幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

浅草名画座で

2012年02月29日 | その他

浅草名画座で『幕末残酷物語』を見てきました。

浅草名画座は、旧作の邦画を三本立てで上映する映画館です。
この日の上映作品は、『幕末残酷物語』と『二・二六事件 脱出』と『男はつらいよ 幸福の青い鳥』でした。
ちなみに浅草名画座では『男はつらいよ』の上映率がかなり高いです。
主演の渥美清は浅草に縁がある方なので、人気が高いのだと思います。

券売機でチケットを買い、劇場に入ります。
朝割引のため、料金は900円でした。
入口の階段を下ったところにある売店の品揃えも、ロードショー上映の劇場とは一風かわっていました。
私は鈴カステラを購入し、場内に入りました。
後方の席に着きましたが、上映作品によるものか場所柄によるものか、白髪の頭が目立ちました。
年配の方が多いようです。
それでもいくつかは若そうな頭も見えました。

『幕末残酷物語』ですが、以前よりストーリーを知っていたので特別驚くことはありませんでしたが、ストーリーを知らずに鑑賞していれば、きっと驚いただろうと思います。
上映中、菓子の袋を破くであろうバリバリという音や、缶ビールやジュースを開けるであろうプシュッという音や、弁当のケースを開けているであろうパカッという音がひっきりなしに聞こえていました。
そういう点さえ気にならなければ、ノスタルジックな劇場の雰囲気の中、DVD化されていない往年の映画を劇場で安く見ることができる素晴らしい劇場だと思います。
関心のある映画が上映されていたら、ぜひまた足を運びたいと思いました。



西郷隆盛とスイカ

2012年02月28日 | 幕末グルメ

西郷隆盛はエピソードが豊富な人物です。
最近私は幕末明治に活躍した人物に縁のある食べ物に興味を持っていますが、西郷には食べ物にまつわるエピソードがたくさん残されています。

なかでも多いのは鰻にまつわるエピソードです。
私が知っているだけでも、京都祇園で犬と一緒に鰻を食べたとか、鰻丼を三杯連続で犬に食べさせたため鰻屋が怒ってしまい自分は食べられなかったとか、犬に食べさせた鰻の代金に十円を払ったといったエピソードがあります。
これらのエピソードで鰻を食べているのは犬であって、西郷ではないのですが、西郷の好物といえば鰻を思い浮かべる方も多いと思います。
他にもカルカン饅頭やふきのとう、スイカも好物だったといいます。

スイカに関しては、こんなエピソードが残されています。
明治五年に天皇が鹿児島に巡幸した際のこと。
西郷は最高責任者として供奉していましたが、鹿児島側の準備不足に激怒し、明治天皇の前でスイカをたたき割ったそうです。
その際、スイカの汁が天皇の顔にかかってしまったため、西郷は恐縮したそうです。
西郷の死後、天皇は酒を召し上がるとよく「あの時西郷が怒ってスイカをたたき割った。その汁が自分の顔にかかった」と話したといいます。

なお日本橋の千疋屋には、西郷がスイカをもとめに訪れたという話が残されているそうです。
そこで千疋屋のスイカを食べに行ってきました。
まるごと一個を買っても食べきれそうにないので、千疋屋総本店のフルーツパーラーで、スイカも入っている千疋屋スペシャルパフェをいただきました。
真冬に食べるスイカは、シャクシャクしていてとても美味でした。


※写真は千疋屋スペシャルパフェ


グルメ山岡鉄舟

2012年02月23日 | 幕末グルメ

最近、幕末明治の有名人が通っていた飲食店に興味を持っています。
そういった店を見つけようとパソコンで検索していると、やたらと登場するのが山岡鉄舟です。
東京都内に限り、少し検索しただけでも、鉄舟に縁のある老舗をいくつも見つけることができました。

吉田家(蕎麦) 東大井
こちらの蕎麦を贔屓にしていたそうです。

砂場(蕎麦) 虎ノ門
こちらの蕎麦を贔屓にしていたそうです。

木村屋(パン) 銀座
こちらのあんぱんが好物だったそうです。

躍金楼(割烹) 新富
店名は鉄舟が名付けたそうです。

山本海苔店(海苔) 日本橋
こちらの海苔を称賛したそうです。

東京以外にも、埼玉県比企郡にある二葉(割烹)の名物「忠七めし」は鉄舟発案だそうですし、静岡県沼津市にある高嶋酒造(酒)の「白隠正宗」という酒名は鉄舟が名付けたそうです。
まだまだ鉄舟縁の店はありそうです。

鉄舟が愛した味を今でも味わえるというのは、鉄舟ファンにとって嬉しいことでしょう。うらやましい限りです。
私もいつか、味わってみたいと思います。
なお、鉄舟縁の店を調べていて私が最も惹かれたのは、根岸にある鉄舟庵という蕎麦屋でした。
鉄舟はこちらの蕎麦を贔屓にしていたそうですが、近年移転もしくは閉店してしまったようで、お店の住所に行っても存在しませんでした。
残念でした。


※写真は木村屋のあんぱん



掃苔録「新選組と警視庁」

2012年02月22日 | 侍たちの警視庁

昨年末、大出俊幸先生にお誘いいただいたので、新選組友の会に入会しました。
過去にも会員であった時期があるので、十数年ぶりの復帰ということになります。

大出先生から「新選組隊士の墓について『友の会ニュース』に書いてみませんか」と声を掛けていただきましたが、私が新選組隊士の墓について書くのは恐れ多いと思いました。
しかし私の調べている明治初年の警視庁にも、新選組と何らかのかかわりを持つ警視官が何人かいることに気が付きました。
彼らの墓についてであれば私にも書けますし、新選組友の会の皆様にも興味を持っていただけるのではないかと考えました。
そこで大出先生にタイトルを「新選組と警視庁」に変更することをご了承いただき、寄稿させていただくこととなりました。
友の会ニュースに掲載されている他の記事と比べるとだいぶレベルの劣る内容かと思いますが、興味のある方は広い御心でご一読いただければ幸いです。


※写真は、戊辰戦争中に榎本武揚・土方歳三との談判に臨み、西南戦争に際しては三等少警部に任ぜられた伊達宗亮の墓


士学館とうなぎ料理屋

2012年02月18日 | 幕末グルメ

銀座にある竹葉亭といううなぎ料理屋に行ってきました。

竹葉亭のウェブサイトによると、同店は桃井春蔵道場門下生の「刀預かり所」を役目とした留守居茶屋として江戸末期に創業され、廃刀令後に鰻の蒲焼きを提供する店となったそうです。

警視庁剣術をつくり上げた逸見宗助や上田馬之允も桃井春蔵門下ですので、竹葉亭の前身の留守居茶屋を利用していたかもしれません。

うなぎ丼を頼みましたが、上品であっさりとした蒲焼きと、少し固めのご飯にタレがまぶしてあって、とてもうまかったです。

うなぎ料理は歴史があるので、幕末明治に活躍した人物が通ったと言われている店がいくつも現存しているようです。
パソコンでちょっと検索しただけでも、

勝海舟
中浜万次郎
伊藤博文
大隈重信

といった方々に縁があるといううなぎ料理屋を見つけることができました。
じっくり探せばまだまだ見つかりそうです。
しかしうなぎが好物だったと思われる、西郷隆盛や伊庭八郎のゆかりの店がわからなかったのは残念でした。

ちなみに私が近年もっとも足を運んでいるうなぎ料理屋は、綾瀬にあるうな万です。
うな万については過去に当ブログでもご紹介しておりますので、よろしければこちらをご覧ください。


うな万に行ってきました

「うな万」再訪

あさくらゆう先生と杉浦さまと「うな万」

※写真は竹葉亭のうなぎ丼