2023年9月、歴史研究家のあさくらゆう先生が逝去なさいました。
昨年、「歴史研究」にあさくらゆう先生の追悼記事を前後2回に分けて書かせてもらいましたが、紙面の都合で先生との交流についてはごくわずかしか書けませんでした。遅くなりましたが、当ブログにて先生との思い出を書きたいと思います。
私が初めて先生にお会いしたのは、2008年の日野での講演でした。白いスーツをびしっと着こなした背の高い先生で、真剣に熱く語っておられ、その場にいた人間は先生の話に聞き入っていました。
お会いするまで、私はあさくら先生のことを怖い先生だと思っていました。噂やブログを拝見するかぎり、攻撃的で厳しい方だと感じていたからです。しかし実際にあさくら先生と接しているうちにわかりましたが、先生が厳しいのは史実を捻じ曲げたりいい加減なことをいう人に対してでした。
その後、私がウェブサイトで公開していた猫の写真がきっかけとなり、先生と懇意にさせていただくようになりました。以来、明治初年の警視庁・警察関係者の史料をたくさんご教授いただき、歴史調査にも同行させていただきました。
書籍(『「朝敵」と呼ばれようとも 維新に抗した殉国の志士』(現代書館、2014年)、『斎藤一~新選組論考集』(小島資料館、2016年)、『坂本龍馬研究への提言四』(歴史企画研究、2019年))の執筆機会や、講演『没後100年、藤田五郎として生きた新選組 斎藤一』(三十一人会、2014年)の機会をいただけました。
先生とは歴史調査だけでなく、綾瀬新撰組研究会会長の増田光明さんが経営していた鰻屋“うな万”や、千葉佐那の史料を展示していた“矢立茶屋”、近藤勇ゆかりの蕎麦処“ちばい”、新門辰五郎ゆかりの中華料理店“新門飯店”といった幕末史にゆかりのある飲食店にもご一緒しました。
あさくら先生は“矢立茶屋”の女将さんと懇意にされていましたが、女将さんは私と二人の時にあさくら先生のことを、礼儀正しく着こなしをしっかりされた先生だとおっしゃっていました。
あさくら先生は特撮がお好きでした。ウルトラマンの話で盛り上がった時、私がウルトラQは見ていないと言ったら、ぜひ見たほうがよいと薦めてくださいました。川崎の“怪獣酒場”にご一緒した際は、昭和の特撮作品について楽しく語り合ったことを懐かしく思い出されます。会津若松にある喫茶店キャンドルの店頭にはキカイダー像が置いてありますが、先生は会津訪問のたびに訪れていたようでした。
新門飯店にご一緒した際には、何の話で盛り上がったのか経緯は忘れましたが日テレ版ドラえもんの話になり、オープニングテーマの「ハア〜ドラドラ!」という一節をお歌いになったのも懐かしいです。
私に息子が生まれたときには、出産祝いとして北千住の和菓子屋で特注した和三盆を使った和風ケーキを下さいました。その和菓子屋は、千葉さな関係の和菓子をコラボで作っていて先生が懇意にしている店でした。
年賀状は毎年元旦に下さいました。ずぼらな私は時々忘れたりしたので、慌てて返事を出していました。
歴史研究にはとことん厳しい方でしたが、知人には大変親切で義理堅く、粋でユーモアに溢れる先生の人柄を慕う人は多かったです。
先生を介して多くの同好の士と出会うことが出来ました。私にとってあさくらゆう先生は、歴史研究において釣洋一先生と並ぶ恩人です。
ありがとうございました。
昨年、「歴史研究」にあさくらゆう先生の追悼記事を前後2回に分けて書かせてもらいましたが、紙面の都合で先生との交流についてはごくわずかしか書けませんでした。遅くなりましたが、当ブログにて先生との思い出を書きたいと思います。
私が初めて先生にお会いしたのは、2008年の日野での講演でした。白いスーツをびしっと着こなした背の高い先生で、真剣に熱く語っておられ、その場にいた人間は先生の話に聞き入っていました。
お会いするまで、私はあさくら先生のことを怖い先生だと思っていました。噂やブログを拝見するかぎり、攻撃的で厳しい方だと感じていたからです。しかし実際にあさくら先生と接しているうちにわかりましたが、先生が厳しいのは史実を捻じ曲げたりいい加減なことをいう人に対してでした。
その後、私がウェブサイトで公開していた猫の写真がきっかけとなり、先生と懇意にさせていただくようになりました。以来、明治初年の警視庁・警察関係者の史料をたくさんご教授いただき、歴史調査にも同行させていただきました。
書籍(『「朝敵」と呼ばれようとも 維新に抗した殉国の志士』(現代書館、2014年)、『斎藤一~新選組論考集』(小島資料館、2016年)、『坂本龍馬研究への提言四』(歴史企画研究、2019年))の執筆機会や、講演『没後100年、藤田五郎として生きた新選組 斎藤一』(三十一人会、2014年)の機会をいただけました。
先生とは歴史調査だけでなく、綾瀬新撰組研究会会長の増田光明さんが経営していた鰻屋“うな万”や、千葉佐那の史料を展示していた“矢立茶屋”、近藤勇ゆかりの蕎麦処“ちばい”、新門辰五郎ゆかりの中華料理店“新門飯店”といった幕末史にゆかりのある飲食店にもご一緒しました。
あさくら先生は“矢立茶屋”の女将さんと懇意にされていましたが、女将さんは私と二人の時にあさくら先生のことを、礼儀正しく着こなしをしっかりされた先生だとおっしゃっていました。
あさくら先生は特撮がお好きでした。ウルトラマンの話で盛り上がった時、私がウルトラQは見ていないと言ったら、ぜひ見たほうがよいと薦めてくださいました。川崎の“怪獣酒場”にご一緒した際は、昭和の特撮作品について楽しく語り合ったことを懐かしく思い出されます。会津若松にある喫茶店キャンドルの店頭にはキカイダー像が置いてありますが、先生は会津訪問のたびに訪れていたようでした。
新門飯店にご一緒した際には、何の話で盛り上がったのか経緯は忘れましたが日テレ版ドラえもんの話になり、オープニングテーマの「ハア〜ドラドラ!」という一節をお歌いになったのも懐かしいです。
私に息子が生まれたときには、出産祝いとして北千住の和菓子屋で特注した和三盆を使った和風ケーキを下さいました。その和菓子屋は、千葉さな関係の和菓子をコラボで作っていて先生が懇意にしている店でした。
年賀状は毎年元旦に下さいました。ずぼらな私は時々忘れたりしたので、慌てて返事を出していました。
歴史研究にはとことん厳しい方でしたが、知人には大変親切で義理堅く、粋でユーモアに溢れる先生の人柄を慕う人は多かったです。
先生を介して多くの同好の士と出会うことが出来ました。私にとってあさくらゆう先生は、歴史研究において釣洋一先生と並ぶ恩人です。
ありがとうございました。