幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

水戸巡査

2014年03月30日 | 掃苔録

「薩摩警部に水戸巡査」という言葉を目にします。
しかし拙著『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』では、水戸出身の警視官は菊池剛蔵と根本正の2人だけしか紹介していません。
117名も紹介しているのだから、水戸出身の警視官をもっと取り上げてもよさそうなものですが、2012年当時の私の調査能力ではこの二人しか出会うことはできませんでした。
しかし「薩摩警部に水戸巡査」という言葉がある以上、明治初年の警視庁にはたくさんの水戸関係者が在籍していたのでしょう。
その中には、菊池や根本以外にも名の知られた人物がいたはずです。
それを調べるため、水戸を訪れました。

水戸は東京からも近く気軽に日帰り旅行ができるので、3年連続で毎年訪れています。
図書館にこもって調べましたが、残念ながら水戸出身の警視官についてこれといった新しい発見はありませんでした。
それでも東京ではなかなかお目にかかれない本を読めるなど、収穫はありました。

その後、神応寺にある茨城県警察官墓地を掃苔しました。
『茨城県警察史』によると、茨城県警察の創設から明治末年までに殉職した警察官は、16名におよぶということです。
神応寺の警察墓地にはそのうちの5名の墓がありました。
どの墓にも花が備えられていました。
墓地を歩いていると、新撰旅団として西南戦争で戦死した巡査の墓と出会うことができました。
有名な山国兵部の掃苔もしました。

そのあとはいつも通り、喫茶店とパン屋巡りを楽しみました。
一日乗車券を使って喫茶店を4軒、パン屋を4軒訪れましたが、いずれも素晴らしい店でした。

大通り沿いでは『光圀伝』のイラストが描かれたのぼりをいたる所で見ました。
「余のドラマ化にご協力くだされ」と書いてあり、大河ドラマ化の署名を募るものでした。
数十枚に一枚くらいの確率で、烈公のイラスト入りのぼりがまじっているのが面白く感じました。
烈公にゆかりがありそうなお菓子「水戸の梅」を買って帰りました 。



大阪・明石・岡山を巡ってきました(後編)

2014年03月02日 | 掃苔録

二日目は岡山市中区にある東山墓地を訪れました。
東山墓地については月刊誌『歴史研究』でリレー連載している「四十七都道府県 幕末維新掃苔録」でも書きましたが、前回の訪問時は準備不足のため予定通りの掃苔ができませんでした。

しかし今回の旅の主目的は他にあるので、東山墓地での掃苔に当てられる時間はわずか一時間です。
岡山駅から東山墓地へは両備タクシーを利用しました。
運転手さんが話好きな方で、たま駅長について色々と教えてくれました。

東山墓地で最初に向かったのは手代木勝任の墓です。
大佗坊様のウェブサイト「会津いん東京」のお陰で、迷うことなく訪ねることができました。
いつもお世話になっております。

次に『岡山県の歴史散歩』の記事を参考にして池田長発、野村小二郎、滝善三郎の墓を探しましたが、前回の失敗を彷彿させるような展開になりました。
池田と野村の墓とはすぐに出会うことができましたが、滝の墓が見つかりません。
墓地内の坂を何度も上り降りしましたが、滝の墓には出会えぬまま、時間と体力だけが減っていきます。
タイムリミットぎりぎりまでねばりましたが、滝の墓とは結局出会うことができませんでした。
手代木勝任、池田長発、野村小二郎の墓と出会えたことは嬉しかったものの、また次回への課題ができてしまいました。

両備タクシーに迎えに来てもらい、岡山駅へ戻りました。
行きのタクシーと同様に話好きの運転手さんで、岡山弁が心地よかったです。
車窓から町並みを眺めていると、よい喫茶をチラホラ見かけました。

岡山にはいつかまた、挑戦したいと思います。


おわり

大阪・明石・岡山を巡ってきました(前編)

2014年03月01日 | 掃苔録

まず最初に訪れたのは大阪市天王寺区にある真田山陸軍墓地です。

最寄りの玉造駅から真田山陸軍墓地方面に向かう途中の横丁が、「幸村ロード」と名付けられていました。
この辺りは真田幸村とゆかりの深い地域なのだそうです。
たくさんの幟が設置されており、幸村バーガーなどを提供する店もあるようです。

真田山陸軍墓地には五千基以上の墓が整然と並んでいます。
小雨の降るなか三十分ほど滞在しましたが、約十年前に訪れた時と同様、墓参者は私以外には誰もいませんでした。
黒猫を一頭見かけたので鞄の中に常備しているマタタビを与えようとしましたが、すぐにいなくなってしまいました。

目的の警視官の墓を掃苔したあと新大阪駅にとんぼ返りし、新幹線で西明石駅に向かいました。
そこから明石駅に行き、明石城を見学しました。
その後、加来耕三先生の『真説 上野彰義隊』を読んで以来ずっと気になっていた光明寺にある津田柳雪を掃苔しました。
山川出版社発行の『兵庫県の歴史散歩』にも紹介されている史跡なのですが、思わぬ姿に驚かされました。
この状態がずっと続くのか、気になります。

雨が強くなってきたのでこの日の掃苔は切り上げ、福山まで足を延ばしました。
ペリーを接待する際に出されたという“保命酒”を購入するためです。
翌日は岡山市中区にある東山墓地へのリベンジです。


つづく