幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

桝田道也先生の新作歴史漫画

2011年02月28日 | お知らせ

以前当ブログでも書かせていただきましたが、現在執筆中の拙著「侍たちの警視庁 改訂版」
は漫画家の桝田道也先生にイラストを描いていただいてます。

桝田先生は業界初と思われる城の擬人化漫画『どっからみても 波瀾万城』の作者で、私に
とってみなもと太郎先生と並ぶ歴史ギャグ漫画界の至宝です。
先生の作品に惚れ込んだ私は頼み込み、「侍たちの警視庁 改訂版」のイラストを描いてい
ただきました
その桝田先生の新作歴史ギャグ漫画が、3月5日発売の超娯楽ヒストリーマガジン『歴史魂』
Vol.2に掲載されます。

先生は巻頭特集「真田幸村と四人の勇者 BATTLE OF OSAKA」に4コマ8本と、別冊付録
「REKIDAMAコミック劇場」に『刃乱万丈』という刀テーマのオムニバス・ショート2編を執筆
されたということです。

『刃乱万丈』で取りあげた刀は、「童子切安綱」と「同田貫」とのこと。 この名刀を先生
がどのように漫画化されたのか、とても楽しみです。

※写真は桝田先生にご執筆いただいた警視隊のイラスト

川路と篠原国幹

2011年02月23日 | 川路利良

川路利良は日本の近代警察制度の基礎を造った人物として高く評価されています。
しかし故郷・鹿児島では「西郷さんに弓を引いた」という理由で、長年評価が分かれていた
と聞きます。

西南戦争で西郷軍と戦うこととなった川路ですが、もちろんはじめから敵対していたわけで
はありません。
川路にとり、西郷隆盛は世に出るきっかけを与えてくれた恩人ですし、桐野利秋・村田新八
・篠原国幹といった西郷軍の指導者たちも戊辰戦争では共に戦った戦友です。

戊辰戦争研究の基本資料とされる『戊辰役戦史』には「兵具隊(隊長は川路)の動きはきわめて
勇猛であって、最強といわれた薩軍の一番隊から六番隊までの本隊と比べてもいささかも
見劣りしないほどであった」と記されています。
川路の兵具隊と比較された一番隊から六番隊ですが、隊長は桐野利秋・村田新八・篠原国幹
・川村純義・野津鎮雄・野津道貫が務めていました。
司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』には桐野利秋が川路の対照的存在として登場し、二人
の対話の場面などはとても魅力的に描かれています。
しかし残念ながら川路と桐野の交流を伝える史料は見つかっていないようです。
ただ川路と篠原国幹の間に交流があったことは、川路の漢詩集である「龍泉遺稿」からうかがい
知ることができます。

篠原は天保七年(1837)生まれなので、川路の二歳年下になります。
和漢学を好み、剣術や馬術も極めた文武両道の士であったといいます。
鳥羽伏見の戦から始まる戊辰戦争では各地を転戦し、勇猛の名を馳せます。
戊辰戦争で活躍した篠原は、川路と同じく賞典禄八石を賜っています。
明治二年(1869)には鹿児島常備隊の大隊長を任ぜられ、同四年には陸軍大佐を任ぜられてい
ます。
寡黙なところや、漢学の素養が深かったところは川路と共通しています。
薩人は寡黙が多いといいますが、川路も篠原も特に寡黙だったといいます。

明治六年(1873)十月に西郷が下野すると、篠原も翌月に陸軍少将の職をなげうって鹿児島へ
帰郷してしまいます。
「私情においては誠に忍びがたいが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。
大義の前には私情を捨てて、あくまで警察のために献身する」と言い政府に残った川路とは
相反する道を選んだわけですが、川路は篠原との別れに際し
「送篠原君国幹帰郷(篠原君国幹の郷に帰るを送る)」
と題する漢詩をつくっています。

無奈河梁別涙紛、高樓絲竹不堪聞。
憶君明日函関路、回指江門入白雲。

河に架けた橋の上で、暇ごいをするのに、涙がとめどなく流れるのを、どうしようもなく、
(君の送別の宴の開かれているこの)高殿で、耳にはいる音楽に私の気持は堪えられない。
君が明日には、箱根の関をこえて、故郷へ旅立つことを思いやる。ここ別れの場所で、私は
頭をめぐらして、江戸にむかい、君はこれから先の箱根路にかかる白雲の中へ入る。

別れから三年四ヵ月後の明治十年二月、「政府に尋問の筋これあり」として西郷軍は挙兵し
ます。
篠原は西郷軍の一番大隊長として鹿児島を出発しますが、三月四日、肥後の吉次峠で陣頭に
立って指揮しているところを狙撃され戦死しています。

篠原の墓は鹿児島県鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
中央に西郷隆盛、その左に桐野利秋、右に篠原国幹の墓があります。
私はこれまでに三度南洲墓地を訪れていますが、いずれも休日であったためかボランティア
で墓地案内をされている方が何人もいらっしゃいました。
私も案内をお願いしたことがありますが、西郷軍の面々について逸話を交えながら二時間近く
熱く語ってくださいました。
「彼らが生きていれば…」
何度もそう繰り返していたのを憶えています。


※写真は篠原国幹の墓

複数の墓が建てられている幕末の有名人②

2011年02月21日 | 掃苔録

つづきです。


た行


大楽源太郎
山口県防府市大道
福岡県久留米市寺町 遍照院


高杉晋作
山口県下関市吉田 東行庵
山口県萩市椎原 護国山
山口県下関市上新地 桜山神社
京都府東山区清閑寺霊山町 京都護国神社


武田耕雲斎
茨城県水戸市見川 妙雲寺
福井県敦賀市松島町 松原神社


武市熊吉
高知県高知市筆山町 筆山
東京都中野区上高田 宝泉寺


竹貫三郎
秋田県秋田市八橋下八橋 全良寺
諏訪郡下諏訪町魁町


伊達宗城
愛媛県宇和島市野川甲 等覚寺
東京都台東区谷中霊園 乙9号11側


田中河内介
香川県小豆郡内海町福田 雲海寺
宮崎県日向市細島


千坂高雅
山形県米沢市相生町 日朝寺
東京都大田区池上 池上本門寺


長連豪
石川県金沢市 宝円寺
石川県金沢市野田町 野田山墓地
東京都台東区谷中霊園 乙8号3側


所郁太郎
岐阜県大垣市赤坂町 妙法寺
山口県山口市吉敷上東 三舞墓地


な行


二宮敬作
長崎県長崎市寺町晧台寺後山墓地
愛媛県西予市宇和町卯之町 妙心寺


野村望東尼
山口県防府市桑山 大楽寺墓地
福岡県福岡市博多区吉塚 明光寺


は行


橋本左内
福井県福井市左内町 左内公園
東京都荒川区南千住 小塚原回向院


広沢真臣
山口県山口市赤妻町
東京都世田谷区若林 松陰神社


ま行


真木和泉守
京都府乙訓郡大山崎町天王山
京都府東山区清閑寺霊山町 京都護国神社
福岡県久留米市山川町 山川招魂社


松本圭堂
愛知県刈谷市広小路 十念寺
吉野郡東吉野村 湯之谷墓地


三浦文治
福島県喜多方市熱塩加納町熱塩温泉 示現寺
東京都台東区谷中霊園 甲8号2側


陸奥宗光
神奈川県鎌倉市扇ガ谷 寿福寺
和歌山県伊都郡高野町高野山 奥の院


や行


山城屋和助
神奈川県横浜市西区元久保町 久保山墓地
東京都杉並区梅里 西方寺


横井小楠
熊本県熊本市沼山津 小楠公園
京都府左京区南禅寺福地町 南禅寺天授庵
京都府東山区清閑寺霊山町 京都護国神社


横山安武
鹿児島県鹿児島市池之上町 福昌寺跡
東京都杉並区和泉 大円寺


吉田松陰
山口県萩市椎原 護国山
山口県下関市上新地 桜山神社
東京都世田谷区若林 松陰神社
東京都荒川区南千住 小塚原回向院


吉村寅太郎
京都府東山区清閑寺霊山町 京都護国神社
奈良県吉野郡東吉野村鷲家


掃苔したもののまだ整理できていない墓もありますので、今後まとめていきたいと思って
います。


※写真は山口県山口市赤妻町にある広沢真臣の墓


複数の墓が建てられている幕末の有名人①

2011年02月20日 | 掃苔録

幕末の有名人の掃苔をしていると、複数の墓が建てられている人がけっこういらっしゃる
ことに気が付きます。

どれくらいの人数なのか気になったので、私がこれまでに掃苔してきた

「複数の墓が建てられている幕末の有名人」

のリストを作ってみました。
私が掃苔していない墓は載せていませんので、「この人の墓は他にもあるよ」ということが
多々あると思います。
ご了承下さいますようお願いいたします。

ちなみに私が今、複数の墓を掃苔行脚したい人は世良修蔵です。



あ行


赤井景韶
新潟県上越市金谷山 金谷山墓地
東京都台東区谷中霊園 甲8号6側


有馬新七
鹿児島県日置市伊集院町 無量寿院竜泉寺跡
京都府伏見区鷹匠町4 大黒寺


井伊直弼
滋賀県彦根市古沢町 清涼寺
和歌山県伊都郡高野町高野山 奥の院
東京都世田谷区豪徳寺 豪徳寺


飯沼貞吉
宮城県仙台市青葉区北山 輪王寺
福島県会津若松市一箕町八幡 飯盛山


井上馨
山口県山口市水の上町 洞春寺
東京都港区西麻布 長谷寺


大隈重信
佐賀県佐賀市赤松町 龍泰寺
東京都文京区大塚 護国寺


大村益次郎
山口県山口市鋳銭司
大阪府大阪市北区同心 龍海寺


緒方洪庵
大阪府大阪市北区同心 龍海寺
文京区向丘 高林寺


小栗忠順
群馬県高崎市倉渕町権田 東善寺
東京都豊島区雑司が谷霊園 1種4号B5側


か行


河井継之助
新潟県長岡市前島町 栄涼寺
福島県会津若松市建福寺前 建福寺


河上玄斎
熊本県熊本市黒髪 桜山神社
東京都大田区池上 池上本門寺


清河八郎
山形県東田川郡立川町大字清川字花崎 歓喜寺
東京都文京区小石川 伝通院


雲井龍雄
山形県米沢市城南 常安寺
東京都台東区谷中霊園 甲2号4側
東京都荒川区南千住 小塚原回向院


さ行


酒井玄蕃
山形県鶴岡市家中新町 大督寺
東京都台東区谷中霊園 乙1号9側


佐川官兵衛
大分県大分市大字牧 大分県護国神社
福島県喜多方市岩月町大都前田 長福寺


佐久間象山
長野県松代町松代御安町 蓮乗寺
京都府右京区花園大薮町 妙心寺大法院


佐々木只三郎
福島県会津若松市東山町石山院内 会津武家屋敷
和歌山県和歌山市紀三井寺 紀三井寺


渋沢平九郎
埼玉県入間郡越生町大字黒山 全洞院
東京都台東区谷中霊園 乙11号1側


新門辰五郎
和歌山県伊都郡高野町高野山 奥の院
東京都豊島区西巣鴨 盛雲寺


関鉄之助
茨城県水戸市松本町 常盤共有墓地
東京都荒川区南千住 小塚原回向院


つづく


※写真は紀三井寺の佐々木只三郎の墓



冬こそ不識塔③

2011年02月16日 | 侍たちの警視庁

広泰寺から不識塔への道は結構急な上り坂です。
山の天気は変わりやすいと聞きますが、さっきまでの青空が、突然どんよりとした雲におお
われ、吹雪いてきました。
私は初心者なので、みなさんの後ろからついて歩きます。
みなさんが通った後だと雪がカンジキで踏み固められていて歩きやすいからです。
しかし、まるで砕氷船のように雪をかき分け、先頭を進む講師の先生は大変だと思いました。
不識塔が目前に見えてからの上り坂は特に大変でした。
これまでにない急斜面で、参加者のお一人からストックをお借りしてなんとか登ることがで
きました。

不識塔に到着しました。
出発から1時間45分が過ぎていました。
鉄骨に覆われているため、すぐそばまできても百万塔やこけしに似たその独特な姿はよく見
えません。
しかしそれでも、ここまでこれたことに対する感動で身が震えました。
私はみなさんから少しはなれて一人になり、不識塔に合掌しました。
そして斎藤主に挨拶をしました。
塔には窓のようなものがあり、中にある螺旋階段が少しだけ見えました。
吹雪いていたこともあり、5分ほどで塔を離れることになりました。

復路は往路とは違う道を進みましたが、とても急な斜面の連続でした。
たじろぐ私に講師の先生が、「下りはカカトをつかうと良いよ」と教えてくれました。
雪山の斜面を降りるときは一歩ずつカカトを雪に突き刺すようにするのがコツだそうです。
このコツのお陰で、この後はずっと楽に斜面を降りることができました。
しかしこのコツを駆使しても私のような初心者では降りることが難しい急斜面もありました。
そういう時、みなさんは滑り台のように滑っていたので、私も滑ってみました。
尻になにも敷いてないのに、まるでソリのように6メートルほど一気に滑りました。
童心にかえる楽しさでした。
雪山初心者の私は無知からくる失敗の連続でしたが、山慣れしている優しいみなさんはその
都度助けてくださいました。

予定通り二時半には出発地点の川原平まで戻り、そこから専用バスでビジターセンターに戻
りました。
万歩計では一万一千歩程度のトレッキングでしたが、雪山での上り降りは膝にきました。
参加者のお一人が「私は車で青森まで帰るので、良ければ送ってくよ」と言ってくれました。
弘前のコインロッカーに荷物を入れてしまっていたので丁重にお断りしましたが、あらためて
青森人の人情の深さを感じました。
これは青森を訪れる度にいつも感じることです。

不識塔から西目屋村まで約2時間30分、西目屋村から弘前まで約50分、弘前から新青森まで
約40分、新青森から東京まで約3時間40分。
家路は遠かったですが、不識塔を掃苔できたことの喜びをかみしめ、私の心は満たされてい
ました。


おわり