撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

国境沿いの教会スケッチ(2)

2020-10-28 00:56:14 | 海外生活

 これは仮想のスケッチ旅行であることを予め断っておきます。 但し、仮想とは言って

も、今現在の事ではないというだけで、過去の旅を紐解いています。

このコロナ禍は、こちらでも感染の第二波が襲っており、より一層の自粛が要請されおり、

国外の渡航は実質不可能、国内ならば日本の様な「GO TO 何がし」があったら、すぐにも

腰を浮かせたいところですが ...... 当面は行った積りで思い出のスケッチ旅行が無難かと。

 

 今回の教会たちは、個人的にもお気に入りの教会が揃った地域であり、紹介したい物が

一杯あり過ぎるので、詳細については過去の投稿写真を観て戴きたく、今回はスケッチ中心

と要点のみと致しました。

 ● 2013/04/01 投稿 タイトル「Lónya / Vámos-atya 教会」

 ● 2013/04/02 投稿 タイトル「Csarda / Tákos 教会」

             

              ティサ (Tisza) 河の渡し風景 

  

 

<ロケーション>     .... 朱丸がハンガリー全体での位置づけ

 

          .... 青丸印が冒頭の風景場所、 朱丸が今回の教会位置

 各村の人口; Lónya 825人、 Vámos-atya 556人、 Tákos 411人、Csaroda 578人                                       (2015年調べ)

 

 前回の場所から更に時計回りに国境沿いを伝って来ると、ハンガリー第2の大河である

  ティサ (Tisza) 河を渡ることになる。                                                Aug. 20 2008 撮影

  左手の森の奥がスロヴァキア、右手の奥がウクライナとなる。 国境近くは

 橋がない為にフェリーで川を渡ることになるが、川幅が狭いために自力で走る

 フェリーでなく、船橋を岸よりワイヤーで引っ張って移動するタイプである。

   <運賃>  人は100Ft. (約40円で、180人/回まで収容OK)

         自家用車は 400Ft. (7台/回まで収容、大型車は1台/回)

   <参考> 

     ティサ川の全長は 977Km で、源流はウクライナのカルパチア山脈の奥で、

    ドナウ川の最大支流でセルビアのベオグラードの手前で合流。

    暴れ川の異名を取り、昔から水災害が絶えない川で、特に春先の雪解け洪水。

    参考ながら、日本一長い信濃川の全長は 367Km である。

 

■ ローニャ (Lónya) 改革派教会 .... カルヴィン派

 教会は13世紀にロマネスク様式で建立。

 屋根はジンダイ工法(板を瓦のように重ねて敷き詰める工法)を採用。

  

    

   塔は1781年に建造され、高さは 26mで中心の尖塔を取り囲むように、四隅に

  小さい子供の尖塔を配置している。 ここから先の東部には多いタイプである。

 

 ● 教会の見どころ

  鐘楼の美しさ(上記)と内陣の説教台と壁に描かれたフレスコ画。

  今までとは異なったビザンチン風、14世紀の巨匠 Lándor Frenc の作品。

 この地域まで東ローマ帝国(ビザンチン)文化が伝わって来たということなのか。

 

■ ヴァーモシュ・アチャ (Vámos-atya) 改革派教会 ...カルヴィン派

  教会は13~14世紀の間でゴシック様式で建てられた。

  

 

   1776年に内陣本体と離して、西側に鐘塔を増築した。

  高さ 26.5m はティサ川流域では一番高い塔である。 

  

 

 ● 教会の見どころ

 内陣天井の絵板(パネル)と信者席の仕切り板の絵(1776年の作品)

 

 

■ ターコシュ (Tákos) 改革派教会 ... カルヴィン派

 教会は 1700年代の建立であるので、他の教会よりちょっと若い。

  

 

 ● 教会の見どころ

 🔹 教会本体の作り方が、ヨーロッパでは珍しいパティチ (Patics) 工法で造られている。

    日本で云うところの土壁工法(土を竹に編んだ枠に塗り込んで乾かす工法)

 🔹 内陣の天井が前出したトランシルヴァニアから来た巨匠 Lándor Ferenc の作品。

    

 

 🔹 郷土特産品としての刺繍(下のデザインでは全国的には有名)

 

■ チャロダ (Csaroda) 改革派教会  .... カルヴィン派

 教会は13世紀半ばにゴシック様式で建てられた。

  

   

  教会本体にも鐘塔があるのに、何故か離れた所に鐘楼もある

                 (14世紀の終わり頃に追加増築)

 

 ● 教会の見どころ

 🔹 内陣の壁面に残されたフレスコ画(ビザンチン風)

    

 

 🔹 刺繍 ... 上の写真のようなデザインで有名。

  教会では販売していないが周りの民家で展示販売している。

 

* 地図の所に各村の人口を記した意図は、いずれの村も数百人という少ない人口で

 古い文化を守り続け、自分達の村に誇りを持って村おこしをしている記事を読んだ為。

 

 

  これにて「東部国境沿いの教会スケッチ(2)」はお終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。

   

 

 

 

 

 

                                                                                

 

                                                                                                  

 

 

 

 

 


東部国境沿いの教会スケッチ(1)

2020-10-22 00:39:40 | 海外生活

 ハンガリーの東部はスロヴァキアとウクライナに接しています。

四方を海で囲まれた日本では塀あるいは金網の向こうが隣国だなんて想像がしづらい訳

ですが、ひと昔前まではその塀を越えることはタブーでした。(EUに加盟していない

ウクライナは緩和されたとは云え、未だ国境警備は厳しいものがあります)

ハンガリーの風物詩である草原の牧草ロール(ロールベール)と隣国の山岳地帯を望む

風景がこの地方の特徴であろう。

  

                                   Aug. 19 2008 撮

  ロールベールは直径 1.5m 、重さ 350 kg ほどの大きさで牛などの家畜の餌となる。

 

 そして日本の合掌造りに相当する茅葺屋根の古民家

  

 

<ロケーション>   .... 赤丸印は今回紹介する教会の位置

  シャーロシュパタク (Sárospatak) はジグモンド (Zsigmond 在位1387-1437)国王

 から自由都市の優遇を受け、特にポーランドとの交易の要衝として、15世紀頃に

 急速な発展を遂げていた。

 その頃の1531年に開校された神学校は、ハンガリー国内でも最も古く、日本で云えば

 足利学校や松本市の開智学校に相当するのだろう。 ボドログ (Bodrog) 河畔に佇む

 城塞の石垣に囲まれた人口12,000人(2018年)ほどの小さな町である。

  

  城は最終所有者の名に因んで、ラコチ城 (Rákócsi vár) と呼ばれている。

  ハンガリー紙幣の 500 フォリントの裏面に描かれているので歴史的にも知名度の

 高い建造物である。

  

  紙幣には城塞だけではなく、ミュージアム内の建造物も描かれている。

                ↑ 要塞(レッドタワー)と東ウイング

 ミュージアム入口 ↓

 

■ シャーロシュパタク城教会 (Sárospatak vár templom)

    教会は城の建設(1534~1537年)と同時期の1537年に建てられた。

 北ハンガリーで最大のゴシック様式のホールタイプの教会である。

  

  

 

  祭壇部            西入口側内陣

    

  祭壇には聖エリザベス(1207-1231)が祀られている。 聖エリザベスは城を作った

 ハンガリー王アンドラシュ (András) 2世(在位1205~1235年)の娘でこの城で生まれ

 たと云われているが定かではない。

 彼女はハンガリー国内の多くの教会で祀られているので13世紀当時には国家的貢献を

 し、聖女とされている。 あの有名なハプスブルグ家の王妃のシィシィではない。 

   

 今回の掲載には割愛したが、この近郊にあるグンツ (Gönc) 教会のステンドグラス

 

■ カルチャ (Karcsa) 改革派(カルヴィン派)教会

 教会はロマネスク様式のレンガ造りで12世紀に建てられた。

  

 

 ● 美しきロマネスク様式の西門

 

 

 🔹 守護神のライオンの石像  

    

 

 🔹 葡萄の葉を模した石柱の飾り

 

 ● 教会の母屋と離れている鐘楼    ... この地方の特徴

    

 

 ● 内陣

  古い方の小さい内陣は12世紀に6箇所の祭壇を持った円形に造られていた。

 13世紀に大きい方の内陣が追加され、最終的には5箇所の祭壇というユニークな

 内陣形状の教会になった。 1964~1968年に改修した物が現在の姿である。

 

 🔹 古い方の内陣 ... 仕切り壁の向こうに3つ祭壇部がある

 

 🔹 新しい方の内陣(真ん中の入口と両サイドに祭壇2つ)

 

 🔹 この新しい方の祭壇部にある石柱の彫刻がこの教会の見所の一つでもある。

    

 

🔹 村の民芸品としての刺繍は全国的に有名

 

 

  これにて「東部国境沿いの教会スケッチ(1)」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問を感謝致します。

 

 


ハンガリー東部ミシュコルツをスケッチ(2)

2020-10-14 00:00:06 | 海外生活

前回に引き続き、

❸ ヴィジョリィ (Viszoly) 改革派(カルヴィン派)教会

  

     教会は13世紀にロマネスク様式で建てられ、その後14世紀にゴシック様式を

   取り混ぜた大きな内陣と塔を追加拡張した。

 

<ロケーション>         ..... 赤二重丸が今回の教会位置

 

 ■ 教会の外観 

 ● 13世紀創設期の祭壇と内陣(南側)

 

 ● 14世紀に追加された内陣と塔

 

 

 ● 教会の北側全景

 

 ● 東側(県道)より見た教会の全景

 

 ■ 内陣

  内陣の全景;奥が祭壇部で新旧の内陣は仕切り壁で分かれている。

  これだけ多くの壁画が保存よく残されている教会は珍しく貴重な遺物である。

 

 ● 祭壇部のフレスコ画(壁画)

 

 ◆ 13世紀の内陣にある壁画

    よく美術雑誌で見掛ける壁画でキリストを描いたようだ。

 

 ◆ 天井は交差リブのヴォールト構造に色が鮮やかに残っているのは嬉しい。

    

 

 ̻̻🔹 14世紀の内陣側の壁面には ....

 

 🔹 天井は板貼り

 

   13と14世紀の壁画を比較してみると、13世紀の方は青色を多く使っており

 絵自体も繊細に描かれているようである。

 

 ■ ここはハンガリーで最初に聖書が作られたところであり、教会の隣の博物館には

  印刷機や工場備品が展示されている。

  1590年に印刷された国内最初の聖書 ⇩ 

 

  これにて「ハンガリー東部ミシュコルツのスケッチ(2)」は、すべてお終いです。

  本ブログへのご訪問を感謝致します。

 

 

 


ハンガリー東部のミシュコルツをスケッチ

2020-10-13 00:58:31 | 海外生活

 この地域のカバーページを飾るスケッチを考えた時、一番に頭に浮かんだのが

ボルドグ・クー城 (Boldog-kő vár) であった。 直訳すると「幸せの石」となる。

 

   山頂に佇む美しい城塞(主観的なミシュコルツのイメージである)

 

 ミシュコルツ (Miskolc) は、ハンガリーの東部にあってデブレツェン (Debrecen) に次ぐ

大きな街であり、人口 15.5万人 (2018年) は国内では4番目に位置する。

1989年の共産圏時代には20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次ぐ3番目の工業

都市であったが、旧ソ連崩壊後は西側から遠いということもあり、生産→工場の衰退で

人口も激減した。

工業都市ということで市街地よりも郊外の方に歴史的な建造物を含めた観光施設が多い。

(温泉、行楽とアウトドア・ライフ、城塞、古い教会等)

 

 ● 温泉では洞窟温泉が、

 

 ● 行楽とアウトドア・ライフならリラフレド (Lillafüred) が全国的に有名。

                                          Dec. 29 2012

  ハーモリ (Hámori) 湖畔に佇む城ホテルと湖畔駅からの森林鉄道は自然を充分満喫

 出来る。 夏季は当然、冬季も温泉とセットで観光客、家族連れも多い。

 ストーブ列車は日本の北国ローカル路線を彷彿させてくれる。

    

 

 ● 城塞では近郊に名城(美城)の呼び声高いものが2つある。

 ① ディオーシュ・ジョール城 (Diósgyöri vár) 

    14世紀の半ばに、ラヨシュ1世(在位1342~1382年)の命により築城。

  オスマン帝国の支配下では使われていたが、彼等の撤退後に始まった1673年の独立

  戦争で反ハプスブルクのクルツ軍の砦となっていたが、形勢不利となり自らの手で

  自爆、破壊し今日に至る。

     城の屋上からミシュコルツの市街地を眺める

 

 ② ボルドグ・クー城 (Boldogkő vár) .... 冒頭のスケッチ

  モンゴル(タタール)人の襲撃に備える為に、領主が1280年代に築城し、

 ラスロー4世(在位1272~1290年)が所有した。 独立戦争の1701年に今度は

 ハプスブルク帝国軍によって破壊された。

 

 南塔から眼下の村中心部の眺め

 

<ロケーション> .... 青丸は観光スポット、赤丸が教会位置 

 

<今回の教会スケッチ>

❶ ボルドヴァ (Boldva) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

❷ アヴァシュ (Avas) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

 ❸ ヴィジョリィ (Viszoly) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

<教会紹介>

 ❶ ボルドヴァ (Boldva) 改革派(カルヴィン派)教会

  教会は 1175~1180年に建立、ロマネスク様式の建築でベネディクト派の修道院教会

 として建てられた。 霧の中に神秘的に佇むのは哀しい物語を語るよう。

                                                                                                                  Dec. 31 2012

  1285年にタタール人の襲撃によって教会は焼失し、隣のあった修道院も破壊され、

 長い間廃墟化していたが、1552~1560年にカルヴィン派によって再建された。

 しかし修道院は再建されることなく、写真手前の石垣の基礎部分が残っているのみ。

 生き残ったモンク達は、バラトン南西部にあったショモジヴァール (Somogyvár)の

 修道院に逃れ、この地での修道院活動は以後、行われることはなかった。

 ショモジヴァールとは気の遠くなるほどの放浪の旅であり、もうここへは戻って来る

 気がなくなったのは容易に推察出来る。

 ショモジヴァールについては、最近、本ブログで記載してます(投稿日2020/08/20)

    

 

 ● 内陣

  祭壇には飾り物は何もなく恐らく、日々の聖教活動は行われていないようだ。

    祭壇側              入口側

     

 

 ❷ アヴァシュ (Avas) 改革派(カルヴィン派)教会

   ミシュコルツ市街のアヴァシュの丘の上に、街で最も古い中世の教会が一つだけ

  残っている。 

 オリジナルは13世紀半ばにロマネスク様式で聖イシュトヴァンを祀る為のローマ

 カトリック教会であった。 

 1544年にオスマントルコ軍による襲撃で貴重な壁画や宝物が消失し、暫くの間は

 廃墟状態であったが、折からの宗教革命の潮流に乗じ、1563~1569年に改革派に

 よって再建された。

 

  1557年に教会西側に改装された鐘楼

 

 教会北側の入口(正門)

 

 教会南側には、ミシュコルツで最も古く由緒ある墓地が横たわる。

 

  当初、塔は内陣と一体化しており、天井も交差リブ・ヴォールト構造であったが、

 16世紀以降の改修で内陣から離れた木製のギャラリーを備えたルネッサンス様式

 の鐘楼となった。 又、天井は板パネル貼りになった。

                   オリジナルの構造と推定される。  

    

 

  内陣の西側には1896年の年代物のアングスター・オルガンを備え、音楽活動も

 聖教活動同様、現在でも盛んである。

 

❸のヴィジョリィ (Viszoly) 改革派教会は、小生の大好きな教会の一つでもあり、

壁面に残されているお気に入りのフレスコ画を出来るだけ多く掲載したいという

私的願望より次回の掲載と致します。

 

                  .....  次回に続く

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


ハンガリー北東部国境の教会スケッチ(2)

2020-10-04 19:18:38 | 海外生活

 前稿に引き続き、次の教会から、

 ● サロンナ (Szalonna) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

 ● ルダバーニャ (Rudabánya) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

 ● ツボジィ (Zubogy) 改革派(カルヴィン派)教会

  

 

<ロケーション>

 

◆ サロンナ (Szalonna) 改革派(カルヴィン派)教会

  教会はアルパード王朝時代からの石造りの教会である。 1562年にオスマン帝国軍

 によって、当時、壁面に描かれていた壁画は白い漆喰で上塗りされ、廃墟化していた。

 1589年にカルヴィン派の所有となり現在に至る。

 

 教会の入口

 

 教会の裏側(祭壇側)

 

 ● 内陣

 

  1970年に上塗りされていた壁を削り取って、絵を復元した。

 「聖マルギットの伝説」という名の貴重な壁画であるらしい。

    

 

 内陣の入口側(天井には絵板パネルはないが、階上礼拝席の側面パネルが存在)

 

◆ ルダバーニャ (Rudabánya) 改革派(カルヴィン派)教会

  教会は14世紀にゴシック様式で建てられたが、オスマン帝国の襲撃によって

 破壊され廃墟化していた。 オスマン帝国の撤退後 1758~1762年に再建された。 

 

  左側が内陣で、右側が離れている鐘楼(1896年の増築で古い物ではない)

 

 祭壇は内陣の中央部にある。

 

 ゴシック様式の典型的な窓と大きな壁画が一枚

「聖ゾフィアとその子」(左の絵)、そして右が「聖イロナと十字架」.... 1430年作 

 

 信者礼拝席の側面パネルと天井絵板パネル

 

◆ ツボジィ (Zubogy) 改革派(カルヴィン派)教会

  教会は15世紀にゴシック様式で建立。

 

 鐘楼

 

 

 ● 内陣

 

  信者礼拝席の側面パネルと天井絵板パネル

   ローマ帝国時代に描かれた天井絵板で 1726年に改修された。

 

     これにて「ハンガリー北東部国境の教会スケッチ」は、すべてお終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。