幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

雑司ヶ谷霊園・護国寺巡墓会のお知らせ

2010年04月25日 | イベント
私が参加しております『全国歴史研究会 墓碑研究部会』では、
探墓巡礼顕彰会』と共催で、先人の思いを尋ねて巡墓会を催しております。

昨年11月には『青山霊園巡墓会~龍馬ゆかりの墓碑を訪ねて~』を開催。
これに引き続き、第二回目の巡墓会を下記の次第で開催いたします。

講師は新選組研究の第一人者である釣洋一先生をはじめ、
探墓巡礼顕彰会会員がつとめます。
わたくし河内も講師の一人として墓地を案内いたします。

お誘い合わせのうえ、ご参加をお待ちしております。

日時:平成22年5月30日(日) 雨天決行
12:30より受付開始
13:00(現地出発)~17:00(現地解散)

集合場所:護国寺入口
交通=地下鉄有楽町線護国寺下車徒歩2分

テーマ:『近代日本の群像』中濱万次郎・千葉定吉など
『龍馬伝』ゆかりの人物や三条実美など明治の元勲、
文豪・夏目漱石などの墓碑を巡ります。

参加費用:1000円(定員30人 参加費は当日受付にて)

※解散後、希望者で懇親会を行います。
会場は釣洋一先生のお店『春廼舎』です(参加費は3000円程度です)。

参加ご希望の方は、左記の“メッセージを送る”のところから
お申し込みください。

同好の皆様と出会えることを楽しみにしております。

明治初年の警視庁

2010年04月22日 | 侍たちの警視庁
明治初年の警視庁について研究しています。

警視庁の発足は明治七年で、その際に三千人の侍が
警察官として採用されました。

薩摩藩士がもっとも多いのですが、幕臣や東北諸藩士、
その他全国各地の藩士たちも採用されました。

数年前まで敵味方に分かれ血みどろの戦いを繰り広げていた侍たちが
同じ羅紗の制服に身を包み、首都・東京の治安維持に当たったという
史実に惹かれた私は、創成期の警視庁を彩った彼らの墓や史跡を
訪ねることに夢中になり、その調査記録を私家本『侍たちの警視庁』として
一冊にまとめました。

この『侍たちの警視庁』も、5月4日のコミティアでは
販売させていただきます。

初代大警視・川路利良をはじめ、抜刀隊指揮長・川畑種長、
長岡藩参謀・三間正弘、会津の猛将・佐川官兵衛、
白虎隊士・篠澤虎之助、からす組・細谷十太夫、
沖田総司の甥・沖田芳次郎、京都見廻組・今井信郎、
新選組副長助勤・藤田五郎、土佐勤王党・檜垣直枝、
桜田烈士・菊池剛蔵など、明治初年の警視庁に在籍した六十二人の侍を、
墓およびゆかりの史跡写真と共に紹介しています。

ぜひ会場で、お手に取っていただければと思います。

幕末墓参り紀行 登場人物

2010年04月21日 | お知らせ
今回は5月4日の『コミティア92』にてお披露目されます、
『幕末墓参り紀行(なでしこ編)』で取り上げた人物をご紹介いたします。


“幕末の会津に咲いた麗しき二輪花”
中野竹子&中野優子姉妹


“尊王の志士に殉じた貞女”



“命をかけて密室の大奥を守りぬいた傑女”
瀧山


“幕末の動乱に巻き込まれた悲劇の皇女”
和宮親子


“龍馬が愛した女の悲劇的な末路”
楢崎龍


“龍馬への想いを遂げられなかった女剣士”
千葉さな子


“稀代の天才の妻の役目を全うした賢妻”
佐久間順


“偏見に苦しめられた美貌の人気芸者”
斎藤きち(唐人お吉)


“維新の雄に尽くした美人芸妓”
木戸松子


“薩摩の芋侍を虜にした煙管屋の看板娘”
村田さと


“祇園一の美貌を誇った勤皇芸者”
中西君尾


“主婦から勤皇家に転進した傑女”
松尾多勢子


“最愛の夫のため貞節を貫いた淑女”
武市富子


“わが子のように勤皇の志士を見守った憂国の歌人”
野村望東(尼)


“幕末の風雲児が最後に愛した癒し系美女”
うの


“長崎時代の海舟の心の支えとなった現地妻”
梶クマ(玖磨)


“生まれたのが早すぎたインテリ女医”
楠本稲


以上、18人になります。

本文で人物の概要を紹介しているほか、
各人のお墓の写真、お墓にまつわるエピソードが
記されています。

掃苔ガイドブックとしても活用できる
画期的な一冊です。

当日はぜひとも会場に足をお運びいただき、
ブース(L05b)でお手にとっていただければと思います。

誌面で取り上げた“なでしこ”たちには、
心の中で手を合わせ、深く感謝するしだいです。

よろしくお願い申し上げます。

川路利良追っかけ日記

2010年04月20日 | 川路利良
明治初年の警視庁に在籍していた侍たちを追っかけて全国を旅している私にとって、
やはり初代大警視川路利良の存在は特別です。

「川路のファンなんですよ」と言って、警察官から
「大警視に対してそんなミーハーな言い方するな」と
叱られたことがありますが、ともかくここ数年、
川路を追っかけてきました。

これまでに国内の川路利良ゆかりの史跡は
かなりまわってきたと思っています。

東京都にある川路の墓。

寺本や河合といった殉職した部下たちのために建てた碑。

重野や水本といった師匠たちの墓。

川路大警視邸跡記念碑。警察学校にある銅像。

鹿児島県にある生誕地記念碑。先祖の墓。

横川町と鹿児島県警本部前にある銅像。

山口県や京都にある禁門の変で川路が倒した篠原秀太郎の墓。

東京、京都、宇都宮、白河にある川路が率いた兵具隊士たちの墓。

川路が影響を受けたという二本松の戒石銘碑。などなどです。

しかし、戊辰戦争で川路が負傷した磐城浅川に行ってないことが、
ずっと気にかかっていました。

磐城浅川は、川路が股間に銃撃を受けた地です。
その傷のために川路は横浜まで運ばれ、病院で治療を受けたといいます。
銃弾は嚢の上部の皮を貫通していましたが、たまは傷つかずにすみました。

戦闘中でも縮み上がらずだらりと下がっていたから助かったのだと言われ、
以後「川路ドンのだらりキンタマ」は川路の豪胆さを讃える言葉として
薩摩兵の間で広まりました。

禁門の変で篠原秀太郎を撃ち取ったことと
浅川での負傷が川路の名を大いに高め、
後に大警視への道を開くきっかけにもなったと考えています。

にもかかわらず、これまで浅川を訪ねることがなかったのは、
浅川に戦争を偲べる碑などがないためでした。

しかし浅川町史を読んだところ、永昌寺に戦争の戦死者の墓があると知り、
訪れる決心が固まりました。

郡山から水郡線で一時間ほどで磐城浅川につきます。
永昌寺で戦死者の墓を掃苔をしたあと、
戦場となった城山を遠望し、駅に戻りました。

となり駅の棚倉にも行こうかと思いましたが、
これといって訪れたい墓もなく、電車の本数もとても少ないため、
白河に向かうことにしました。

白河では、常宣寺で阿部内膳と会津藩士を、
大龍寺で森要蔵と虎雄の親子を掃苔してきました。

大龍寺は白河駅から六キロほどの場所にあり、バス便もないので
タクシーで向かいました。片道2300円ほどでした。

とにもかくにも、浅川に行けたのは、川路ファンとして嬉しいことでした。
次は川路の刀を鍛えた高橋長信や、川路と巧妙争いをした
川上助八郎の掃苔をしに、松江や鹿児島に行きたいと思っています。