幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

上野のヘビヤ(2)

2014年09月23日 | 幕末グルメ

日本におけるヘビ食の歴史は古く、平安時代にはすでに行われていたことがわかっているそうです。
昔は皮を剥いて5、6センチに切ったものを炙って食べていたとのこと。
ヘビ屋は戦前には300軒ほどあり、40年前でも関東だけで60軒以上あったそうです。
昔は結核患者や精をつけたい人がヘビをよく食べていたらしく、遊廓の近くにはヘビ屋があったそうです。
救命堂のかつてのお得意さまを教えてもらいましたが、芸能人やスポーツ選手などそうそうたる名前があがりました。
幕末の有名人でヘビを好物としていた人はいないかとお聞きしましたが、ご存じありませんでした。
しかし店主は高杉晋作のファンのようで、高杉トークで盛り上がりました。
高杉も結核を患っていたので、もしかしたらヘビを食べたのかなと思いました。

ミンチ状になったヘビ肉をフライパンで焼き、キャベツや炒めた玉ねぎとともに皿に盛り、ヘビ肉料理の完成です。
一人前にヘビを丸々一匹使っていますが、ハンバーグにすると小ぶりに感じます。
量はマムシよりもハブの方が多いようでした。
ヘビ肉ハンバーグには砕かれた小さな骨が入っているため、鳥つくねのような歯触りでした。
味も鳥肉に近いように感じました。
今回は奇特な女性2人が同行していましたが、2人とも「おいしい」と言っていました。

珍しい食材としてヘビ肉料理を提供している店はいくつかありますが、生きているヘビから調理する昔ながらのヘビ屋は、今ではごくわずかしか残っていません。
興味のある方は、早めの訪問をオススメします。


おわり



上野のヘビヤ(1)

2014年09月22日 | 幕末グルメ

上野のヘビヤ・救命堂でヘビ料理をいただいてきました。

本やWebで調べたところ、幕末人では近藤周助・渡辺一寸・伝習隊などがヘビを食べていたと伝わっているようです。

私は奇食趣味があるので、前々からヘビを食べてみたいと思っていました。
数年前、藪塚にあるジャパンスネークセンターに行きましたが、食堂が休みでヘビを食べることができませんでした。
そんなこともあり、今回の訪問には気合いが入っていました。

ヘビ料理は生き血(キモ入り)とヘビ肉のハンバーグ(定食屋ではないのでライスは付きません)がセットで、縞蛇が5000円、マムシが5500円、ハブが6000円です。
ちなみに生き血(キモ入り)のみだと、縞蛇が3500円、マムシが4300円、ハブが4300円です。
私が訪問した際は縞蛇がなかったので、マムシ料理とハブ料理を注文しました。

まずは鋏のようなもので寸胴から生きたヘビを取り出し、喉を切り、生き血を絞り取ります。
金属製のショットグラスに生き血を注いでその中にキモを落とし、冷水と共に提供されました。
生き血はワインで割ってあり、ワインの味しかしません。
新鮮な生き血は無味無臭だそうです。

生き血を提供すると、店主はヘビ肉の調理を始めました。
血を搾り取られ皮を剥がされても、ヘビは力強くウネウネとのたうちまわっています。
生命力がそうとう強いのでしょう。
まだまだ元気なヘビを電動ハンマーのような機械で叩き、ミンチ状にしていきます。
ガタガタと電動ハンマーで叩く作業は10分ほど続き、その間に店主からいろいろとお話をうかがうことができました。


つづく



大阪・京都で喫茶と幕末史跡巡り(2)

2014年09月12日 | その他

二日目の京都では霊山護国神社にも訪れました。
目的は、有志組の奈須唯一他数名の掃苔です。
すぐ隣の霊山歴史館では、現在「新発見の新選組・斉藤一警視庁名簿」という史料が展示中とのことでしたが、寄りませんでした。

明治八年の警視庁職員録に斎藤一という名が記されていることを私が知ったのは、2年前のことです。
近代デジタルライブラリーで同職員録を閲覧していて「トウケイ 二等巡査 斎藤一」との記載を見つけた瞬間は、興奮しました。
同職員録に藤田五郎の名前がなかったので、「もしかしたら警視庁出仕当初は斎藤一と名乗っていたのか!」と思いましたが、すぐに同姓同名の別人ではないかと思いました。

念のため新選組研究家の先生におたずねしましたが、「すでに壬申戸籍が起立して藤田五郎になっているので、間違いなく同姓同名の他人」とのお返事をいただきました。
約2年前のことです。

明治八年の警視庁職員録に藤田五郎とは別人の斎藤一の名前が記されていることは、私を含め警視庁史を調べている方の多くがご存知だったと思います。
なぜ今になって新聞に取り上げられるような事態になっているのか、わかりません。


おわり


※写真は鴨川のカモ



大阪・京都で喫茶・幕末史跡巡り(1)

2014年09月11日 | その他

一泊二日で大阪・京都を旅行してきました。

初日は約半年ぶりの大阪で、喫茶巡りに没頭しました。
今回は下町を中心に回りましたが、着いて早々に東京ではまず見かけないタイプの魅惑的なウイスキー自販機を見かけたので、午前9時から酒を飲みだしました。
今里や鶴橋の商店街で安いお好み焼きや団子や唐揚げを買い食いしつつ、酒を切らすことなく朝から晩まで動き回り、10軒の魅力的な店を訪ねました。
コーヒーと酒の飲みすぎで腹がやばいことになりましたが、久しぶりに素晴らしい大阪の下町情緒を存分に味わうことができ、最高でした。

二日目は京都に向かい、歴史調査に没頭しました。
キツキツのスケジュールを組んでいたため前日のような旅情を味わう余裕はありませんでしたが、タクシーを駆使することで警視隊・幕末グルメ・幕末史跡を巡ることができました。
今回訪れた警視隊関連の史跡については、10月26日の講演「藤田五郎の西南戦争」でも紹介したいと思います。

味わった幕末グルメについては、同人誌に寄稿して発表したいと思います。


つづく



講演「藤田五郎警部補の西南戦争」の告知②

2014年09月05日 | イベント

藤田五郎警部補の西南戦争についての講演を行います。
日時等については“講演「藤田五郎警部補の西南戦争」の告知①”をご覧ください。

藤田五郎の西南戦争に関してはここ二年ほど調べてきました。
明治初期の警視官の中で最も一般的に人気が高いのが藤田五郎だと思います。
人気の高い幕末明治人になると、現在でも命日前後に供養祭が開催されることがありますが、私の知る限り、明治初期の警視官で供養祭が開催されているのは、佐川官兵衛と藤田五郎(斎藤一)の二人のみです。
川路利良の命日である十月十三日前後にも東京都千代田区北の丸公園にある弥生慰霊堂で慰霊祭が開催されていますが、これは川路個人ではなく警視庁及び東京消防庁の殉職者全員の慰霊行事であり、関係者しか参列できない行事です。
佐川の供養祭である佐川官兵衛碑前祭は熊本県阿蘇郡南阿蘇村で開催され、藤田の供養祭である斎藤一忌は福島県会津若松市で開催されています。
特に斎藤一忌は大規模で、例年百人以上、多い年だと二百人ほどの方が参加しているといいます。
藤田は明治初期の警視官に限定せず幕末明治人の中でも人気の高い人物だと思います。
しかし藤田の人気を支えるのは警視官としての活躍ではなく、新選組隊士としての活躍によるものだと思います。
その証拠に、藤田について書かれた書籍を見ても紙面のほとんどを新選組時代に割いており、警視官時代についてはわずかに触れられている程度です。
明治初期の警視庁を調査している私としては、藤田の警視官時代にこそ興味をそそられ、調べてみたいと思いました。

今回の講演では、藤田の警視官時代の中から西南戦争出征にスポットを当てています。
ビジュアル的にわかりやすくしたいと思い、漫画家の桝田道也さんにイラストを描いていただきました。
日本近代史研究家の鈴木徳臣さんからは、藤田が所属した豊後口警視徴募隊や共に戦った鎮台や敵として戦った薩軍の史料をたくさんご提供いただきました。
戦跡研究家の高橋信武さんには、藤田が戦った竹田や三河内の戦場を案内していただきました。
皆さんのお陰様で知ることができた藤田の西南戦争での行動を、紹介したいと思います。


※イラストは藤田警部補が凱旋の際に乗船した愛宕丸