幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

ゴールデンウィーク 完結編

2010年06月27日 | 掃苔録
私はずっと前から、大河ドラマでアーネスト・サトウを
取り上げたら良いのでは? と思っています。

サトウは、幕末維新史を彩る様々な人物
(西郷隆盛、高杉晋作、伊藤博文、井上馨、伊達宗城、大隈重信、
坂本龍馬、岩倉具視、勝海舟、大久保利通、山内容堂、徳川慶喜など)と
出会っていますし、その際の様子を書き残しています。

サトウ自身の回想録である「一外交官の見た明治維新」や、
サトウの日記を題材とした「遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄」は
読んだことがありますが、幕末維新好き、ノンフィクション好きには
たまらないものです。

サトウは日本語ペラペラで、たしか江戸弁まで使えたとか。
パックンマックンのパトリック・ハーラン主演でいかがでしょうか。

話が掃苔からずれましたが、つまり私は
アーネスト・サトウに興味を持っています。
人物に興味を持つとすぐに墓に会いに行きたくなるのが掃苔屋のサガです。

しかしサトウの墓はイギリスにあるようなので、簡単には行けません。
しかしサトウの助手の野口富蔵の墓が神戸にあると知り、
以前より掃苔したいと思っていました。

野口は会津出身の侍で、サトウの助手兼ボディーガード的な存在だったようです。

旅の途中、サトウとワーグマンが襲われた際には、
野口は右手に刀を握り左手に拳銃を構えて、見事追い払っています。

サトウからは「あくまで正直で、誠実な男であった」と
絶大な信頼を寄せられていました。

野口の死後、その妻にサトウは何十年にも渡り、
毎月恩給を送り続けています。

その野口富蔵の墓は、追谷霊園にありました。
段々畑のような広大な墓地です。

野口の墓の場所については、大佗坊様のHPで
詳細に説明してくれています。そのお陰で、たどり着くことができました。

会津いん東京

大佗坊様、いつもありがとうございます。

日も暮れたので、京都・彦根・大阪・神戸とまわってきた
この日の掃苔を終わりにしました。

晩は、ルパン三世ファースト(緑ジャケット)の
オープニングとエンディングテーマを歌っている
チャリーコーセイの経営する店『Charlie’s』と、
チャリーの叔父さんが経営する中華料理屋をはしごしました。

チャーリー・コーセイさんのHP

チャリー本人によるルパン三世エンディングテーマは感動でした。
チャリーの叔父さんは気さくな方で、若い頃のチャリーや、
神戸の街についての話を聞かせてくれました。

最後は店の外まで見送ってくれ、「神戸の夜を楽しんで!」と
声をかけてくれました。

翌日は、堺の宝珠院で堺事件自刃者、本源寺で橋本桂園を、
高野山で村野山人、新門辰五郎と黒田長溥と井伊掃部頭と陸奥宗光を
掃苔してきました。

遅くなりましたが、これでGWの掃苔報告を終了します。
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ゴールデンウィーク その2

2010年06月25日 | 掃苔録
GW掃苔報告の続きです。

初日、夜行バスで早朝の京都に到着しました。
GWの京都はとてつもなく混むだろうと考え、さっそく掃苔を開始しました。
相国寺で薩摩藩戦死者を掃苔し、乃木神社で村野山人の銅像を見ました。

ちなみに村野の墓は高野山にあり、翌日掃苔しました。
京都駅に戻ると、早朝とは駅の様子が一変していました。

どこを見ても人、人、人。

村山たかの掃苔をすべくバスに乗るつもりでしたが、バス乗り場で
異常な長さの行列を見て、心が折れました
(目的の墓が明治初年の警視庁関係者や丹南藩関係者であれば決して折れませんが)。

そこで急遽代案を考え、彦根に行くことにしました。
彦根は十年前に一度訪れたきりです。

その時は天寧寺で井伊直弼と長野主膳を掃苔しただけで、
あとは埋木舎や彦根城天守閣などを観光しました。

その後、凌霜隊の朝比奈茂吉の墓が彦根にあると知り、気になっていました。
京都の後だったためか、彦根の町はとてものんびりしているように感じられました。

彦根訪問は予定してなかったため、
朝比奈茂吉の墓がある蓮華寺の場所もわかりません。

駅前の交番で教えてもらい、徒歩で向かいました。
蓮華寺は、本堂も墓地も墓も私の好きな雰囲気に満ちており、
うれしくなりました。

朝比奈茂吉の墓はすぐに見つかりました。
塀沿いにある「椋原義彦」と刻まれた墓がそうです。
父の実家の椋原家に養子となったためです。

十五年ほど前に会津の飯盛山で凌霜隊の碑を見て興味を持ち、
さっそく白虎隊記念館で凌霜隊の本を買ったことを思い出しました。
たっぷり感傷に浸れました。

電車の時間まではまだ少しあったので、
途中で見つけた古くて風情のある喫茶店に入りました。

実は私は古い喫茶店が好きで、
ここ数年で700軒くらい入ってきたと思います。

ブレンド(300円)を頼むと、小さなケーキがついてきました。
店のおばあちゃんとひこにゃんについて話しました。

「猫がカブトをかぶってるなんてカッコ悪いと思っていたけど、
お祭りで他のと並んでいるのを見たら一番よかったわよ
(「ゆるキャラまつりin彦根」のことか)」

「最初は知名度がなくて、50になる息子にひこにゃんのヌイグマルミを
贈ったら怒られたわよ。でも今じゃ自分で買いに来ているよ」

十年ぶりの彦根滞在はわずか一時間でしたが、
とても穏やかな時間を過ごすことが出来ました。

この日はその後、大阪と神戸を回りました。
神戸での目的は、アーネストサトウ助手の野口富蔵の掃苔です。(つづく)
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釣洋一先生の喜寿を祝う会

2010年06月23日 | お知らせ
6月19日(土)、釣洋一先生の喜寿を祝う会が
アルカディア市ヶ谷にて開かれました。

釣先生は言わずと知れた新選組研究の大家で、
近年では暦や火附盗賊改方についての著作も発表されています。

私はこれまで、釣先生に大変お世話になってきました。
たくさんのご教示、アドバイス、励まし、紹介、チャンスをいただきました。

釣先生と出会わなければ、今とはだいぶ違った人生を歩んでいたことでしょう。
釣先生との出会いは、私の人生の宝の一つです。

参加者は、
前新人物往来社社長の大出俊幸様、
古写真研究家の石黒敬章様・森重和雄様、
佐藤彦五郎新選組記念館館長の佐藤福子様、
壬生屯所旧前川邸ご主人の田野一十士様、
新選組研究家のあさくらゆう先生、
作家の桐野作人先生、
新選組著者の山村竜也先生などの著名な方々をはじめ、
我が墓同志である
加藤健太郎さんと
金子千滋さん、
いつも貴重な情報をくださる
宮下秀史様や
久保和也様など、
総勢は百人を超えていたようです。

天然理心流心武館の高鳥天真塾頭と大成宏昌さんの演武、
江戸時代の泥棒研究家で私が公私ともに大変お世話になっている
富田俊彦先生のマジックショーなども行われ、
とても充実した素晴らしい会でした。

「次回の米寿を目指して、歴史への挑戦に残り火を燃やし続けたいと思います」
とおっしゃり、これからの研究および執筆について熱く語られた釣先生。

ますますのご活躍に、心から期待しております。

→釣先生のお店『音楽酒房 春廼舎
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最後の一関藩主

2010年06月22日 | 侍たちの警視庁
岩手県の一関に行ってきました。

JR東日本のびゅうプラザで、東京駅から岩手県一関駅までの
新幹線指定往復に昼飯がついて一万円という期間限定のお得なパックを
見つけたからです。

米沢や長野も、新幹線指定往復に昼飯がついたパックがありました。
いずれも日帰りですが、とてもお得な料金です。

すでに何度も訪れており、新たに所在が知れた墓を掃苔するためだけに行く
私のような人間には、日帰りで十分です。

今回の目的は一関藩主田村家の墓で、
一関駅から徒歩17分ほどの祥雲寺にあります。

最後の藩主・田村嵩顕は維新後に警視庁に入っています。
境内には田村記念館があり、拝観できます。
同墓地には、医学者の建部清庵の墓もありました。

岩手はここ二年で三回来ているので、今日は田村家の掃苔のあとは花巻に行き、
宮沢賢治ゆかりの地めぐりに集中しました。

花巻訪問は十年以上ぶりでしたが、改めて賢治人気が衰え知らずであることを感じました。
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高野山奥の院 新門辰五郎

2010年06月19日 | 掃苔録
以前にもブログで報告しましたが、GWは関西に掃苔に行ってきました。

掃苔してきた墓の中から、よそではあまりお目にかかることのなさそうな写真を
いくつか紹介したいと思います。

新門辰五郎といえば西巣鴨の盛雲寺にある墓が有名ですが、
高野山にも供養塔があります。場所は、明智光秀の供養塔のすぐそばです。
 
十数年前に初めて高野山を訪れた際、「高野山奥の院の墓碑をたずねて」という
奥の院墓マップを購入しましたが、マップの中に新門辰五郎の名前を見つけた時から、
ずっと気になっていました。

三年前にも一度、高野山を訪れたのですが、その時は粉河町荒見で
森田節斎の掃苔に手こずったため、高野山に着いたのは夕方でした。
その日泊まる宿坊の門限もあり、奥の院はごく一部しか掃苔できませんでした。

このたびようやく新門辰五郎の掃苔ができました。
「高野山奥の院の墓碑をたずねて」は今でも高野山観光協会の各案内所で
100円で販売してます。
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