幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

パリについて

2011年01月29日 | 歴史余話

幕末掃苔屋を自称する私は、気になる幕末人物の墓所が判明するとそこが近場であろうが遠距離
であろうが、掃苔するまではいてもたってもいられなくなります。
掃苔に対しては、こらえ性がありません。

そのため墓所が判明するたびに旅に出る生活を十数年続け、これまで46都道府県を廻り約800
の幕末人物を掃苔してきました。

秋田・富山・徳島・宮崎県は1回しか訪問していませんが、それ以外のすべての県は墓参り目的
で複数回訪問しています。
残りの1県、沖縄県のみは楽しみにとってあります。

しかし海外には一切出ていません。
意識的に避けてきました。
正直、自分の掃苔に対するこらえ性のなさを考えると、海外まで掃苔の枠を拡げてしまうことに
恐ろしさとためらいを感じてしまいます。
海外で一人掃苔したら、世界各国に次々と掃苔したい人物が現れ、いくら時間と金があっても
足りなくなるのではないかと。
だから海外には行かないつもりでした。
しかし・・・。

先日、横山主税が大好きな方が「横山が徳川昭武に随行して訪問した土地だから」という理由で
パリを訪問したという噂話を耳にしました。
パリには川路利良も訪問しています。
パリは川路を知る上で、外すことのできない特別な土地だといえるでしょう。
川路が泊まったホテルや、見学した施設を訪れたい気持ちはもちろんあります。

しかしまずは日本の47都道府県をすべて廻り、海外についてはそのあと考えたいと思ってい
ます。

なお、「幕末酒場・新選組屯所/春廼舎」の常連の女剣士さんが2ヵ月のパリ滞在を終え帰国
されました。
土産話が楽しみです。


※写真はかつて友人に頼んで写してきてもらったパリ警視庁


高橋信一先生の講演会

2011年01月24日 | その他

慶応大学准教授・高橋信一先生の講演会「フルベッキ 集合写真の真相」に出席しました。
大変興味深かった講演の内容については、高橋先生の記事が掲載されているブログをご覧
いただければと思います。

私はかつて、フルベッキ写真に川路利良が写っていると書かれた記事を読んだことがあります。

フルベッキ写真に西郷隆盛・高杉晋作・勝海舟・坂本龍馬らが写っていると主張している方は、
この写真が慶応元年の長崎で撮影されたと推定しているようです。

慶応元年の川路の行動を追ってみますと、おそらく江戸で幕臣・関口鉄之助から西洋練兵を
学び、その後京都を経て大阪から船に乗り、瀬戸内海、北九州をめぐって鹿児島に帰郷した
と思われます。
長崎に立ち寄ることが不可能とは言い切れません。

しかし私には、フルベッキ写真で川路だと紹介されている人物が、どう見ても川路には見え
ません。

まず、顔がまったく違います。
川路は丸顔ですが、フルベッキ写真で川路だと紹介されている人物は丸顔ではありません。
身長も川路にしては低すぎます。
川路の写真では制服を着た上半身の写真が有名ですが、その写真しか見たことがない人は
川路の身長が低いと誤解しがちです。
明治六年三月末にフランスで撮影された鹿児島出身者達の集合写真を見れば、川路の身長が
かなり高かったことがわかります。
見た目からしても、正直、フルベッキ写真に写っている人物が川路だとは考えられません。

とは言え、これは古写真についてはまったくの素人である、私の個人的な意見です。
そこで、古写真専門家である高橋先生のご意見をお聞きしたく、今回の講演に出席しました。
講演後には高橋先生にいくつかの質問をさせていただきました。
高橋先生からは明快な返答をいただくことができ、自分の意見に自信が持てました。
ありがとうございました。

※写真は長崎県長崎市寺町晧台寺後山墓地にある上野彦馬の墓

川路利良を祀る慰霊堂

2011年01月23日 | 川路利良
「幕末酒場・新選組屯所/春廼舎」で開催された慶応大学准教授・高橋信一先生の講演
「フルベッキ 集合写真の真相」に参加しに行きました。

最寄り駅の曙橋に行く前に九段下で途中下車し、北の丸公園内にある彌生慰霊堂にお参りに
行きました。
ここには警視庁及び東京消防庁の殉職者と、特別功労者として川路利良とガンベッタ・グロース
が祀られています。
今も川路利良の命日である十月十三日前後には警察関係者による慰霊祭が行われており、
かつて私もお参りさせていただきたいとお願いしたことがありますが、警察関係者による慰霊祭
ということで断られたことがあります。
普段の日でも敷地内に入って良いのかどうかわからないので、入口手前から合掌しました。

彌生慰霊堂の前身である彌生神社は、明治十七年六月に津川顕蔵・近藤篤・川路利行・長尾景直
・宮内盛高・加藤清明等が招魂碑建設の建議書を警視総監大迫貞清に具申し、総監が賛同した
ことから建社されました。
川路利行・長尾景直・大迫貞清は昨年掃苔しました。津川顕蔵・近藤篤・宮内盛高・加藤清明
の墓所はまだわかっていません。

そのあとまだ時間があったので、前から気になっていた昭和館に入ってみました。
昭和館は昭和10年~30年の資料を展示し、戦中・戦後の国民生活の労苦を伝える施設です。
戦時中の生活は、居食住のすべてが大変な時代であったことを改めて感じさせられました。
5階の映像・音響室では、パソコンを使って戦中・戦後の国民生活に関する写真・映像・音響資料
を視聴することができます。
「海行かば・抜刀隊」を視聴しました。
「抜刀隊」は西南戦争での警視隊の活躍を歌った曲で、フランス人音楽家の
シャルル・エドゥアール・ガブリエル・ルルーが明治十八年の夏に鹿鳴館で発表しています。
この曲を聞くと、薩南へ向かう警視隊の勇ましい姿が目に浮かび、気分が高揚します。
「抜刀隊」の曲は、京橋の警察博物館でも視聴することができます。

なお、抜刀隊を含む西南戦争で活躍した警視隊の七百七十四名の殉職者は、彌生慰霊堂ではなく
靖国神社に合祀されています。

※写真は彌生慰霊堂の入口の狛犬


川路利良追っかけ日誌 かまぼこ編(その2)

2011年01月21日 | 川路利良

山形県鶴岡市に「竜泉・滝川」という名のかまぼこ屋さんがあることを知りました。

●川路の号は龍泉
●川路の大好物はかまぼこ

この一致、偶然とは思えません。

「もしやこのかまぼこ屋さんは私と同じ川路大警視の追っかけで、わかる人にだけわかる店名をつけたのでは!」

川路がかまぼこ好きだったというだけで、かつてかまぼこ職人を目指そうと思ったことのある
私はそのような想像をしました。
さっそくお店に電話をし、お話を伺ったところ、竜泉・滝川さんは昭和初年創業の老舗で、
竜泉という店名の由来は月山にある池から付けたとのことでした。
川路との関わりをお聞きしましたが、関係はないとのことでした。
それでも私はこの素敵な名前のかまぼこ屋さんのつくるかまぼこをぜひ味わってみたくなって
いたので、宅急便で送ってもらいました。

竜泉・滝川さんのかまぼこは、おせち料理の一品にふさわしい上質なもので、だだちゃ豆や
真いか入りのかま揚げもとても良い歯ごたえでした。
日本海で水揚げされた魚と庄内地方で取れた野菜を石臼を使って練り上げているとのことです。
竜泉の名を愛し、かまぼこが大好きだった川路大警視も気に入るであろう、大変けっこうな
お味でした。

※写真は竜泉・滝川さんのかまぼことかま揚げ

思い出の西郷丼

2011年01月20日 | 幕末グルメ

かつて上野の西郷隆盛像の下に聚楽台というレストランがありました。
創業は昭和34年(1959)で、年季が入った元祖ファミレスという印象でした。
五十年近く愛され続けてきた同店も、平成20年(2008)建物の老朽化に伴い閉店となり
ました。

私はこの店の雰囲気が好きで、ちょくちょく利用していました。
安土桃山時代の城をイメージしたという店内は広々としていて、テーブル席と座敷席があり、
噴水までありました。
窓際の席からは上野駅が見え、絶え間なく行き交う山手線を眺めるのが好きでした。
ベテランウェイトレスの無駄のない動きも、見ていて小気味良かったのを覚えています。

メニューには軽食、定食から酒の肴まで、たくさんの料理が書かれていましたが、私はだい
たいビールとデンキブランと西郷丼を注文していました。
西郷丼とは、巨大な丼に大量のご飯を盛り、その上に九州の名物をたっぷり乗せた聚楽台の
名物でした。
値段は千円もしないのですが、完食すると腹が苦しくなるほどのボリュームがありました。

聚楽台閉店から一年が過ぎた頃から、西郷丼を懐かしく思い出すことがありました。
今年になってから、「西郷丼復活」というネットの記事を目にしました。
なんとアメ横にある酒亭じゅらくという居酒屋で西郷丼が復活しているとのことです。
私の中で懐かしい気持ちが高まり、翌日食べにいきました。

酒亭じゅらくで復活した西郷丼は、角煮・明太子・さつま揚げ・博多焼・さつま芋・温泉玉子
・ほうれん草がご飯の上に乗っかり、みそ汁とお新香がついていました。
甘辛い具が中心で、ご飯が進む味付けでした。
思い出の聚楽台の西郷丼とは若干違う点もありましたが、味とボリュームは変わりませんでした。
懐かしい味を楽しめたのは満足でしたが、あの趣深い聚楽台の店内で食べるのとはやはりち
ょっと違いました。
価格が上がっていたのはやむを得ないと思いましたが、うなぎの一切れでも乗せてくれてい
れば嬉しかったですね。
うなぎは西郷隆盛の好物だったそうなので。

ともあれ思い出の西郷丼が再び味わえるようになったのは、嬉しいことです。

※写真は復活した西郷丼