幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

川路大警視顕彰会主催 墓所掃除のお知らせ

2019年06月01日 | 川路利良

川路大警視来孫の川路利樹さんより、6月22日に川路大警視の墓所掃除を行うとの連絡をいただきました。
主催は一般社団法人川路大警視顕彰会で、開催概要は以下の通りです。

川路大警視墓所掃除
開催日時:2019年6月22日
スケジュール:15時~墓所掃除 16時~勉強会 17時~懇親会

16時からの勉強会では、私が「知られざる大警視の一面」というテーマでお話しさせていただく予定です。

一般社団法人川路大警視顕彰会は、川路大警視の功績と遺徳を顕彰することを目的として設立されました。
墓所掃除の他にも、大警視慰霊祭などさまざまな行事を開催していくとのことです。
大警視の追っかけとして、これからの活動に大いに期待しております。


講演会「大警視 川路利良 日本の警察を創った男」

2016年10月24日 | 川路利良
10月16日(日)、熊本県水俣市 の水俣市公民館にて、水俣西南戦争史研究会主催の講演会「大警視 川路利良 日本の警察を創った男」が行われ、私が講師を務めさせていただきました。
本来であれば当講演会は4月17日に開催する予定でしたが、熊本地震のために延期となっていました。

講演前日に水俣入りし、水俣西南戦争史研究会会長の松本さんと事務局長の渕上さんに、車で西南戦争関係の史跡をたくさんご案内いただきました。
講演会の記事を書いてくださった西日本新聞社の方も、ご一緒でした。
水俣での戦闘の多くは山の中で行われたので、土地勘と車がなければ訪問が難しい場所ばかりでした。
訪問が難しいことがかえって幸いし、当時と変わらぬ姿を留めている史跡に、興奮しました。

史跡をご案内いただいた後は、水俣西南戦争史研究会の皆様との懇親会です。
会場は、前から訪ねたかった川路さんのお店「かっこかっこかっこ」です!
水俣を訪問するのは、3年前の鈴木徳臣さんの講演会「西南戦争136周年特別講演会 水俣に来た兵士たち‐明治10年西南戦争で何故水俣が戦場となったのか」以来ですが、水俣西南戦争史研究会の皆さんとの再会を楽しみました。
懇親会の後は、松本さんが予約してくださった湯の児温泉の昇陽館まで車で送っていただき、不知火海が一望できる露天風呂で疲れを取りました。

これまでに、『「朝敵」と呼ばれようとも 維新に抗した殉国の志士』(現代書館)に佐川官兵衛大警部の西南戦争について、『斎藤一~新選組論考集』(小島資料館)に藤田五郎警部補の西南戦争について書かせていただきました。
水俣の史跡と水俣西南戦争史研究会の方々に大きな刺激をいただいたので、いよいよ川路利良大警視の西南戦争を書きたいと思います(こちらの発表は同人誌になると思いますが)。
まだまだ調査に時間がかかると思いますが、水俣には何度か取材に訪れ、良いものを書きたいと思います。

翌日はいよいよ講演会です。


続く


川路大警視とヤッパンマルス3

2012年05月04日 | 川路利良

「川路利良履歴資料」には、大警視が関口鉄之助の塾への入門を命ぜられた際の記録が掲載されていますが、大警視と一緒に関口塾への入門を命ぜられている長尾清右衛門という人物が気になりました。
『明治維新人名辞典』や『幕末維新人名事典』などを調べましたが、出てきませんでした。
その後『鹿児島県史料集9』により、花館戦争で亡くなった人物であることはわかりましたが、私にとって重要な墓の所在についてはわからないままでした。
ダメモトでインターネット検索をしてみたところ、なんと長尾清右衛門の墓画像が出てきたので大変驚きました。
「素晴らしいウェブサイトがあったものだ」と感動しながらトップページに移動してみると、以前から情報交換をさせていただいている竹さまの運営するウェブサイト「戊辰掃苔録」であることがわかりました。
竹さまはいつもお世話になっている大佗坊様からご紹介いただいた方で、「戊辰掃苔録」では戊辰戦争戦死者の墓を東軍西軍の分け隔てなく取り上げていらっしゃいます。
今回のようにマニアな幕末人の名前を検索すると、かなり高い確率で知り合いのサイトにたどり着きます。
「この業界はせまいな」と思うと同時に「私は素晴らしい仲間に恵まれている」と改めて感じました。
竹さまのおかげで長尾清右衛門の墓が秋田にあることがわかったので、いつか掃苔をしたいと思います。
竹さま、どうもありがとう。


「戊辰掃苔録」



大警視とヤッパンマルス2

2012年05月03日 | 川路利良

大警視が習得したと思われるヤッパンマルスですが、一体どのようなリズムであったのか、なんとか聞いてみたいと思いました。
ヤッパンマルスの演奏技術は残念ながら現在では途絶えてしまったそうですが、「幕末のドラムマーチ「ヤッパンマルス」の復元―鼓譜からルーディメンツを読み解く―」の筆者である奥中先生が解読に成功し、再現演奏も行われていることを知りました。

再現されたヤッパンマルスは2004年放送のNHK大河ドラマ『新選組!』内でも演奏されているというので、さっそく確認してみました。
ヤッパンマルスが演奏されているのは、第四十五回「源さん、死す」においてでした。
演奏シーンはわずかなものでしたが、大警視の追っかけである私としては「これが大警視も習得したであろうヤッパンマルスか!」と満足できました。

CD『分列行進曲 軍艦行進曲―よみがえる軍楽隊 ベスト』(キングレコード、2011年発売)にもヤッパンマルスが収録されているそうなのでさっそく購入してきましたが、こちらは太鼓以外の楽器も使って演奏しているので、大警視の演奏をイメージしながら聞くのであれば「源さん、死す」の方がおすすめです。

また山口県湯田温泉では、湯田地区商工振興会によるヤッパンマルスの再現演奏がおこなわれているそうです。
いつか見てみたいものです。


※写真は湯田温泉にたつ井上馨の像


大警視とヤッパンマルス その1

2012年05月02日 | 川路利良

川路大警視の伝記を読むと、元治元年に江戸に来た大警視が幕臣・関口鉄之助の塾で西洋練兵と太鼓術を学んでいたことが記されています。
具体的にどのようなことを学んだかについてはこれまでわからずにいましたが、鹿児島県立図書館で見つけた『川路利良履歴資料』には、大警視が関口鉄之助の塾で大変優秀な成績を納めていたことや、浦賀奉行所同心の金沢種米之助からも西洋太鼓術を学んでいたことが書かれていました。
維新前の大警視が習得に精力を注いでいた西洋太鼓術について知りたいと思い、少し調べてみました。

大警視が学んだ関口鉄之助と金沢種米之助は、共に長崎の海軍伝習所でオランダ式太鼓打ち方を学んだ伝習生です。
金沢種米之助については浦賀に調べに訪れましたが、断片的な史料しか手に入りませんでした。
関口鉄之助については『幕末百話』(篠田鉱造/著)の中に、関口塾についての証言が掲載されていました
以下はその一部です。
「最初習いますのがディンストマルス(早足の時叩くもの)で、ソレからヤパンマルス。これは関口らが長崎で阿蘭陀式から割出して馬鹿囃子を加味したものか。日本人の発明に係わる曲なんです。ヤパンマルス即ち日本軍進行曲といったようなもので。」
ヤッパンマルス(ヤパンマルス)は、日本最初の西洋式行進曲といわれています。
『幕末百話』での証言が事実であれば、大警視もヤッパンマルスを習得したことになります。
ヤッパンマルスについては、奥中康人先生の「幕末のドラムマーチ「ヤッパンマルス」の復元―鼓譜からルーディメンツを読み解く―」(『名芸大研究紀要第26巻』に掲載)で詳しく紹介されており、大変勉強になりました。
この論文の中で、1973年にNHKでフランキー堺によるヤッパンマルスの再現演奏が放送されたことが書かれていました。
俳優として有名なフランキー堺ですが、その前はジャズドラマーとして活躍していた方です。
当ブログでも書いてきましたが、フランキー堺は大警視の嗣子となる利恭の弟の孫にあたる方です。
フランキー堺が大警視とヤッパンマルスの関係を知っていたかどうかはわかりませんが、なにか不思議な縁を感じました。


※写真はフランキー堺の手形