撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

「都会の大教会」(1)マーチャーシュ聖堂

2014-01-05 21:23:22 | 海外生活

 テーマから少しづつ逸脱し始めていることは否定できないが、第一弾の「ハンガリーの教会巡り」は、まだ

見逃した所もあるので気候が良い時期に続けて行きたい。 繋ぎ的に考えた第2弾の「バラトンの車窓から」

は完結。 さあて、第3弾はと考えたあげく、自分自身の趣向である古刹巡り主体という理由より避けてきたが

都会若しくは名のある大教会を訪ねるのも、ハンガリー教会のルーツ探りと対比という意味で面白いかも知れ

ない。 それと何と云っても、撮影禁止(これが大教会には多い為避けて来た要因のひとつでもあったが)

でなければ被写体としては申し分ない筈である。

第1回目は、当然、首都ブダペストにあるマーチャーシュ聖堂とした。

 

<マーチャーシュ聖堂>

 オリジナルは1015年に建立されたと云われ、現在ある建造物は13世紀半ばにベーラ4世によってゴシック様式

で建てられたものを19世紀後半に大々的に修復されたものである。

場所はブダ城(王宮)内にあり、「聖母マリア聖堂」というのが正式名称である。 後に1479年に、南側の塔の追加と

共に増築を命じたマーチャーシュ1世の名で、今日では広く、「マーチャーシュ聖堂」と呼ばれるようになった。

「聖母マリア」は、英語ではVirgin Mary (処女母メアリー)、ハンガリー語ではNagy Boldog Asszony (直訳で

偉大なる天上の婦人) またSzűz Mária (スズ・マリア)、錫なんて黄金でないところが謙虚な美しい響きで好きな

ハンガリー語のひとつである。

   正面(西門)からの外観                 以下、写真撮影は2014年元旦に撮影したもの。

 

   南門からの外観

 

   西門(正門)の壁画                    祭壇側(東側)からの外観

 

 

 1541年からの145年間はオスマントルコ帝国によって支配された。 オスマン帝国は1526年にハンガリー

南部のモハーチでの戦いで、ハンガリー王国を破り、さらに北上しブダペストへと攻め上がった。 オスマン帝国

からの略奪を恐れ、多くの聖堂の宝物が新しい首都となったブラチスラヴァに移された。 ブラチスラヴァの首都

は1636~1784年まで続いた。

一方、1541年にオスマン帝国はブダを占領し、聖堂は内部の壁に描かれた豪華なフレスコ画は漆喰で塗りつぶ

され、オスマン帝国のモスクとなった。

以後、1686年にヤン3世率いるポーランド・リトアニア共和国とハプスブルグ帝国の反トルコ神聖同盟は

オスマントルコ軍を追放した。

そしてモスク化した聖堂は、バロック様式で復興され始めたが、破壊の大きさとハンガリーを取り巻く世界情勢から

簡単なものでなく、19世紀末になってようやく修復作業が本格化した。 第2次世界大戦での破壊もあり、今日の姿

は1960年代に修復されたものである。

建築家シュレク・フリジェシェがデザインし、以下のような特徴が見どころ。

 

 ジョルナイ(Pécs にある陶器メーカー)製の      ガーゴイルの雨樋彫刻を載せた尖塔。

 ダイヤモンド模様の瓦屋根。

 

  

 

 内陣中央の主祭壇には聖母マリアが祀われている。

 

 南門は聖母マリア門と云われ、マリア像が立つ。 南回廊の鮮やかなステンドグラス

                 

 

 北側の回廊には、聖イムレの祭壇(中央が聖イムレ)。 聖イムレは初代ハンガリー王

 イシュトヴァーン王の嫡子で24歳で亡くなる(1031年)

  

 

聖イシュトヴァーンが1038年に亡くなると、次の王位の後継者争いが勃発するが、1077年に

聖ラスローが即位し、1095年までの18年間にクロアチアのアドレア海沿岸地方(ダルマチア)

まで領土を拡大し、繁栄した時代であった。

1458年にマーチャーシュ1世が国王に即位し、彼は国内にルネサンス文化を導入し、学問、芸術

を奨励すると共に、プラハ、ウィーンを領土に加えた。 1490年に亡くなるまでの32年間は、

ハンガリーの黄金時代と云えるだろう。

 

  マーチャーシュ王の紋章             ベーラ三世と妻の棺

         

 

 聖堂内部(祭壇側)

 

  聖堂内部(塔・西門側)         色彩豊かな支柱

     

 

 1686年にハプスブルグ家がオスマントルコ軍を追い払い、翌1687年にオーストリア=ハンガリー

 二重帝国が誕生し、ハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后がこの教会で戴冠式

 を行った。 この時、フランツ・リストが「ハンガリー戴冠ミサ」を演奏したことは有名な話である。

   エリザベート皇后の彫像    聖堂の2階には、宝物や壁画など多数が飾られている。

       

 

 教会の前にあるのが聖三位一体像で、13世紀に流行したペストの終焉を神に感謝して1710~13年に建立。

 

 聖堂に隣接する漁夫の砦と聖イシュトヴァーン像  (2014年元旦の賑わい)

 

 漁夫の砦から眺めたドナウの風景1 (国会議事堂)

 

 漁夫の砦から眺めたドナウの風景2 (聖イシュトヴァーン・バジリカとくさり橋)

 

      これで、「都会の大教会」(1)マーチャーシュ聖堂は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」