幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

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立ち読み歓迎です

2012年06月29日 | イベント

友人から誘われたので、土曜日は「総司忌」に参加させていただく予定です。
一応、今年から新選組友の会に十数年ぶりに復帰しましたので、「歳三忌」に続いての参加です。

日曜日は「試衛館まつり」に参加させていただきます。
試衛館まつりには昨年も参加させていただきましたが、あさくらゆう先生によるガイドは目からうろこの情報ばかりで、とても印象深いイベントでした。
今年も楽しみです。
昨年の様子はこちらをご覧ください。


二日とも、鞄の中に拙著『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』を忍ばせておりますので、興味のある方はぜひお声がけください。
立ち読み歓迎です。
当日の河内の服装は、カーキ色のズボンに半袖のワイシャツ、朱色のショルダーバッグを身に着けています。

試衛館まつり2012についてはこちらをご覧ください
かぶきものにあこがれて…

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九代市川団十郎ゆかりの梅花亭

2012年06月28日 | 幕末グルメ

梅花亭は台東区柳橋にある明治中期創業の老舗和菓子屋です。
こちらの三笠山というお菓子が、九代団十郎によって名付けられたというので、行ってきました。
以前にも当ブログで少し触れたことがありますが、九代団十郎についてはわが家にちょっとした逸話が伝わっています。
今回はそのことについても紹介したいと思います。

私の先祖は維新後警視庁に出仕し愛宕下に住んでいましたが、近所に井戸という旗本が住んでいました。
初午の日などは娘を連れて、井戸家の屋敷内に祀られているお稲荷さんにお参りに行っていたそうです。
しかし明治となって数年後に、井戸家のご主人は亡くなってしまいました。
井戸家には奥さんと小さな坊ちゃんが残されました。
奥さんは大の歌舞伎好きで、九代団十郎の熱烈な贔屓でした。
金を湯水の如くつぎ込んだそうです。
やがてご主人が残した財産もすべて使い果たしてしまい、愛宕下にあった大きな屋敷も二束三文で売り払ってしまい、どこかに引っ越してしまったそうです。
それから数年後、私の先祖は警視庁を辞めて油屋となりました。
ある日、宅配のため油の桶を乗せた大八車を引いていると、同じように車を引いている人力車夫が通りかかりました。
しばらく並んで進んでいましたが、人力車夫の顔を見て、かつて近所に住んでいた井戸家の坊ちゃんに似ていることに気が付きました。
私の先祖が話しかけてみると、やはり人力車夫は井戸家の坊ちゃんの成長した姿でした。
坊ちゃんの話を聞いたところ、数年前に財産を使い果たしてからは住むところもないような生活をしていましたが、その時に団十郎に救われたのだそうです。
団十郎は、「大変贔屓にしてくださっていた井戸様の奥方が困っているのを放っては置けない」といい、奥さんを家政婦として市川家に雇い、奥さんと坊ちゃんを自分の屋敷に住まわせたということです。
やがて成長した坊ちゃんは学問をしたいと思うようになりますが、市川家に居候をしている身なので学費まで出してもらうわけにはいかないと考え、人力車夫をして稼いだ金を、自分の学費に充てることにしたそうです。
私の先祖は帰宅後、娘にそのことを嬉しそうに語ったという話が伝わっています。

この話を検証したく、ずいぶん前に井戸家の菩提寺を訪ねたことがあります。
しかし移転のためか空襲のためか、記録は残っていないとのことでした。
そのためご子孫にたどり着くことはできておらず、話の虚実は判明していません。
しかし九代団十郎のことを調べていて、長年団十郎のことを贔屓にしていた方が没落したときに、団十郎がその面倒を見たという話が伝わっていることを知りました。
九代団十郎は没落したかつての自分の贔屓を放っておけない、情の熱い人物であったことは確かなようです。
私の家に伝わっている話も、実際にあったことなのだろうと私は思っています。

梅花亭では、三笠山(260円)と三色梅最中(200円)と子福餅(170円)を買いました。
お店の方に話を伺ったところ、三笠山を食べた九代団十郎が「奈良の三笠山の山焼きの姿」と言われたことから名付けたのだそうです。
皮の焼き色とうぐいす餡の若草色の対比が美しいお菓子でした。見ためより歯ごたえがあるしっかりした皮の中に、きめ細かい餡がたっぷり詰まっており、皮と餡の食感の違いも楽しく感じられました。


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井上馨ゆかりの嶋村

2012年06月26日 | 幕末グルメ

嘉永三年(1850)創業の老舗割烹、嶋村に行ってきました。

創業当時は仕出し料理店として江戸城にも出入りをしており、食材を運ぶ途中に桜田門外の変を目撃したという話も伝わっているそうです。
維新後は料亭となり、同店のサイトによると伊藤博文や井上馨などに愛され、時の重大事を話し合っていたそうです。
また『東京「幕末」読み歩き 志士の足跡を訪ねる』(三澤敏博/著)によれば、神風連の計画が二階の座敷で練られた経緯から警察の事情聴取を受けたということです。

徳川幕府や明治の重鎮ゆかりの味も、お昼時のランチメニューであればリーズナブルに味わうことができます。
名物だという金ぷら丼(1200円)をいただきました。
大きなエビ二尾としし唐の金ぷらが乗っています。
金ぷらはカリッと揚がっており、甘いタレがよく合い、ご飯の量も満足できるものでした。
テキパキと働く店員さんにお店の歴史をうかがったところ、本やサイトで得た以上の情報は得られませんでしたが、感じの良い対応をしていただきました。
幕末の味を再現した「幕末会席」という特別メニューも土曜日限定でいただけるそうなので、また訪れたいと思いました。


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西郷隆盛ゆかりの船橋屋

2012年06月24日 | 幕末グルメ

文化二年(1805)創業のくず餅の老舗・船橋屋のブログに、「西郷隆盛も船橋屋のくず餅を愛してくださった1人なのです」と書かれているのを拝見しました。
私の先祖も船橋屋のくず餅を愛していたと聞いています(これはどうでも良いことですが)。
船橋屋のくず餅はこれまで何度もいただいてきましたが、本店の喫茶室には行ったことがなかったため、この度訪れました。

亀戸天神前にある本店は東京大空襲後に再建されたという趣のある和風建築です。
入り口にはよく太った鯉が泳ぐ池があり、店内の喫茶室には胡蝶蘭が六鉢も並び、隣接する中庭には菖蒲や紫陽花など季節の花が咲いていました。
店員の方に西郷隆盛にまつわるエピソードについて伺いましたが御存知なく、ブログをお書きになっている方も本日こちらにはいらっしゃらないとのことでした。
しかし、吉川英治や永井荷風といった文人が船橋屋を贔屓にしていたことを教えて下さいました。
私の座った席の斜め上には、吉川英治揮毫の大看板が掲げられていました。
くず餅530円をいただきました。口に運ぶと、くず餅の発酵した独特の香りがありました。
くず餅の皿にはスプーンが添えられていたため、黒蜜ときな粉もたっぷり楽しめました。
本店で味わう葛餅は、味も雰囲気も素晴らしかったです。


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阿部正弘ゆかりの長命寺桜もち

2012年06月22日 | 幕末グルメ

長命寺桜もちは、享保二年(1717)の創業以来現在に至るまで江戸の名物として愛され続けている名菓です。
創業者の山本新六が桜の葉を塩漬けにしたもので餅を包み、長命寺の門前で売ったのが始まりだといわれています。
幕末のころこの店に錦絵に取り上げられるほど美しい、おとよという娘がいて、ひと目見ようという客で店は大繁盛したそうです。
この美しい看板娘に心を奪われたのが老中・阿部正弘で、おとよを側室に迎えています。
阿部正弘は安政四年六月十七日に亡くなっていますが、おとよが入仕して間もない時期であったため、若い娘を寵愛しすぎて衰弱したのではないかと噂されたそうです。
三田村鳶魚の『大名生活の内秘』には、「十万石の諸候、権勢の凄じい老中も、哀れ桜餅の娘のために生命をころした」などと吹聴されたと書かれています。
なお阿部正弘の本当の死因ですが、外交問題による激務からの過労死ではないかと思われます。

阿部正弘ゆかりの長命寺桜もちをいただきに、向島を訪れました。
長命寺桜もちは持ち帰りもできますが、せっかくなので店内でいただきました。
桜もち一個に煎茶がついて250円です。
桜の葉三枚に包まれていて、良い香りです。ややもっちりとした小麦粉の皮に上品なこしあんがくるまれていて、少し塩けが効いていました。
桜もちは春の季節のみ出回るお菓子だと思っていましたが、長年桜もちだけを扱うこのお店では、梅雨どきのこの日も多くのお客さんが桜もちを味わっていました。


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