撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

「ブラショフ・トランシルヴァニアの教会」(3)黒の教会

2014-06-29 20:49:48 | 海外生活

 いよいよ美しい緑の都、ブラショフ(Brasov)、ブラショー(Brassó ハンガリー語)に

到着である。 人口32万のルーマニア第2の都市で、旧市街は海抜865mのTámpa

 (タンパ)山の麓にあり、12世紀頃にサス人(ドイツ南部ゼクセン人)の商人達により

建設され、ルーマニア人、ハンガリー人の3民族で共栄共存して来た。

 

山の頂上に「BRASOV」のカンバン。    レプブリチ(Republicii) 通りには、アールヌーヴォ

                           建築も多く残り 、シックな装うおいを醸し出している。

    

 

レプブリチ通りは週末には歩行者天国で、カフェ・     スケイ(Schei)門はサス人に建設

レストラン・アパレル店が軒を並べ観光客と若者     されていた当時、この門に隔てられた 

で賑わう。                             外にルーマニア人は追いやられていた。

  

 

スファトウルイ (Sfatului) 広場と歴史博物館(旧市庁舎)   ブラショフ県庁舎(20世紀初頭に建立)

1420年建立

 

 

 

百九十番札所; Fekete Templom (黒の教会)

 やっぱりかと想像していた通り、教会の内部撮影は禁止であったため、教会内部に飾られている

絨毯、タペストリー、そして1839年に作られたというルーマニア最大のパイプオルガンは目に焼き

付けておくほかない。

教会は、1383年から約100年かけて建設されたルター派の教会である。

トランシルヴァニア地方最大の後期ゴシック様式建築で、1689年にオーストリア・ハプスブルグ軍

の焼き討ちで壁が黒こげになったことが、「黒い教会」の謂われである。

 

 西側からの教会                                 西門

  

 

 南西側からの教会                    ヨハン・ホンテナス(1498~1548)の像

 

 

 西側尖塔

 

 

  南門

 

 

 北門

 

 

 南側(祭壇付近)からの教会外観              補強壁に飾られた聖職者の彫像

 

 

    

 

 東側(祭壇付近)からの教会外観

 

 

 ゴシック建築の特徴である長窓

  

 

  これで、「ブラショフ・トランシルヴァニアの教会」(3) 黒の教会は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 

 


ブラショフ・トランシルヴァニアの教会(2)

2014-06-14 07:06:47 | 海外生活

 Kerc の町(教会)を後に、更に国道1号線を東進し、中堅都市Fogaras(フォガラス)

を抜け14km程そのまま進んで、Sárkány (シャルカーニ)村を左折し、5kmほど

旧道を北上すると、Halmágy (ハルマージ)村という中央行政から過疎化されたような

人口700人ほどの村がある。 そこが今回の目的地である。

 

<百八十九番札所; ハルマージ (Halmágy) 教会>

 この地域は昔からサス人(南ドイツ)の領地であり、教会は、13世紀に3層内陣でバジリカタイプ(*)

で建立された。 1448年にオスマントルコ軍の襲撃によって、村の住民は他所に逃れ、いなくなった。

当時の村はドイツ語で “Halffenmengen” と呼ばれていたが、その後、ハンガリー人が住みつき

地名も “Halmengen-ként” 、そして1662年には “Lamágy” とハンガリー語で呼ばれるように

なった。 教会はルター派の教会であった。

 (*) 初期キリスト教会の形式で、前面壁の玄関と前庭を備え、教会内部は列柱で身廊と側廊に

     分かれている。 前回のKerc 教会(百八十八番札所)もこのタイプである。

 

 村に入る橋は崩れたまま放置され、ハンガリー統治時代の往時を偲ばせる。 向こうに教会が望める。

 

往年の石造りの橋ゲタのみは残っている。     現在使われている橋も崩れかかっている。

 

 

教会入口鐘塔(1979年に修復)                 左側が教会の建屋、右側が墓地。

  

 

 こんな地にも、あの “シッシー(*)” が祀われているとは、かつてハンガリーの地で

あったという実感が湧く。 (*)オーストリア・ハンガリー帝国時代のエリザベート皇女。

 

 

教会入口門(西側前面壁) 1260年建立。          アーチ型の玄関門はアルパート時代の遺物

 

 

 南門                                祭壇側からの教会外観、二つの丸窓はこの時代の特徴

 

 

祭壇(ゴシック様式のアーチ天井)、祭壇の反対側にハンガリー国旗が飾られている。

  

 

      聖歌隊席の下を飾る板絵(パネル)

 

 

       身廊と側廊を仕切る石柱の数々

  

 

 村の夕餉の煙が立ち上がり、往年とはさほども変わらぬ情緒なのだろう?

 

    これで、「ブラショフ・トランシルヴァニアの教会(2)」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ブラショフ(トランシルヴァニア)の教会(1)

2014-06-06 18:50:13 | 海外生活

 いよいよ、エルディー(Erdély) のハンガリー教会の聖地、古都とも呼ばれている

ブラショー(Brassó)へ巡礼に旅立つ。 当然の事として、いろんな国民の思惑が込め

られて、その呼び方は様々であるが、ここはハンガリー語を主体に使っていきたい。

世界的には、トランシルヴァニア (Transilvania) のブラショフ (Brasov) の方が通り

が良いであろう。

ここはブダペストから700km離れ、この辺一帯はセイケ地方とも呼ばれ、ハンガリー人

の心の故郷なのかも知れない。 何処に行ってもハンガリー語を話せる年配の方や二世、

三世の方がおり、ハンガリーに多少なりとも関係のある者にとっては、心強さと親しみを

感じさせてくれる所である。

  ナジセベン (Nagyszeben) の街を抜け、15kmほどで国道1号線と7号線の分岐点となる。

 7号線に進路を取るとブカレスト (Bukarest) へ、目指すブラショー(Brassó) 方面は国道1号線

 を東に向かう。

 まず、立ち寄るのは、ケルツ (Kerc) にある、今は廃墟化しているが、往年はカソリックの修道院

 であった。

<百八十八番札所: ケルツ (Kerc) 教会>

 教会は、1202年にフランスのシトー会(*1)の修道院として、王イムレ(*2) によって建てられた。

最初はロマネスク様式で建てられたが、2期目からはゴシック様式が使われた。

1421年と1432年には、オスマントルコ軍の襲撃を受け破壊されたが、1453年に今の形に復元

された。 

1470年には、王マーチャーシ(*3) によって、修道院は閉鎖となった。

1648年に内陣の前壁面が修復され、現在も残されている。 内部の祭壇部分は、今はルター派の

教会として使われている。

 (*1) ; カトリック修道会のひとつで、ベネディクト会改革派の一派。 1098年フランスのシトー

      (地名)で創設された。

 (*2) ; 15代目の王で、イムレの在位は、1196~1204年。

 (*3) ; 32代目の王で、マーチャーシ1世の在位は1458~1490年。 現在のブダ城(王宮)内

      にあるマーシャーシ聖堂は、ハンガリー全盛時代を築いた彼の名に因んだ。

 

 今も残されている教会の前壁面部と鐘塔

   

 

    

 

北東側からの教会全貌                      祭壇側(東側)からの全貌

 

 

南東側からの全貌                         南西側からの全貌

 

 

南側に迫り出した修道院棟の壁面               修道院の窓

 

 

残された修道院棟の壁面

   

 

 祭壇部                 祭壇部からの教会入口側

   

 

祭壇部北側                               祭壇部南側

  

 

古い板絵が数多く残されている

 

 

 ユニークな賽銭箱          当時を再現した修道院、教会の模型

  

 

  これで、「ブラショフ(トランシルヴァニアの教会(1)」<百八十八番札所;ケルツ教会>は終了です。

 

「バラトン遍路の旅」