撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

メキシコ「天使の町プエブラ」の教会めぐり

2017-03-29 22:27:15 | 海外生活

 メキシコシティより、東へ120km、プエブラ州の州都プエブラ・デ・サラゴサが正式名称で

ある。 人口約149万人はメキシコでは4番目に大きい都市である。 メキシコシティとメキシコ

湾沿いの港町ベラクルスを結ぶ中継地として古くから栄えてきたと共に、芸術的にはタラベラ焼き

の陶器の町としても有名。 植民地時代の旧市街歴史地区は1987年に、ユネスコの世界文化遺産

に登録された。

1.カテドラル/大聖堂  (Catedral)  ... Map # 1 

      エルナン・コルテス率いるスペイン軍によって1521年にアステカ王国の崩壊後、フランシスコ会

    によってメキシコで最初に作られた街がプエブラであった(1531年)。

  当時、教区の司教座は隣なりの州トラスカラにあったが、それを新しい街プエブラに移すため、カテ

    ラル建築が1575年に始まり、途中で中断もあったが1640年に任命されスペインから派遣された

    ファン・デ・パラフォックス・メンドーサ司教の尽力で、1649年に大聖堂として活動が始まった。

  但し、現在のファサード(1690年完成)やバジリカ(鐘楼)はなかった。

  

     

        市庁舎側(北側)よりソカロを通して見た大聖堂。

 

  

     柱の上の至る所に天使の像が羽ばたいており、「天使の町」と呼ばれる所以。

 

 

 北側塔(左)は1678年に、南側塔(右)は1768年に完成。鐘楼だけで90年間が掛かって

 いる。 塔の高さは70mで、鐘楼としてはメキシコ随一の高さである。

 

  ファサードには、火山の国、火成岩を使用。


  主祭壇

  教会中央部に設置された大オルガン


 

 石畳のレフォルマ通り(メイン通り)とライトアップされた市庁舎がコロニアルな景観を醸し出している。


2.サント・ドミンゴ教会 (Iglesia de Santo Domingo) ...Map # 5

    ソカロから5月5日通りを2ブロック北に向かうとサント・ドミンゴ教会がある。

  教会は1552年~1659年に、大天使ミカエルを祀るために建立された。

  <5月5日の由来>

   フランス軍がメキシコを攻めて来たのは1861年~1867であったが、メキシコ軍が 1862年

   5月5日の「プエブラの戦い」でフランス軍を撃破した戦勝記念日である。

   但し、勝利もこの最初だけで、その後はフランスの侵入を許し、マクシミリアン皇帝の統治が

        1864~1867年まで続く。...関連記事は、前述の「ケレタロ」教会めぐりを参照ください。

   メキシコでは、この一時的な勝利を国を上げて祝い、国の祝日となっている。

 

  右側がサント・ドミンゴ教会、左側ドーム部がロザリオ礼拝堂である。


 

  サント・ドミンゴ教会;聖人像が居並ぶ主祭壇。


 

 

 

       聖歌隊席(教会入口側)


 教会の主祭壇の左側に付設されているのがロザリオ礼拝堂である。

 聖母マリアを祀るために1690年に増築された。

 

 

 

        煌びやかな丸天井(ドーム) 


 

   周りから多くの天使達が聖母マリアを見守り、支えている。


 

  聖母マリアはロザリオを修道会の創始者である聖人ドミンゴに与えたという伝説より、ドミニコ会

  の人達にとっての聖母は強い信仰の対象となっていた。(ロザリオ礼拝堂の増築の理由)


3.グアダルーペ聖母教会 (Templo de our Lady of Guadalupe)...Map # 6

    パセオ・ブラボー広場(遊歩道)の北側に、1898年に建てられた。

    パセオ・ブラボー広場には、街の創始者や功労者、メキシコ独立の英雄に捧げる記念碑等を建て、

    メモリアル広場として、且つ、市民の憩いの場にもなっている。

 

 

   タラベラ焼きのタイルで覆われたファサード

 

 

   パセオ・ブラボー広場から見たライトアップされた聖母グアダルーペ教会


 

    祭壇、壁面には聖母グアダルーペの画像一色


4・サン・マルコス教区教会 (Parroquia de san Marcos Evangelista) ...Map # 7

    教会のオリジナルは、街の創始者のひとりであった St.Blaise 司教の修道院であったが、

    1675年より福音伝道(エバンゲリスト)教会として活動している。

 

 

     タラベラ焼きタイルで覆われたファサード


5.聖三位一体教会 (Templo de Santisma Trinidad) ...Map # 8

     フランシスコ会修道女のための修道院として、1670年~1673年に建立。

 

 

 

  教会の正面にプエブラの街つくりの場面を描いたタラベラ焼きタイルは観光名物のひとつ。


  これで、メキシコ「天使の町プエブラ」の教会めぐりはお終い。

 

「バラトン遍路の旅」


メキシコ「銀の道」教会めぐり(4)

2017-03-13 01:16:47 | 海外生活

 グラナファト (Guanajuato)

  人口約17万人、1548年に銀鉱山が発見され、18世紀には世界の約1/3の銀を産出していた

鉱山の町として繁栄した。 周囲を山々に囲まれた中世の面影を残した美しいコロニアル都市は、

1988年に世界文化遺産に登録された。

町の特徴としては、鉱山で栄えた時に作られた排水溝を利用した地下自動車道が町の下を縦横に走って

おり、地上では車の少ない石畳の路地が複雑に入り込んで、16世紀の面影をそのまま残している。

又、1810年には、メキシコ独立戦争の要塞都市として激戦の舞台でもあり、それに因むモニュメント

や博物館が数多く残されている。

 

            ピピラの丘からの展望は絶景

 

                 市街地を眺め下す(北側)

           

 ピピラ(独立戦争の英雄、インディヘナの坑夫)の像  ピピラの丘に登るケーブルカー

 

   

  1883年に始まった洪水回避のための地下道   メキシコ版ロメオとジュリエットのバルコニー

  現在は自動車道として利用している。       「口づけの小道」も人でいっぱい。

 

  40 : サン・ディエゴ教会  41 : バジリカ教会            42 : ラ・コンパニーア聖堂

  43 : サン・ロケ教会    45 : サンフランシスコ教会  46 : ベレン教会    47 : パルド教会


1.サン・ディエゴ教会 (Templo de San Diego,  Map # 40)

      

    教会の通り向かいラウニオン公園より見た、サン・ディエゴ教会の八角ドームと鐘楼の間にピピラの像を抱く。

  教会は1663年にフランシスコ会によって、グアナファトにおける最初の修道院として建てられ、現在の物は

  1780年の大洪水で破壊された後に、復元再建したものである。

   

   

   教会の正門は、チュリゲラ様式のファサードで、扉の両側にロココ調のピラスター(張り出した柱)が特徴。


   

    主祭壇

    祭壇側から見た聖歌隊席

 

 教会(右)の隣なりがファレス劇場(左)で玄関前の階段広場には、アーティストやミュージシャンが毎夜、

 即興の催しを繰り広げ、最も人気のあるスポットの一つである。


2.バジリカ聖母大聖堂 (Basilica Colegiata de Nuestra Senyora de Guanajuato, No. # 41) 

   ラ・パス広場前に佇む、町のランドマークとも云える教会で、1796年に建てられた。

  当初は教区教会であったが1957年には大聖堂の呼称を得た。

 

 

  ライトアップされた教会前には、コロニアル建築を眺めながらの食事、お茶を満喫する訪問客でいっぱい。

 

  3層の鐘楼(左)はチュリゲラ様式で、右の四角い時計塔と共に、18世紀に追加された。


 

      

   祭壇中央に祀られた聖母マリア像は、木製(杉)の彫刻でスペイン王のチャールス1世と

   彼の息子フィリップ2世により寄贈されたものである。


3.ラ・コンパニーア聖堂 (Templo de la Companio de Jesus, Map # 42)

   

     イエズス会の教会で、オリジナルは1746年から1765年に建立された。 1869年~1884年に

  現在の形に改築された。 ファサードはチュリゲラ様式で、豪華絢爛さはイエズス会の教会の中では内部の

  装飾品も含め最大級の教会と言われている。

   白を基調とした内陣は清潔感が漂う。

  

  

  

 教会の隣なりはグアナファト大学があり、教会設立当時は大学も運営していた。階段は学生たちの憩いの場。


5.サン・ロケ教会 (Templo de San Roque, Map # 43)

    

    1651年に礼拝堂として建てられ、1726年に現在の形に再建された。 外部、内部共に質素な佇まい。

  主祭壇

 副祭壇

  教会前に鎮座するエンリケ・ルエラス像。

  彼は1953年に、この教会前の広場でエンリケ・セルバンティノスという音楽イベントを主催し、その後、

  1973年からは国際セルバンテス芸術祭として毎年10月に、ファレス劇場で開催されるようになった。


5.サン・フランシスコ教会 (Templo de San Francisco, Map # 45 

    フランシスコ会の修道士によって、1728年にホスピス(巡礼者を泊める宿泊所)として建てられた修道院。

 

 


6.ベツレヘム教会 (Templo de Belen, Map # 46)

   1717年~1775年にネオ・ゴシック様式(18~19世紀前半に起こった新古典主義のゴシックリバイバル版)

  で建立された。 1975年からは教区教会となった。

  

  

  

  

 リブヴォールト(横断アーチと対角線アーチを中央で組み合わせる)高い天井がネオ・ゴシックの特徴。

  

  教会の向かいにある白い大きな建物は1910年に建てられた駅舎を使ったイダルゴ市場で、

  民芸品、日用品、食料等を商う庶民の一大市場。


7.パルド教会 (Templo de Pardo, Map # 47) 

     元々は、17世紀の初頭に建てられた聖母グアダルーペの礼拝堂で、木製の小屋であった。

   1757年と1868年に拡張され教会となり現在に至る。立派なファサードは1945年に他の教会から移設した。

  

   

  

   市街中心地から少し離れた庶民の多く暮らす高台にある。


  これで、メキシコ「銀の道」教会めぐり(4)はお終いです。

 

  「バラトン遍路の旅」

 

  



  






 


   

   

 

  

 

    

 




メキシコ「銀の道」教会めぐり(3)

2017-03-09 20:40:15 | 海外生活

 サンミゲル・デ・アジェンデ (San Miguel de Allende)  

   人口16万人、1542年にフランシスコ会の修道士サンミゲルによって町おこしされた。20世紀になって

 町の名前は「サンミゲル・エル・グランデ」からメキシコ独立戦争の英雄アジェンデが生まれた地として、

 現在の名前に変わった。 銀鉱山の町サカテカスからメキシコシティへ銀を輸送する中継地として18世紀頃

 に栄えた。 2008年には世界文化遺産に登録され、こじんまりとした美しい町並みが保存されている。

 

    毎年3月に行われるセマナサンタ(聖週間又は受難週間)の模様  (2016.3.26撮影)

  ラ・パロキア教会前のCorreo 通り

  

       コロニアル調の家並みが続く、最も賑わうSan Francisco 通り

 

 

 

1.ラ・パロキア教会(教会区教会) Templo La Parroruia

     オリジナルの教会は17世紀後半(1880~1890年の間)にネオゴシック様式で建立されたが、

 他に類を見ない特徴ある現在のファサードを持った形に改修されたのは19世紀である。

 名もない先住民の建築家が、ヨーロッパから持ち込まれた絵ハガキを参考に構築したものと言われている。

 よってメキシコの他の教会はほとんどが、バロック様式であるが、ここのはゴシック建築様式になっており、

 建物の色もメキシコ産のピンク色の石材が、メキシカンブルーに良く映える。 

 当然ながら、町のランドマーク的な存在である。

 
  ソカロ横の道路から望む教会の全景 (左側がサン・ラファエル教会で対の第2教会、18世紀に建立)

         

    

 教会前に飾られたクリスマスツリー。 2回の訪問で共に、扉は閉鎖され内部鑑賞は出来なかった。

 

2.サンフランシスコ教会 (Templo de San Francisco)

     1779年に着工し、1799年に完成した。 実に20年の歳月をかけて作られたロココ調の

   バロック建築様式の傑作で、特にファサードは垂涎ものである。

 

  

 

 

                 東側の側門 (前がツアバス乗り場になっている)

 

  主祭壇

 

       副祭壇の中央には、グアダルーペの像を祀っている。

  祭壇から見た教会の入口側 

 

 

3.サンフェリッペ・ネリ礼拝堂 (Templo de Oratorio San Fellipe Neri)

  18世紀初めに、バロック様式で建てられた礼拝堂で、淡いピンク色の石材でのファサードは

  質素で落ち着いた感じがある。

 

 

 

4.聖母教会 (Templo de Nuestra Senyora de Salud)

      1735年に建立。 バロック様式のシェル形状のファサードが印象深く、上段中央には

  マリア・デ・ラ・ソレダ(聖母マリア)像を祀っている。 入口の木彫りの扉も含め、インド

  の影響を受けている教会である。

  礼拝堂入口

  入口脇の彫像

 

 

         メキシコ独立戦争の英雄アジェンデ像とシビカ広場

5・ラ・コンセプション教会 Templo de La Purisma Concepcion)

    俗称「ラス・モンハシ Las Monjas」と呼ばれている修道院(尼)である・

 1765年に、旧王家のマヌエル・デ・ラ・カナルの子孫姉妹によって建立され、その後、ドームは

 1891年にパリのアンヴァリット教会のドームを模写し追加された。

   アンヴァリット教会;正式名称はオテル・デ・ザンヴァリッドで 1677~1706年にパリ7区

             に作られた。ナポレオン皇帝一家が眠る大聖堂。 

  San Francisco通りから見たドーム

  教会正門

  主祭壇

 

            中央にグアダルーペ像

  祭壇から見た聖歌隊席

 

       教会前広場の大きな木は、礼拝者のクツロギの場

   これで、メキシコ「銀の道」教会めぐり(3)サンミゲル・デ・アジェンデ編はお終いです。 

 

「バラトン遍路の旅」

 


   


メキシコ「銀の道」の教会めぐり(2)

2017-03-02 00:48:49 | 海外生活

 ケレタロ (Queretaro) その2

6.サン・アントニオ教会 (San Antonio Map # ❸)

  市内で最も古い植民地時代の教会のひとつで、フレイ・ペドロ・サン・アントニオ率いる

  フランシスコ会の修道士達によって1613年に着工し、1629年に完成した。

  当初は貧困な下層階級の民衆を対象にして「はだしの修道院」と呼ばれていた。

  1867年からスペイン軍の兵舎として使われていたが、1878年に現在の形に改修され

  教会に戻った。

  

  

   

 質素な外観の作りに対応し、内部の祭壇もさほどの派手さはなく落ち着いた重厚感が漂う。

 

7.サン・フランシスコ教会 (San Francisco Map. # ❺)

  教会は1640年に創立され、市街地のちょうど真ん中付近に位置する。

  手前は現在、セネア公園(Jardin Zenea)になっているが、1550年には既に修道院がこの地に存在して

  いて、その広大な敷地の中の庭であった。

   

    

                                                正面入口

 

 主祭壇はネオクラシックのバロック様式で1809年に現在のように修復された。

   

 主祭壇からみた教会入口側

 

   コンチェロ(Conchero) のダンサー像と祭壇の丸天井ドーム、    そして尖塔

 

8.グアラルーペ修道院教会 (La Congregation de Gualalupe  Map # ❿)

  1680年に建立、二つの塔との間にメキシコの聖母グアラルーペの像を飾ってあるファーサードが特徴。

  

  

  

  

  

   白色を基調にした内部は聖母に相応しい清潔感が漂う。 祭壇中央に飾られているグアダルーペ

   の画像は1778年に描かれたものである。

 

<聖母グアダルーペの雑学>

  カトリック教では聖母のことを「神の母(スペイン)」「神を生みし者(東方教会」「イエスキリストの母

 (西方教会)」と崇められています。 彼女の事をどう呼んでいるかと言うと、

    ・「Holy Mother」.... 聖母    ・「The virgin Mary」....処女マリア 

    ・「Saint Mary」....聖女マリア  ・「Our Lady」....我らが貴婦人(特にフランス)のようです。

  メキシコでも、聖母は民族の象徴になっており、メキシコ独立革命の指導者ミゲル・イダルゴの蜂起の宣言

 (ドロレスの叫び)では「聖母万歳!」と唱えられています。

  又、メキシコ革命の指導者であったエミリアーノ・サバタの軍隊は聖母の徽章を帽子に付けていました。 

  メキシコ人の多くは、グアダルーペの聖母とキリスト教が入る以前のアステカの女神トナンツィン(Tonantzin)

  とダブらせているのではと言う人もいる。 何故ならば、グアダルーペは自分達と同じ肌の色だと信じられて

  いるし、12月12日は聖母グアダルーペの日として、全国的な休日となっている。 そして誰もが、

    ・「Nuestra senyora de Guadalupe」or 「Our lady of Guadalupe」...我々の貴婦人と叫びます。

 

9.サンティアゴ主教区教会 (Parroquia de Santiago  Map #なし、❿の筋向かい)

  1680年にイエズス会の僧侶達によって創立され、この地域(Santiago)の教区教会の元締め的な教会。

        柱の建築デザインが、サンタ・

                                        ロサ教会に似ているような。

       

        祭壇

        聖歌隊席(教会入口側)

 

10.サンタ・クルス修道院 (Santa Cruz  Map # ⓭)

   この教会の起源には、有名な伝説がある。 1531年にケレタロに攻め込んで来たスペイン軍と

  アステカ王国のオートミ族の連合軍を迎え撃っていたのが先住民のパメ族で、戦いの最中に日食が

  起こり、辺りが暗くなって、空に十字架が浮かび上がった。 それを見たパメ族は戦いを中止し、

  カトリックに改宗した。 その戦場跡に建てられたのがこの教会だという。

   

   

           尖塔の横にある銅像は両者の友情と団結を表わしたものである。

 

    主祭壇

    ステンドグラスも素晴らしい。

    主祭壇側から見た聖歌隊席

   

   撮影したこの日は、12月25日、クリスマスで特別に飾られたベツレヘムに朝日が

   差し込む(御光では?)

 

<ハンガリーの為の歴史雑学>

  時は1867年2月、ナポレオン3世の命によりメキシコ皇帝として送り込まれたマクシミリアンは

 メキシコ軍との戦いで苦戦をしいられ、この地ケレタロに撤退してきたのであった。

 彼はハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨゼフ1世の弟である。

 結局、戦いに敗れ、処刑前に幽閉されたのが、このサンタ・クルス修道院であった。

 彼が処刑されたのは、ケレタロ市の西側にあるセロ・デ・カルパスの丘(俗称:鐘が鳴る丘)で

 享年35歳(1867年6月没)の若い生涯を異国の地で閉じた。

 

最後に、教会巡りとは言え、ケレタロを語るにスキップしてはいけないスポットが、サンタ・クルス

修道院脇にある展望台から眺める石造りの水道橋である。

 

 

           

                  ラ・カナダ (La Canada) 渓谷の泉からケレタロ市の水を供給する為に、

                 1726年~1738年に築かれた。    全長 1,280 m,  平均高さ 23 m,  幅 20m

 

    これで、「ケレタロ(メキシコ)の教会その2)はお終い。

 

 

 「バラトン遍路の旅」