幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

維新の二傑ゆかりの越後屋若狭

2012年05月19日 | 幕末グルメ

墨田区千歳にある和菓子店の越後屋若狹は西郷隆盛にゆかりがあると知り、行ってきました。
創業してから二百五十年ほどの歴史を持つ老舗です。
主にお茶用の和菓子を扱うお店ということで、購入できる種類は月替わりです。
購入には事前予約が必要とのことなので、訪れる三日前に電話で予約をしました。
その際、種類・数量だけでなく訪れる時間も伝えます。

お店の外観は和菓子屋というより高級な住宅といった風情で、完全予約制という敷居の高さもあり、若干緊張しました。
しかしお店の方はとても感じの良い方で、私の以下の質問にも丁寧に答えてくださいました。

お客として西郷隆盛が来ていたのかをお聞きすると、西郷以外にも山形有朋や伊藤博文も来ていたと教えてくれました。
さらにお店の方は「あとは桂さんもいらっしゃっていたそうです」とおっしゃいました。
私が「え!桂さんって小五郎のことですか?」と聞くと、
「そうです」と答えました。
西郷、山形、伊藤に関しては聞いていましたが、桂小五郎もこちらのお客であったとは知りませんでした。
残念ながら関東大震災と第二次世界大戦のためにお店の記録が失われ、彼らが買った和菓子についてはわからないということでした。
五月のお菓子は若紫と若草を販売していたので、それぞれを買いました。

大地の上に萌える草を表現した若草は、新緑の季節らしい色合いの餡菓子でした。若紫は藤の花が描かれた繊細な練りきりの菓子でした。どちらも甘さはひかえめ、上品な味でした。緑茶と一緒にいただきましたが、このようなお菓子に一番合うのはやはり煎茶だと思いました。

完全予約制とハードルは若干高めですが、維新の二傑が味わった和菓子屋というのは貴重だと思いました。


青山霊園巡墓会(後編)

2012年05月18日 | イベント

来る5月27日、青山霊園巡墓会(後編)が開催されます。

今回も釣洋一先生と探墓巡礼顕彰会幹事の面々が墓の解説を担当しますが、私、河内は所用のため欠席させていただきます。
申し訳ございません。
青山霊園には私が調べている明治時代の警視官の墓もたくさんありますし、参加者の皆さんに近日発行予定の『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』の告知をさせていただきたかったので、参加できず残念です。
しかし私の分も、釣洋一先生と探墓巡礼顕彰会の面々が素晴らしい解説をしてくれると思います。
巡墓会後に霊園近辺の居酒屋で行う懇親会も、歴史トークで盛り上がること間違いなしです。

開催概要は下記の通りです。

★日時 平成24年5月27日(日)雨天決行
 12:30より受付
 13:00(現地出発)~16:30(現地解散)
★集合場所: 青山霊園 中央十字路において
★講師:釣洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)・探墓巡礼顕彰会幹事
★参加費用:1,500円(資料代含む)
 (定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
 (2,500~3,000円程度で/場所:地下鉄青山一丁目駅付近)

※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、 その場合は塀外、柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
※当日は墓参者の妨げとならいよう運営いたしますので、参加して頂く際はご協力の程、お願い申しげます。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。

★参加ご希望の方は、下記まで、電話、FAXにてお申込み下さい。
全国歴史研究会墓碑研究部会
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10-504
TEL 03-3779-3127
FAX 03-3779-5063

巡墓対象人物は以下の通りです。

岡部長職 和泉岸和田13代藩主・子爵(カネコ)
副島種臣 佐賀藩士・枢密院副議長・書家・伯爵(カネコ)
広瀬武夫 海軍中佐・軍神(クロサカ)
加納鷲雄 新選組隊士・御陵衛士(釣先生)
瓜生外吉・繁子 大聖寺藩士・海軍大将・男爵(カネコ)
元田永孚 侍講・教育勅語制定者(カトケン)
植木枝盛 高知県士族・自由民権運動理論家(カトケン)
神山郡廉 土佐藩家老(カトケン)
渡辺昇 大村藩士・練兵館塾頭・子爵(クロサカ)
秋山好古 陸軍大将(クロサカ)
小宮山南梁 水戸藩学者(カトケン)
高木兼寛 薩摩藩士・海軍軍医総監・男爵(カネコ)
関義臣 海援隊士・男爵(カトケン)
金井之恭 新田官軍・書家(カネコ)
四條隆平 公家・男爵・北陸道鎮撫副総督(クロサカ)
立見尚文 桑名藩士 ・雷神隊隊長(釣先生)
相楽総三 赤報隊隊長・小島将満(クロサカ)

皆様の参加をお待ちしております。

※探墓巡礼顕彰会のメンバーおよび過去の巡墓会の様子はこちらをご覧ください。


徳川家茂ゆかりの虎屋

2012年05月15日 | 幕末グルメ

虎屋で羊羹「夜の梅」を買ってきました。
虎屋は室町時代に京都で創業した和菓子屋で、維新後に東京に進出しています。
虎屋のウェブサイトによると、徳川家茂が孝明天皇へ「夜の梅」を贈った記録が残されているそうです。
「夜の梅」は元禄七年(1694)に初めて記録の出てくる古い菓銘で、羊羹としては文政二年(1819)の記録が最初のものだそうです。
名前の由来は、切り口の小豆の粒が夜の闇にほの白く咲く梅の花を思わせるからということです。
最初はよくわからない名前だなと思いましたが、由来を知り、センスある名前だなあと感心しました。
幕末の将軍が天皇に贈った羊羹を今も手軽にいただけるというのはうれしい限りです。

切り口の見ためは真っ黒でさぞ甘いのだろうと想像していましたが、口にすると上品な甘さであと味もさっぱりとしていました。
賞味期限は製造日より1年ほどですが、未開封・常温保存でさらにもう1年もつそうです。
近ごろは震災時の非常食としても注目されているようなので、羊羹を常備しておこうかと思いました。

ほかにも虎屋には、和宮や徳川慶喜からの注文記録が残されているそうです。
幼い頃から虎屋の紙袋(黒地に金色の虎が描かれたもの)にはなんとなくロイヤルなオーラを感じていましたが、そうそうたる客層を知り、納得しました。



勝海舟ゆかりの壺屋總本店

2012年05月14日 | 幕末グルメ

文京区本郷にある壺屋總本店という和菓子屋さんが勝海舟にゆかりがあると知り、行ってきました。
古い建築物マニアがしびれそうな、むかしながらの外観のお店です。
愛想の良い店員さんに海舟との縁についてお聞きしたところ、昔は芝にもお店があり、海舟が来ていたのはそちらのお店だと教えてくれました。
現在は本郷の一店舗のみの営業とのことですが、店内には海舟が訪れた店舗の絵や、海舟による「神逸気旺」と書かれた書も飾られていました。
壺屋總本店は寛永年間に江戸の町人が開いたお店だということです。
維新の際には徳川家への恩義から店をたたんだ大店がいくつもあったそうで、壺屋も店をたたもうとしたそうです。
しかし海舟より「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているから続けるように」と言われ、再開したそうです。
江戸っ子の心意気には驚かされますが、それを止めた海舟もさすがだなと思いました。
お目当ては幕末当時からあるという壺々最中と壺のかたちが可愛い壺形最中でしたが、デセールというビスケットも扱っていたのでそれも買いました。
ずっしりと餡子が詰まった上品な味の最中でした。デセールも伝統的な風味のビスケットでした。
歴史、雰囲気、味の三拍子がそろった素晴らしいお店でした。





さらば「うな万」

2012年05月13日 | 幕末グルメ

石田寺、日野市立新選組のふるさと歴史館、ひの新選組まつり会場をまわった後、綾瀬のうな万に行きました。
うな万は綾瀬新撰組研究会会長の増田光明さんが経営する鰻屋さんです。

うな万が13日に閉店するとの情報をあさくら先生や森重さんから聞いて以来、「もう一度訪れたい」と思っていましたが、最終日の13日は都合により訪れるのが難しそうだったので、急遽前日の12日に行くことにしました。

入店すると、常連と思われるお客様が数人いらっしゃいました。
そしてテーブルの上には、そのお客様たちがお店に贈った花束が置かれていました。
愛されていたお店であることがわかります。

御鰻重を頼みましたが、日野から駆けつけ喉がカラカラだったのでビールも頼みました。
お通しに出してくださった綾瀬で採れた筍の煮物とカマボコをいただきながら、御鰻重ができるのを待ちます。
その間、ご主人の増田さんに閉店の理由をお聞きしましたが、やはりうなぎ価格の異常な高騰が原因とのことでした。
近頃ニュースでも頻繁に取り上げられていますが、大昔から鰻を食べてきた日本人にとっては深刻な問題です。

出てきた鰻重は、いつものことながら絶品でした。
この味をいただけなくなるのは残念なことです。
増田さんの話もいつものことながら面白く、レモンハイ(×2)ともろきゅうを追加オーダーし、二時間ほど楽しませていただきました。

また一軒、楽しく幕末を語り合える貴重なお店が無くなってしまいます。
とても残念なことです。
しかし増田さんはこれからも歴史研究を続けていかれるということです。
ますますのご活躍を期待しております。