「薩摩警部に水戸巡査」という言葉を目にします。
しかし拙著『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』では、水戸出身の警視官は菊池剛蔵と根本正の2人だけしか紹介していません。
117名も紹介しているのだから、水戸出身の警視官をもっと取り上げてもよさそうなものですが、2012年当時の私の調査能力ではこの二人しか出会うことはできませんでした。
しかし「薩摩警部に水戸巡査」という言葉がある以上、明治初年の警視庁にはたくさんの水戸関係者が在籍していたのでしょう。
その中には、菊池や根本以外にも名の知られた人物がいたはずです。
それを調べるため、水戸を訪れました。
水戸は東京からも近く気軽に日帰り旅行ができるので、3年連続で毎年訪れています。
図書館にこもって調べましたが、残念ながら水戸出身の警視官についてこれといった新しい発見はありませんでした。
それでも東京ではなかなかお目にかかれない本を読めるなど、収穫はありました。
その後、神応寺にある茨城県警察官墓地を掃苔しました。
『茨城県警察史』によると、茨城県警察の創設から明治末年までに殉職した警察官は、16名におよぶということです。
神応寺の警察墓地にはそのうちの5名の墓がありました。
どの墓にも花が備えられていました。
墓地を歩いていると、新撰旅団として西南戦争で戦死した巡査の墓と出会うことができました。
有名な山国兵部の掃苔もしました。
そのあとはいつも通り、喫茶店とパン屋巡りを楽しみました。
一日乗車券を使って喫茶店を4軒、パン屋を4軒訪れましたが、いずれも素晴らしい店でした。
大通り沿いでは『光圀伝』のイラストが描かれたのぼりをいたる所で見ました。
「余のドラマ化にご協力くだされ」と書いてあり、大河ドラマ化の署名を募るものでした。
数十枚に一枚くらいの確率で、烈公のイラスト入りのぼりがまじっているのが面白く感じました。
烈公にゆかりがありそうなお菓子「水戸の梅」を買って帰りました 。