撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Gyongyos (ギェンギェシュ)の教会(2)

2013-03-24 12:24:43 | 海外生活

 今回訪ねる最初の2教会は、Gyöngyös というよりは、隣の県 Nógrád 所属になるが、Mátra 山系

ということで一緒にした。 のんびり、景色を楽しみながら Mátra 七曲りを行くなら、Gyöngyös から

の国道24号線がお薦め。 急ぐならば国道21号線。 電車も国道21号線沿いに走っている。

 

 <百三十二番札所; Mátraszólós (マートラソーローシュ) ローマ・カトリック教会>

   教会は、アールパード王朝の聖 Erzsébet を祀り、13世紀の終わりから14世紀の初めにかけて、

  ゴシック様式で建てられた。 この時期に祭壇の壁画や飾りつけを司教教会建築としての装いを施した。

  15世紀の後半に拡張し、1669年にはバロック様式で再建された。 塔は1864年に建てられた。

                       Mátraszólós の ó のスペルがちょっと間違っていますが、ご容赦願います。

 

 

 

 ゴシック様式の窓が美しい。   教会(塔)入口

 

 

 祭壇の聖 Erzsébet 絵(額内)は17世紀のもの。  塔正面に飾った彫刻。

 

 

 <百三十三番札所; Tar Szent Mihály (タル・聖ミハーリィ)教会>

   教会は、13世紀の後期にロマネスク様式で建てられ、14、15世紀に拡張された。

  特徴としては、他には類を見ない3分割された祭壇構造の建物である。

  教会の内陣壁には、美しい中世のフレスコ画を見ることができる。

 

 

 

 祭壇側からの教会外観             祭壇は3つの半円形をくっ付けた構造

   

 

 内陣祭壇側                  内陣に残るフレスコ画

 

 

 内陣入口側

 

 

 <百三十四番札所; Feldebró (フェルデブロー) ローマ・カトリック教会>

  教会は、11世紀にロマネスク様式で創建された。 オリジナルは内陣が5つあったと云われている。

 13世紀と15世紀に改築されたが、オスマン・トルコの占領時代は廃墟化しており、1745年に

 一部の壁を保存する為に、バロック様式で再建築した。

 これらの残された壁、柱、ゴシックの門等は、考古学調査の上で、非常に貴重な建築資料とされている。

 ローマ時代の墓地が、隣にほとんど、完全に残っている。 

 地下霊廟には、11~12世紀のアールパード王朝時代の君主Abaファミリーの墓がある。

 

 

 

 昔の壁を保存している

  

 

 内陣祭壇側           内陣(塔)入口側

 

 

 墓地には古い墓がいっぱい。           地下霊廟

 

 

 地下の石柱                 地下の壁にはフレスコ画が残っている。

 

 

 <百三十五番札所; Tarnaszentmária (タルナセントマリア) R/K 教会>

  教会は、10~11世紀にロマネスク様式で、皇子の墓地として作られたものだと推定される。

 ハンガリー国内で、最も古く、小さい現役の地下霊廟教会であろう。

 内陣は、1880年代にネオ・ロマネスク様式で拡張され、塔も追加された。

 

 

 

 

 

 地下霊廟入口(但し、未公開)

 

   

   これで、「Gyöngyös (ジェンジェシュ)の教会(2)」 はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 

 


Gyongyos (ギュンギュシュ)の教会(1)

2013-03-23 22:34:16 | 海外生活

  Gyöngyös の町は、ハンガリーの山岳景勝地(海抜1000mの高さとは云え、最高峰)であるMátra

渓谷の玄関口で、ワインの名産地であり、シーズンには数多くの行楽客がここを訪れ、通り過ぎる。

人口は34,000人で、外国語の語学学校もあり、“International Town” と自称しているので学園の町

ではないかと思っている。   ワイン祭り : 毎年5月第3週末

 

 

<百二十九番札所; Gyöngyös Ference (ギュンギュシュ・フェレンツェ)修道院教会>

  町の中心にある教会と修道院は、Báthory 家によって1370年頃に建てられた。 1526年の

   オスマン・トルコの攻撃から逃れる為に、修道院は他に移し、1727年に再び、元の位置に戻した

   ので、トルコ占領地域で残った修道院は、ここと Szeged の2つだけであった。

 教会の方は、18世紀にバロック様式で再建築された。 現在、見れる教会で当初のものが残って

   いるのは、塔と祭壇部分の建物である。

 塔は四角い形状のゴシック様式で、祭壇の壁にはゴシック様式の窓が残っているが、飾り物は18世紀

    のもの。

 Erzsébet Báthory ; 1560年生まれ、ポーランド王の姪。 トルコ戦線、オーストリアとの自由戦争の英雄

 

 町の中心

 

 

 

 

 祭壇側外観(ゴシックの窓が残る)        修道院

 

 

 内陣(祭壇側)      説教台

 

 

<百三十番札所; Gyöngyöspata (ギュンギュシュパタ) ローマ・カトリック教会>

  人々が住み始めた11世紀に、村には小さな教会があったが、タタール族によって破壊され、

 15世紀にゴシック様式で建て替えた。 そして、17世紀に聖母マリアを祀り、再建築されたのが

 今日の教会である。 この再建時に、バロック様式の “イエスファミリーの木” を祭壇に飾った。

 国内では “イエスファミリーの木” はここしかないということなので、必見である。

 15世紀のフレスコ画が内部の壁に残っている。

 

 県道より Gyöngyöspata の村を望む。

 

 

 美しい村に美しい教会が良く映える。

 

 

 教会正面入口         内陣(祭壇側)

 

 

 “イエスファミリーの木” 

 

 

 ゴシック様式の窓     内陣仕切り壁に残るフレスコ画

 

 

<百三十一番札所; Pásztó Szt. Lőrinc-plébania (パーストー・ローリンツ)司教教会>

  12世紀には、2階建ての小さな礼拝堂がすでにあり、13世紀に、その場所に教会をロマネスク

    様式で建てた。 15世紀にはゴシック様式で拡張され、1734年と1767年に再建築された。

 その前の1723年に礼拝堂のあった2階部分に塔を積み重ねる形で作った。

 

 塔の横にあるのが礼拝堂の遺跡              南門

  

 

塔下の門(おそらく礼拝堂の入口だった。 主祭壇、左右の翼祭壇は1734年ロココ様式

 

 

内陣入口側 (塔は祭壇側に有り、通常のものと逆 ... おそらく礼拝堂があった為だろう)

 

 

 内陣に残されているフレスコ画

 

 

   これで、「Gyöngyös (ギュンギュシュ)の教会(1)」 はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」 

 

 

            

 

 

 

 

 

 


Kaposvar (カポシュヴァール)の教会

2013-03-22 14:29:55 | 海外生活

 Kaposvár は、Somogy (ショモジ)県の県庁所在地で人口68,000人は、国内13番目の

中堅都市である。 この地域には紀元前400年頃より、すでにケルト人が住んでおり、1009年

に “Kapos” という名称で Pécs の司教区のひとつであった。 

1555年には、オスマン・トルコに131年間占領され、1686年に開放された。

古い歴史のある町ではあるが、残念ながら、何故か興味深い古刹(教会)は少ない。

 

 <百二十五番札所; Senna (センナ) カルビン派教会 > 

  この村には、当初ルター派の信者達が住んでいたが、徐々にカルビン派が多くなり、1626年頃より

 一緒になり、1600年代に教会が出来たようだ。 その後、1785年にバロック様式で建てられたのは

 はっきり記録に残っている。 1787年より、この教会の売りである Z. Soós Istvén (Kaposvér の絵師)

 による絵板(パネル)を使って飾り始めた。

 1948年より教会も含めた野外ミュージアムとして公開している。 新鮮な空気が美味しい。

 

 

 

 祭壇は内陣の真ん中にある。         説教台

 

 

 教会東側信者席               南門

  

 

 天井の絵板(パネル)

 

 羊も戯れ、周りに古民家が数軒、中世の生活や道具を公開している。

 

 

 <百二十六番札所; Szenyér (セニェール) ローマ・カトリック教会>

   教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられ、のちに1754年にバロック様式で再建された。

  塔は最初から無かった。 但し、内部には美しいフレスコ画が残っているらしいが、残念ながら

  拝観の機会に恵まれず、次回の出直しを期する。

 

 東側からの眺め。              南門

 

 

 墓地の中に佇む。

 

 <百二十七番札所; Somogyvámos Toronyrom (ショモジヴァーモシュ) 塔遺跡>

   中世の教会が、平原に見棄てられたかのように佇んでいる。 これは、13世紀末期にゴシック様式

  で建てられた。 塔は下段層が四角、上段層が八角形で典型的な中世の形状(窓の形状からゴシック

  か?)   内陣西側の壁と東側の祭壇部分がわずかに残っているのみである。 

 

 南側からの眺め               祭壇部分

 

 

 西側からの眺め                西側の壁面

 

 

 塔                塔内部

 

 

 <百二十八番札所; Törökoppány (トゥルコッパーニ) ローマ・カトリック教会>

   教会は、1490年にゴシック様式で建てられ、1799年には祭壇部分の内陣が追加された。

  オスマン・トルコの占領時代には、この地域の信者達の教会として使われた。 幸いにトルコ軍

  からの抑圧も攻撃もなく、しばしば、バロック様式で改良や改修を重ね、今日に至る。

  Somogy エリアで最も価値ある中世の教会のひとつに数えられている。

 

 

 

 庭に佇む聖人の像と

   オスマン・トルコ軍参謀・詩人Gül Baba の像(この村が大切にされた事が判ったような)

 

  

 内陣祭壇側            内陣入口側

 

 

 ロココ様式の祭壇         広大な平原

 

 

   これで、「Kaposvár (カポシュヴァール)の教会」はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 

 


Pecs (ペーチ)郊外の教会(3)

2013-03-20 19:23:41 | 海外生活

  今回で、ハンガリーの南端、ペーチ周辺の古刹(教会)巡りは最後になりますが、

 ここまで訪れる機会があったら、次の4か所は道草として立ち寄るのも一考かと.....

(1) Mohács の日本風“なまはげ”祭り(2月第1週末)(2) Harkány 温泉(クロアチアからも大勢来る) 

 

 

 (3) Pécsvárad へ行楽に(風光明媚)    (4) Villány のワインセラー(全国的に有名)

 

 

 <百二十番札所; Nagyharsány (ナジハルシャーニ) ローマ・カトリック教会>

  教会は、ワインで有名な Villány (ビッラーニ)村の5kmほど、手前(ペーチから)の県道沿いにある。

 13世紀にロマネスク様式で創建され、1400年代にゴシック様式で拡張された。 祭壇部を強化、改築。

 1978年に改修したものが、今日見られる教会で、ローマ時代の南門とロマネスクとゴシックの窓を残し

 ている。 祭壇のルネサンス様式の壁画は素晴らしい。

 

                    新しいゴシック様式の南門(1978年)

 

 

ローマ時代の南門とロマネスクとゴシックの窓が共存  後ろ(祭壇側)からの眺め

 

 

 内陣(祭壇側)                 祭壇を強化した支柱

 

 

 祭壇(ゴシック)は1400年代のもの     祭壇の壁画(ルネサンス様式)

 

 

 <百二十一番札所; Máriakéménd (マーリアケーメーンド)ローマ・カトリック教会>

   教会は、聖母マリアを祀り、15世紀にゴシック様式でマーリア礼拝堂として建てられた。

  1753年にバロック様式で再建され、現在はペーチ司教区の巡礼者用の教会となっている。

 

 

 

 教会正面     入口に佇む聖女が迎えてくれる。 祭壇の飾り物は16世紀のバロック様式

    

 

 <百二十二番札所; Mindszent Kápolna (ミンドセント礼拝堂)>

  教会は、12世紀にロマネスク様式に建立され、のちに15世紀にはゴシック様式で、

 18世紀にはバロック様式で再建された。 昔は教会として使われていたが、今は礼拝堂になっている。

 

 

 

 <百二十三番札所; Mecseknádasd Szt. István (聖イシュトヴァーン)教会>

   教会は、13世紀初めにロマネスク様式の単内陣構造で創設された。 その壁に14世紀の

  フレスコ画の一部が残っている。 14世紀には建物も拡張した。

  16世紀に作った石垣で囲まれ、多くの古い墓石と共に、美しい風景のなかで佇んでいる。

  内部の状況より、普段は使用されていなく特別な用途のみ(例えば葬儀等)と思われる。

 

 

 

 ロマネスク様式の窓と南門            内陣と祭壇

 

 

 14世紀のフレスコ画が残っている。      16世紀の石垣に囲まれている。

 

 

 内陣(入口側)

 

 <百二十四番札所; Bátaszék Plébánia (バータセーク司教教会>

   現在、建っている立派な教会は、1902年に建立という非常に新しい教会である。 ネオゴシック様式。

  隣に美しいアールパード王朝時代(1142年に創建)からの教会があったが、現在は基礎だけを残す

  遺跡となっている。

 

                 教会の手前が、古い教会の跡

  

 

 左が古い教会(バロックで1718~1758年に改築)、右が現在の教会(工事中)...カタログより

 

  これで、「Pécs (ペーチ)郊外の教会(3)はお終いです。

 

「バラトン遍路の旅」 

   

 

 

 

 

 

 


Pecs (ペーチ)郊外の教会(2)

2013-03-19 16:30:26 | 海外生活

  今回は、Pécs (ペーチ)の市街より南下し、クロアチア国境沿いに向かいます。

 <百十六番札所; Pécs-Málom Szt. József (聖ヨージェフ)教会>

  教会は、12世紀にロマネスク様式でまず、内陣の建屋が創設された。

          (1) その時の物(ロマネスク)が残っているのは、南門、とその上の細長いスリット窓と

             半円形の祭壇部分である。 (茶色壁の建物部分)

        16世紀以降に改築または増築されたもの(白色壁の建物部分)

          (2) ゴシック様式の内陣を西側に延長。 新しいゴシックの門を(上部がアーチ形)追加。

          (3) バロック様式の平べったい塔を作った

        19世紀(1840年)には、北側の建物部分を改築した。

     中世の三つの建築様式(1)、(2)、(3)を巧みに組み合わせた、かわいい教会である。

 

 

 

 北側は後に改築した(1840年)              南門、窓の建築様式比較も面白い。

 

 

 祭壇側外観               内陣(祭壇側)

 

 

 祭壇のフレスコ画は13世紀に、使者達をテーマに天井一面と祭壇の壁に描いた。

 残念ながら、かなりの部分が判明できない保存状態である。

 

 使者の絵(これが最も良い保存状態)              説教台

  

 

 <百十七番札所; Túrony (トゥーロニ) カルビン派教会>

  教会は、アールパード王朝時代のもので、今日では改革派(カルビン)の教会として使われている。

  内陣(祭壇含む)は、14世紀にゴシック様式で建てられ、18世紀にバロック様式で再建された。 

  塔は1827年。 教会を改革派が使う時に 祭壇、壁画は何処かに処分したので、現在は祭壇内は

  みすぼらしい限りである。 財政的に厳しく、現在、世界モニュメント復興事業団にサポートを申請中。

 

 

 

                                 内陣(祭壇側)

 

 

 内陣(入口側)                     祭壇に調度品、壁画はなし。

 

 

 <百十八番札所; Siklós vér Kapolna (シクローシュ城内礼拝堂>

  13世紀に建てられた中世の古城の中に、興味深いフレスコ画が保存されている礼拝堂がある。

 

 Garay (ガライ)城                        礼拝堂の入口

 

 

祭壇(典型的なゴシック建築の天井である)  内陣内のアーチ形の支柱もゴシックの典型

 

 

 かなり保存度の良いフレスコ画が内部に残っている。

 

 

 <百十九番札所; Siklós Ference (シクローシュ・フェレンツェ)教会>

  教会は、14世紀の初めに、アウグスティノ会の為に建てられたものを、のちにGaray家(城の所有者)

  によって、1410年に改装された。 その際、ゴシック様式の祭壇にフレスコ画を飾った。

  このフレスコ画が、なんと云っても一番の特徴であり、非常に保存度が良く、鮮明で、おそらく、国内随一

  の美しいフレスコ画であろう。 祭壇以外の建屋は1700年代の初めにバロック様式で改築された。

 

 北西からの眺め         北からの眺め

 

 

 内陣(祭壇側)          祭壇の天井(ゴシック様式)

 

 

祭壇の窓を飾るフレスコ画   祭壇の右横のブースの中に描かれた使者達の絵

                    (真ん中が聖アウグスティヌス)

   

 

 内陣(入口側)....バロック様式               説教台(ロココ様式)18世紀後半に改修     

 

 

   これで、「Pécs (ペーチ)郊外の教会(2)」はお終いです。

 

 

「バラトン遍路の旅」