撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

フィレンツェ(イタリア)の街と教会

2018-01-21 09:52:32 | 海外生活

冬のトスカーナ地方への旅の終りは、州都フィレンツェ。 言わずもがなルネッサンス芸術

の都、市街地は「歴史地区」として1982年に世界遺産、人口は約37万人(イタリアで8位)

<街の歴史>

  1115年に自治都市となり、以後1532年までフィレンツェ共和国としてルネッサンス文化

の中心的な繁栄を極め、13世紀~15世紀には最盛期を迎えた。

1532~1569年にフィレンツェ公国、1569~1860年にトスカーナ大公国の首都になり勢力

を広げてきたが、内外の抗争に明け暮れる。1860年~はイタリア王国に併合された。 

1865~1871年にはイタリアの首都であったこともあり、まさに麗しの古都と云える。

 

   冬の夜空に浮かぶ大聖堂

  

 

<ロケーション>

 

<市街地マップ>

 

① ドゥオーモ (Duomo)    ....番号と地図上の番号は一致している。

  正式名はサンタ・マリア・デル・フィォーレ大聖堂で、1296年に建設を着工、1436年に

 1世紀以上かけて完成した超豪華な教会。

    

 

  直径55m、赤タイル敷きのドーム、白黒を基調にした大理石の外装。

 

   祭壇部

  

 

 祭壇部天井のフレスコ画

 

● ジョットの鐘楼 (Campanile di Giotto)

   4名の設計者(その一人がジョット)の手を経て、1359年に完成。

  

 

② サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero San Giovanni)

   ドゥオーモの付属の洗礼堂で1128年に完成。八角形で3つの門(扉)がある。

 

 東扉(俗称:天国の門)には、10枚の旧約聖書からの題材パネルが貼られている。

  

 

 その一つのパネル「アダムの創造」

 

③ サンタ・ロレンツォ教会 (Chiesa di Santa Lorenzo)

  フィレンツェで最も古い教会で、オリジナルは紀元393年で、1060年にロマネスク様式で

  再建された。 メディチ家の菩提寺である。

 

④ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 (Santa Maria Novella)

  オリジナルである9世紀頃の礼拝堂を、ドメニコ修道会が教会として改築(1390年)

 

⑨ シニョーリア広場 (Piazza della Signoria)

  13~14世紀に建設、以後の拡張により、イタリアで最も美しく、有名な広場。

 

 ヴェッキオ宮殿の前にある「ネプチューンの泉」

 

  ミケランジェロの「ダヴィンチ像」(コピー)

  

 

 ヴェッキオ宮殿の内部:天使像のあるミケロッツォの中庭

 

● ヴェッキオ宮殿の右隣にあるロッジャ・ディ・ランツィ(1382年完成)

 

   ペルセウス像

  

 

⑩ サンタ・クローチェ教会 (Chiesa di Santa Croce)

   1294年より建設が始まり、1443年に奉献された。

 教会の右側に修道院、背後にはパッツィ礼拝堂、博物館がある。

 

   教会内部にある礼拝堂

  

 

 リヌッチーニ礼拝堂

 

 パッツィ礼拝堂(後ろ)とサンタ・クローチェ博物館

 

⑪ ヴェッキオ橋 (Ponte Vecchio)

  フィレンツェのアルノ川には10個の橋があるが、この橋が最も古く、第二次世界大戦

  で唯一生き残った。 最も多くの観光客を集める。

 

 ヴェッキオ橋の上から上流を眺める。

 

 下流を眺める

 

⑫ バルジェッロ宮殿 (Palazzo del Bargello)

  1255年に建てられ官庁舎として使われていたが、現在は博物館となっている。

  

 

   今回は、市街地のみの旅であったが次回は郊外もと思いつつ、

   これにて、「フィレンツェ(イタリア)の街と教会」をお終いとします。

 

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シエナ(イタリア)の教会

2018-01-19 02:12:48 | 海外生活

シエナってどんな町? 簡単に頭に入れておくと旅行も一層楽しい。

1.トスカーナ州のシエナ県の県庁所在地で、1995年には街全体として世界遺産に

  登録された。 人口は自治体全体で55,000人である。

2.帝政ローマ時代(紀元5世紀頃)にローマとフランス方面とを結ぶ主要街道の

  中間都市で商業、金融、手工業で栄えた。

  12世紀に入って、この地域は自治的な勢力が勃興し、都市国家が各地で生ま

  れるようになり、シエナも13~14世紀半ばにかけて全盛期を迎えた。

  特に金融面では、現在営業をしている世界の銀行で最古の歴史を持つモンテ・

  パスキ銀行は1472年に設立され、ここシエナに本店を構えている。

  1512年にスペイン軍に降伏して、宿敵であったフィレンツェ公国の領地となり、

  シエナ共和国は終焉を迎えた。以後20世紀のイタリア統一を経て、現在に至る。

                           南の郊外から眺めたシエナの街 

<ロケーション>

  

<シエナ市街地マップ>

  

① バスターミナル

   フィレンツェやローマなどからの長距離バスはグラムシ広場が発着点である。

トッツィー通り→クルタトーネ通りを南下するとサン・ドメニコ教会に着く。

② サン・ドメニコ教会 (San Domenico)

    1262~1265年にゴシック様式で建てられ、1531年の火災の後に再建された物が現存。

 

 教会内部 

  

 

サン・ドメニコ教会からドゥオーモを眺めながら坂を下っていく。

 

③フォンテブランダの泉 (Fontebranda)

 ドメニコ教会の真下に、シエナで最も古い水道がある(1246年に完成)

 

  まだ水が悠々と厳かに生きており、中世が偲ばれる。

 

フォンテブランダを、ちょっと登った所に守護聖人の聖女カテリーナの生家と礼拝堂がある。 

④ サンタ・カテリーナの生家 (Casa di Santa Caterina)

 

     礼拝堂; もとは台所だった為に「台所の礼拝堂」と呼ばれている。

  

 

聖女カテリーナの生家から右の脇道を行くとドゥオーモ広場に出る。

⑤ ドゥオーモ(大聖堂)広場 (Duomo)

1179年に、これまで有ったサンタ・マリア大聖堂の所に再建され、その後増築を重ねた。

 

   正面真ん中の扉

  

 

  ドゥオーモの正面両端に立つシエナの紋章「双子を育てた雌狼」像を載せた柱。

  

 

  ドゥオーモ内部

   ドゥオーモのドーム天井

  

 

 ドゥオーモの対面、左がマリア・スカラ救済院教会、右が大司教館

 

⑥ サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (San Giovanni)

 ドゥオーモの後陣に延長した形で、1355年に設けられた。

 

ドゥオーモの門を抜け、チッタ通りをカンポ広場に向けて(北に)行くと、

⑦ キージ・サラチーニ宮殿 (Palazzo Chigi Saracini)

  1200年代に建てられた宮殿で、現在はキジアート音楽院として活躍している。

 

チッタ通りを更に進んで右の脇道に入ると、レンガを規則正しく敷き詰めた

⑧ カンポ広場 (Piazza del Campo)

  プッブリコ宮殿(1284年に建立、市庁舎として使用)とシエナのランドマーク 

 「マンジャの塔」は1348年の完成、高さ87m。

 

 カンポ広場まで水を引いた「ガイヤの泉」が扇形外周の中心部にある。

 

 カンポ広場の周りを中世の宮殿が取り囲み、素晴らしい調和を醸し出している。

 

  広場の礼拝堂;1376年のペスト蔓延の際に祈願として建てられた。

  

 

カンポ広場を出て、バンキ・ソプラ通りをバスターミナルの方に戻ると、

⑨ サリンベーニ広場 (Plazza Salimbeni)

 サリンベーニ宮殿(現在は世界最古のパスキ銀行が使用)を真ん中にコの字の広場。

 

⑩ 中世の街の路地たち

         Galluzza 通り                                 Citta 通り

   

 

中世において、トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競ってきたシエナには、もう一つ

のルネッサンス芸術の宝庫。 特に絵画、壁画はもう一度じっくり見てみたい気がする。

又、どの案内書でも旅のお薦めは、7月と8月に行われるカンポ広場の「競馬」であるが、

最後に触れておかない訳にはいかないだろう。

それはコントラーデ(地区組織)によるパリオの祭典である。

   

          カタログからの借用につき、何時の写真かは不明。

 

     これにて、「シエナ(イタリア)の教会」はお終いです。

 

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アッシジ(イタリア)の教会

2018-01-16 12:01:30 | 海外生活

 聖フランシスコ会の総本山であるアッシジ、この地がキリスト教の普及を始めたのは

紀元3世紀からであった。そして11~14世紀にかけて自治都市として繁栄したが、

その後の16世紀までは内乱や近隣都市との抗争に明け暮れ、16世紀以降になって

から「神聖な都」や「天国の丘」と呼ばれるほどの布教活動と街づくりをして来た。

現在の人口は自治体全体で28,000人、市街地には6,000人が住んでいる。

街は城壁に囲まれており、一般車両は街の中には入れない為、城壁外の駐車場より

徒歩で入ることになる。

         ピエトロ門から眺めた聖修道院

 

<ロケーション>

 

<アッシジの市街地マップ>

 

 ピエトロ (pietro)門より街に入る。

  

 

坂道を真っすぐ行くと聖ピエトロ教会へ。

  逆に登って行くと聖修道院へ。

            向こうに見えるのが、聖ピエトロ教会。

 

聖修道院 (St. Francesco Monastery)

   1253年までに上下層のバジリカが共に完成し、のち2世紀に及ぶ改修工事を重ね、

 15世紀末に現在の姿になった。ここがフランシスコ会の発祥の地である。

 

 下層バジリカの正門;下層のバジリカは1230年完成した。

  

 

 地下礼拝堂には聖フランチェスコの墓がある。(1818年に遺骸が発見された)

 

 上下層のバジリカ内には、ゴシック様式特有の天井アーチと壁画が百花繚乱。

 

  回廊;1476年に教皇シスト4世によって造られた。中央には丘の水を集めた井戸がある。

 

上層バジリカ;1253年に完成

ファサードの左翼には、1607年に「祝福のロッジア」と呼ばれる貴賓観覧席を追加した。

 

 前方ヤードに飾られたベツレヘムも他に類を見ない立派さ。

 

住居や店舗になっている路地を登って行く。

  

  

 

モンテ・フルメンターリオ (Monte Frumentario)の回廊

    1267年に貧民を収容する病院として建てられた。

 

カピターノ・デル・ポポロ宮 (Popolo)とミネルヴァ神殿 (Minerva)

  

 ポポロの塔は1305年に造られ、高さ45m、宮殿は1282年に建立(現在、市庁舎

 として使用されている) 隣なりのミネルヴァ神殿は1539年に建てられた。

 

聖ルフィーノの大聖堂 (Cattedrale di San Rufino)

  

 

 中央ファサードの円花窓と周りに散りばめたユニークな彫像

 

 中央の門の基部には2頭のライオンの像が置かれている。

 

 右の門の上部には2羽の鳥のレリーフ、基底部はハゲタカの像らしい。

 

  聖堂内部

 

アッシジを見下ろす城塞、ロッカ・マッジョーレ (Rocca Maggiore)

 

● アッシジの丘よりウンブリア (Umbria) 平原を見下ろす。

 

 まだまだマニアにとっては、垂涎の教会や壁画・彫刻等が敷地内、郊外には沢山あるが、

      これにて、「アッシジ(イタリア)の教会」はお終いにします。

 

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リエカ(クロアチア)の教会

2018-01-11 22:10:19 | 海外生活

 高速道路A6(E65)でリエカからザグレブまでの間は、いくつものトンネルをくぐるが、

その中の最も長いTuhobicトンネル(2.2km)を抜けると一面の銀世界に変わた。

                               旅日;02-Jan.-2018

Tuhobicトンネル手前のサービスエリアよりアドリア海を望む。

 

トンネル後のRavna Gora サービスエリア付近の雪景色。

 

  街の名、リエカは日本人にとっては、とても響きが良く、何か惹きつけられるものがあり

事実、期待を裏切らない美しい街であることは間違いない。

クロアチア語でRijeka(リエカ)は、ハンガリー語、イタリア語でFiume(フィゥメ)で、

共に「川」という意味になるので、昔から美しい所であったのだろう。

歴史的にもハンガリー領(18~19世紀)だったこともあり、ハンガリーには馴染みの深い

都市であり、オーストリア帝国のトリエステ、ハンガリー帝国のリエカは、共に、19世紀に

屈指の国際貿易港として繁栄を極めた、うたかたの地であったのだろう。 人口は約13万人。

<市街地マップ>

 

 

<見どころ>

① 時計塔 (Gradski Toranj)

    リエカ随一の繁華街コルゾ通りにあるランドマークの、このゲートをくぐると中世の時代に

   タイムスリップするようである。

  

  1695年に建てられ、時計の下にはハプスブルク家の紋章の双鷹が、その下には

  神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世とカール6世のレリーフが飾られている。

 

②「ローマのアーチ」または「扉」 (Stara vrata)

   リエカで最も古い建造物で、ローマ時代の凱旋門だったらしい。

  

 

③ 隣なりにある中世ローマ時代の遺跡

 

④ 聖セバスチャン教会 (Crkva sv. Sebastijana)

  オリジナルは1291年に建てられ、1885年に修復された礼拝堂である。

 

⑤ 聖ヴィート大聖堂 (Katedrala sv. Vida)

  1638年にイエズス会によって、ヴェネツィアのサンタマリア教会をモデルに建設が開始。

  当初は小さい教会であったが、1725年にバロック様式で改築し、地域の大聖堂となった。

   

 

 教会祭壇部

 

⑥ 聖母マリア被昇天教会 (Saint Mary of the Assumption Church)

   1880年に建てられ、かつては大聖堂であった。 教会の前には Lerning Towerという

 古い塔がある。 軸が40cmほど傾いており、現在は使われていないようだ。

  

  

  内装ともバロック様式

  

 

⑦ 聖ニコラス教会 (Crkva Svetog)

   セルビア正教会の教会で1790年に建てられた。

  

 

⑨ 聖母カピチン教会 (Gospa Lurdska)

  1610年のオリジナルの基礎の上に、1908年にネオゴシック様式で建てられた。

 上と下の2階構造の教会で、3塔のバジリカタイプ、真ん中の塔は地上から75mの高さ。

   

   

     下の祭壇            上の祭壇

 

 二階部テラスから見たリエカ港と手前は長距離バスターミナル。

 

⑨ 旧ヤドラン邸 (Jadrolinija)

 現在は海運会社のヤドロリニア社の本社ビル

 

⑩ リエカ港

   向こうに、オパティアの山並みを望む。

 

  これにて、「リエカ(クロアチア)の教会」はお終いです。

 

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ピラン(スロヴェニア)の教会

2018-01-09 18:53:21 | 海外生活

イストゥラ半島先端に突き出したアドリア海の小ヴェニス、ピランの中心街。

                            (訪問日 31-12-2017)

 

<ロケーション>

クルマで行かれる方は、この近辺は3か国が複雑に重なっていますので、高速道路の料金

システムの違いを頭に入れておくと無駄のない旅が出来るでしょう。

 ・イタリア、クロアチア:利用する区間でその都度、チケットを貰って支払う(日本同様)

 ・スロヴェニア(ハンガリー):マトリッツァといわれる最小期間10日間有効の先払い

   通行券を近くのガソリンスタンドで買ってフロントガラスに貼って料金所を通過する。

よって、スロヴェニアを通過するだけならば、スロヴェニアの高速道路は避けるとお得かも。

 

<市街地マップ>

ピランの街の歴史は、

 1.ローマ帝国の一部として、イリュリア人が古代からこの地に住んでいた。

 2.スラヴ人の侵略(8世紀頃)

 3.神聖ローマ帝国の領土化(10世紀頃)

 4.ヴェネツィアの侵略と領土化(1283年~)

 5.ナポレオンの進軍と領土化(1797年~)

 6.ハプスブルク帝国の治世(1815年~)

 7.イタリアの支配(1918年~)

 8.ユーゴスラヴィアへの併合(1946年~)、後に分裂しスロヴェニアとなる。

人口は市街地に4,500人が住んでおり、自治体全体では16,500人である。

 

<見どころ>  ..... 番号は上の市街地マップ内の番号と合致させている。 

❶❷;灯台と「健康のマリア教会」(=聖クレメント教会)

 教会 (Cerkev Marije Zdravja)は、1274年に建てられ、1890年に改築された。

 

➑;聖ユーリ教会 (Cerkev sv. Jurija)

      1344年にヴェネツィア・ルネッサンス建築で建てられ、1687年にバロック様式で再建。

 

  教会内部

 

 

  半島の突端からトリエステ湾と聖ユーリ教会を望む。

 

❾;洗礼堂 (Kristilnica Janeza Kristnika)

     

  後ろの鐘楼は1609年に建てられ、上まで登ることは可能。八角形状の建物が洗礼堂。

      洗礼堂内部

   

 

⓲;タルティーニの銅像と生家

 ピランが生んだ作曲家ジュゼッペ・タルティーニの銅像の向こうベランダのある

 ピンクの家が彼の生家で、ベランダはロメオとジュリエットに因んで有名らしい。

 

22;雪のマリア教会 (Cerkev marije Snezne)

      

     1404年に建てられ、17世紀に改築され現在に至る。

  

 

23;救世主のマリア教会 (Cerkev Marije Tolaznice)

     

     1439年に建てられ、17世紀にバロック様式で改築された。

  

 

24;聖フランシスコ会修道院 (St. Francis's Church of Assisi)

     修道院の建設は1301年にゴシック様式で開始され、1318年に完成した。

   その後、18世紀に天井や鐘楼も含め改築され現在に至る。

 

 

 祭壇

 

 回廊と鐘楼

  

  500年前のオリーブの木より作った椅子

 

25;城壁 (Town walls)

 

 城壁からの市街地の眺望

 

  迷路のようなピランの路地

  

 

   これにて、「ピラン(スロヴェニア)の教会」はお終いです。

 

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