で改築されたが、1786~

                     1827年までオーストリア国王József 2世の活動禁止令により廃墟化した。

       1892年にはカルメル会(注)の尼僧の所有となったが、第2次世界大戦後の50年間は

                     貧民救済館として使われ、教会活動は三たび停止せざるを得なかった。 

                    2002年からはカルメル会の活動が再開しており、まさに波乱に富んだ教会であったと

                    云えるだろう・

                   教会からの眺めは素晴らしく、登ってきた石段には石像が立ち並んでおり、神聖な気分に

                   させてくれるが、さほど古いものではない。 せいぜい18世紀からのものであろう。

     (注) Karmelita とは、カルメル会のことでカルメル山(イスラエル北部にある)に

        住む修道生活者が起源。

 

 階段下からの教会眺望             教会正面

 

 

修道院                         祭壇側外観

 

 

 内陣内部                              日本的感覚からいくと石段は信仰気分を一層、煽ってくれる。

                 こんな所でお百度参りをしたら、何でも願いは叶えられそう。

 

 

  

 

<八十九番札所; Mária-Magdolna (マリア・マグドルナ)教会>

   ところ; 前出のKarmelita 教会の階段下の向かいに教会がある。

    教会は、12世紀に石を積み上げて、ロマネスクと初期バロック様式で建立され、

    塔はロマネスク様式で14~15世紀には追加された。

 

 手前のMária-Magdolna 教会と向こうはkarmelita 教会 (近い)

 

 

 祭壇側外観                   初期ゴシック様式の洗礼用手水鉢

 

 

  内陣はロマネスク様式 

 

 天井は対角線リブのアーチ型(ゴシック様式)

 

 壁には15世紀の壁画があるが残念ながら不鮮明

    

   これでSopron (ショプロン)の教会は終了です。

 

 

 

     

 

 


Sopron(ショプロン)の教会(3) 郊外編

2013-02-27 12:32:20 | 海外生活

 都会の喧騒と時空から逃げ出し、悠揚とした“いにしえの世界”に身を委ねたくなるのは

 年寄りの性なのか? あくまでも長閑な、牧歌的なショプロン郊外の教会にお誘いしよう。

 

 

<八十四番札所; Hidegség (ヒデシェーグ)教会>

  ところ; 高速道路M1をウィーンに向かい、129km地点で、国道85号線をショプロン方面に進路を

        とり約65kmで右折し、3kmほどで県道にぶつかった右角の丘の上に教会がある。 

   教会の正式な名称は、「聖アンドラーシ教会」という。 13世紀の礼拝堂とフレスコ画が特徴である。

   丘の上から村全体を見守るように立っており、花崗岩を積み上げた塔と内陣はローマ時代の価値ある  

   建造物のひとつであろう。

 

 塔の建っている方が古い内陣で(隣の黄色い建物は新しい)、外観は四角いが、内部は丸い。

 

 

                            祭壇を取り巻くフレスコ画

 

 

内陣内部の丸い礼拝堂の壁いっぱいに、15世紀に描かれた保存度のよいフレスコが残っている。

 

 

               南側壁にある幅の狭い窓に描かれた植物蔦飾りの縁取りは美しい。

 

 

14世紀には、もうひとつの内陣を建て、通常はこちらを使っている。

 新しい内陣(祭壇側)

 新しい内陣(入口側)

 

 <八十五番札所; Baif Szt. Farkas (聖ファルカシュ)教会>

  ところ; 前出のHidegség 教会を県道に沿って左折し、丘を7km直進すると右手に

             見える教会である。

 

 

  教会は、12世紀にはすでに存在していたと古い記録には残されている。

 塔の形に特徴がある、四角形の内陣とつないだ部分に八角形の鐘塔を積み上げた典型的な

 ローマ時代の教会である。

 

 

 教会の内部は、内陣の天井が対角線のアーチリブ構造(ゴシック建築の特徴)と聖Farkast を

 祀った肖像画が飾ってあるが、内部はネオ・ゴシック様式でモダンなものらしい。

 残念ながら、教会は施錠されており、内部は見ることは出来なかった。 (次回、機会があれば....)

 

 

 <八十六番札所; Sopronhorpács (ショプロン・ホルパーチ)教会>

  ところ; 前出のBalf 教会より、国道84号線に戻り、ショプロンとは反対方向に20kmほど南下

             すると、県道と交差するので、そこを右折し4km進むと道路沿いに教会がある。

   教会は、12~13世紀にロマネスクとゴシック様式を混成させた形で建てられた。 1230~1241年に

   塔の追加と内陣の2層化を図った。 今日見ることが出来る教会は、1890~1892年の改築と1960年

   の大修理を経たものである。

 

    教会正面                   教会北側外観

 

 

 教会祭壇側外観

 

 この教会の特徴であるロマネスク様式の多層石柱の絢爛たる門。

 

 

  門柱の植物模様彫刻

 

 

      主内陣     主内陣と南翼内陣との間にある超豪華な石柱により拡張が図られた。

 

 

 Sopron (ショプロン)の教会(4)郊外編に続く。

    

 

 

 

 

 

 


Sopron(ショプロン)の教会(2)

2013-02-25 20:35:01 | 海外生活

<八十一番札所; Szent Mihály -prébánia (聖ミハーイ司教教会>

   火の見塔から見た聖ミハーイ教会

 

  教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられ、15世紀にゴシック様式で再建された。

 今日見ることのできる教会は1800年代に、ネオ・ゴシック様式で改築されたものである。

 内陣には15世紀の彫刻、壁画が保存されている。

 西側にある塔の下には、中世のアーチ型門があり、その上には網を張ったゴシック建築の

 細長い窓が並んでいる。 これも、又、ハンガリーを代表する美しい塔のひとつであろう。

 

  教会正面外観           南門               祭壇側外観(裏側)

  

 

 

 外壁に施された彫刻                          入口のアーチ型門

 

 

  内陣の天井(ゴシック建築)

 

<八十二番札所; Ó-zsinagóga (旧ユダヤ)教会>

  ユダヤ人がショプロンに住み着いたのは、いつの頃からは定かではないが、13世紀にはすでに

 この地に10~16家族が居たことは確かである。

 しかし、1526年にユダヤ人はショプロンから追放されたため、シナゴーク(ユダヤ教会のこと)も

 破壊され、住居になってしまった。 18世紀に戻って、その住居の庭に、当時のゴシック様式の

 ユダヤ礼拝堂を再建して現在に至る。 通り(Új u.) の向かいには、新ユダヤ教会を新設した。

 

中世には、シナゴークは通りに面して建てることは許されなかったので、門より奥まった所にあった。

 

 

  小さな礼拝堂                     祭壇

 

 

 細長い窓の向こうは礼拝堂、          祭壇の外枠に施された葡萄や葉の透かし彫り

 一般の信者はこちらで祈る。

 

 

<八十三番札所; Orsolya (オルショリア)教会>

    教会は、1861~1864年に、Handler Nándor (ショプロンの著名建築家)がネオ・ゴシック様式

  で建立した。 ローマ・カトリック修道会のひとつである。 

 

   教会正面              塔は八角形で高さは32m  

 

 

    祭壇                 説教台               手水鉢

  

 

 

礼拝が出来ず(当然、賽銭も入れていない)、通り過ぎただけの教会が、以下、2点あり、番外として

次回を期する。

 

 <番外1; Evangélikus (ルター派)教会>

  火の見塔から見たプロテスタント(ルター派)教会

 

  教会は、18世紀の後期(1782~1783年頃)にルター派修道士の家の庭で建てられた。

 

 

 <番外2; Szent János (聖ヤーノシ)教会>

  火の見塔から見た聖ヤーノシ教会(右側に小さく見える)

 

  教会は、1217年に、この地に存在していたらしいが定かでない。 15世紀にゴシック様式で

  建立されたことは確かで、1890年には今ある形に改築された。

 

    

 

 このあと、「ショプロンの教会(3)郊外編」に続く。

 

   


Sopron(ショプロン)の教会(1)

2013-02-25 17:09:41 | 海外生活

<ロケーション紹介>

  ハンガリーの西端に位置し、オーストリア領土に盲腸のように小さく突起している。

 その理由は、第一次世界大戦後の1921年12月14日の住民投票でハンガリー国に帰属することを

 選んだことが、このような変形的な国土になった。 これにより雄大なリゾート湖であるフェール湖

 (Fertö...ö のスペルちょっと違う) の一部もハンガリー国に帰属するところとなった。

 当時のショプロン市民の心情は定かではないが、ハンガリー国民の愛国の証であったような気もする。

 同時期に他の近郊4つの郡でも住民投票が行われ、ブラチスラヴァのみチェコスロバキアに帰属する

 ことを選び、他はハンガリーへの帰属を選んだ。

 

 ショプロンは9~11世紀には、ローマ帝国の州のひとつとして、司教区であり、交通の要衝として栄えて

 来た。 そこにはハンガリー人はもとより、イタリア人、ドイツ人、スラブ人と共栄共存してきた。

 1989年の8月19日に東ドイツ人600人が、Pan-European-Picnic と称して、オーストリア/ハンガリー

 国境を越え西側に逃れた事件が、同年11月9日にベルリンの壁崩壊への道を開いたという話も遠い昔の

 事である。

 2012年現在、人口は61,000人、ドイツとハンガリーの両文化と言語を使うバイリンガルな街として、

 世界から多くの観光客を集めている。 その客の中には、安くて技術の優れた歯科医を訪ねてくる人

 も多く、ショプロンには300余のクリニックがあると云われ、別名 “Dental capital of the world” と 

 称せられているようだ。

 ここからは、多分に私見かも知れないが、ショプロンの街は「日本の京都」と呼べなくはないだろうか?

 歴史の古さから教会が多く、市街地には立派な教会が、郊外には質素な美しい教会が、中には尼寺

 もある。 地形的には山に囲まれた盆地で琵琶湖のようなフェール湖に面している。

 最新技術(歯科分野)も持っているし、なんといっても年中、観光客で賑わっている。

 

 以下、教会ロケーションは、すべて徒歩で行ける旧市街地内のため省略します。

 

 <七十九番札所; Kecske (山羊)教会>

  教会の名前からかショプロンで最も親しみがあり、誰もがまず最初に足を運びたい名所旧跡である。

  13世紀にベネディクト派の信者であった山羊飼いのGeisel (ガイゼル)が、山羊で掘りあてた埋蔵金

  を教会建設の為に寄付したという逸話がある。 当初は初期ゴシック様式であった。

  14世紀には、高さ48mの塔が追加された。

 

    火の見塔から見た山羊教会 

 

 

  教会正面           これほど美しい塔は他に類をみない

 

 

  入口門とゴシック様式の窓    真っ直ぐ積み上げた壁に葉紋様彫刻と

                      Geisel 家の家紋(山羊)等もある。

 

                   

 

  門飾り(左側)                 

  門飾り(右側)

 

 側門(通常は南門だが?)        側門入口

   

 

 ゴシック様式の単内陣構造で、何度も改築された(不運にも今回も改築中)が、ゴシック様式が

 うまく保存され、煌びやかバロック様式が教会のムードとよく調和している。

    左側翼内陣                 主内陣(改築中)

 

 

   内陣入口側                  祭壇脇の内陣の壁に残る中世のフレスコ画

 

 

 内陣の壁窓から眺めた隣の礼拝堂の天井(天井は典型的なゴシック: ここにも山羊家紋が)

 

 

 天井を支えている内陣の支柱を飾る彫刻(山羊、ライオン、人等)

 

 

 煌びやかなバロック様式の説教台     支柱に飾られた神と山羊の彫刻

 

 

 <八十番札所; Szent György (聖ジョルジ)教会>

  Tűztorony (火の見塔)からみた聖ジョルジ教会

 

1380~1430年にゴシック様式、単内陣構造で建てられた。1685年にはバロック様式で拡張。

一風変わったイタリア風の正面で、ゴシックの彫像を嵌めこんでいる。 門の上の透かし彫り。

  

 

 正面の彫像               内陣(祭壇側)

 

 

 内陣入口側    内陣の飾りは、1705~1706年の Pietro Antonio Conti の作。

 

 次回、Sopron の教会(2)に続く。

 

 


Gyor (ジュール)郊外の教会

2013-02-23 20:33:41 | 海外生活

   Györ のスペルが違っていることはご容赦下さい。  

 

<七十六番札所; Lébény (レーベーニィ)教会>

  ところ; 高速道路M1をウィーンに向かって、Györ を過ぎて15kmほどの地点

       (ブダペストから142km)でおり、県道を南下し2kmの道路沿いにある。

   教会はベネディクト派の修道院として、ロマネスク様式で1199~1212年の間に建立。

   バジリカ形式の3層の内陣構造で13世紀のオリジナルをそのまま保存している。

   1638年に一度、1862~1879年にはニュールンベルグの建築家Essenwein に

   よって改築された。

 

教会正面(西側)       祭壇側からの外観(東側)

 

 

 祭壇側外観                      塔

 

 

 南側外観                南門

 

 

西側正面門には、細い多層石柱と植物紋様モザイクや人獣、トルコ軍避けの顔の彫刻がある。

 

 

 

 主内陣            翼内陣         花崗岩を積み上げた天井は高い

  

 

 内部の支柱にも盛りだくさんの彫刻を施している。

 

 

<七十七番札所; Rábaszentmiklós (ラーバ・セントミクロシ)教会>

  ところ; 前出のLébény 教会より、更に県道を25kmほど南下すると、ラーバ川沿いにある。

   教会はローマカトリック教会で12世紀後半にロマネスク様式で建立された。

   円形の教会を二つドッキングしたユニークな形状で、後年、さらに聖具室を追加し、三つの

   円形となったのが、今日見られる形状である。 17世紀には塔を増築した。

 

 

 

 <七十八番札所; Árpás (アールパーシュ)教会>

   ところ; 前出のRába-szentmiklós 教会より、更にラーバ川沿いを4km南下したところの

         Mórichida (モーリチダ)の村の中にある。

              Árpás と Mórichida の二つの村で共同で昔から使ってきた。 

           正式の教会の名前は「聖ヤコブ教会」である。

     教会は1251年に聖ヤコブを祀るためにロマネスク/ゴシック様式で建立された。

     1526~1577年までは、Premonte 修道会(注-下記参照)の尼僧が住んでいたが、

     オスマントルコ軍の引き上げた後は、1601年にソンバトヘイ(司教座)より修道士が

                  派遣され、1750年には、バロック様式で改築された。 以後、司教教会として使われて

                  きた。

 

 西側の正面は2つの塔で分け(バジリカタイプ)、塔の真ん中の窓は柱で補強が特徴。

 

 

 祭壇部は直線的な四角形状で祭壇を挟んで、中世の特徴である細長い窓がある。

 

 

祭壇側内陣

 

 塔(入口)側内陣

   

 

 (注) Premontre 修道会とは、1120年フランスのPrémontré において、

     St. Norbert よって創設された。