幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

あさくらゆう先生との思い出

2025年01月01日 | その他
2023年9月、歴史研究家のあさくらゆう先生が逝去なさいました。

昨年、「歴史研究」にあさくらゆう先生の追悼記事を前後2回に分けて書かせてもらいましたが、紙面の都合で先生との交流についてはごくわずかしか書けませんでした。遅くなりましたが、当ブログにて先生との思い出を書きたいと思います。

私が初めて先生にお会いしたのは、2008年の日野での講演でした。白いスーツをびしっと着こなした背の高い先生で、真剣に熱く語っておられ、その場にいた人間は先生の話に聞き入っていました。
お会いするまで、私はあさくら先生のことを怖い先生だと思っていました。噂やブログを拝見するかぎり、攻撃的で厳しい方だと感じていたからです。しかし実際にあさくら先生と接しているうちにわかりましたが、先生が厳しいのは史実を捻じ曲げたりいい加減なことをいう人に対してでした。

その後、私がウェブサイトで公開していた猫の写真がきっかけとなり、先生と懇意にさせていただくようになりました。以来、明治初年の警視庁・警察関係者の史料をたくさんご教授いただき、歴史調査にも同行させていただきました。
書籍(『「朝敵」と呼ばれようとも 維新に抗した殉国の志士』(現代書館、2014年)、『斎藤一~新選組論考集』(小島資料館、2016年)、『坂本龍馬研究への提言四』(歴史企画研究、2019年))の執筆機会や、講演『没後100年、藤田五郎として生きた新選組 斎藤一』(三十一人会、2014年)の機会をいただけました。

先生とは歴史調査だけでなく、綾瀬新撰組研究会会長の増田光明さんが経営していた鰻屋“うな万”や、千葉佐那の史料を展示していた“矢立茶屋”、近藤勇ゆかりの蕎麦処“ちばい”、新門辰五郎ゆかりの中華料理店“新門飯店”といった幕末史にゆかりのある飲食店にもご一緒しました。
あさくら先生は“矢立茶屋”の女将さんと懇意にされていましたが、女将さんは私と二人の時にあさくら先生のことを、礼儀正しく着こなしをしっかりされた先生だとおっしゃっていました。
あさくら先生は特撮がお好きでした。ウルトラマンの話で盛り上がった時、私がウルトラQは見ていないと言ったら、ぜひ見たほうがよいと薦めてくださいました。川崎の“怪獣酒場”にご一緒した際は、昭和の特撮作品について楽しく語り合ったことを懐かしく思い出されます。会津若松にある喫茶店キャンドルの店頭にはキカイダー像が置いてありますが、先生は会津訪問のたびに訪れていたようでした。
新門飯店にご一緒した際には、何の話で盛り上がったのか経緯は忘れましたが日テレ版ドラえもんの話になり、オープニングテーマの「ハア〜ドラドラ!」という一節をお歌いになったのも懐かしいです。

私に息子が生まれたときには、出産祝いとして北千住の和菓子屋で特注した和三盆を使った和風ケーキを下さいました。その和菓子屋は、千葉さな関係の和菓子をコラボで作っていて先生が懇意にしている店でした。
年賀状は毎年元旦に下さいました。ずぼらな私は時々忘れたりしたので、慌てて返事を出していました。

歴史研究にはとことん厳しい方でしたが、知人には大変親切で義理堅く、粋でユーモアに溢れる先生の人柄を慕う人は多かったです。
先生を介して多くの同好の士と出会うことが出来ました。私にとってあさくらゆう先生は、歴史研究において釣洋一先生と並ぶ恩人です。

ありがとうございました。

2023年と2024年

2024年12月27日 | その他
ご無沙汰しています。

昨年末にブログを書くつもりでしたが、結局書きませんでした。
昨年(2023年)末は仕事の関係で気分が停滞気味でしたし、お世話になったあさくらゆう先生の訃報にも大きな衝撃を受けていました。

掃苔旅行が活力の源なので全国各地の明治警察官の墓や碑を訪ねる旅を行っていましたが、ブログを書く気にはなりませんでした。
昨年、掃苔で訪れた街は、下記の通りです。
1月 秋月・大牟田・熊本・人吉・宮崎・高鍋
2月 仙台・盛岡
3月 沖縄・久米島
4月 静岡
5月 柳川・阿蘇・川内・指宿
6月 新潟、霞ヶ浦
7月 掛川・清水、遠軽・網走
8月 金沢・武生・京都・堺
9月 高崎、足利
10月 酒田・新潟
11月 箱根
12月 北九州・山口・萩

今年も掃苔旅行だけは毎月行ってきました。
1月 阿蘇・大分
2月 飯田・豊橋
3月 幸手
4月 鳥取・松江・石見銀山・広島・三次
5月 旭川・三笠・札幌
6月 潮来・小見川
7月 那須
8月 函館
9月 太地・十津川・大阪
10月 飯山・松代・白馬
11月 金沢・福井
12月 仙台・石巻

当然掃苔が一番の目的ですが、日の出から陽が沈むまでひたすら墓を探し求めた昔と違い、目指す墓の掃苔が済んだら後は観光も楽しむようになりました。

今年は「歴史研究」に、あさくらゆう先生の追悼記事を前後2回に分けて書かせてもらいました。
紙面の都合で先生との交流についてはごくわずかしか書けませんでしたが。
報告を兼ねて、函館にある先生のお墓にご挨拶をしました。
気持ちの整理がついた気がしています。

写真は、明治五年に創業し、小松宮やイザベラバードも宿泊した北海道で一番古い飲食店「湖月」でいただいたうな重

2022年

2023年01月02日 | 侍たちの警視庁
ごぶさたしております。
今年もよろしくお願いします。
昨年もタイミングを見ながら掃苔旅行をし、明治警視官のお墓参りをすることが出来ました。

昨年、訪れた場所

松山・高知(佐川)
宮古島
足利
長野・上田
伊豆・島田
宇都宮
金沢
岐阜・彦根・名古屋・伊勢
新潟・長岡
小樽・石狩・月形・札幌
香川・岡山
会津
草津温泉
津山・和田山・神戸・京都
土浦・水戸
佐野

12/30に水戸の酒門墓地を歩いていると、会話をしながら墓石を熱心に探し歩いている三人組の姿を遠くに見かけました。
その時は「自分と似たようなことをする人がいるもんだな」としか思わず立ち去りましたが、後になって、昔一緒に掃苔をしたり幕末明治の墓について熱く語り合った知人たちであったことを知りました。
墓地にいる時はそのことに気付かず、言葉も交わしませんでした。
10年近く顔を合わせていなかったため、お互いに印象も変わっていたのかもしれません。
しかし年末も押し詰まった12/30に、お互いの住居から遠く離れた水戸の酒門墓地ですれ違いとはいえ再会するというのも、同じ趣味が結ぶ不思議な縁だと感じました。

写真は宮古島でいただいたヤシガニ

2021年

2021年12月31日 | 侍たちの警視庁
ごぶさたしております。
今年もコロナの影響で、一年の半分以上は掃苔旅行を自粛してきました。
しかし緊急事態宣言が解除されワクチンを接種した後は、感染防止策を講じたうえで毎週のように旅行をしました。
来年も、タイミングを見ながら掃苔旅行をしたいものです。

今年、明治警視庁・新撰旅団・県警察・集治監関係の碑巡りで訪れた場所

秩父
佐渡
伊香保
米沢
田原
大洗
伊賀
前橋
新庄
登米
江差
松本
羽咋
大田原
五島
三宅島

写真は西南戦争遺跡めぐりウォーキングで買った薩軍めしと官軍めし


2020年

2020年12月27日 | 侍たちの警視庁
ごぶさたしております。

今年は新型コロナの影響で、さんざんな一年でしたね。
掃苔旅行を唯一の楽しみにしている私にとっても、仕事だけでなくプライベートでもしんどい一年間となりました。
緊急事態宣言の発出やGo Toトラベルの停止を受け、仕事がら旅行の予約を泣く泣くキャンセルしたことも何度かありました。
しかしタイミングを見て、例年よりは少ないものの、掃苔旅行は行ってきました。
「侍たちの警視庁」続編に向けてラストスパートをかけたかったのですが、そうもいきませんでした。
しばらくは難しそうですが、早く自由に旅行が出来る世の中に戻ることを願っています。

警視官の掃苔と史跡巡りを目的に、今年訪れた場所

八戸・弘前
大阪
相馬・いわき
山梨
三島
高田
鳥取
鎌倉
津山
水戸
那須

写真は「鎌倉 如菴」の籠城そば
西南戦争の際に熊本城に籠城した政府軍が、石で食材を焼いたという言い伝えが由来と教えて頂きました。
山口名物の瓦そばは薩摩軍由来ですが、こちらは政府軍が由来です!
冬場限定のメニューと知らず、二回訪れてようやくいただくことが出来ました(警視隊に思いを馳せながら)。